のんべんだらりを夢見つつ、魂に放浪癖のある一社会人が綴る、カウントダウン的日常の身辺雑記。
そーかつ
また自分の部屋のそうじをしない間に明けてしまった。いやだいやだ。
HPを改造すべく、過去のflat daysのインデックスを作ってると、一年を総括することが
できた。例年どおりサッカー狂いの日々で、レッズの復活に狂奔。コンフェデに狂奔。
オランダへ行ってしまう伸二のために狂奔。そして伸二が行ってしまってからは
「時宗」熱が本格化し、っちゅうか頼綱熱。北村一輝という役者さんの仕事を追わずには
おれなくなり、Vシネマを知り、いわゆる「巨匠」が作ったのでないたくさんの等身大の
日本映画を見ることになり、ちんぴらや極道やおかまちゃんや、いろんな人を見る目が
変わり、世界が広がり、
仕事の上では、会社のあまりのいきあたりばったり、展望のなさ、一貫性のない
ポリシーにやる気をますますなくし、「君の会社だから好きにしなさい」的心境に
至った折も折、会長秘書就任。一時はそれは会社を辞めろという天の声かとも思うが、
貴重なネタとして、やるだけやってみようと決める。
そんな一年でした。
この一年の間に得たもの: 北村一輝から派生していろいろなもの、
家族に見せられないビデオ集(せっかくだから、新しいHPを準備中)、
柄が悪いと思っていた大阪弁を「美しい」と思うに至る意識の拡大
(ちなみに、今現在一番好きな言葉は、「シバク」です)、
たくさんのVシネを通してできたたくさんの免疫、同じく偏った映画を見つづけたことに
より得た、男は見た目じゃなかったのだわ、という遅すぎる認識。
ラジオドラマのおかげの新しい人間関係、あんど10階秘書室の机。
キムチのおいしさを知るっちゅうか、キムチをキムチとして初めて食す経験
(はまりつつある)、そして史上最大の体重。お、おそろしい。
失ったもの: 後半にかけてサッカーへの情熱(どーしたことか)、
ヘマトクリットの数値、土曜日にテニスをやる習慣。
どうです、得たものの方がはるかに多い。っちゅうかなくしてても
あまりこの人は気づかない。
総括はこんなとこでしょうか。んで、今年ですが、展望は例によって特になし。
ちがうちがういかんいかん、なーにを言ってるのか、ワールドカップじゃないか、
ワールドカップ。とは言うものの、今から気合入れてもしょうがない。
なりゆきなりゆき。いいな、ペンネームにしようかな。成行。いいな。
お坊さんみたい。
なんじゃこのなし崩しの総括は。
犬はお節なら食うのか
いつもと変わらぬお正月。だが、暮れに実はひと悶着あった。
12月29日に、母が、和歌山の父の実家に行っていた。祖父がなくなってから誰も住んで
いないのだが、空き家にするのが嫌で、正月の飾り付けをしたり、お墓の掃除をしたりしに
行ったのだった。その裏山の上にセカンドハウスを建て、休みになると車でやってくる東京
在住の父の弟夫婦とも会って一泊し30日に帰る予定でいた。
30日の朝、夕べはよく眠れなかったという父が、いきなり、母に電話をかけた。
全く理不尽な、母にとっては言われっぱなしで腹の立つ内容だった。
そんなこと言うためになんでわざわざ電話なんてするのか、と一応、父をたしなめたが、
言いたいことを言って父はすっきりしたようだ。
母は怒ってしまった。そりゃそうだろう。公平に見て母は全く悪くない。父も悪いというわけ
ではないのだが、考え方がおかしい。元々おかしい人だが、とりたてておかしい。
父方のお墓を掃除しに行ってなんで怒られなきゃならないのか。感謝こそすれ、なんで
「好きにしろ」なんて喧嘩言葉を投げかけられないといけないのか。理解不能。
後で私が携帯から母に電話して、父は夕べほとんど寝られなかったと言ってたから
つまらないことを一晩考えてて、思考能力がなくなってるんだろうとフォロー(?)したのだが、
母は、「一所懸命やってるのにあんな言われ方して情けない。好きにしろって言われた
から好きにする」と、なんと、正月1日まで帰らない宣言。涙声だった。
母はそれぐらい冷却期間をおかないと気がすまないから、そう言っといて、と言って
電話を切った。まあしょうがないか。
私にとって父は、「年老いた父親」だが、母から見れば、永遠に自分のつれあい、
自分と同じ「等身大」の人なのだ。等身大に傷つくし、等身大に頭に来るのだ。
と、老夫婦の心情の分析などしている場合ではない。
ちょっと待ってください。母がお正月1日まで帰らないということは、
どうするんですか、お節。お雑煮。我が家のお正月。
悪いですけど、私はお節は「包丁あんど見た目」担当で、お節の食材の皮むきをしたり
かまぼこやらにんじんをいろんな形に切ったり、こんにゃくねじったり、
できあがった物をきれいにお節らしくお重に詰めていったりがメインで、
「味付け」部門はせいぜいがごまめを炒ったり、その程度です。
どうすんです、数の子。知らないからな、やり方。お父さん、あなたの好物なんだから
あなたががんばりなさい。私は別にほしくない。
とは言うものの、年賀状書いたりその日のご飯作ったりでお節まで手が回らない。
父は居間にでんとすわってただぼおおおっとテレビを見てる。
「重箱出して、重箱」。働かせる。誰のおかげでこんなことになったと思ってんだ、ったく。
こうなったら母のありがたさが身にしみてわかるように、この私がこき使ってやるからな。
父も、別にお雑煮がなくたってお正月はお正月だとか言ってる。まいっか。お餅さえあれば。
父には、母が正月まで帰ってこないとは言ってない。ただ、もう一泊してくると伝えたのだが。
判断は正しかった。
なんのかんの言ってても家のことが気になるのが、プロの主婦というもの。
翌31日、午前中に母は帰ってきた。帰ってくるや、お煮しめにとりかかりはじめた。
とりあえずよかった。重箱にごまめとかまぼこしか詰められないとこだった。
本気で、本見ながらこじゃれたプチお節とかに挑戦しようかとも思ったが。
そんな危険な真似をしなくてよかった。
正月の間中、母は父にやさしくなかったが、二日には一緒に近所の神社へ初詣にも
行ったし。あとはなんとかしてくれ、家内安全。
で明ける。おもしろいなあ、セレッソ。パリーグみたい。昔の南海ホークスとか
(いくつやねん)、西鉄ライオンズとか(ほんまいくつやねん)、宇野のいた頃の
ドラゴンズとか、川藤がいた頃の阪神とかのテイストが。、
セレッソおもしろい。攻めて攻めてはずし続け(大柴、相変わらずやなー)、点がとれず、
そのうち形勢逆転。エスパが上手につなぎ出すと、セレッソにはまるで手におえない。
おたおたしてるうちに、FKも含め2点献上。なーにをやっとんねん、なにを。
しかし。それで終わらないのが、ホークス、ライオンズ、宇野に川藤の底力。
後半30分過ぎからまた攻勢に出たセレッソが、一挙に2点取り返してしまった。
さすが関西のチーム。試合の見せ方、勝負の楽しませ方というものを心得ている。
試合は延長戦にもつれこみ、ここは執念でエスパの勝ち。でもおもしろかった。
いやあ、みんな立派な芸人さんや。J2に落ちちゃったけど、だいじょぶ。
この力があれば。レッズの時よりはるかに安心だ。
年賀状には苦労させられる。毎年取りかかるのが遅くて天皇杯準決勝を生観戦
しながらスタンプ押したり、夜なべして「オールザット漫才」を見ながら書いたり
結局大晦日に投函することになる。なぜ毎年のことなのに改善されないのか。
いい加減学習したらどうなのか。年賀状書き屋というのはないものか。
ないなら私がなってもいい。基本的に年賀状を書くのは好きだ。宛名なんて全部手書き
なんだからな。ありがたいと思え。好きだから余計に時間がかかるのだろう。多分。
書くのは大変だが、もらうのはうれしい。印刷だけのものだと見る気もしない。
それは別に「私」宛てじゃないからだ。そんなの出さなきゃいいのにと思う。
お年寄りはしょうがないけどね。そこの市議会議員の君も、年賀状やら誕生日のお祝いの
葉書やらくれなくていいから。葉書代の100円(年賀状と誕生日)×有権者人数分、
どっかに寄付しなさい。
去年のラジオドラマを聞いてくれた人が、年賀状にちょこちょこ感想など書いてきてくれている。
ひとり、一言おもしろいことを書いてきたのがいた。
曰く、「英才ばかりが出るドラマが多い中で、清涼感がありました」。
おもしろい見方だ。なるほどーーー。そういえばそうか。世の中は英才ばかりかー。
確かに私のドラマに出てくるのはたいていアホばっかりだ。もてもての二枚目でさえ
設定は「アホ」になっている。
そうかあ、私は「英才」に興味がないのか。なるほどーーーー。
そういえば、我が社の会長に男性のタイプを聞かれたときにとっさに出た言葉が
奇しくも「シンプルな人」だった。シンプル=バカというわけでもないだろうが、
なんかそれがつながって、やたらなるほどーと思ったのだった。自分でも気づかなかった。
私はアホが好きなのか。
さすがは精神科医である。
書いてきたのは、中学の時のツレで、今は精神科医としてアルコール医療をやっている。
中学の時は芥川龍之介とか吉行淳之介が好きな、ぬきんでて早熟でクールな文学少女で、
ぬきんでて子供でまだなんも考えてなかった私となんでツレだったのか不思議な気がする。
彼女もアホが好きだったのかもしれない。
でも、考えてみれば、「英才」を描こうとすれば、自分自身がその「英才」以上の知識や
教養が必要となる。
私の書く物に、「英才」は多分これからも登場しない。っつうか、できねえ。
まとめて、2001.1.12
新しいHPの準備にかまけていて、全然更新ができない。
今、朝日新聞のスポーツ記者 忠鉢信一さんの「進化する日本サッカー」という
本を読んでいる。朝日新聞には優秀な熱いサッカー関係記者がいて、潮智史、田中基之、
そして、この忠鉢信一さん。
知らなかったのだが、自身もジュニアユース、ユース世代で日本代表に選抜され、
全日本中学選手権では最優秀選手にも選ばれた人らしい。
日本のメディアの、サッカー報道に関する視点の幼さ(目の前の結果に一喜一憂したり、
ヒューマンドラマを作りたがったり)の指摘から始まり、そんなんじゃないんだよ、
日本がここまでくるのには、長い強化の試行錯誤の歴史があるんだよ、の序章。
日本サッカーの父・クラマーさんの教え、セントラル・トレーニングセンター制度のはじまり、
ナショナル・トレセン制度への発展、強化をめざす理想と勝利至上主義の現実とのギャップ、
結果が出ない、繰り返される路線の変更、加藤久の登場、旧世代との葛藤、
それでも何かが変わりかけていた、中田世代の台頭、
みんな、願いはひとつだった。・・・♪風のなかのすーばる〜
というわけで、日本サッカー協会の強化のための改革、プロジェクトは、一筋縄ではない。
めざす究極の目標はひとつなのに、方法を模索するのに、これだけの紆余曲折、
これだけの試行錯誤、これだけの失敗、これだけの変更、修正、論議、葛藤を
積み重ねてきているのだ。
本の中盤、記者である著者は丹念にデータを羅列する。何年何月何日に召集されたトレセンの
内訳、中学3年生が何人、2年生が何人、翌年には、それが、何人、何人、何年生まれ以降が
何人、その時の試合結果が何対何、合宿期間は、何月何日から何日まで、などなど、
はっきり言って通勤電車の行き帰りに読むには継続しがたい集中力や想像力が必要で、
ちょっと退屈した。だが、そこがやっぱり「ヒューマンドラマ」を求める一般人の愚かさなん
だろうね。このデータからドラマ以上のドラマを読み取らなければならないんだろうね。
しかし、この豊富で緻密なデータの収集のご苦労、エネルギーには頭が下がる。
さすが記者さんである。というか、やっぱり愛と情熱のなせるわざ、なのだろう。
そのデータの羅列編がそのまま日本サッカー界の試行錯誤の歴史となっているのだが、
それが本の後半、川淵三郎さん、加藤久さんあたりの登場から俄然おもしろくなってくる。
抵抗勢力を退け、若い久さんを強化委員長に引っぱった川淵さん、それに応える
久さんの、きっぱりずばずば改革の断行。協会幹部からの圧力は相当だったらしいが、
またその久さんを守ろうとする川淵さんの、だてにサラリーマンはやってなかったよねと
思わせる戦術。おもしろい。大した人たちだ。
彼らみんなを支えてきたのは、何の私利私欲もない、ただ日本を強くしたい、
それだけの思い。
そしてトルシエさん。ヨーロッパで指導者をしていた頃から、ユースの指導に強く惹かれ、
レッドスターでは、ユース育成の条件でチームと折り合わず辞めてしまった経歴をもつ。
そう思えば、トルシエさんと、この時代の日本サッカーの出会いは幸運だったのではないか。
トルシエさんになって選手層が格段に厚く、また広くなったように見られがちだが、それは
日本サッカー界が何年も何十年もかけてやってきた若手の育成が、ユースに思い入れの
あるトルシエさんによって収穫され始めているだけのこと。
そして、誰よりも、トルシエさんがそのへんの協会の長年の苦労をわかってくれている。
オフトさんあたりまでの日本代表は、代表に呼ばれ、代表監督のもとで初めて選手として
強化され、基本戦術を教え込まれ、それから特定の試合に向け全員練習という過程があった。
結果として、代表に呼ばれた特定の何名かだけが特別に強化され代表級の選手に
なるだけで、そこから層はひろがらない。
だが今や、各選手が、いつ代表に呼ばれても間に合うように普段から強化され準備している。
そのへんの層のひろがり。都並さんのけがを隠し、出られないのにチームにエントリーして
アウェーにも帯同させていた時代(ほんの8年前だ)と、既に隔世の感がある。
こんな本を読むと、下手な批評はできないと思う。
同時に、このような一大プロジェクトにはしっこでも関われた人たちをうらやましくも思う。
いつか、プロジェクトXでもやってくれないかな。
2002.1.25
サッカー友のMNさんが横浜からコンサートツアーで大阪に来ている。
(彼女がコンサートをやってるわけじゃないのだが、日本国中追っかけて、自身も
ツアー中) やはり有休とると必ず「サッカーか」と聞かれるらしい。
土曜日まる一日空いているというので、京都に行くことにした。
とはいえ、冬の京都は寒い。これで雪でもあれば寒さに耐えて景色を堪能する
労苦も報われるというものだが、雪はない。京都、と提案はしたものの、さて、
寺はいちいち靴をぬぐのが寒いし。よし、じゃあ私の好きなぶらぶらコースでいこう。
寺も神社もない、京都の普通の街なかだけど。何年か前に京都のかわぼうに
連れて歩いてもらって以来、すっかり私のお気に入りコースになっている。
まずは京都文化博物館へ。ちょこっと京都らしい物を見たり買ったり。昼食はもち料理。
京都のお店独特の愛想無さに迎えられる。聞いてることに答えてくれないんだもの。
まあいいけどさ。おいしかったし。ちょっと前に火事にあったと聞いていたイノダコーヒーは
やはりなかった。古くていい雰囲気だった街並みもずいぶん様変わりしていてマクドナルド
なんかできててびっくり。
大好きな鳩居堂へ。MNさんに「銀座にあるやつですね」と言われ大いにがっかり。
なんでえ、銀座にあるのかよ。定番ながらはまる。寺町通と新京極通を行ったり来たり。
途中、オリジナルの印を作ってるはんこ屋さんにもはまる。「長楽」とかね、いい具合に
ほんわかした字体でいい字がいっぱいある。その後、錦市場へ。ここにもおいしそう
でしかも安いおもち料理の店があって、次回はこっちに来てみよう。市場で普通に
お漬物や大好きな山椒を買う。なんか遠くから来てるMNさんよりはるかにたくさん
買い物してるんですけど。公園のそばの町家を改造して作った喫茶店でゆっくりお茶。
阪急の河原町まで歩き、大阪へ。最後は谷六の「もなみ」で〆。元々は六甲でやってた
ハンバーグやステーキのお店で、震災後、今の谷六の空堀商店街の中の小さな店舗に
移転。移転直後に一度来て以来、何度かおいしいいいいハンバーグを食べたくなって
人を連れてきたり家族を連れてきたり。久々に行った「もなみ」はえらいことになっていた。
もともと狭くてすぐいっぱいになるのだが、テレビや雑誌で紹介されまくり、店の壁一面
色紙や訪れたタレントさんの写真で埋め尽くされている。特に山田まりあちゃんが
ディープなごひいき筋らしい。いつもながらのマスターの過剰なサービスにお腹は限界
寸前。苦しい苦しいと言いながら、MNさんと別れる。
史上最大の体重は改善される気配もない。重いよ〜。
2002.1.26
会社で、下の子たちの士気が著しく低下している。
まあ当たり前だ。仕事はころころ変わる、部はどんどん縮小される。
成果主義だとかうるさく言って、わけのわからない目標記述書なるものを
毎期毎期書かされて、そこに書いてある最低目標をクリアしてないと
基本給にプラスアルファはないからとか言っておきながら、期の終わりまで
記述書に書いた同じ仕事を継続して担当していた試しがない。なんなんだ。
うちの課はっちゅうか、これでも一年半までは「部」だったんだけど、
また人が減って、先月まで課長+女子7名構成だったのが、今や
課長+女子4名。しかも、うち課長と女子3名が兼務。受付は人事の仕事だろう。
なんで総務の女子が期間限定とはいえやらされてるのか。おかしいっつの。
と、下の子たちが怒るのもわかる。課という意識はなくして、なんて上の人はおっしゃるが、
人事は非組合員だし、こっちはばりばり組合員だし、そりゃちがうっつの。
しかも、春にはもう一人減る。女子3名。休めるのか、6月。(W杯である) 休むけど。
昨日だって、総務にきた人が、「なんだみんな休んでるの」と聞いてたが、
「いいえ、誰ひとり休んでいません」と答えるしかなかった。この状態で誰かは受付に
とられ、私は会長が来ると総務にはいられないし、課長も、午後はずっと兼務先に行ってる。
そのくせ、電話回線は9本もあって、常にどれかがじゃんじゃか鳴ってる。どうやって
取れちゅうねん。また取ったらしょうむない電話や。こら某大手電気メーカー。
君んとこはいつもいつも代表番号にかけてきやがって。総務で君とこと取引してるもんは
おらんちゅうねん。なんべん言うたら学習するねん。なあ。ファックスもいっつもこっちに
適当に流してきやがって。なんで担当者覚えられへんねん。仕事やろ、商売してるんやろ、
なんで担当部署も知らんねん。
たまに「昨日しゃべった人お願いします」とか言ってかかってくることもある。知らんちゅうねん。
どんだけちっちゃい会社やと思てくれとんねん。悪いけど、縮小してるとはいえ、
自社ビル10階建や。プラス旧館4階建てがくっついとるねん。
そんだけの入れ物に社員詰まっとんねん。こっち来て自分で探してくれ。
なんで名前聞いとかへんねん。基本ちゃうん。それとも聞いたけど忘れたんかい。
ぼけとんかい。ぼけた人間雇ててくれるんかい、さすが大手はちゃいますわなあ。
あんたとこで給料もらおかな。交換手数料。な、そうしよか。いっそな。
それとしょうむない金融かなんかの勧誘の電話。しらじらしい。
何人か電話かける担当の奴がいて、低姿勢の人、正直な人もいるが、
中に、めちゃめちゃしらこい奴がいる。
いきなり「あぁ〜、斉藤さんお願いします」となめた政治家みたいなのっぺりした口調で言ってくる。、
「斉藤というものは何名かおりますが、所属部の方わかりますか」
(あてずっぽうでかけてきやがって、斉藤て、どんだけおると思とんねん)。
すると、さもけげんそおおおおおおな、こっちが知ってて当然とばかりのなめた口調で
「部統括の斉藤さんですよ」。
「下の名前はごぞんじないでしょうか」
(知らんがな。部統括の斉藤ってそんな調べ方でけへんっちゅうねん)
「晴男さんですよ」(なぜそんなわかりきったことを聞くのかという相変わらずなめた
芝居がかった口調)
「調べますのでしばらくお待ちください」
(ここで調べるのに時間かかってるふりして、電話代かさましたんねん)
。。。。
「おまたせしました。斉藤晴男は東京になりますが」
すると、またまたとても驚いた、とても意外だという口調で
「えええ、斉藤さん、東京でしたかあ〜?」
(このへんになってくるとつきあいきれなくて、受話器はずして
仕事しているのだが)
「いつから東京ですかねえ。以前大阪にいらっしゃったと思うんですけどねえ」
(知るかちゅうねん。芝居はもうええっちゅうねん。おらんもんに用はないくせに。
いつ転勤になったか本気で知りたいんかい。お。地獄のたらい回しツアーさせたろか)
「こちらではわかりませんので人事にお回ししましょうか」
「いや、また改めます」
。。。
っちゅうか、こういうしらじらしい芝居につきあってられない。
まあ、ぐちはいいとして。ばか電話の相手も人数がいれば分散できてよかったのだが。
これでモチベーション高くなんて言っても無理でっせ。誰がどの口でぬかしとんねん。
課長も部長も、みんな自分だって先のことはわからないと言ってるのに。
はっはっは。わらわなしょうない。まあ私のモチベーションは前からずっと低め安定だから
いいんだけど、下の子たちが義憤に燃え明らかにやる気をなくしているのを見るのは
つらい。いい子たちなのに、なるべく安心していい環境で仕事をさせてあげたい。
なんて、私が言うことじゃないんだけどね。
2001.1.29
とこのHPから抜粋、転用などすることは、どんな事情がおありか知りませんが、私の同意なしでは許されません。