1.むかしむかし、からアルス・ノヴァまで


福原ありす:

まずは音楽の始まりから(わからないけど)、
ルネサンス前まで。
とりあえず主流なものを中心に。
イングランドやスペイン、イタリアでも独自の音楽が発達したけど、
それはあとで補足する、かも。

*むかしむかし〜
アルス・ノヴァ
*ルネサンス *バロック音楽・1 *バロック音楽・2 *ヘンデル *バッハ
*古典派 *ロマン派 *メンデルスゾーン *そして近代へ。



*むかしむかし 有史以前〜3世紀
 音楽がいつ始まったか、っていうのはわからない。現在世界各地に住む、たとえばブッシュマンなどの原住民たちのもつ音楽からその原初の姿を探ろう、という研究もあるけど、確実なものじゃない。古い壁画からその手がかりを探ろう、という研究もあるけど、資料が少ないので、何ともいえないみたい。
 ハッキリした資料は、いわゆる四大文明から。シュメールやエジプトの遺物からは、リラやハープを演奏している人の姿が確認でき、時代が下るにつれてその種類は増え、いろいろな儀式に使われていたことがうかがえる。

 ギリシア文明の時代になると、数学者として有名なピュタゴラスが登場。彼は音楽家でもあり、弦の長さと振動数の関係を研究してオクターブ(八度音程)、五度音程、四度音程などの音程の分割を行い、「音階」を理論的に編み出した。この音階をもとにして、リディア旋法、フリギア旋法など、いろいろの「旋法」が発展していくことになる。
 「旋法」っていうのは・・・同じ音階のなかでも、音の選び方によっていろいろな性格の音楽が生まれるけど、
その音の選び方を「旋法」って呼ぶの。まあ音階と似たようなものだけれど・・・たとえば、リディア旋法は、仮に現在のイタリア音名で呼ぶと、ドシラソファミレド。フリギア旋法は、レドシラソ♯ファミレ。悲しみや喜びを表すのに、音楽家達はそれにふさわしい旋法を用いて作曲したみたい。
 ギリシアでは、劇場での悲劇・喜劇が発達するにつれ、音楽も大掛かりになっていった。この時代の音楽の譜面も見つかっていて、研究者達がそれを再現したCDも発売されてるよ。

 ギリシアの時代が終わり、ローマ帝国の時代になると、大規模化はいっそう推し進められた。パンとサーカスで大騒ぎの国民だもんね。数百人のオーケストラ、合唱団が編成されたって記述もあるらしいよ。オルガンが発明されたのも紀元3世紀のこの時代。でも、ローマ帝国が分割され、民族大移動によって西ローマ帝国が滅びると、ローマの音楽は歴史の暗黒に飲み込まれてしまった。

*大教皇、聖歌を集大成する 4世紀〜12世紀
 さて、中世の音楽はキリスト教音楽から。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教がヨーロッパに広まって行くにつれ、ユダヤ教の、たとえば詩篇などの音楽もギリシア・ローマの音楽と出会い、形を変えていった。ローマのコンスタンティヌス大帝による「ミラノ勅令」(313年)によりキリスト教が公認されると、キリスト教は全欧州に爆発的に伝播。それに伴い各地でいろいろな賛歌の形式が生まれ、それらの賛歌は公会議でいろいろと規定を加えられながらもさらに発達していく。
 そして「大教皇」と称えられる有名な教皇グレゴリウス1世(在位590-604)によってそれらが集大成された。これが「グレゴリオ聖歌」(正式には「ローマ聖歌」)。実際はグレゴリウス1世聖下がそれらすべてをまとめたんじゃないらしいけど、後世の人がこの教皇様にそれらすべてを仮託したみたい。8〜9世紀にアルプス地方の北部で成立したというのが有力な説。このころはかの有名なシャルルマーニュ大帝(在位768-814)が活躍し、欧州に安定がもたらされた時期。それが聖歌の統一を促したんだろうね。
 この教皇様は典礼音楽の年暦をつくったことでも知られてる。これも後世の仮託らしいけど・・・それだけ偉大なひとだったのかな?

 もちろん、グレゴリオ聖歌だけが唯一のスタイルであったわけじゃなく、各地には、たとえば小アジアを中心にした「東方教会聖歌」や、アフリカで発達したコプト聖歌、アビシニア聖歌といった、独特なスタイルの聖歌もあった。これは現存しており、一聴したらその異国的響きにビックリするかも。でも、これも父なる神をたたえる歌。あ、欧州にも、南仏の「ガリア聖歌」やスペインの「モサラベ聖歌」、ミラノの「アンブロジオ聖歌」のような、グレゴリオ聖歌に属さない独自の聖歌があったみたい。カトリックの総本山・ローマでも、グレゴリオ聖歌よりも古い「古ローマ聖歌」が9世紀まで用いられていたんだって。

 さて、欧州でのこの時代の聖歌は「単旋律聖歌(英:プレイン・チャント)」。まだハーモニーはなく、ひとつのメロディーをみんなで歌うものだった。で、その楽譜も現在に残っている。「ネウマ譜」と呼ばれるもので、最初は単に歌詞の上に音の高さを表す点を書き記しただけのわかりにくさ爆発なものだったけど、後になると横線を一本引いて基準音を定め、さらにそれが二本、三本と増えてより詳細な音階を表すようになっていった。これがさらに発展して今の五線譜になるわけだけど、それによって、古来よりの音楽がもっていたハズの「こぶし」や「ゆらぎ」などのファジーな部分が切り捨てられていった。はっきりした楽譜を持たない日本の伝統的な音楽やイスラムの音楽がそういうところをしっかり現代に残しているのとは対照的だけれど、欧州全域に広がったキリスト教音楽を誰でも演奏できるようにするには、仕方がないことだったのかも。

 このグレゴリオ聖歌は、近年日本でもブームになったから、CDも多い。音程がはっきりわからないし、リズムが確立する前の音楽だから、同じ曲でも研究者の見解によりほとんど別の音楽になっちゃうことも。その歌い方には、フランスのソレムのサン・ピエール修道院で提唱された、「すべての音は同一の長さで歌われるべき」という「等値リズム」説による「ソレム唱法」と、「それぞれの音には長短の区別があったはずだ」という「定量リズム」説のふたつがあって、現在のヴァティカンではソレム唱法が認められている。
 どちらが正しいとは今のところわからない。でもどちらでもうねうねとたゆたう様な、不思議に落ち着く感覚を堪能できるよ。日本の伝統音楽にも通ずるところがあるから、かな。

 この単旋律聖歌はその後長い間歌われてきたけど、そのうち、その聖歌に別の語句を挿入して新しい旋律をつけた「トロープス」や、聖歌中の「アレルヤ唱」のメリスマ(ひとつの音節を長く引き伸ばして歌うこと)の旋律に自由詩をつけた「セクエンツィア」という新しい形式が誕生。また、演奏者も毎日毎日一本の旋律を歌うことにはあきてきた。そこで、旋律を一本増やし、ふたつの旋律を同時に歌う形式の聖歌が誕生した。これを「オルガヌム」という。当時は和声法なんかないも同然だったので、和音は単純な完全四度(たとえばドとファ)、完全五度(ドとソ)で推移することが多く、今聞くとちょっと単純に聞こえるみたい。

 この頃、俗謡も発達し、各地に吟遊詩人(トルバドゥール)が現れてさまざまな武勲詩や愛の歌を歌った。武勲詩は十字軍とともに発達した。12世紀になって女性の地位が向上し、「恋愛」という概念が確立すると、愛の歌も爆発的に広まる。南仏に生まれたトルバドゥールは北フランスに伝播すると「トルヴェール」と呼ばれ、少し時代が下ってドイツにいくと「ミンネゼンガー」と呼ばれた。
 また、聖書の物語を音楽劇形式に仕立てた「典礼劇」が発達。『ダニエル劇』はその中でももっとも有名なものね。詳しくはこちら

 12世紀にもなると、リズムの概念が生まれ、それが記譜にも反映されるようになる。「定量記譜法」というんだけど、これで、これまでの音階に加え拍の長さまで記入できるようになった。そして、この頃から、作曲家の名前が史上に残るようになる。最初期の女性作曲者として知られる修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは12世紀に活躍したけど、彼女の作ったセクエンツィアやトロープスは今に遺されていて、CDも出てるよ。

*ノートルダム楽派、そしてアルス・ノヴァへ 12世紀〜14世紀
 12世紀、ノートルダム大聖堂レオナン(レオニヌス)ペロタン(ペロティヌス)らによりオルガヌムは3〜4声に拡大され、定量リズムが確立された。彼らによる音楽を「ノートルダム楽派」と呼ぶ。この時代、音楽はいろいろと革新的な手法が試みられ、ひとつの聖歌の上にまったく別の言葉を重ねて歌う「モテトゥス」などのへんてこな音楽も出てきた。
 このモテトゥスは、たとえばラテン語の聖歌の上にラテン語、またフランス語の歌詞を重ねて同時に歌うような形式。また声部が増えてくると和声法も発達し、3度(たとえばドとミ)・6度(ドとラ)の和音が見られるようになってきた。
 その中、14世紀に「アルス・ノヴァ(新しい技法)」という音楽潮流が生まれる。この呼び名は、フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361)が著した、リズム分割や記譜法についての理論書の名にちなむ。これと対比するために、それまでの音楽を「アルス・アンティクヮ(古い技法)」と呼ぶ。この時代の音楽家達は、「アルス・ノヴァ」の名に恥じないさまざまな新奇性に富む音楽を生み出した。モテトゥスも発達し、聖歌の上に世俗歌を重ねて歌うことも珍しくなかったみたい。いいのかなそんなことして。

 この時代の音楽はとにかくハチャメチャで、今聴いても刺激的。CDはいろいろ出ているので、聴いてみて。
初期のものは「ゴシック期」「ノートルダム派」がキーワード。
個人的には、ペロティヌスの「ヴィデルント・オムネス」「セデルント・プリンチペス」は圧倒的。

 この時代に書かれた詩集で有名なのが『カルミナ・ブラーナ』。11世紀後半から13世紀初期に作られた社会風刺の歌を集めたもので、1220〜30年ごろ、バイエルンにあるベネディクト会のボイレン修道院で書かれた。そのいくつかにはネウマ譜が付けられ、そのほかの大半の詩も、ほかの詩集や楽譜の譜例からある程度復元が可能。
 カール・オルフがこの詩集からの抜粋に独自の曲をつけたものが有名だね。冒頭とトリに置かれた「おお、運命の女神よ」のインパクトは大。いきなりティンパニがドンと鳴って、
「オー、フォルトゥーナ!ヴェールート・ルーナ!スタートゥ・ヴァリアビッリ〜〜〜〜ス!!」
の絶叫だもんね。

 それから、アルス・ノヴァの精華とも言うべきギヨーム・ド・マショー(c.1300-1377)という大作曲家が出現する。数多くの宗教音楽と世俗音楽を作った彼は、現存する最古の連作ミサ曲「ノートルダム・ミサ」を作曲したことで知られてる。
 連作ミサというのは、ミサ典礼に使用される通常文すべて、つまりキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイに一人の作曲家が作曲した作品のこと。このミサ曲は、複雑なリズムに不協和音も含む大胆な音の動きが縦横に絡み合う大作で、現在でも愛好者が多いよ。
 ハーモニック・レコード・レーベルのアンサンブル・ジル・バンショワ盤がステキ。入手しやすいのはナクソス・レーベルのオックスフォード・カメラータ盤かな。ハルモニア・ムンディ・フランスのアンサンブル・オルガヌム盤はこぶし効かせたど演歌調ミサでトンデモ面白い。

 14世紀末、アルス・ノヴァの極地ともいえるスタイルが南仏やイタリアで花開く。その名も「アルス・スブティリオール(より繊細な技法)」。
 イタリアの美しい旋律と、まるで現代音楽のような込み入った複雑リズムが混合する、演奏するのも至難の超絶技巧曲が次々に作られ、さらにそれだけでは飽き足らなくなって、「ハート形の楽譜」のような視覚にも訴える作品も出てきて、まさに「行くとこまで行っちゃった」という感じ。人に聞かせるものではなく、仲間内で演奏して楽しむものだったみたい。アルス・ノヴァはここに頂点を迎え、音楽はまたその形を変えていくことになる。

 そして、時代は15世紀、ルネサンスへ。音楽の殿堂はフランスから東へと移る。




戻る