f l a t  d a y s

 

のんべんだらりを夢見つつ、魂に放浪癖のある一社会人が綴る、カウントダウン的日常の身辺雑記。

 

 トップページへ          2001年11月へ 2002.2月  

   

 

天下の回りもの

私はこんなにもアホだったのか、と思い知る場面が、人生の中で何度かある。

私のような、人から見れば完璧に見える人間にも実はある。うるさい。

「カタクリ家の幸福」を見に行くつもりが寝坊してしまい(1回目の上映の後、忌野清志郎くんと

三池崇史監督という私にとって超ゴージャスなふたりの舞台挨拶があったのに)、

しょうがなく、借りてた本の期限だし市立中央図書館へ行くことにした。

帰りに、久しぶりにどっかで買い物でもしようかな、日当たりのいいカフェで

また新しく借りた本なんか読んでもいいな、と思いながら10時半頃家を出る。

通勤定期を御堂筋線の最寄り駅から梅田まで持っている。

図書館は、御堂筋線のなんばで千日前線に乗り換え、2駅めの「西長堀」で降りる。

電車を下りた私は、改札で、いつもの定期と、まだいくらか残額のあるプリペイドカードの

「するっとカンサイ」を自動改札機に入れる。が、ぴんぽん鳴る。

え、なんで。もう一度入れる。またぴんぽん。

カードを見ると残は100円。私の不足額は、200円。あちゃ100円足りなかったか。

しょうがないので精算機に並ぶ。あと100円、100円。

ところが。

財布がない。

そんなはずは。図書館では、かばんを席においたままうろうろすることが多いので

財布だけ入れて持ち歩くポーチもわざわざ持ってきているのだ。

なのに。肝心の財布がない。こういうのをなんというのか。画龍点睛を欠く、近い、

頭隠して尻隠さず、ちがう、入り口あって出口なし、今の状況そのままだ。

とにかく、このままでは、私はこの駅から出られない。

かばんの底に硬貨の1枚でも落ちてやしないか、ポケットの中は。

こんな時に限ってない。あたたかいのでいつもの上着を着てこなかったし、かばんも

いつものかばんじゃない。

定期入れの中を丹念に見る。何枚かの終わった回数券が入っている。

これは、おお、終わったとは言え、残40円! あ、あるじゃないか。あと、60円!

これはどうじゃ、おお、残20円! あ、あと40円!! これは、おおおおおお、

なんと大枚、残90円!!!

これで、これで私は駅を出られる。

ところが、精算機は、私の定期と、するっとカンサイと、あと1枚90円の回数券だけを

受け取ると、その口を閉じてしまった。3枚を超えるカードは入れられない仕組みらしい。

あと、10円! あと10円なのにいいいいい。

硬貨1枚あればすむことなのにいいいいい。

しょうがなく、ここは自動改札のとこにいるお兄さんにかけあう。

すみません、財布を忘れてきて、200円の不足をカードで精算したいんですが、

機械がカードを3枚までしか受けつけなくて。

駅員さんに渡したのは、定期と、100円のするっとカンサイ、残90円と残20円の

回数券。駅員さん、それを見て「これだと10円多いですね、100円ないですか」

だから財布がないと言うてますやんか。

「ないんです」

「それか、10円」

「ないんです」 だから兄ちゃんよ!!!

10円損してもいいからとお兄さんに強引にカードを押し付け、なんとか

駅から抜け出る。ああ。あほみたいだ。あほみたい。黄金の土曜日のはずが。情けねえーー。

図書館には、3時前までいた。図書館にいる限りお金が必要になることはない。

それにしても、ここに、こんな街なかに、1円も持たない女がいる。うう。

歌でも歌いたくなる。♪だれかおいらを知ってるかい、文無しK子と言うんだよ〜。

♪一文無し、一文無し、一文無しみーつけた、

食べ物も水分も補給できないまま、そこで3時間半ほど過ごした私は、

最寄りの定期の使える駅まで20分強歩き、どこに寄り道することもなくまっすぐ家に帰った。

あほじゃないのー、この人はー。

と、このようなことが、数ヶ月に一度は身に降りかかるのである。どないだ、こんな人生。

2002.3.2

 

小さな鼓笛隊

ぱん、ぱらららったたん、ぱららららららららら。

遠くで小太鼓の音がする。

ぱららったったん、たん、ぱらららったったたん、

つつましくきらびやかな音をたてて鼓笛隊が近づいてくる。

規則正しく、足をあげ、

いちに、いちに、

ふさ飾りのついたバトンを胸のあたりで支え持って、

いちに、いちに、

やわらかくなった地面からほんの10cmのあたりを、

小さな小さな鼓笛隊が行く。

きらきらと、明るい陽射しをはねかえし。

チューリップのくねった葉っぱの下、小さな鼓笛隊が行く。

不思議な顔でねこが見送る。

フリージアはしゃらしゃらつぼみをふってみる。

水仙は自分もラッパをつきだしてみる。

いちに、いちに。

胸をはって、

軽やかに管楽器を響かせて。

僕らの後を春が来るよ、

僕らが春を連れてきたよ、

march。

3月。

英語の3月はそんなイメージ。

 

 

会社さぼって「カタクリ家の幸福」

サッカーに限らず、最近、日常、諸事万端、とにかくテンションが低い。

夜は眠いし、昼も眠い。お風呂に入ってても湯船の中でつい寝ちゃって

あごがつかって目がさめる。物は考えないし、文章は書かない。

しゃべるのがだるくて、いつもうすら寒い。

階段はきついし、全速力で走れない。

チャンスをやり過ごし、エネルギーを節約し、

なんだ、一体これは。晩年なのか?

晩年なら晩年でいいのだが、もしあと50年このテンションで生きるのだ

としたら、何がおもしろくて生きているんだか。

 

そんなわけで、久々に会社をさぼることにした。(なんだそりゃ)

この規則正しい生活がいけない。

そして、また「見にいこうと思ってたのに終わってたー」になりかねない

「カタクリ家の幸福」を見に行くことにした。

そうだ、それが正しい。

カタクリ家の幸福 at シネリーブル。

100人入るか入らないほどのキャパで、スクリーンはすごく小さい。

でも満杯だった。知らずに行ったら、水曜日はレディースデイとかで、

暴走族でもなければ淑女でもない私も、1000円で入れてくれた。

ティム・バートンっぽいクレーアニメに始まる。そういえば、三池監督って

どことなく風貌がティム・バートンっぽいかもしれない。

結構うけていて、特に右隣の女性はマニアぶる笑い方で、ちょいうるせー。

おもしろいなー、三池監督。あほやなー、相変わらず。

竹中直人の使い方とかね。清志郎くんのばかさ加減とかね。

若い頃は自力で飛んでた清志郎も、最近は特撮の力を借りて飛ぶんだ。

あと、なんだろう、松坂慶子さん扮する普通の主婦が、

おっとりと口にするセリフがおかしかったりね。

丹波哲郎は出てるだけでおもしろい。ずっと画面のはしっこにいてほしい。

そして、むずかしい撮影になると、いきなり、クレーアニメに差し替わっちゃう

チープさもよい。山の噴火シーンとかね。崖から落ちていく清志郎くんもアニメです。

脳天気の極め付けはラストの草原。なんでや。なんで象がおるねん、

なんできりんが草を食んでるねん。

見てるうちに、三池監督は「フルメタル極道」も、ミュージカルでやりたかったんじゃ

ないか、なんて思う。

鍋つつきながらビデオで見るのも悪くないかもしれないが、この「間」とか、

画面いっぱい使ってやってる「ばか」具合とか、やっぱり映画館で見るのが

おすすめ。

歌って踊って笑えるホラーとかいうふれこみだったが、今回のこれは、

ブラックだけど、ホラーじゃないです。

2002.3.13

 

能動の人、なりゆきの神

映画を見て梅田の駅に向かう途中、横断歩道で立ち止まると、

前方に、抜きん出た高いいびつなビル群、そして視線をおろすと、

目の前にJRの貨物コンテナがいくつもいくつも連なってて。

ビルの垂直、連なる貨車の水平。強い西日に照らされた、対照の光景。

こういう、身近にある風景を、ちゃんと遠景で見る距離、視点を

大事にしたいなあ、と。

こういうのが自分のあるべき姿だなあと思う。

 

20代の頃はよく会社さぼって映画を見に行った。

ちゃんと情報誌でめぼしい映画をチェックして、

地図を片手に森之宮あたりまで行って、

普通の会議室みたいなとこでパイプ椅子にすわって同病のマニアさんたちと

並んでポランスキーの初期の作品を見たり、

どっか北欧の、くらぁああいホラー映画を見たり、

小津特集だ、ゴダール月間だと、こまめにチェックして

一日に3本、立て続けに見たり。

それって、エネルギーあればこそだよなあ。

そういうエネルギーがもう何年も枯渇している。

そういう意味では、三池監督は、私の中の少ないエネルギーを

久々に引き出してくれた存在なわけだ。

なにかしら、そういう人になれたらいいなと思う。

それが目標でなくていいんだけど、自分が知らないとこで起こってる

結果のひとつでいいんだけど、

なにかしら、人に喚起させたり、あるいはなんらかの慰めになったり、

感情に働きかけたり、エネルギー源になったり。

モー娘も、お笑い芸人さんも、みんなえらいなあ、と最近つくづく思う。

楽しんでもらえる、って大したことだよね。

生きてたからには、いくばくか能動でありたいと思う。結果として。

だから、シナリオ書きたいんだ、ってわけじゃないけどね。

そこまで不遜じゃないけどね。

自分の言いたいことの為に、世界をわざわざ作って、

自分の主張の為に人物設定して人にセリフを言わせるって、

そんなのが自分の世界の神様だったら私はいやだわ。

なんてね。

だからなりゆきの話になっちゃうんだよね。まあ、そんな神様も悪くはないけど。

あ、でも、この世にテーマはあるかもしれない。

ありそうな気がする。ちょっと私には心あたりがある。

それは主張じゃないけど、くくりっていうのかな。

あなたにも心当たりがありますか。それは私の思ってるのと同じでしょうか。

 

うだうだ並べてしまいました。明日は変装してコンサートに行くんだ。いぇーい。

2002.3.13

 

 

過去の漫画に感心する

社報に四コマまんがとかイラストとか描いてるせいで、たまによその部署から

「絵」の依頼が来る。今回は、8コマ漫画の依頼が来た。

とはいえ、実は、漫画を描くのは、それも8コマも描くのは超久しぶり。

家に帰って、漫画用の原稿用紙をひっぱりだしてくる。

それは、部屋の中でも最深部、人類未踏の秘境にあった。

付随していろんなものがひっぱりだされてくる。

なつかしいーー切抜き集。遊民社解散の新聞記事。「たま」のちらし、

RC(サクセション)がまだRCだった頃の切り抜き。MBS系深夜の人気辛口映画番組

「シネマチップス」終了のいきさつを書いた記事。うわ、なんじゃこりゃ、「戦メリ」の批評を

載せた新聞記事。なつかしー。なつかしすぎる。

それから、昔の描きかけの漫画の原稿がいっぱい入ったファイル。

これが、すごいんだ。最後に描いてたのはこれだな、というのもすぐ思い出した。

最後の頃は、「舞台劇」みたいなことをやりたかったんだね。

それにしても。漫画描いてるときは、ずっと自分は絵がへただ、というコンプレックスがあった。

これは描いてる人間にしかわからない。絵を描かない人からしたら、うそー、上手じゃん、って

ことになると思う。ちがうんだってば。うまい人っちゅうのは、ほんとにうまいの。

私なんて絵の勉強したこともないし。ざついし。どんだけランク低いか。

まあ結果として、それが漫画家あきらめる理由のひとつになったんだけど。

それが。今読み返したりしてると、これが、

めちゃくちゃ、「上手」なんだね。

コマ割りとか、セリフの間とか、コマの大きさや流れなんかが、

いきなりぶっつけ本番で描いてるんだけど、

カンだけで、こんな「時間」さえ仕切って、確かに流れる空気があって、天才じゃないの!

て思う。

これはねー、額面どおり受け取ってはいけない。

遂に私も「描いてない人」になっちまったな、ってことなのね。

描いてる時には、近くて、近すぎて見えてなかったものが、今はとおおおくから見てるから

いちいち感心したりする。「描く人」としては当たり前のとても基本的なことなんかに

いちいち。

情けねー。

アイデアも豊富でね、新しいことをやりたい、という気概もあってね。

ネタとか描きたいこととかいつも次々にあって、思いついたらすぐ描かずにはおれなくて。

だから描きかけのものがたくさんある。並行して描いたりしてた。

それはすごいエネルギーだったと、遠い人になってしまった今は思う。

描きたい、と思ったら、もう紙をひろげて、いきなりコマ割って描き始めてた。

「FLAT DAYS」の原型もあった。漫画エッセイみたいのを描きたかったんだね。

ちびまるこに先駆けること、何年か知らんけど。

あと、就職してから5年ほど、私は、「会社」やら「社会」というものになじまず

ずっと苦しんでた。その頃描いたものもあって。

今、だましだましやることに慣れてしまった私は、そういう頃に書いた言葉の

ひとつひとつが、でも、「つきささる」でもなく、全く「なつかしむ」でもなく、

その頃の自分は、実はまだ自分の中にあるなあとぼんやり認識する。

ただ、その頃は、それが全てで、それが前面に出てて、自分ながら痛々しい。

いろんなことに過敏だった。

人に「純粋」なんて言葉を吐いてから、それを後悔する自分、なんてのを

漫画で描いてる。かわいそうに。と同時にそれだけのことで描いてた、それだけ

全く「主観」の世界にいた自分にも驚く。

これは、ある意味、原点だ。

忘れてはいけない自分だ。これも抱えていよう。

 

私の部屋が汚いのは、やはり自分が、いろんな過去の自分を抱えていよう

とするためだと思う。こんな風に、ある日、姿を現し、なくしてしまったのではない

そこにまだあった自分を思い出させてくれる。

みんなはどうなんだろう。脱皮するように、どんどん新しくなっていくのかな。

そして、過去の自分の片鱗を、ばっかみたいーとか、思うのかな。

2002.3.16

 

ウクライナ戦に行くらいな

ひっさびさのサッカーネタです。

いや、Jの開幕戦とかね、見てるんやけど。おもんないのよ。

ジュビロもおもんないしね、やっぱ名波あたり出てもらわなおもんないわ。

奥もおらへんし。エスパも強いんかしらんけど、相変わらずしぶちんやしね。

ほんでレッズ。なんじゃそら。なんちゅう試合しとんねん。

福田見たさに見るけど、ああしょうむな。我がレッズながら、途中で寝てまうもん。

今、おもしろそう言うたら、セレッソ。J2やけども一番見たいって気がする。

ほんで、ウクライナ戦のこっちゃけど。3.21(木) at 長居スタジアム。

ひっさびさの関西での代表の試合。ホーム側自由席。

キックオフは18時だが、12時頃から並んだ。

W杯本番の混雑を想定し、ホーム側はJR鶴ヶ丘か地下鉄西田辺で降りるようにチケット

には書いてあったが、寄りたい店もあり、慣れた地下鉄長居で降りてみたらばこれが大間違い。

いつもの公園入り口は封鎖され、南側の入り口に回ってくれ、と誘導される。

が、それだと、ホーム側行くのに遠回りなので、あえて逆らって、

どっか北側へ回って入りこんでやる、と勝手知ったるばかりに人の流れに背を向けたのが

これまた大間違い。入れないんだ、これが。行けども行けども。スタジアムはほん横に

見えているというのに。それどころか、最低でもJR鶴ヶ丘駅の方に行きたいのに、

道なりに進むと、どんどんスタジアムからそしてJR鶴ヶ丘駅からさえ離れていくのが、

なまじ土地勘があるもんで自分でわかるんだ。ちゃうねん、このへんで曲がりたいねんと

思う気持と裏腹に、離れていくのよこれがーーー。

ぴんぽーん。スミマセン、ワタシ、うくらいなカラ来マシタ。アナタノオウチ、突っ切ラセテモラウ

ワケニハイキマヘンヤロカ。

どうしようもない。せをはやみーいわにさかるるなんとかのー。わかれて後に会えるのか? 

合わんとぞ思うぞ。まじで思うぞ。思うだけで大丈夫か?

雨は降ってくる。風は強い。人はいない。ひえええええええええええーーーー。

途中でやーーっと横に入れる道をみつけ、とにかくスタジアムの方向へ進む。

うう。あった。あったけど、まるでど素人みたいなまねをしている自分が悲しい。うう。

地の利がなんの役にも立ってない。

それでもなんとかたどり着いた。だが本当の苦難はこれからだった。

 

ウクライナの苦難 前編

試合前日、関東在住のKさんより、会社にファックスが届いた。

明日のウクライナ戦には、ひとりで行くので、どこかで待ち合せできないか

ということだった。

だが、私は自由席。Kさんはカテ1の指定席。

Kさんは2時過ぎに大阪入りするらしいが、開門は3時。自由席の私たちは開門と同時に

どんどん列が進んで入っていく。入っちゃったらもう出られないので、待ち合せはむずかしい。

お迎えにいけないと思います、ということと、スタジアムまでのアクセス、当日の諸注意等を

ネットから拾い、ファックスで返信しておく。

そして当日。前項の如く、普段ならピザの出前をとれるほどの距離のスタジアムに

めちゃめちゃ苦労して40分ほどかけ12時頃やっとたどり着いた。

私たちホーム側自由席の列は2時頃に一旦列整理があり、2時半には開門、

列がどんどん動き出した。

その間にKさんから留守電が入っていた。それも公衆電話から。

曰く、4時半頃に行くのでメイン側の入り口Wゲートに来てください。

来てください、って言われても。その時間はもうスタンドに入っちゃってるし。係の人に

無理言って強引に出られたとしても、一旦出て、この列をまた一から並ぶなんていうのは、

12時から雨の中並んでた自分があまりにもかわいそうだ。

Kさんの携帯に、行けないと返事したいのだが、何回呼んでもつながらない。

そういえば、携帯がつながらないから公衆電話からかけてるって言ってたっけ。

根気良くかけ続ける。金属探知機の検査もすませ、スタンドに席をとってからも、とにかく

連絡つけないことには、と一心にかけ続ける。一度留守電につながったので、メッセージを残す。

それでも果たしてそれを聞いてくれるかどうか気になり、ずっとかけ続ける。

いつもはぐるっと通路一周いけいけの長居だが、W杯モードのため、フェンスで区切られ

違うカテゴリー、違うエリアへの行き来はできなくなっている。

4時半にKさんから電話。今、Wゲートにいます、どこにいるのー、と言われ、

スタンドに入ってしまってるので外に出られないこと、カテゴリー間の行き来もできない旨伝える。

「そっちが行けないならこっちから行くわよー」。

いや、そういう問題ちゃいますねんて。SSの客がA席に来て見てもいい、とか

そういう話とちゃいますねんて。だがKさんには言ってる意味がわからないらしい。

行けないし来れない、ということを繰り返し、やっとあきらめてもらう。

「じゃあ帰りに待ち合せして途中まで一緒に帰りましょう、どこでも言ってくれたら行くから」。

とおっしゃるが。こんだけの人いて、出口もまるでちがって、厄介そうだといことは容易に

想像できたが、断ってばかりでも悪いし、じゃあ試合終わったらメイン側から出たとこに

いてください、と伝え、状況にまかせることにした。

これを俗に「読みが甘い」と言う。

 

ウクライナの苦難 中編

案の定、試合後は大混雑。トイレに行くことも人の流れに逆行することになるため断念する。

つながらない電話を何度もかけなおしながら、人々々の中、スタンドを出て、スタジアムの

外周をちょうど反対側になるメイン側へはるばる回ってくる。

そこで愕然。ホーム自由席側から出てきた人間は、メインスタンドへ回りこめないように

外周ごと道をずっとフェンスで塞がれている。要は、このままフェンス沿いに地下鉄長居駅まで

流れていけ、ということらしい。フェンスの向こうには警官が立っていて、

メインスタンドからは客を出してなくて、向こうにまたフェンスで区切られて、

反対側アウェイの方から出た客が駅に向かっている。

そうか、こっちと向こうでは駅までずっと道が隔てられているんだ。まずい。

どこにいるんだろう。何度も何度も何度も、電話をかけ続ける。

何回も何十回も呼び出してるんだけど、相手が出ない。

やっと出た。「あらごめんなさい。メインから出られなくなってて、今、救護室の前なのよ、

来てくれる?」。ってそれどこですかー?!!

「それがわかんなくて。ホーム側のゲートを出たとこみたい」。

はあああーーー? ホーム側? 私らが出てきたとこですかーー?

それってありえるんですかーー? はああーーーー? アウェイの方が自然じゃないですか??

「(他の人に聞いて確認している)やっぱりホーム側だって。救護室の前。」

「そこから、メイン側に移動してきてもらえませんか」

「私が行けばいいんだけど、なにしろわかんないもんだから、こっちまで来てくださる?」

いや。君が「どこでも行くから」って言うたんちゃうん。

ちょっと努力してくれてもええんちゃうん。

しょうがない。ホーム側というんだから、今来た道を、また人の流れに逆らって

反対側まで戻ろう。

道半ばまで戻ったあたりに係員さんがいた。

「救護室」がどこなのか聞いてみると地図を見せてくれる。

どう見てもそこは、「アウェイ側」だった。即ち私たちが向かっているのと正反対の方向である。

ちょっと待ってえや。アウェイ側やん。これ、また逆戻り?

また戻ったら、またメインのとこで道をフェンスで区切られてて、

行かれへんっちゅうねん。

電話しなければならない。これがまた何回呼び出しても出てくれない。

なんでや。なんでこんな苦労してるのか。

なんで私は今日一日中、熱くなった携帯を片時も離さずに耳に押し当て、

取りたいチケットがあるわけでもないのに、かけてかけてかけまくっているのか。

おお、計50回以上鳴らしてやっと出た。こっちがしゃべるぞーーーー!!

「あながたいる所はアウェイ側です。私のいる所はホーム側です。こっちからそっちへは、

道が塞がれてて行けなくなってます」

「どこへ行けばいいの?」

どこへ行きたいねんな。

「駅まで、こっち側とそっち側の道は、ずっと隔てられてて、会えないんです」

「でも駅にはいくんでしょ。じゃあ、駅で会えるかしら」

「駅の降り口もこっちとそっちでは違いますよ」

「じゃあ駅で会えたらってことで」

それほどまでに私に会いたいと思ってくれるのは大変ありがたいのだが、

残念だが、私の方は、先ほどから既にこの状況にキレている。

つきあってくれてるツレにも申し訳ない。

そして、大混雑だった人の流れは、もうこの頃には、閑散としはじめていた。

勘弁してください。

一日中、何やってるのか。試合直前なんか疲れて、席で寝ちまったぞ。

駅が近づく。どうするんだろう。ホームで会うのか?

悪いけど、家の近い私はそうまで苦労して「帰りをご一緒」してもすぐ降りちゃうよ。

駅の階段を降りて改札へ。あの人はもう片方の階段から降りてくるはずだから

とにかくここで待ってよう。

ツレには悪いので先に帰ってもらう。

しばらく待ってて気がついた。違う。同じ改札じゃない。

一旦改札入ってホームに降りて、ホームを向こう側まで突っ切った、反対側の改札だ

あああああ。私が公徳心のない人間なら駅のあらゆるものを蹴っ飛ばしていただろう。

それはそれで、フーリガン対策の一助にはなったかもしれない。

改札を入り、ホームに下りる。ホームにはまだ結構人が待っていた。

ここをまた「すみません、すみません」と道をあけてもらいながら反対側まで行くのか、

と思うと、あほらしくなってくる。それでも私の肩幅が1mもあるのであれば

そのへんの客みんななぎ倒して突き進んでいったかもしれない。だが

小学校の時、学校のプールで足がつかなくて溺れかけ、森本さんという背の高い女子に

助けられたことのある私には、それだけの気力も体力ももはやなかった。

そして私は、来た電車に乗った。

 

ウクライナの苦難 後編

はーー。疲れた。こんなに疲れているのに、

Nさんにとっては、私は結局何一つリクエストに答えてないことになるのだなあ、

これを「徒労」というのだなあと思うと、余計に疲れが増してくる。

自分の駅の階段を地上へ上がりながら、

断りの電話を入れようとしたら、既に留守電が2件入ってる。

「長居公園のトイレの前にいます。どこにいますかー」

駅で会おうって言うたやん。駅って。おい。

2件めも、トイレの前にいるから来いという内容だった。それもほんの今

かかった電話らしい。

私が、本当に心やさしい、自己犠牲の人間だったら、また電車に乗って

戻ったかもしれない。だけどね、もういいの。ろくでなしでいいの。

良く思われなくたっていいの。今のこの私は、もう笑えないぞ。え。

電話する。今度はすぐつながる。こっちがしゃべるぞーーーー。

と思ったのに負けた。

「あ、今どこですかーーー。私はねー、JRと地下鉄と道が分かれてるところの

女子トイレの前なのーー。」あいかわらずのハイテンションである。

「すみません。電車乗っちゃいました。」

「え?」

「ごめんなさい。駅でちょっと待ってたんですけど。」

そこまで言うと、今までハイトーン、ハイテンションでしゃべりつづけていた

Nさんが、突然、ゆるんだテープみたいな美川憲一しゃべりになって

「乗っちゃったんじゃあ、しょうがないわね」。ぶち。

 

ぶち。ぶち、ってわかりますか。

タイガースの新しい打撃コーチとちがうよ。

携帯を切った音ですわ。切った音が私の耳に入った、ということは

いわゆる終わりの合図っちゅうの?挨拶っちゅうの?

電話切りはるんやなあと私にわかるような「さようなら」とか「じゃあまた」とか

いった類のきっかけが何もなかったっちゅうことですわ。

ぶち、って音聞いたことで、この一日の〆として私に残ったのは

「気ぃ悪い」の一言ですわ。

ほんま、勘弁してください。

まあね、まあ、いろいろありますわ。あー、しんど。これ書くのもしんどかったわ。

 

その後、これは私ではなく、友人MNさんの受けたナンギだが、

同じNさんから、やはり会社にファックスが来て、W杯まで数回ある代表戦のチケットを、

あれは何枚、これは5枚とってくれと、まだ販売方法の発表になってない試合の分まで

頼んできたそうだ。

MNさんはチケット屋じゃない。もちろん、ダフ屋でも、チェアマンでも

裏社会に顔のきくおねえさんでもない。

なんで? なんで会社あてに、ファックスで、一方的に、

頼みごとを送りつけてきたりするのか。

なんで自分で電話かけて苦労して取らないのか。

関係ないけど、腹が立つので書いちまった。

あー、しんど。他のことが書けなくなってしまった。

そんなこんなで、やきもきしてた試合前、東京から来てた、今回の私の徒労とは全く無関係の

おぢさんの声が携帯にかかってきたときは、ある種、新鮮だったわよ。

ゼクさんも、ほんとはめっちゃ久しぶりで不義理しまくってるんだけど、なんだか

法事でなつかしい親戚にあったような気がしたわよ。

ではでは。試合について一言も触れてねえ。

 

ブランドルフライは納豆を食ったか

私はお恥ずかしいことに、去年、この歳で初めて「キムチ」を食した。

今までにも、なんかの料理にちょこっと小皿に漬物としてついてきたのに

箸をつけてみたことはあったが、それはちょうど、

子供が、お父さんの吸いかけのたばこを灰皿にみつけて一口吸ってみて

げほげほむせてすぐやめちゃう、と同じ「好奇心」の類のもので、「食欲」に

類するものではなく、一口で涙目になって、ちゃんと食したことがなかったのである。

去年、会社の近所にこじゃれた韓国料理屋さんができた。そこのランチがばりばりに

辛いのだがなんだか癖になるおいしさで、毎回ひーひー言って一口食べては

水ばかり飲みながらも少しキムチ味になじんできたのだった。

そしてある日突然家にいる時に、キムチ食べたい!と衝動にかられ、その足でキムチを

買いに行き、お餅をこがさないように焼いて熱湯につけやわらかーくしてキムチをくるんで食べてみた。

これが。おいしーーーーーーーーーーーーい。はまった。

家人もキムチなんてほぼ食べたことがない人たちだったのだが、

休みになると私が、キムチ鍋作ったり、キムチ炒飯作ったり、キムチラーメン作ったりするもんだから

つきあわざるをえず、父もはまった。カレーも辛いのは食べられない母はやっぱり苦手みたい。

で、今や、キムチ大好きとなった私は、今年、それもこの3月、次なる目標を定めた。

「納豆制覇」。

これも、「お父さんの吸い差しのたばこ」程度にしか箸をつけたことがない。そしてその時に

もう一生食べることはないだろう、と決めていた食物である。

キムチはともかく、納豆は、好きになるよう努力しようと決めた、生涯初めての食品である。

もちろん、体のためである。

私が体のためになにかしようなんて、今までだったらありえない。その逆はあっても。

そうまで思うほど体がよくないのかというと、しんどいとかどこがどう痛いとかじゃなく、

体調は低め安定というのでしょうか。いっそ晩年なら晩年でよいのだが。

私はずっと今まで健康、元気できたから、健康が常態で当たり前で、

明かな不調を示すいろんな兆候というのが結構ショックでね。

たとえば、爪も髪も弱っちゃってね。缶ジュースのフルトップもへにゃ爪の指では起こせない。

ボタンをかける支えにもならない。

変わりゆく自分の肉体をみつめ「ブランドル博物館」なんて言いながら

自分のとれた耳なんかおいてたハエ男の気持が少しわかるような気がする。

あんまり書くと、また知ってる人が読んだら医者に行けーーって説教されるな。やめとこ。

だけど、不調とわかっててわざわざ医者に行って、「あなたの体は悪い」

と言われてなにがうれしいのか。いやだったらいやだ。いやなものはいや。

とにかく。肉体改造を微力ながらちょっとやってみようかと。

まずは、この衝動的で炭水化物に偏った食生活。これを改める。

納豆は体にいい! だから食べるのだ。食べる努力をするのだ。

えびやかにみたいにアレルギーなわけでも、豚肉みたいにえづくほど大嫌いというわけでもない。

第一、植物性のものはたいてい好きなはずだ。

というので、まずは、納豆そばから始め、ねぎやからしとまぜ熱々ご飯に卵と

一緒にのせて食べたり、「納豆のお焼き」なるものを作ってみてキムチを入れて

味ごまかして食べてみたり。

まだはじめたばかりだし、おいしい、というところまではいってない。

が、今後もがんばるぞ。そして、納豆をクリアした暁には、

「レバー」にも挑戦してみようかと思う。

いつか駅の階段を(エスカレーターではなく)、とんとんと駆け上がる私を

見かけたら、納豆制覇、レバー制覇と思ってくれ。

 

星野阪神

どうです。え。開幕ニ連勝。ありえへん。

二十数年ぶりらしい。

私は多くの正統派阪神ファンとちがって、巨人憎しとは思ってない。

(トップの、わた○べさんは嫌いだが)

江川も桑田も好きだったし、今はなんといっても、Vシネマの帝王みたいな

男・清原! 辻元清美似の上原、それにかわいいニシ君もずっと好きだ。

が、要は、巨人というのは倒すに値する、倒し甲斐のあるチームだということだ。

開幕戦。井川と上原の投げ合い。

井川。どうです。え。いつのまにあんなにたくましくなったのか。

野村さんの時代にも、すげえ球投げるんだと思ったことはあったが、不安定な

ところもあった。

実際、野村さんも目をつけてて特別に力を注いで育てようとしていた。

直球系の逸材と言われてはいたが、そう言われてそのまま消えて行った選手は

いくらもいる。いくら投げても点をとってくれないこのチームで、また逸材は

埋もれていくのかもしれないという悲しい予感さえあった。

それが。不安のかけらもないこの開幕戦。速くて重い球が、びしっびしっと

矢野のミットに投げ込まれる。逃げない。ストレートの快感。

見送るしかない巨人打撃陣。バットを出しても、振り遅れ、やっと当てても

完全に力負けしている。

真っ向勝負で三球三振になっちゃう清原。これはこれで、かっこいいんだ。

力のある男は、力のある相手がわかるんだ。素直に驚いた顔を見せ、

四の五の言わずにさっさとダッグアウトに帰っていく。

こういう男だから倒し甲斐がある。だから、一発ホームラン打たれちゃったけど、

まあ清原ならいいよ、と思える。(元木だとめちゃめちゃ腹が立つ)

阪神が2点リードで迎えた9回裏、完投目前の井川がこの試合初めて

一打同点となる不運なピンチらしいピンチに見舞われる。

それでも、微動だにしないベンチの星野監督。

マウンドにコーチが駆け上がることもない。

井川よ、これはお前のゲームだ、といわんばかりに。

この、動かない、と決めた星野監督がまたかっこいいんだ。

打たれるなら井川が打たれるべきだ。勝ち負けは、井川が決するべきだ。

試合は、ショートの頭上を越えようかという打球を藤本がグラブにあてて

すぐ後ろに落とし、これが幸いして、ランナー一二塁だったのが、

6−4−5のダブルプレー。

勝っても負けても、面白い、充実した試合だった。開幕戦の勝利は12年ぶりだって。

井川が、星野さんにウィニングボールを渡していた。

 

去年は特に後半、おもしろくなくて野球をろくに見てなかったのだが、

今年はまた戻ってこれそうだ。ああ、W杯もあるのに。ああ、納豆食べなきゃ。(なんだそりゃ)

 

第2戦は、9回裏、あそこは元木だよね。

9回表にファインプレーしてピンチを救った元木を、その裏、打順が回ってきたら

替えちゃうんだもの。なによりも、私らは、あのお調子者の元木があの守備で気分よくして

この裏、ひとりでホームランでも打っちゃうんじゃないの、と心配してたのだから。

うれしそうな元木のヒーローインタビューまで脳裏に浮んでたんだから。

まあ、原くん、ペナントレースは始まったばかり。君もまだ若い。がんばりたまえ。

 

3/31にまとめてアップしました。

まだまだ書いてないことがいろいろあるんだけど。

 

 

 


とこのHPから抜粋、転用などすることは、どんな事情がおありか知りませんが、私の同意なしでは許されません。

   来る?