http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/fudai511.html
2005-07-29公刊,2005-07-31Web掲載,2007-02-02最終修正
黒澤睦「告訴権・親告罪の法的性質に関する一試論―親告罪における告訴は訴訟条件にすぎないのか―」『富大経済論集』第51巻第1号(富山大学経済学部,2005年7月29日)1-26頁。
Ein Versuch über die Rechtsnatur des Strafantragsrechts oder der Antragsdelikte, The Journal of Economic Studies Toyama University (The Fudai Keizai Ronshu), Vol.51 No.1, 2005, Faculty of Economics, Toyama University, pp.1-26.

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  4. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.1】

告訴権・親告罪の法的性質に関する一試論

―親告罪における告訴は訴訟条件にすぎないのか―

Ein Versuch über die Rechtsnatur des Strafantragsrechts oder der Antragsdelikte

黒澤 睦

Mutsumi KUROSAWA
キーワード:告訴権・親告罪の法的性質,訴訟条件,刑事手続法と刑事実体法

目次
 はじめに
 一 1995年の刑法平易化と告訴権・親告罪
  1 1995年の刑法平易化
  2 「告訴ヲ待テ論ス(可キ罪)」
  3 「首服」規定
  4 小括
 二 ドイツにおける議論の概要
  1 訴訟法説
  2 実体法説
  3 訴訟法実体法混合説(二重性質説)
  4 親告罪類型区別説
  5 小括
 三 告訴権・親告罪の法的性質論序説
  1 ふたたび1995年の刑法平易化と関連して
  2 各親告罪への法的性質論の展開可能性
 むすびにかえて

【p.1/p.2】

はじめに

 刑事訴訟法230条は,「犯罪により害を被つた者は、告訴をすることができる」と規定する。他方で,刑法180条1項は,一定の性犯罪について,「告訴がなければ公訴を提起することができない」と規定する。また,刑法244条2項は,一定親族間での一定の財産犯について,「告訴がなければ公訴を提起することができない」と規定する(1)
 このように,告訴権ないし親告罪(2)に関する規定は,刑事法における手続法の一般法である「刑事訴訟法」と実体法の一般法である「刑法」についてみただけでも,その両者に存在している。
 一般に,告訴権ないし親告罪が考察される場合には,その法的効果および制度趣旨・根拠において,訴訟法的側面(訴訟条件論など)および刑事政策的側面(刑事裁判の回避など)がとくに強調される(3)。しかし,それにもかかわらず,その規定は刑法にも数多く存在しているのである。これは,単に(例えば,各犯罪規定に対して親告罪規定を設けた方が個別対応が容易であるというような)立法〈技術〉的な理由のみによるのか,それとも別の何らかの理由が考えられるのか,または前者の理由についてより根本的な理由が内在しているのか。以上が,本論文を執筆するきっかけとなった問題意識である。
 以下では,まずはじめに,1995年(平成7年)の刑法平易化(4)における告訴権・親告罪をめぐる議論を概観し,そこに表れた親告罪における告訴の法的性質に関わる問題を確認する〔一〕。続いて,告訴権・親告罪の法的性質に関するドイツにおける議論を概観し,問題の所在を明らかにする〔二〕。最後に,それらの検討を踏まえ,告訴権ないし親告罪の法的性質論の展開可能性を探る〔三〕。

【p.2/p.3】

一 1995年の刑法平易化と告訴権・親告罪(5)

1 1995年の刑法平易化

 告訴権・親告罪をめぐる近時の立法動向としては,2000年の刑訴法等改正法による一定の親告罪についての告訴期間の撤廃(6)が,記憶に新しい。
 それ以前の直近の大きな立法上の変化では,1995年の刑法平易化がある。この1995年の刑法平易化は,その基本方針の一つとして,尊属加重規定および瘖啞者の行為に関する規定の削除などの一部の例外を除き,従来の条文の意味内容を変更することなく行うことを掲げていた(7)。そして,告訴権・親告罪については,その一部の例外に(少なくとも明示的には)あげられておらず,文言の変化そのものに由来する非本質的部分での意味内容の変化は別として,基本的には,原則どおり,従来の条文の意味内容の変更がないようになされたはずである。
 しかし,告訴権・親告罪に関する具体的な文言の変化をみると,はたして本当に従来の条文の本質的な意味内容に変化が生じていないのか,必ずしも疑問がないではない。そこで,以下では,告訴権・親告罪に関連する文言の変更に触れつつ,その問題点を明らかにしていくことにする。

2 「告訴ヲ待テ論ス(可キ罪)」

 1995年の刑法平易化以前の親告罪規定は,「告訴ヲ待テ論ス」(平易化前刑法180条1項など)と規定されていた(なお,平易化前の刑法42条は,「告訴ヲ待テ論ス可キ罪」と規定されていたが,これについては次節で触れる)。これに対して,平易化後の規定は,本論文の冒頭でも見たとおり,「告訴がなければ公訴を提起することができない」とされた。

 こうした平易化に関しては,改正の過程において,次のような問題が指摘されていた(8) 【p.3/p.4】
【Q1】「検察官だけが規範の対象となるような語感があり、旧法の規定とは規範の相手方を変更することになるのではないか」
【Q2】「告訴前にどの程度の捜査ができるか、起訴後の告訴の追完をどの程度認めるかなどの訴訟法上の問題についての解釈を変えるのではないか」

 そこで,法制審議会においてもこの点を念頭に置いて検討がなされた。その結果,次のような理由から,上述の平易化された表現のように言い換えることとされた(9)
【A0】「沿革的に見ても、『告訴ヲ待テ論ス』は『告訴がなければ公訴を提起することができない』という意味で解されていた」
【A1】「この規範は『国』に対するものであってその相手方の変更はない」
【A2】「告訴前の捜査の許容限度、起訴後の告訴の追完の可否等に関する解釈論にも特段の影響を与えない」

 上記の説明によれば(10),それぞれの理由が妥当性を有するかはひとまず別として,【Q1】と【A1】,【Q2】と【A2】の対応関係は見られるが,【A0】そのものに明示的に対応する問題が指摘されていない。では,なぜ,こうした理由があげられたのであろうか。
 あくまで推測の域を出ないが,その大きな理由として,従来の文言を平易化(明確化)するにあたって,その意味内容を実質的に説明する必要があったということが考えられる。すなわち,親告罪における告訴は,実質的にみると,訴訟条件,とくに公訴提起の条件になっているという(通説的)理解が重視されたと考えられる(11)
 ここで問題になるのは,①従来の親告罪規定(「告訴ヲ待テ論ス」)が,「告訴がなければ公訴を提起することができない」という訴訟法的な意味〈のみ〉で理解されていたのか。また,②それが刑法典の各条項の文言(「告訴ヲ待テ論ス」)の解釈として積極的に導かれていたのか(別の法条項の解釈として導 【p.4/p.5】 かれたとは考えられないのか)。そして,③そうしたことが,とくに「沿革的にも」裏付けられるのか,ということである。
 以上の問題提起は,親告罪における告訴の意義・本質ないし法的性質に関わる非常に大きな問題を含むものであり,多角的な検討が必要になる(12)。これについては,不完全なものではあるが,後述三において検討をおこなう。

3 「首服」規定

 1995年の刑法平易化以前のいわゆる「首服」規定(刑法42条2項)は,「告訴権ヲ有スル者ニ首服シタル者亦同シ」とされていた。これに対して,平易化後の規定は,「告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする」とされた。
 ここでは,それを3つに分けて,検討する。第一は,「告訴権ヲ有スル者」が「告訴をすることができる者」とされた点。第二は,「首服」が「自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたとき」とされた点。第三は,「亦同シ」が「前項と同様とする」とされた点である。
 まず,第一の点について,平易化の過程で1994年におこなわれた法制審議会に対する諮問の段階では,「告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を申告し、その者の処置にゆだねたときも、前項と同様とする」とされていた(13)。これは,現在の文言とは若干異なるが,すでにこの時点で「告訴をすることができる者」という文言に変更されていたのである。このように「告訴権(者)」という概念が法律の条文から消えた(14)ことは,少なくとも文言上は,告訴の本質を,被害者等の「権利」というよりも,「国法上の法的地位」と捉える考え方(15)に親和性が強くなった(つまり,告訴の本質ないし法的性質に影響を与えうる)といえるであろう。
 次に,第二の点について,「首服」に替わる文言としては,「告訴権者に対する自首」という案も検討されたが,これ以外の「自首」に関する諸規定(刑法42条1項,刑法各則,特別法の規定など)が,いずれも捜査機関に対するもの 【p.5/p.6】 であることを前提としていることとの関連で,これらの規定の実質的な改正が必要になることから,適当でないとされたという(16)。そもそも,この「首服」規定について歴史をさかのぼると,すでに「仮刑律」の「罪人自首」の中に「首服」の概念が登場している。そして,そこでも,平易化前の刑法と同様に,「首服」と「自首」は区別されていたのである(17)。さらに,「その措置にゆだねたとき」への変更は,「犯罪事実の告知に加えて要求される行為に関する解釈の余地をも考慮し」たとされている(18)。そうしたいわゆる「首服」と「自白」の質的差異と平易化後の「首服」規定の(平易化前に匹敵する)解釈の許容性の大きさという面からみても,いわゆる「首服」を〈被害者に対する現実的な損害回復の端緒〉と捉え,さらに究極的にはその基礎として〈修復的司法〉ないし〈損害回復〉の思想を考慮することも不可能ではないように思われる(19)
 そして,第三の点について,平易化前の「亦同シ」も平易化後の「前項と同様とする」も,いわゆる「首服」と「自首」における「刑の任意的減免<(正)減軽:2007-02-02>」(刑法42条1項を参照)という〈法的効果〉の同一性を意味するにすぎない。そうすると,ここでは,その本質ないし刑の任意的減免<(正)減軽:2007-02-02>の根拠の差異について,平易化〈のみ〉によっては変化が生じていないということができる。
 上記の第二の点の〈修復的司法〉ないし〈損害回復〉の思想は,後でみるようなドイツにおける議論,とくに後述の実体法説および訴訟法実体法混合説を検討するにあたって,参考になるだろう。

4 小括

 1995年刑法平易化は,意味内容について変更を加えないことが当初の基本方針であった。しかし,告訴権・親告罪については,各論的解釈はひとまず別として,その本質的な意味内容にも変更をきたしうる(解釈に影響を与えうる)平易化であったといえる部分がある。しかも,それらが〈意図せざる〉結果であるならば,なぜ,そうした〈意図せざる〉結果を招いたのか,その理由が明らかにされる必要がある。 【p.6/p.7】
 これまでの検討から推測すると,そうした問題を生じさせた原因として考えられるのは,平易化にあたっての議論の中で,親告罪における告訴の「訴訟条件」ないし「訴追条件」という法的効果が,〈当然のごとく〉親告罪における告訴の本質ないし法的性質と考えられていたという可能性である。
 では,告訴権ないし親告罪の法的性質は,はたしてそうした訴訟法的なものにすぎないのであろうか。こうした問題に関連して,次章では,さらなる問題提起の意味も込めて,告訴権ないし親告罪の法的性質をめぐるドイツにおける議論をみていく。

二 ドイツにおける議論の概要(20)

 告訴権ないし親告罪の法的性質について,ドイツにおいては,議論の激しい対立がある。それらの見解を大きく分類するならば,訴訟法説,実体法説,訴訟法実体法混合説,親告罪類型区別説などに分けることができる(21)
 こうした法的性質についての理解の仕方の対立は,親告罪において告訴が欠ける場合の法的処理にも大きな影響を与えうる。究極的には,例えば,親告罪において告訴が欠ける場合に,「訴訟障害」(Verfahrenshindernis)があるとして,公判手続外の決定による「手続打切り」(ドイツ刑訴法206条aを参照)または判決による「手続打切り」(ドイツ刑訴法260条3項を参照)になるのか,それとも実体法的な瑕疵があるとして,「無罪判決」(ドイツ刑訴法260条,267条5項を参照)になるのか,という問題が生じうる。すなわち,訴訟法説によれば,前者の「手続打切り」となりうるのに対して,実体法説によれば,後者の「無罪判決」になりうるのである(22)。また,こうした法的性質をめぐる議論は,親告罪制度の立法根拠・趣旨ないし親告罪における告訴の意義とも大きく関連している。以上の点に注意して,それぞれの見解をみていくことにしよう。

【p.7/p.8】

1 訴訟法説

 告訴権ないし親告罪(親告罪における告訴)の法的性質について,現在のドイツの判例・通説は,訴訟法説(Die prozeßrechtliche Theorie)である(23)
 この訴訟法説によれば,親告罪における告訴は,ある特定の犯罪についての「訴追可能性の前提条件」(Bedingung der Verfolgbarkeit),「(特別)訴訟条件」((besondere) Prozeßvoraussetzung)または「実体判決条件」(Sachurteilsvoraussetzung)などとされる(24)
 この訴訟法説の前提になっているのは,国家の刑罰権は,構成要件の違法・有責な実現によってすでに発生しているということである。つまり,告訴は,あくまで告訴権者による私的な意思表明であって,可罰性(Strafbarkeit)を基礎づけるようなものではない。また,親告罪において告訴が欠けていても(申し立てない場合と取り消した場合の両方がありうる),犯罪行為(または可罰的行為(strafbare Handlung))そのものは存在している,というのである(25)
 そして,親告罪を,さらなる負担となるような刑事手続・刑事訴訟を告訴権者(被害者等)が回避する(遮断する)という作用をもつ〈訴訟法的〉な制度と位置づける(26)
 以上のような訴訟法説の根拠については,とくに次のものが挙げられる(27)
 第一に,法律の文言の解釈として,親告罪における告訴を訴訟法的性質(のみ)をもつものと考えるのが妥当である。すなわち,各親告罪規定は,処罰に関する条項とは切り離し,〈別の条項〉で,「行為は告訴に基づいてのみ訴追(verfolgen)される」と規定する形になっている(28)。また,ドイツ刑訴法においても,訴追条件ないし手続条件との解釈に結びつきやすい「犯罪行為が告訴に基づいてのみ訴追可能(verfolgbar)である」ないし「告訴に基づいてのみ訴追が開始される(Verfolgung eintreten)」と規定されている(29)
 第二に,親告罪規定をめぐる立法者の意思および歴史的変遷は,親告罪における告訴に訴訟法的性質を想定している。すなわち,1851年のプロイセン刑法典には,後述の実体法説の根拠第二でみるように,実体法的性質とも解釈され 【p.8/p.9】 うる規定が存在していたが,1871年のライヒ刑法典は,親告罪について「告訴に基づいてのみ訴追(Verfolgung)が開始される行為」という表現に変更が行われた(61条1文)。さらに,1877年のライヒ刑事訴訟法典は,告訴を「刑事訴追の申立て・請求」(Anträge auf Strafverfolgung)(156条1項)とし,手続打切りに関する条項で「告訴に基づいて訴追されるべき可罰的行為」(259条2項),訴訟費用の負担に関する条項で「告訴を前提条件とする手続」(502条)と規定した。そして,現行のドイツ刑法典においては,告訴に関する規定は,法文体系的には可罰性の阻却または減軽事由と位置づけられず,「行為」に関する規定(13条ないし37条)からは離されており,「行為の法律効果」に関する規定(38条ないし76条a)の後ろに置かれている(30)
 第三に,条件付親告罪(31)の存在が挙げられる。すなわち,条件付親告罪の場合には,検察官による刑事訴追に対する特別な公益(またはその肯定)が訴訟条件となるので,告訴も同様に訴訟条件と考えられるべきである(32)
 第四に,実体法説の主張するように親告罪における告訴を(客観的)処罰条件(Strafbarkeitsvoraussetzung)と捉えるのでは,基本法103条2項で保障されている刑罰の法律主義に違反する。すなわち,親告罪における告訴が処罰条件であったとしたならば,可罰性が行為の時には法律で決められておらず,行為後に生じる私人の恣意的な判断に基づく状況(告訴がなされるか否か)に左右されることになってしまうという不都合がある(33)

2 実体法説

 これに対して,親告罪における告訴を実体法的に捉えるのが,実体法説(Die materiell-rechtliche Theorie)である(34)
 この実体法説によれば,親告罪における告訴は,「客観的処罰条件」(objektive Strafbarkeitsvoraussetzung)または(告訴が欠けた場合には)「刑罰消滅事由」(Strafaufhebungsgrund)と理解される(35)
 ここで問題になっているのは,すでにみた訴訟法説が主張するような〈訴追〉 【p.9/p.10】 に関するものではなく,〈処罰〉に関するものである。すなわち,国家が刑罰を控えるにあたっての,行為の当罰性(Strafwürdigkeit)および要罰性(Strafbedürfnis)である。そして,親告罪において告訴がなされるまでは,国家の刑罰権は存在せず,被害者(告訴権者)が,告訴によって行為者の処罰を希望した場合にのみ,その国家の刑罰権が基礎づけられる(36)
 以上のような実体法説の根拠については,とくに次のものが挙げられる。
 第一に,告訴に関する一般規定と個別の親告罪(告訴要件)が刑法典に規定されている(77条以下および各親告罪規定を参照)という事実が挙げられる(37)。すなわち,告訴が訴訟法的な性質をもつのであれば,その規定は刑法典ではなく刑事訴訟法典に規定されるべきことになる。
 第二に,第一の理由とも関連するが,成立初期の親告罪に関する規定は実体法的性質を有していたと解釈することができ,その性質がこんにちまで受け継がれていると考えられる。すなわち,1851年のプロイセン刑法典は,告訴を,「処罰の申立て・要求」(Antrag auf Bestrafung)としており,法典の体系的には「刑罰阻却または減軽事由」の中に位置づけていた(50条ないし54条)。また,1871年のライヒ刑法典は,告訴を,同じく「刑罰阻却または減軽事由」に位置づけていた(61条ないし65条)(38)
 第三に,宥和・和解思想(Versöhnungsgedanke)(これは「法的平和の回復」(Wiederherstellung des Rechtsfriedens)という刑事司法・手続の目的論とも関連する(39))および被害者の意思の尊重が挙げられる。すなわち,被害者と加害者との宥和・和解は,常に行為の要罰性を消滅させるわけではない。しかし,〈特別な人的つながりを前提とする犯行〉に関する親告罪においては,一般市民の法的平和を害さないことが想定され,要罰性の消滅の可能性が認められる。告訴が欠ける場合に行為者が不処罰になる理由は,そうした親告罪において,行為者に〈刑罰〉を受けさせないという被害者の意思を尊重すること(が許されること)であり,行為者に対する〈手続〉が遂行されないという被害者の願望を考慮することが第一の理由なのではない(40)

【p.10/p.11】

3 訴訟法実体法混合説(二重性質説)

 親告罪における告訴について,以上のような訴訟法説および実体法説の双方の説明を混合的にあてはめるのが,訴訟法実体法混合説(二重性質説)(Die gemischte Theorie; Die Theorie (Lehre) von der Doppelnatur des Strafantrags)である(41)。なお,この見解は,基本的には,訴訟法説と実体法説について,一方の短所を他方の長所で補おうとする視点に基づいていると考えられる(42)
 この訴訟法実体法混合説によれば,親告罪における告訴は,訴訟法的に「訴訟条件」ないし「訴訟障害」として具体化した「客観的処罰条件」である(43)。すなわち,親告罪においては,告訴期間内に告訴をしないことが,実体法的観点からは,加害者に刑罰を免れさせるという被害者の意思を表すものと考えられ,それによって要罰性が低減し,行為の処罰条件になる。それとともに,訴訟法的観点からは,告訴が「(特別)訴訟条件」(告訴がなされた場合)ないし「訴訟障害」(告訴がなされない場合)という法律効果として表面に現れてくる(44)。また,告訴権者(被害者等)からみた場合には,特別訴訟条件としての親告罪における告訴の訴訟遮断作用(prozessuale Sperrwirkung)によって,自己の意に反する手続を妨げることができる(45)
 以上のような訴訟法実体法混合説の根拠については,とくに次のものが挙げられる(訴訟法説および実体法説の短所についての指摘も含まれる(46))。
 第一に,宥和・和解思想の妥当性とその限界である〔おもに実体法説の短所〕。すなわち,行為者と被害者との紛争の解決は,私的な形で行われうる場合があることは間違いなく,その場合には,宥和・和解思想が妥当する。しかし,宥和・和解思想は,いわゆる軽微犯罪(Bagateldelikte)にはあてはまるが,それ以外の親告罪も含めた統一的原理とはなりにくい(47)
 第二に,国家の刑罰権の発生の有無にかかわる問題である〔おもに実体法説の短所〕。すなわち,宥和・和解思想のみを前提にすると,内密な領域においてのみ発生する犯罪の場合には,一般市民の法的平和はまったく乱されない場 【p.11/p.12】 合があり,そうした場合には,そもそも存在しないはずの国家の刑罰権を告訴によって基礎づけるということはできないという不都合がある(48)。また,ドイツ刑訴法に規定されている,親告罪の場合の身柄の仮拘束(127条3項),親告罪の場合の勾留(130条1文)などの規定は,告訴が申し立てられる以前でも一定の強制処分を認めているが,これは,告訴が申し立てられる前に国家の刑罰権が発生していることを前提にしていると考えられる(49)
 第三に,第二の根拠とも関連するが,訴訟法的な訴追可能性と実体法的な可罰性との関連性である〔訴訟法説と実体法説との結びつき〕。すなわち,親告罪における告訴は,ある行為が訴追可能な場合(つまり,潜在的な可罰性(mögliche Strafbarkeit)がある場合)に効果をもつ。そして,告訴が申し立てられないことは,刑事訴訟を遮断する作用があるが,それは同時に,具体的には,潜在的な可罰性を妨げることと理解できる(50)
 第四に,訴訟法的な(および刑事政策的な)訴追の必要性と実体法的な当罰性との関連性である〔訴訟法説と実体法説との結びつき〕。すなわち,宥和・和解思想に注目すると,裁判外の合意(Einigung)が行われた場合には,行為について制裁を課す必要がなくなる。その際,とくに軽微犯罪については,親告罪制度ないし告訴要件によって,非犯罪化(Entkriminalisierung)が可能になる(また,ドイツ刑訴法153条以下による手続打切りでも可能である)。つまり,特別訴訟条件としての属性(Eigenschaft)が,同時に行為の当罰性にも影響を及ぼすと考えられる(51)

4 親告罪類型区別説

 これまで見てきた各説は,親告罪全般について,統一的な解釈をしようとするものである。これに対して,一定の共通性をもった親告罪のグループごとに考察しようとするのが,親告罪類型区別説である(52)
 この親告罪類型区別説では,親告罪を2つのグループに分け,親告罪において告訴を申し立てることが,一方の親告罪では「(客観的)処罰条件」となり, 【p.12/p.13】 もう一方のグループでは「訴訟条件」となる。つまり,前者では実体法説が,後者では訴訟法説が,それぞれあてはめられることになる。したがって,先程触れた訴訟法実体法混合説は,訴訟法的性質と実体法的性質の両方とも備わっているのに対して,この親告罪類型区別説によれば,ある一つの親告罪をみた場合には,訴訟法的性質と実体法的性質のうちの片方しか備わっていないことになる(53)。この2つのグループをもう少し詳しく説明すると次のようになる。
 前者〔実体法的:告訴が客観的処罰条件になるもの〕は,被害者が行為を侵害と感じ,告訴によって自らが受けた法益侵害を表明することによって,法益侵害が公的な法秩序にとって意味をもつことになる親告罪のグループである。
 後者〔訴訟法的:告訴が訴訟条件になるもの〕は,行為(者)を訴追することに対する国家の利益は最初から存在しているが,そうした国家的利益と不訴追に対する被害者の利益が対立する親告罪のグループである(例えば,1876年まで親告罪であった強姦罪がこれにあてはまる)(54)

5 小括

 以上のように,ドイツにおいては,親告罪における告訴の法的性質について大きく見解の対立があるが,親告罪類型区別説を除いて,すべての親告罪について統一的な法的性質を見出そうとする点では共通している。
 そこでの差異をもたらす原因となっているのは,文言上の表面的な理由を除いて(もっとも,文言の差異という形で表れてきている実質的理由は除かれない),親告罪における告訴が果たす機能および法的効果のどの点を重視するかにあると思われる。すなわち,訴訟法説は,刑事政策的観点からの刑事手続・訴追の遮断という機能と,訴訟法的観点からの訴訟条件という機能ないし法的効果に注目する。これに対して,実体法説は,行為(者)が処罰されないという機能ないし法的効果に注目するのである。また,本質的には,親告罪における告訴が訴追可能性を基礎づけるものなのか処罰を基礎づけるものなのかという差異もある。そして,実体法的理解をするもの(訴訟法実体法混合説および 【p.13/p.14】 親告罪類型区別説も含む)については,そこで用いられている「可罰性」,「当罰性」,「要罰性」または「(客観的)処罰条件」の概念の捉え方によっては,親告罪における告訴が,犯罪論に関するいわゆる違法性または有責性にも関わる可能性があるといえよう。
 これらの点も踏まえ,次章では,日本における告訴権・親告罪の法的性質に関して,成り立ちうる一つの考え方(試論)を提示したい。

三 告訴権・親告罪の法的性質論序説

1 ふたたび1995年の刑法平易化と関連して

 1995年の刑法平易化における告訴権・親告罪規定の変化との関連で問題となった点について,詳細な検討は別の機会に譲る(55)が,ここでは,少なくとも問題解決の糸口になると思われるものをみておこう。

(一)処罰条件との関係 ― 大正刑事訴訟法制定時の議論

 大正刑事訴訟法(1922年(大正11年)制定,1924年施行)において,「祖父母又ハ父母ニ對シテハ告訴ヲナスコトヲ得ス」(259条)という規定が導入された(現行法にはない)。その審議をおこなった衆議院特別調査委員会の際に,親告罪における告訴の法的性質について,当時の政府の見解が述べられている。
 そのきっかけとなったのは,横山勝三郎<(正)勝太郎:2005-11-27>委員による次のような質問である。すなわち,この規定によると,親告罪における告訴が起訴条件ではなく処罰条件であったと仮定すると,祖父母および父母との関係で犯罪が成立しなくなりうるが,それでよいか,という旨の質問である。これに対して,林頼三郎政府委員は,「告訴ハ訴訟條件ト云フ見解ヲ執ツテ居リマス」と回答している(56)
 また,この横山委員は,告訴期間制度(大正刑訴法265条1項)<(正)告訴取消の期限(大正刑訴法267条1項):2005-11-27>の導入についての別の質問の中で,「元來處罰條件トナリ、訴訟條件トナツテ居ル告訴ト云フモノヲ受ケテ」と述べている(57)
 以上のような衆議院特別調査委員会での議論の状況からわかるのは,当時の 【p.14/p.15】 政府は,親告罪における告訴を「訴訟条件」(訴訟法的性質〈のみ〉)と捉えていること。これに対して,少なくとも委員の一人(横山委員)は,ドイツの学説の分類でいえば訴訟法実体法混合説(二重性質説)に近い立場をとっている(または,大正刑訴法259条がない場合におけるそのような解釈の可能性を指摘している)ということである。また,処罰条件を〈犯罪成立要件〉の一つと捉えているという特徴がある。

(二)可罰的違法性との関係

 また,佐伯千仭は,すでに触れた親告罪類型区別説に関するフリードリヒ<(正)フランツ:2005-11-17>・フォン・リストの見解および姦通罪(削除前の刑法183条)に関する宮本英脩の見解を参考にして,親告罪を次のように二種類に区別している(58)
 すなわち,第一のものは,例えば,親族相盗例(刑法244条)について,「被害者がその行為について受ける感じの如何によりあるいはその行為は親族相互の親しさの表現として考えられ、あるいは窃盗を構成すべき可罰的侵害行為とみられることに基づく。前者なら始めから窃盗として罰すべき程度の違法行為がないのである。ここでは告訴の有無は正に被害者の受けた感じの表現であり、したがって彼がなす告訴はかかる違法性の存在を示す役目をもつ」とする。そして,刑法229条の親告罪規定〔一定の略取・誘拐についてのもの〕も同様であろうとする。もっとも,「親族相盗の告訴は、姦通の縦容とは異なり行為の後に行われるものであり、したがって、右の論理は事後の事実が遡って行為の違法性を喪失または減少せしめると主張するもののようであるが、ここでも遡及的作用が問題とされるのでなく、むしろ行為に始めから内在した違法性の徴表・認識手段が与えられるだけだと解すべきである」とする。
 第二のものは,例えば,強姦について,その場合には,「可罰的違法性などは、告訴の有無と関係なく存在するのであり、ここでは告訴は単なる訴訟条件である」とする。
 上記の佐伯の見解は,(リストの親告罪類型区別説にもいえることだが)親告罪の根拠・趣旨についての二分説に立っている。そして,そのそれぞれの根 【p.15/p.16】 拠をもとにして,個々の親告罪の法的性質を考察するというアプローチをとる。したがって,かりに,こうした考え方によれば,従来の二分説が主張するところの,例えば,〈被害が比較的軽微であって被害者の意思に反してまで訴追することが適当でない〉というものをおもな根拠とする親告罪の場合のみならず,従来の三分説が主張するところの,例えば,〈犯罪が軽微であって被害者が特に希望しない以上処罰の必要性がない〉というものをおもな根拠とする親告罪の場合(59)にも,こうしたはじめから内在した(または潜在的な)違法性の徴表・認識手段という説明を展開することが可能となろう。もっとも,こうした第一のものについても,「始めから内在した違法性」という表現からすると,告訴の存否に犯罪の成否をかからせることへの疑念があると考えられる。

(三)(可罰的)責任との関係

 そして,(可罰的)責任との関係を示唆する見解もある。
 例えば,松原芳博は,親族相盗例における「刑の免除」(刑法244条1項)の根拠を「可罰的責任阻却事由」もしくは「窃盗罪の可罰的責任類型を限定する事由」と捉える(60)。そして,同条2項の親告罪規定について,「告訴の存否そのものを犯罪の成否と結びつけることはできないが、親告罪として扱うことの根拠はやはり一項の延長線上で責任減少の考慮にある」とする。そして,責任の軽微性は親告罪とする理由にはならないとの批判を考慮しつつも,「非親告罪である傷害罪(刑法二〇四条)、業務上過失致傷・重過失致傷罪(二一一条)と、親告罪である過失傷害罪(二〇九条)との相違は、正に責任の程度の差にほかならない」とする(61)
 上記の見解は,親告罪における告訴の〈法的性質〉という形では論じていないが,少なくとも,告訴要件を創設するにあたって,「責任減少」(相対的に責任が少ない)という実体法的な考慮がなされていることを示している。もっとも,告訴の存否そのものを犯罪の成否と結びつけることはできないとしている点には,注意を要する。とはいえ,親族相盗例のみならず,他の親告罪規定を射程に入れている点で,親告罪における告訴の法的性質論の展開可能性をうかがわせる。

【p.16/p.17】

2 各親告罪への法的性質論の展開可能性

 以上のようなドイツにおける議論および日本における議論を考慮に入れたならば,親告罪における告訴の法的性質を,一律に「訴訟条件」〈のみ〉として捉えなければならない必然性は必ずしもないようにも思われる(62)
 それにとどまらず,親告罪において公訴提起を制限する許容性の要素である「犯罪の軽微性」および「訴訟の代替」などの観点,公訴提起を制限する必要性の要素である「害悪の回避」,「家庭の平穏の保護」,「消極的処罰要求の尊重」および「裁判外解決の期待」などの観点(63)が正当であるとするならば,単に「訴訟条件」という形式的な法的性質のみをあてはめて説明するのでは不十分となる。したがって,それがなぜ訴訟法的に「訴訟条件」として具体化されているのか,つまり,親告罪規定でいう「公訴を提起することができない」という法的効果を生んでいるのかが,実質的に説明されなければならない。
 私は,親告罪制度というものは,公訴提起をおこなうのが検察官であることが原則となっている現行刑事訴訟法(247条を参照)を前提にすると,解釈論としても政策論としても,その公訴提起を制限する「許容性」と「必要性」が必要であると考えている。そして,その「許容性」と「必要性」(そしてその諸要素)は,それぞれの親告罪すべてについて必ずしも一定のものではなく,各犯罪(構成要件),各事案によって異なると考えている(64)
 そして,こうした個別化は,親告罪における告訴の法的性質,つまり,訴訟法的性質(側面)と実体法的性質(側面)という分析についてもあてはまるのではないか(もっとも,前出のような親告罪創設のための根拠となる要素が,すべて訴訟法または実体法的性質に還元・吸収されるとは限らない)。すなわち,刑法において親告罪とされた各犯罪が,それぞれ別様の訴訟法的性質と実体法的性質をもちうるのではないか(訴訟法的性質と実体法的性質の両者を肯定する点で訴訟法実体法混合説と共通し,犯罪構成要件ごとにその内容を個別判断するという点で親告罪類型区別説をさらに押し進める)。そうしたことは,親告罪規定が,刑事訴訟法典にまとめて置かれるのではなく,個々の犯罪を規 【p.17/p.18】 定する刑法典に置かれていることとも合致する。つまり,各犯罪構成要件ごとに個別判断を必要とするので,そのような方法をとっているといえると考えるべきではなかろうか。
 以上のように,親告罪における告訴については,その法的効果である「訴訟条件」としての訴訟法的性質をすべての親告罪の告訴に肯定した上で,各犯罪構成要件ごとに個別化し,その実体法的性質も考察されるべきではないか。
 ただし,注意すべきなのは,ある犯罪構成要件を親告罪とするかどうか(犯罪構成要件ごとの類型的判断)と,現に起った事件において告訴がなされるかどうか(事件ごとの犯罪構成要件内での個別判断)という局面とは,分けて考えなくてはならないということである。
 具体的には,例えば,過失傷害罪(刑法209条)は,一般にいわゆる「犯罪の軽微性」が認められ,違法性ないし有責性が低いと考えられる。そして,親告罪ではない傷害罪(刑法204条)および業務上過失致傷・重過失致傷罪(刑法211条)を比べた場合にも,類型的に,違法性ないし有責性が低いと考えられる(65)。その意味で,告訴がその行為の違法性ないし有責性に影響を与える,または処罰条件となると捉えることも,(そうした犯罪論について大きな批判は免れないだろうが)不可能ではない。しかし,たとえ,故意,業務上過失または重過失がなかったとしても,事件ごとにみた場合には,後遺障害が残るような重大な傷害が発生することもありうる。このような場合には,立法者は,告訴がなされることを想定していたと考えられる。そうした想定に反し,告訴がなされないとしたならば,それはむしろ公訴提起(さらに処罰)を妨げることをおもな目的としている,または結果として公訴提起が妨げられているとして,訴訟条件としての法的性質が前面に出てくることになろう。つまり,犯罪構成要件ごとの類型的判断と事件ごとの犯罪構成要件内での個別判断が異なりうるということである。
 また,強姦罪(刑法177条)は,告訴がなくても,一般に(少なくとも潜在的には)違法性や有責性に欠けるところはない(それどころか非常に高い)と 【p.18/p.19】 考えられる。そこで,この強姦罪では,公訴提起を妨げる(訴追可能性を基礎づける)という訴訟法的性質が前面に出てくる。しかし,強姦罪が親告罪であることは,他の犯罪構成要件との関係では,そうした訴訟法的性質のみで説明できるわけではない。例えば,強姦致傷罪(刑法181条2項)は,公訴提起を妨げるという被害者からみた利益は,類型的にみると,強姦罪と少なくとも同等であるが,親告罪とされていない。これは,訴追をおこなう必要が類型的にあるというように刑事訴追に関する政策的側面に還元することも可能であるが,結果(および過失)の点で違法性ないし有責性が,強姦よりも高い,逆からみると,強姦致傷に比べると強姦は類型的に違法性ないし有責性が低く,さらに処罰への基礎づけを必要とするとの立法上の判断があるともみられるのである(もっとも,それでも,もともと非常に高い違法性と有責性である。それゆえ,立法論としては,強姦罪を親告罪としておくことに,まったく疑問がないではない。)。また,事件ごとにみた場合には,強姦致傷よりも非常に違法性と有責性の高い強姦も存在しうるが,そのような場合には,公訴提起を妨げる(訴追可能性を基礎づける)という訴訟法的性質がさらに強調されることになろう。

むすびにかえて

 最後に,以上の検討で明らかになったことをまとめておく。
 1997年<(正)1995年:2006-09-02>の刑法平易化においては,意味内容の変更を加えないことを基本方針としていたが,親告罪における告訴の本質・法的性質に関わる変更があった可能性がある。
 ドイツにおいては,親告罪における告訴の法的性質について大きな争いがあり,訴訟法説,実体法説,訴訟法実体法混合説,親告罪類型区別説などが唱えられている。それらの差異は,文言の解釈,親告罪における告訴を犯罪成立要件ないし刑罰権発生要件とするか否か,親告罪における告訴の機能および法的効果の評価についての差異,などから生じている。
【p.19/p.20】
 日本においても,親告罪における告訴を単に「訴訟条件」のみと捉えないことを示唆する見解が存在する。親告罪における告訴の法的性質論は,いわゆる親族相盗例のみならず,親告罪全般について展開可能である。親告罪における告訴には,その法的効果である「訴訟条件」としての訴訟法的性質がすべての場合に認められる。また,各犯罪構成要件および各事件ごとに個別化し,その実体法的性質も考察されるべきである。

 上記のものは,現時点でのきわめて概略的な試論にとどまる。本来であれば,個々の問題提起に対して,その回答(そして各論的検討)も提示すべきところである。しかし,本論文での問題提起は,刑事手続法,刑事実体法および刑事政策論の根幹にかかわる大きな問題(訴訟目的論,犯罪論および犯罪対応論など)に発展していくことが予想される。したがって,現時点では,あえて問題提起にとどめ,これ以上論じるべきではない(また,論じることができない)と考えた。
 残された多くの課題については,今後さらに検討を加え,別の機会に改めて公表することとしたい。

【p.20/p.21】
 
(1) 刑法典におけるその他の親告罪規定については,拙稿「修復的司法としての親告罪?」法学研究論集16号(明治大学大学院,2002年)9頁以下などを参照。
(2) 「告訴権」(Antragsrecht)と「親告罪」(Antragsdelikt(e))という用語は,筆者がこれまでに触れたドイツ刑事法文献の限りでは,区別して論じられていないものが多くみられた。そして,その両者の用語とも,親告罪において告訴がなされない場合の意義を想定しているようである。さらに,とくに後者について,「告訴要件」(Antragserfordernis)という用語がほぼ同義で用いられることがある。しかし,厳密には,これらの用語は,告訴の積極的意義(告訴をした場合の意義)と消極的意義(告訴をしない場合の意義)を考慮し,非親告罪(職権犯罪)における告訴を射程に入れるかどうかを明示することが,より適切であると思われる。なお,本論文においては,告訴(権)という用語を用いる場合には,とくに断りがない限り,親告罪における告訴を想定する。
(3) 以上の点については,拙稿「親告罪における告訴の意義」法学研究論集15号(明治大学大学院,2001年)1頁以下を参照。
(4) 正確には,「刑法の一部を改正する法律」(平成7年法律第91号,平成7年(1995年)4月28日成立,同年5月12日公布,同年6月1日施行)。
(5) 本節の記述については,とくに,松尾浩也編『刑法の平易化』(有斐閣,1995年)〔初出は,ジュリスト1067号(1995年)2頁以下。なお,引用・参照は,補筆・編集後の前掲書によった。〕を参照。また,麻生光洋=井上宏=三浦透=園部典生「刑法の一部を改正する法律について(上)」法律のひろば48巻6号(1995年)4頁以下および同「刑法の一部を改正する法律について(下)」法律のひろば48巻7号4頁以下,川端博『刑法の現代語化について―法学部資料センター研究・講演資料集No.27』(明治大学法学部資料センター,1995年)〔本資料集は,1995年7月8日に明治大学で行われた講演の速記録に,講演者によって加筆・訂正が加えられたものである。なお,引用・参照は前掲資料集によった。〕なども参照。
(6) 「刑事訴訟法及び検察審査会法の一部を改正する法律」(平成12年法律第74号,2000年5月12日成立,告訴期間の撤廃については,同年6月8日施行)。これについては,拙稿「告訴期間制度の批判的検討」法学研究論集17号(明治大学大学院,2002年)1頁以下およびそれに引用した文献等を参照
(7) 松尾浩也「刑法典とその平易化」松尾編・前掲注(5)23頁,麻生光洋=井上宏=三浦透=園部典生「刑法の一部を改正する法律について―表記の平易化等のための刑法改正―」松尾編・前掲注(5)33頁,麻生ほか・前掲注(5)ひろば(上)7頁などを参照。
(8) 麻生ほか・前掲注(7)松尾編41頁,麻生ほか・前掲注(5)ひろば(下)7頁を参照。
(9) 麻生ほか・前掲注(7)松尾編41頁,麻生ほか・前掲注(5)ひろば(下)7頁以下を参照。
(10) ここでは,あくまで〈問題提起〉のために,前掲注に挙げた文献に基づいて,本文中のように列記したにすぎない。法制審議会等における審議については,別の機会に改めて検討をおこないたい。
(11) なお,1994年におこなわれた法制審議会に対する諮問(諮問第40号,1994年6月20日付)における刑法平易化案の段階では,親告罪に関する規定は,「告訴を待って論ずべき罪」とされていた(三浦透「表記の平易化等のための刑法改正について―法制審議会に対する諮問の紹介」法律のひろば47巻9号(1994年)54頁以下,法務省刑事局(事務当局案)「刑法平易化案・現行規定対照表(上)」法律のひろば47巻9号(1994年)56頁以下,同(中)法律のひろば47巻10号62頁以下,同(下)法律のひろば47巻11号(1994年)51頁以下を参照。)。なお,現行刑法典の制定過程においても,親告罪における告訴が訴訟条件であるとの前提のうえに, 【p.21/p.22】 「被害者ノ告訴ヲ待テ訴追ス可キ罪」(明治23年案,明治28年案)とされていたという(山火正則「現行『自首・首服』規定の成立過程」神奈川法学30巻1号(1995年)166頁以下を参照。)。
 なお,刑法92条の外国国章損壊等罪は,「外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない」(同条2項)が,これについて,刑訴法237条3項は「請求を待つて受理すべき事件」とし,刑訴法238条2項は「告発又は請求を待つて受理すべき事件」としており,少なくとも「請求」(および告発が訴訟条件とされている場合の「告発」)については,裁判所からみた場合には〈受理の要件〉(検察官の側からみた場合には〈公訴提起の要件〉)という立法者の意思が表れているともいえよう。さらに,治罪法においては,「公訴ハ被害者ノ告訴ヲ待テ起ル者ニ非ス又告訴私訴ノ棄權ニ因テ消滅スル者ニ非ス但法律ニ於テ特ニ定メタル場合ハ此限ニ在ラス」(3条)と規定され,親告罪がその例外となる特別規定とされた(つまり,親告罪においては,告訴を待って公訴が起るということになる)。それとともに,「公訴ヲ爲ス權」が消滅する事由として「告訴ヲ待テ受理ス可キ事件ニ付テハ告訴ノ抛棄又ハ私和」が規定されていた(6条2号)。これは明治刑事訴訟法にもほぼ受け継がれ,「公訴ハ被害者ノ告訴ヲ待テ起ルモノニ非ス又告訴、私訴ノ抛棄ニ因テ消滅スルモノニ非ス但法律ニ於テ特ニ定メタル場合ハ此限ニ在ラス」(3条),また,「公訴ヲ爲ス權」が消滅する事由として「告訴ヲ待テ受理ス可キ事件ニ付テハ告訴ノ抛棄」が規定されていた(6条2号)。そして,大正刑事訴訟法にも,「告訴又ハ請求ヲ待チテ受理スヘキ事件」(315条5号)との文言がみられる。
 また,厳格な証明の適用範囲と関連して,親告罪における告訴は,「訴追條件ニシテ處罰條件ニアラサル」(大審院明治45年2月26日判決,大審院刑事判決録18輯209頁)ないし「訴追條件タルニ止マリ犯罪構成事實ニアラサル」(大審院大正4年6月22日判決,大審院刑事判決録21輯875頁)とした大審院判例がある。
(12) なお,告訴の法的性質については,拙稿・前掲注(3)5頁以下および15頁以下で触れたことがある。本論文はそれを補足するものの一部と位置づけられる。
(13) 法務省刑事局・前掲注(11)(上)65頁を参照。
(14) なお,「告訴権者」という文言は,現在でも,被害者以外の者の告訴について規定した犯罪捜査規範66条2項および3項に存在する。
(15) 増井清彦『新版 告訴・告発』(立花書房,初版・1981年,再訂版・2003年)9頁を参照。
 ところで,こうした告訴権の本質ないし法的性質に大きく関係する判決が,近時,最高裁判所で出された(平成17年4月21日第一小法廷判決(平成16年(受)第2030号損害賠償請求事件,判例集未登載,最高裁判所「最近の主な最高裁判決」〈http://courtdomino2.courts.go.jp/judge.nsf/View1?OpenView〉を参照)。この最高裁平成17年判決は,最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決(最高裁平成元年(オ)第825号,最高裁判所裁判集民事159号161頁)を踏襲し,「犯罪の捜査は,直接的には,国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって,犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく,被害者が捜査によって受ける利益自体は,公益上の見地に立って行われる捜査によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず,法律上保護される利益ではないというべきである」とし,「犯罪の被害者は,証拠物を司法警察職員に対して任意提出した上,その所有権を放棄する旨の意思表示をした場合,当該証拠物の廃棄処分が単に適正を欠くというだけでは国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることができない。」と判示した。
 しかし,上記の平成17年判決には,泉德治裁判官(裁判長)の次のような反対意見が付されている。すなわち,「刑事手続における告訴権も,人格的権利の一部をなすものということができる。被害者がその所有に係る証拠物を捜査機関に提出するのは,犯人の検挙・処罰に役立てることを目的とするものであって,告訴権の行使の一内容,あるいは告訴権に類似する人格的権利の行使ということができ,当該証拠物が捜査機関において捜査のために有効に活 【p.22/p.23】 用され,捜査上必要である限り適正に保管されることの利益は,単に所有権の一部を構成するにとどまらず,上記の人格的権利に由来し,法的に保護された利益というべきである。」。
 これらの最高裁平成2年判決および平成17年判決については,別の機会に改めて検討をおこないたい。
(16) 麻生ほか・前掲注(7)松尾編42頁,麻生ほか・前掲注(5)ひろば(下)8頁を参照。なお,すでにみたように,1994年の法制審議会に対する諮問の段階では,その一部に「申告」という文言が用いられている。
(17) とくに,首服については,現在の規定の源流となるような次のような規定があった。「若強窃盗・詐欺を犯し自分悔悟して贓を還し財主え首服する、亦官を経て自首すると同く罪を免す」(石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想体系7)』(岩波書店,1992年)11頁を参照)。さらに,こうした規定は,多少の文言の変化はあるものの,新律綱領にも受け継がれている。なお,旧刑法以降の首服規定の成立過程については,山火・前掲注(11)166頁以下も参照。また,自首規定の成立過程については,矢野祐子「旧刑法における自首条の成立」早稲田法研論集56号(1990年)79頁以下および早稲田法研論集57号(1991年)117頁以下を参照。
(18) 麻生ほか・前掲注(7)松尾編42頁,麻生ほか・前掲注(5)ひろば(下)8頁を参照。
(19) 拙稿・前掲注(1)13頁以下を参照。
(20) なお,以下の本文中に「可罰性」(Strafbarkeit),「当罰性」(Strafwürdigkeit),「要罰性」(Strafbedürfnis),「(客観的)処罰条件」((objektive) Strafbarkeitsvoraussetzung)などが登場してくるが,こうした諸概念そのものについても,周知のように,非常に大きな争いがある(これらをめぐる議論については,とくに,北野<(正)通:2005-08-15>世「客観的処罰条件論(一)~(七・完)」山形大学紀要(社会科学)24巻1号(1993年)23頁以下,25巻1号(1994年)29頁以下,25巻2号(1995年)1頁以下,26巻1号(1995年)1頁以下,26巻2号(1996年)1頁以下,27巻1号(1996年)1頁以下および27巻2号(1997年)1頁以下ならびに松原芳博『犯罪概念と可罰性―客観的処罰条件と一身的処罰阻却事由について―』(成文堂,1997年)を参照。)。
(21) その全体像については,とくに,Susanne Brähmer, Wesen und Funktion des Strafantrags: Eine Studie über Voraussetzungen und Probleme des Verfahrens bei Antragsdelikten, 1994, S.95ff.; Maria-Katharina Meyer, Zur Rechtsnatur und Funktion des Strafantrags, 1984, S.8ff.; Hans-Joachim Rudolphi, Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch, 7.Aufl., 1998, S.4f., Vor §77, Rn.6ff.; Werner Winnen, Eingeschränkte Antragsdelikte: Zugleich eine Stellungnahme zu wesentlichen Fragen der Antragsdelikte, 2001, S.95ff.; Günther Zechmann, Setzt die Nebenklagebefugnis einen Strafantrag voraus?, 1996, S.102ff.を参照(とくに,ヴィネンによる分類は詳細かつ的確である)。初期の学説については,とくに,Ulrich Lichtner, Die historische Begründung des Strafantrags und seine Berechtigung heute, 1981, S.102ff.を参照。
(22) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.95 und S.95, Fn.47. もっとも,こうした結論に結びつけることに争いがないではない。
(23) 判例では,例えば,BGHSt. 6, 155。学説では,比較的最近のものとして,例えば,Walter Stree/ Detlev Sternberg-Lieben, Schönke/Schröder Strafgesetzbuch Kommentar, 26.Aufl., 2001, S.1005, §77, Rn.8; M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.42ff.; Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.127ff.; Zechmann, a.a.O. (Anm.21), S.106がある。また,以下の各注で引用するもののほか,Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.97の注(58)で挙げられた多数の判例・学説も参照。
(24) いずれも,広義の「訴訟条件」に含まれるといえよう。こうしたいわゆる「訴訟条件」については,その多義性が指摘されている(とくに,光藤景皎「訴訟の発展と訴訟条件―訴訟条件の考察(一)―」法学志林56巻1号(1958年)34頁以下を参照)。そうした訴訟条件を 【p.23/p.24】 めぐる議論が,親告罪における告訴の法的性質の捉え方にも,影響を与えていると考えられる。
(25) こうした捉え方をするものとして,例えば,Ernst Beling, Deutsches Reichtsstrafprozeßrecht mit Einschluß des Strafgerichtsverfassungsrechts, 1928/1997, S.90f.; Stree/ Sternberg-Lieben, a.a.O. (Anm.21), S.1005, §77, Rn.8を参照。Vgl. noch Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.97f.; M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.9; Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.120f.
(26) 同旨なのは,M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.42ff. Vgl. auch Beling, a.a.O. (Anm.25), S.90f.; Friedrich Geerds, Zur Rechtsstellung des Verletzten im Strafprozeß, JZ 1984, S.787f. なお,M・K・マイアーは,犯罪によって生じた一般市民に対する法的平和が乱されたことを被害者が告訴を申し立てることで,はじめて刑事手続によってそうした状態を排除する必要性が生じる,と説明する。この説明と後でみる実体法説(とくにマンフレート・マイヴァルトの見解)における説明との違いは,(犯罪が発生すれば)告訴を申し立てる前にすでに一般市民との関係で法的平和が乱されているとみるか否かという点にある(訴訟法説では肯定し,実体法説では否定する)。
(27) こうした整理については,とくに,M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.9; Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.120f.を参照。
(28) 例えば,侮辱等に関するドイツ刑法194条1項,家内および親族内の窃盗等に関する同247条を参照。以上について,Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.129も参照。
(29) 親告罪の場合の身柄の仮拘束(ドイツ刑訴法127条3項),親告罪の場合の勾留(同130条1文),親告罪の場合の告訴の方式(同158条2項)。なお告訴を取り下げた場合の訴訟費用負担(同470条)。以上について,Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.129も参照
(30) 以上の立法者の意思および歴史的変遷について,Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.129ff.を参照。また,1975年のドイツ刑法典の改正により,血族である尊属が卑属に対してまたは配偶者の一方が他方に対して窃盗または横領をおこなった場合にについて不処罰(straflos)とするとしていた旧規定が撤廃され,親告罪に一本化されたことも,この根拠に含まれうるだろう。
(31) これについては,拙稿「ドイツにおける条件付親告罪の構造と問題点」(菊田幸一教授古稀記念論文集)法律論叢77巻4・5合併号(2005年)59頁以下を参照。さらに,条件付親告罪についての非常に詳細な研究書として,Winnen, a.a.O. (Anm.21)も参照。
(32) もっとも,訴訟法説の論者であるヴィネンは,ドイツ刑法104条aの解釈の不都合性を理由に,これが有力な根拠にはならないとしている(Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.132f.)。
(33) Claus Roxin, Strafrecht Allgemeiner Teil, Band I, 3.Aufl., 1997, S.912, §23, Rn.50; Zechmann, a.a.O. (Anm.21), S.104ff.
(34) 少数説であるが,比較的最近のものでは,例えば,Manfred Maiwald, Die Beteiligung des Verletzten am Strafverfahren, GA 1970, S.33ff.; Hilde Kaufmann, Strafanspruch, Strafklagerecht, 1968, S.153がある。そのほかの学説については,Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.96, Fn.49およびM.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.8, Fn.49で挙げられた文献を参照。
(35) Vgl. M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.9; Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.121. ルドルフィは,マイヴァルトの見解を参照しつつ,後者の刑罰消滅事由と表現する(Rudolphi, a.a.O. (Anm.21), S.4, Vor §77, Rn.6. Vgl. auch Maiwald, a.a.O. (Anm.34), S.38.)。なお,ルドルフィは,この実体法説ではなく,後述の二重性質説をとる。
(36) Maiwald, a.a.O. (Anm.34), S.35ff. insbesondere S.38.
(37) Vgl. Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.121. もっとも,こうした根拠に対しては,刑訴法にも親告罪ないし告訴権に関して多くの規定が存在していることなどから,あまり説得的でない 【p.24/p.25】 との批判がある(Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.96, Fn.50)。
(38) Maiwald, a.a.O. (Anm.34), S.35ff. Vgl. noch Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.129ff.
(39) 「法的平和の回復」という概念については,とくに,北海学園大学法学研究に連載されている吉田敏雄「法的平和の恢復―行為者-被害者-仲介・和解の視座―」を参照。また,刑事訴訟の目的論については,とくに,田口守一「刑事訴訟目的論序説」西原春夫先生古稀祝賀論文集編集委員会編『西原春夫先生古稀祝賀論文集・第四巻』(成文堂,1998年)51頁以下を参照。
(40) Maiwald, a.a.O. (Anm.34), S.35ff. insbesondere S.38.
(41) 少数説であるが,最近のものとして,例えば,Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.100; Geerds, a.a.O. (Anm.26), S.787; Rudolphi, a.a.O. (Anm.21), S.5, Vor §77, Rn.8がある。
(42) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.98ff.
(43) Rudolphi, a.a.O. (Anm.21), S.5, Vor §77, Rn.8.
(44) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.98; M.-K. Meyer, a.a.O. (Anm.21), S.10.
(45) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.100.
(46) すでに述べたように,訴訟法実体法混合説は,訴訟法説および実体法説について,一方の短所を他方の長所で補い合うことを意図したものであるため,こうした説明になりやすい(Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.98.)。
(47) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.98f.
(48) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.99. なお,この点について,拙稿・前掲注(1)11頁以下も参照。
(49) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.99.
(50) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.99; Geerds, a.a.O. (Anm.26), S.787.
(51) Brähmer, a.a.O. (Anm.21), S.99f
(52) この「親告罪類型区別説」という名称は,ヴィネンの分類(「Unterscheidung nach Gruppen von Antragsdelikten」との表題)をもとにして,筆者がさしあたって名称を付したものであり,一般に通用しているものではない(Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.122f. Vgl. noch Lichtner, a.a.O. (Anm.21), S.117)。なお,親告罪制度の根拠の観点からの類型論については,拙稿・前掲注(3)6頁以下を参照。
(53) Vgl. Lichtner, a.a.O. (Anm.21), S.117.
(54) 以上の親告罪類型区別説について,Franz von Liszt, Lehrbuch des deutschen Strafrechts, 2.Aufl., 1884/1985, S.173ff.を参照。Vgl. auch Franz von Liszt/ Eberhard Schmidt, Lehrbuch des Deutschen Strafrechts, 26.Aufl., 1932/1996, S.283. Vgl. noch Winnen, a.a.O. (Anm.21), S.123. なお,フランツ・フォン・リストの見解については,すでに,佐伯千仭が,リストの教科書の第2版と第4版の比較検討をもとに詳細な紹介をしている(第2版では解釈論としての議論であったのに対して,第4版では立法論としての議論であるとしている)(佐伯千仭『刑法における違法性の理論』(有斐閣,1974年)158頁以下〔初出は,同「客観的処罰条件」法学論叢36巻1・2号(1937年)149頁以下。なお,引用・参照は前掲書によった。〕)。
(55) とくに,親告罪における告訴が訴訟条件として作用することになる規定,すなわち,「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」の公訴棄却の判決に関する刑訴法338条4号との関係およびその沿革が問題解決の重要な糸口となる(前掲注(11)を参照)が,これについては,別の機会に改めて検討する。なお,とくに,財産犯における親族間の犯罪に関する特例について,刑法と刑事訴訟法の規定の変遷を検討するアプローチをしたものとして,筑間正泰「親族間の犯罪に関する特例について―いわゆる親族相盗例―」森下忠ほか編『日本刑事法の理論と展望―佐藤司先生古稀祝賀―上巻』(信山社,2002年)475頁以 【p.25/p.26】 下がある。
(56) 法曹会編『刑事訴訟法案衆議院貴族院委員会議録』(法曹会,1922年)548頁。
(57) 法曹会編・前掲注(56)576頁。
(58) 佐伯・前掲注(54)196頁。なお,削除前の姦通罪における親告罪規定(削除前の刑法183条2項)は,「前項ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ論ス但本夫姦通ヲ縦容シタルトキハ告訴ノ効ナシ」とされている。この規定について,宮本は,この「縦容」が「被害者に於て同意があつた」ときであるとして,それは訴訟障害でなく「犯罪阻却事由」であるとしている(宮本英脩『刑法大綱(第四版)―宮本英脩著作集 第三巻』(弘文堂書房,第4版・1935年;成文堂,覆刻版・1984年)469頁,同『刑事訴訟法大綱―宮本英脩著作集 第五巻』(松華堂書店,第3版・1937年;成文堂,覆刻版・1986年)172頁の注四を参照。)。
(59) 親告罪の根拠・趣旨に関する二分説および三分説については,拙稿・前掲注(3)6頁以下を参照。
(60) 松原・前掲注(20)389頁以下,396頁以下,398頁も参照。
(61) 松原芳博「親族相盗例」西田典之=山口厚編『刑法の争点』(有斐閣,第3版・2000年)166頁以下。
(62) もっとも,親族相盗例(とくに1項の「刑の免除」)について,(可罰的)違法性の減少・阻却,(可罰的)責任の減少・阻却によって説明することについては,周知のように,多くの批判がある。しかし,本論文は,その検討には立ち入らない。
(63) 拙稿・前掲注(3)12頁以下を参照。
(64) 拙稿・前掲注(3)12頁。
(65) なお,松原・前掲注(61)167頁を参照。

提出年月日:2005年5月26日


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