f l a t  d a y s

 

のんべんだらりを夢見つつ、魂に放浪癖のある一社会人が綴る、カウントダウン的日常の身辺雑記。

 

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まつる

1月のネタなのですが。

1月は来ないと思っていた会長さまが1月最後の週、急に大阪に来ることになった。

ぎええええええええええ。え、えらいこっちゃああ。

説明しよう。年末こちらでゴルフをされた会長は、ゴルフのズボンのすそがほどけ、

それを直してほしいとおいていかれたのであった。じゃじゃーん。

自分のパンツの裾直しくらいなら自分でやるのだが、人の、それも仮にも一部上場企業の、

会社の名前をみよじにもつ方のズボンのすそ直しである。もったいないもったいない。

つるかめつるかめ。いつもの「とまってりゃいい」縫いではすまんだろう、これは。

自分のでいくつかきれいにできるまで練習してから本番をやろう。

と完璧主義の秘書は会長からお預かりしたズボンを、年末からずっと

10階の秘書室の椅子の背にかけたまま忘れておいていた。それは秘書プロジェクト

その1として、2、3ヶ月かけて解決されるはずの案件であった。それが。にわかに

最優先案件となってしまった。え、えらいこっちゃああ。

と10階に上がってみて驚いた。年末のゴルフのあと、この気のつく秘書は、

会長の着たゴルフ用のベストとセーター、ついでに棚にいれっぱなしの赤や黄のニット

たちをガラス張りの会長室の窓際に、ずらずらずらーーーっと、でかでかでかーーーーっと

ひろげて虫干ししたままだった。

ほぼ一ヶ月。年を越えてそれはそこにそのようにあった。

シックな木目調の会長室に、さながら万国旗のように。

壮観である。

もしどこかのビルからスナイパーが狙っていたら、これは一体何の合図かと思っていたことだろう。

撃たれなくてよかった。ハトよけぐらいにはなったかもしれない。急いで片付ける。

そして、件のゴルフズボン。手にとって見ると、ほどけたのは一部ではなく、ぐるりと円周

全部だった。小学校の家庭科で習った「まつり縫い」ってやつをしないといけないのでは

ないだろうか、正式には。おぼろげな記憶の中の高度な専門用語。

まつり縫い。それは何か。ネットで調べてみる。

簡単パッチワーク、基本のソーイング。これだな。

ところが肝心のところになると「ここはまつり縫いで」と一言でさらっと流されている。

そんな一言で流されるほどまつり縫いとは、この世の中の常識なのか。

八百屋さんのおっちゃんが近所のおばちゃんつかめて「昨日の清原のまつり縫い見たか」

とか言っているのか。私の知らない間に。

そもそもまつり縫いのまつりとはなんなのか。岸和田のだんじりなのか。

学生の時、数学が苦手だった私は、そもそも「log」とはなんなのか、とそのコンセプトを

探るところからのアプローチを試した。辞書をひっぱり、そこで見た「丸太小屋」という訳に

目からうろこが生えてきた覚えがある。

今回も辞書を見てみよう。

 「まつる ; 布の端などがほつれないように、内から外へ糸を回しながら縫う」

丸太小屋よりははるかにまともな解説だった。が、これではなんもわかりゃしない。

内から外へ糸を回しながら縫う。まわしながら。ど、どういうことじゃ、どう回すのじゃ。

いつもより余計に回すのか。

誰か図解してくれたらどうなのか。あほやないねん。写真見せてもろたらわかると

思うねん。と、とりあえず、とまりゃいい縫いをして、さも「まつった」みたいに糸の跡だけ

ペンで書いておくか? 水性だとにじむんじゃないか? 雨だと流れるんじゃないか?

会長の運転手さん(めちゃ男気あり)が「わしがやろか」とまで言ってくれる。いやそういう

わけには。すんません。でも、運転手さんの、「やってあったらそれでいいねん、別に上手

とか下手とか気にしはれへん」の一言に救われる。

そうだよな。そうだよ。そんなズボンの裾まで見やしないって。かたっぽだけ極端に短いとか

袋状に縫い合わさってて足が出てこないとかならともかく。

なーんでえ、はけりゃいいのよ、はけりゃ。

昼休みプラス20分ほどかけて、「とめてみました」縫いを完了。

こんなの誰も見やしない。おっけーおっけー。大体、ズボンのすそは「まつり縫い」だなんて

誰が決めた。節分には巻寿司を丸かじりするとかバレンタインにはチョコをあげるとか、

そういう策略にはのらないぞ。え。

というわけで、次のゴルフまでちょっとどきどきの秘書さまである。

2002,2 

 

a walking secretary

ついでに、その一月来阪時の秘書ネタをもひとつ。

今回は、ホテルでちょとした会合があってそのために来られたのだが、

翌日には関係会社の役員会に出席される為、朝9時台の特急に乗って大阪から移動。

今まではゴルフ場から直接空港へ行かれたりだったので、お送りというのは

今回が初めてになる。

秘書の朝は早い。7:45に会社に入る。ここで連絡待ち。朝食抜きである。

会社の自販機で缶のポタージュスープ買って秘書室でらっぱのみ。

7:55、専属の運転手さんから電話。スタンバイOK。車でホテルまでお迎えに行く。

9時台後半の電車に乗るにはもちろん早すぎる。そこはあなた、「お散歩」という日課が

待っているのである。

ホテルからいつもお散歩する公園まで行くと、一旦「戻る」ことになる。

会長は「大阪駅まで歩こうか」とおっしゃった。わざわざ公園に車で乗り付けて

お散歩してることを思えば、とても合理的に思えた。そうしましょう!

距離は一駅半くらい。川沿いの道は景色が楽しそうだし、私は元々歩くのは好きだ。

運転手さんとは駅で待ち合せ、会長と私は歩き出した。

のだが。

私が秘書になると決まった時、先代秘書さんが「靴が傷むからお散歩用の靴がいりますよ、

私の前の人はスニーカーに履き替えてましたよ」とおっしゃってた。

しかし会長と公園をお散歩するようになってからもそのアドバイスがぴんと来ず、

なんでお散歩用の靴がいるのか、そんな悪い道でもないし、めちゃめちゃ距離もないし、

今までの秘書さんはかかとの細いヒールかなんか履いてたからかな、

なんて思っていた。

その日、初めて理由がわかった。

公園をお散歩するときにはわからなかったのだが、「駅まで」という目標を持つと、

俄然、会長はギアが入るのだった。多分、奥歯の横のところに加速装置のスイッチが

あるのだろう。ほ、ほんとうにあなたは2本の足で歩いていますか、と質問を

追いつきさえすればしてみたいくらい、会長の歩速は速い。

会長の話に私は相槌をうてない。なんだか前の方でしゃべっているぞ。後ろから

息を切らせながら「そうなんですか!」と言ってみたりするが、それが最もふさわしい

合いの手なのかどうか私にはわからない。

通勤時間とぶつかり、私たちが歩くのと反対の流れでどんどん人が歩いてくる。

よけろ、よけるんだ。ええい、道をあけろ、あけろーー。

ヒルトンが見えてきた。

「ヒルトンが見えてきましたね!」私が後ろから叫ぶと、会長は

「どれ? これ?」と、駅前第1ビルを見上げてる。

ちゃいますやん。なんでヒルトンこんな平屋ですのん。

「いえ、そのむこうの背の高いのがそうです!」

「じゃあ、ちょっと時間あるからお茶でも飲んでいきましょうか」

やったーーーーー!!

マラソンにも給水所というものがある。ここはやっぱりちょっと落ち付いて

休憩だ、休憩!

会長がヒルトンに入りコートを脱いだ。「ちょっとお手洗いへ行ってくるから」。

承知つかまつりました。会長のコートを預かり、私もマフラーをほどき、コートを

ぬいだ。ロビーで人がゆったりとすわって新聞を読んでいる。ラウンジみたいな喫茶もあるし、

回転ドアのむこうには天井が吹きぬけになったガラス張りの明るいカフェもある。

お腹すいたよー。

会長が戻ってきた。まっすぐにこっちに来るとコートを受け取り袖を通す。

「じゃ行こうか」。

どんどんとロビーを突っ切って行く会長。

いや、お茶は。もしもし。そこのおっちゃん。早足のおっちゃんて。

道路を渡ると大阪駅である。

遅れをとってはならない。私もコートを着て追いかける。

なんじゃそらなんじゃそらなんじゃそら。心の中は、なんじゃそらの歌ができそうなほど

なんじゃそらでいっぱいである。いい感じのラップだ。

先に着いていた運転手さんから荷物を受け取る。

「駅の中をぶらぶらしましょう」。会長はおっしゃる。

ぶらぶらはええけども、私があんたの荷物を持ってますねん、これがまた

重いですねん、ぶらぶらといわれても、そんなぶらぶらはできまへんで。

ほんでぶらぶら言うからにはせめてぶらぶらしといてや、しゃかしゃかはいややで、

しゃかしゃかは。

その後、「ホーム」という目標を持つ会長は階段を駆け上がり、この頃になると

とてもペアとは言えない距離の開きを持つ私は、必死で追いかけながらも

なんだか笑いが止まらなくて、これはもしかしてこの人に千日お伴してたら

千日回峰になるかもしれないとまで考える。

無事会長を見送ったあとの会社までの道で、男気の運転手さんが、内緒やけどと

言いながらドトールでコーヒーをおごってくれる。めちゃくちゃあったかくておいしかったです。

会社に帰ったらくつろいじゃって仕事にならなかった。ってばよ。

2002.2

 

M邸の崩壊

いつもお正月に晴れ着で写真を撮るとき、借景になってくれてたのが、

うちの斜め向かいのM邸である。この、大阪市内、地下鉄最寄駅2駅、JR1駅、

駅前商店街あり、校区抜群、生活至便の、超便利でしかも静かな住宅街に、

200坪の敷地を持つ、古い洋館。それがM邸。

小さい頃、同い年くらいの女の子が住んでいて、遊びに行って、

ずらっとぬいぐるみを並べて「どれか好きなのあげる」と言われ、熊のぬいぐるみ

(ちゃっぴ君、今もいる)をもらった。

春にはお庭の桜が満開になって、わざわざ花見に行かなくても楽しめて

ラッキーだね、なんてご近所では毎年言っていた。

最終的には、気難しいといわれるおじいさんの一人暮らしとなり、そのおじいさんが

数年前になくなられ、以後空き家となり、土地は大阪市に寄付されたらしいとか、

マンションが建つらしいとか、福祉施設ができるらしいとか噂ばかりが先行していたのだが。

ある日突然、白い布で覆われ、取り壊しが始まった。

昼の間いない私は、夜会社から帰ってくるたびに確実に壊されていく館を見る。

憧れだったサンルーム、おしゃれな鎧戸付きの窓。立派なレンガの門柱、

館をとりまく低い石垣の中でも小さい頃すわりごこちがちょうど良くて好きだった石。

そしてついに更地になった。自分の家でもないけれど。感慨はある。

なんにもない更地。そのむこうにさらされた裏の家並。数えると8軒。

8軒分もあったのか。

週末、近々分譲予定のちらしが入った。そこには、9軒もの3階建ての家が

建てられるそうだ。せせこましい家が9軒。街がすっかり変わる。

2002.2.12

 

 

清水宏保の気前よさ

オリンピックたけなわでございます。たけなわとはなにか。

まっさかり。「宴も酣でございます」

まだ「たけ」はわかる。高まっているのだろう。じゃあ。「なわ」とは何か。

石後時点←「国語辞典」と入力するとこんなのが出るパソでなにをかいわんやで

ある。なんじゃそら。もっと「たけなわ」について掘り下げようかと思ったけど、

石後時点に出鼻をくじかれた。番茶も出鼻である。

とにかく、オリンピックが盛りを迎える今日このごろ。

私は、清水宏保が好きだ。長野か長野の前あたり、彼の特徴あるコメントが取り上げられる

ようになってからすっかり好きになった。その頃、藤原紀香のファンとかなんとか言ってたが

そういうコメントではない。彼の、「極限」に関わる言葉が聞けば聞くほどおもしろかったのだ。

 

元々スポーツとは縁遠い私は、自分の体を追い詰めたことも、身体を鍛えることで

精神を鍛えたこともそういう試みをしようと思いついたことさえない。

そういう発想の人とそもそも接点がない。私は、その人に仮になってみるという感情移入的手法で

人を理解する傾向があるのだが、スポーツ系の人たちに仮になってみるための術は

与えられていなかった。まあ、好きなものはしょうがないんじゃない、と片付けるほかなかった。

特に、ちょっと前の時代のスポーツ選手たちのコメントは、根性主義もあり、たいてい

型どおりで、全く意味を持つ言葉として届いてこなかった。

「感無量です」とか「善処します」とか「誠に遺憾です」とかいった言葉のように、

彼らの「一生懸命がんばります」だのなんだのという言葉は、記号としての言葉でしかなく、

私には彼らを理解しようがなかった。

清水宏保は、数少ない、私を感情移入へ誘ってくれる選手のひとりである。

彼の、極限のスケーティングを表現する言葉、トレーニングで自分を追い詰めていく過程を

表す言葉、惜しげも無く紡ぎ出されるそれらの言葉すべてがとてもリアルで、

身体をろくに動かしたこともない私に、多分実際には程遠いのだろうが、彼の瞬間瞬間を

擬似体験させてくれる。

あと、中田もそうだ、イチローもそうだ、言ってることがリアルでよくわかる。

特に、清水選手は、中田やイチローのようなしょっちゅう目にするポピュラーメジャーな

スポーツ種目でない分、まだメディアとの軋轢が彼らほどの頻度でないせいか、

「言ってもわからない」という嫌気も「自分の問題だし」という閉鎖性もなく、けちらずに

自分の言葉で包み隠さずあらいざらい語ってくれるのがありがたい。

思い出してほしい。中田だって、イチローだって、みんな最初はきらきらとこぼれんばかりの笑みで、

自分のやってること目指すものを自分の言葉で語ってくれていたのだ。

まだ心を閉ざさない清水の言葉は、もっと聞いていたい、と思わせてくれる。

こういう、上を上をめざす人は、自分を客観的に見ることができるから、

自分の目標を漠然とではなく、刻み刻みでしっかり具体的にとらえてる分、

そこと自分との距離を見る見上げる目線と俯瞰の眼を同時に持ってるから、

自分の輪郭やポジションを常にとらえることができるから、

それを表す言葉がわかりやすいのかもしれない。

(清水の言葉はめちゃくちゃ主観的な気もするのだが、逆説的で不思議だ)

くもりなきまなこ、というのはこういうことを言うのかも。

スポーツニュースなどにゲストで出て、つまらない質問や下世話な話題をふられても

言葉を出し惜しみせず、にこにこと応対する清水。またその人の良さそうなギャップが、

この人はスケートやめたらどうなるんだろうかと心配させてくれる。

なんか長生きできるのかな。あんまり人間の領域を越えてると、いつか神の目にとまって

あらぬハプニングなどふりかかっちゃうんじゃないの、と、ああ、心配することばかりだ。

2002.2.19

 

熱く語る人

ぷーさんが誘ってくれて、若手落語家さんと某有名ケーキ屋のオーナー兼パティシエさんと

一緒にご飯を食べる機会があった。日付はさかのぼるんだけどね。

ぷーさんは、相手に、先に私のことを「会長秘書」と言っていたらしい。

頼むからーーーー、そーゆーのはーーーーーーやめてほしいんだーーーーーーーーーー。

職業に貴賎はない。何も、秘書であることを恥ずかしく思っているわけではない。

(ちょっと恥ずかしい) だが、やはり世間様というものは、やはり、スッチーといえば

それなりの、スッチーらしき女性を、バレリーナといえば、それなりの、バレリーナらしき

女性を、秘書といえば、それなりの、秘書らしき人を想像するでしょうが。

そいで、じゃじゃーーんと当日現場に現れたのが、これだったら、それはなんというか、

ああ、詐欺と言ってもいい。ああ、申し訳ない。私だったら帰る。

幸か不幸か、まあ、合コンという類の集まりではなかったので、帰られることもなく、

私もそれなりに参加して楽しめたのだが。

お友達同志という、落語家T・U(Y?)さんとパティシエさんはとてもいいコンビ。

熱っぽくしゃべるしゃべるしゃべりまくるT・Uさんと、黙って聞いててたまにコメントを

はさむパティシエさん。やっぱり、なんというのか人前でやる仕事をする人のエネルギーって

ちがう。エンターテインメントとしての落語(伝承芸能でとしてはなく)、ということを熱く語りながら、

ぷーさんにごろごろ中学生みたいになつく様が、ほほえましくてついつい笑ってしまう。

物を作る人と話すのは刺激的でおもしろい。

って、私はさぼりっぱなしなんですけどね。

書くときは何で書きますか、テーマですか、キャラから入りますか、とか

そういう話。私はどっちもあるけど、最終的に、キャラを愛せないと、書いててつまらない。

落語は、オチまで持って行くってことだから、やっぱテーマだろうな。

ずっとずっと楽しくて、時間のたつのも忘れる。

書かなきゃな。と思う。すみません。

2002.2月某日

 

 

 

 


とこのHPから抜粋、転用などすることは、どんな事情がおありか知りませんが、私の同意なしでは許されません。

   来る?