《ピルグリム・イェーガー》覚え書き・その他


その他。


聖句などについて:


第1巻裏表紙:グローリア(栄光の賛歌)
 ミサの式次第において「キリエ(あわれみの賛歌)」の後に来る賛歌で、
三位一体の主なる神をたたえる内容。
4世紀ごろに東方で成立し、ローマではクリスマスに限定して歌われていたが、
その後いろいろな儀式に使われるようになり、ミサ典礼にも採用された。
どのミサにおいても使用される「通常文」と呼ばれるテクスト。ただし死者のためのミサには用いられない。

 一般に「ミサ曲」とよばれる作品では、典礼文の中の
「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス&ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」
の五つの賛歌に曲をつけてある。これが一人の作曲家によりおこなわれたものを「通作ミサ」といい、
現存する通作ミサの最古のものは、ギヨーム・ド・マショー(c.1300-1377)作曲の《ノートルダム・ミサ》。
*誤植・脱字・脱語多し。わざとかー?

 

汝 今宵の鶏鳴を待たずして
三度我を否むべし
*マタイ福音書26章34節。
「たとえ皆が貴方を裏切っても、私は決して貴方を裏切らない」
と言ったペテロに対し、イエスが言った言葉。
ペテロはイエスの逮捕後、人から追及されるとそのたびにイエスのことなど知らないと言い、
それが三度繰り返されたのち鶏が鳴くと同時にイエスの言葉を思い出すと、
建物の外に出て激しく泣いた。

「我はペテロを蔑する者なり」
イエスの十二弟子の筆頭で、イエスより
「あなたはペテロ(岩の意味)。私はあなたの岩の上にわたしの教会を建てる」
と言われた、初代ローマ教皇とされるペテロを蔑するということは、
すなわち教会、ローマ・カトリックを否定すること。
(ただし、主なる神は否定しない)

 

われら生のただ中にありて(Media vita in morte sumus)
*退魔時にアデールの歌う賛歌。
聖務日課で、祈祷あるいは聖書朗読のあとに歌われる答唱(レスポンソリウム)として用いられる。
スイスにあるザンクト・ガレン修道院の修道士ノトケル・バルブルス(c.840-912)作と伝えられ、
各地に広く流布した。

*有名なものだったために、古来多くの作曲家がこのテクストに曲をつけている。
アデールが歌ったであろうグレゴリオ聖歌で聴くならば、東芝EMIレーベルの
『シロス修道院合唱団・グレゴリアン・チャント・ベスト』(TOCE−59705)
のCDが2003年発売と最近のものなので、それを探すのがいいだろう。
トラック14の「答唱:われら、死への道程の半ばに(第4旋法)」
がそれ。
Media vita in morie sumusは誤植。
キリストは私達のため、死に至るまで従順だった
それも十字架の死に至るまで
そのために神はキリストを高く上げ、彼に名を授けられた
他のあらゆる名よりも優れた名を

*新約聖書・ピリピ人への手紙2章8−9節。

*ミサ典礼の昇階唱(グラドゥアーレ)として用いられる。
聖書書簡朗読に対して歌われた。

*近年だとブルックナー作曲のが有名かも。

*グレゴリオ聖歌として聴くならば、すぐ上で挙げたディスクのトラック12、
「昇階唱:キリストはわれらがため死のもとにすら(第5旋法)」
がそれなので、どうぞ。

 

神よ 何ぞ我を見捨てたもうや(エリ・エリ・ラマ・サバクタニ)
*十字架上のイエスの七つの言葉のひとつ。
マタイ福音書27章46節、マルコ福音書15章34節。
これは旧約聖書の詩篇第22の引用(第1節)。
我 渇きぬ
*十字架上のイエスの七つの言葉のひとつ。
ヨハネ福音書19章28節。
これは詩篇第22・15、42・1、63・1、143・6などと関連付けられるだろうか。

 


第2巻裏表紙:クレド(信仰宣言)
 「クレド」はこのテクストの冒頭の言葉。「私は信ずる」という意味。
ラテン語は人称や時制によって活用形が全て違う(一つの動詞に活用形30以上!)ため、
動詞の活用形だけで主語がわかる。

 325年のニカイア公会議、
および381年のコンスタンティノープル公会議により採用された、カトリックが信ずべき教義の精髄。
元々は異端アリウス派に対するカトリックの信条確立のために作られた。
少なくともカトリック信者はこれを覚えていないと話にならない。
ていうかクリスチャンと認められない。
昔は、一人前になるには必死こいてこれを覚えなければならなかった。運転免許みたいなもんか。


 ミサ典礼・通常文。グローリアを歌い終わったあとなんやかんやあり、それから福音書朗読に続いて歌われる。
*誤植・脱字・脱語多し。わざとかー?

 


第3巻裏表紙:スターバト・マーテル
(聖母マリアの七つの苦しみの祝日のセクエンツィア)
B.M.V.とは、Beata Maria Virgine、「祝福されし乙女マリア」の略。
聖母マリアの七つの苦しみとは、
「預言者シメオンによるイエス受難の預言」
「ヘロデの嬰児虐殺によるエジプト逃避」
「12歳になったイエスを神殿で見失った」
「ゴルゴタの丘へ十字架を背負ってゆくイエスを見た」
「イエスの架かった十字架の下に立った」
「十字架降下」
「イエス埋葬」

の七つの場面をさす。

 13世紀イタリアの修道士、ヤコポ・デ・トーディ作といわれる詩。
十字架の下で悲しむ聖母マリアに対する祈りを詠う。
「スターバト・マーテル」というと一般的にはこの「スターバト・マーテル・ドロローサ(悲しみの御母は立てり)」を指すが、
「スターバト・マーテル・スペチオーサ(輝きの御母は立てり)」という、幼児イエスの傍に立つマリアをたたえた賛歌もある。

13世紀後半から各地で用いられ、日常の聖務日課で使われるようになった。
ジョスカン・デプレ、パレストリーナ、そしてペルゴレージら名だたる作曲家がこの詩に素晴らしい曲をつけている。
一旦はトリエント公会議で退けられたが、
1727年、カトリックの公式ミサ典礼曲に「セクエンツィア(続唱)」として新たに採用され、
「聖母マリアの七つの苦しみの記念日」と「聖母マリアの七つの苦しみの祝日」に行われるミサで歌われることとなった。
それ以降では、ロッシーニ、ドヴォルザーク作曲のものがよく知られている。
セクエンツィア・・・元来は、賛歌の「アレルヤ唱」の長いメリスマのこと。
10世紀前後、この部分に別の賛歌の歌詞を当てはめて歌うことが流行し、この歌の形式を「セクエンツィア」と
呼ぶようになった。非常に多くのセクエンツィアが生まれたが、
ルターの宗教改革に対抗するために召集された「トリエント公会議(1545〜1563)」にて、
そのうちの4つ
*復活祭のための「ヴィクティメ・パスカリ(過越しのいけにえ)」
*聖霊降臨祭のための「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス(来たれ聖霊よ)」
*聖体の祝日のための「ラウダ・シオン(シオンよ主を讃えよ)」
*死者のためのミサのための「ディエス・イレ(怒りの日)」
のみが公認されていた。
このうち最も有名なのは、死者のためのミサで使われる“Dies irae(ディエス・イレ、怒りの日)”。
モーツァルトやヴェルディ、フォーレ作曲のものはつとに有名。
「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス」は、《修道士カドフェル》のオープニング・テーマに使用されていた。
中盤以降、テクストによりかなりの相違がある。各地に伝わって行くうちに、
また年を経過するごとに徐々に変わっていったものか。
*いきなりSequentiaのSを抜かしている。毎回思うが、わざとか?

 

事物の祖にして創造主なる神は・・・
*悪魔憑きが牢獄の壁に書き残した血文字は、
ローマの修辞学者・教育家であるマルクス・ファビウス・クインティリアヌス(c.35-95)の
“De Institutione Oratoria(弁論術教程)” 第2巻17章2節よりの引用。
くわしくはこっち見て。

 

主の天使は出でて彼を迎え彼の魂を受け取りて・・・
*祈祷文、死者のための祈りより「霊魂肉身を離れたる後の祈」
天主の聖人は来りてかれを助け、主の天使は出でてかれを迎え、
かれの霊魂を受け取りていと高きにまします天主の御前に献げ給わんことを。
かれの招き給えるキリストはかれを受け取り、天使は天国にかれを導き給わんことを。
主の天使はかれの霊魂を受け取りていと高きにまします天主の御前に献げ給え。
*主よ、永遠の安息をかれに与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。
主あわれみ給え。
*キリストあわれみ給え。
主あわれみ給え。
主祷文:
天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、
御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるる如く地にも行われんことを。
*われらの日用の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
主よ、永遠の安息をかれに与え、
*絶えざる光をかれの上に照らし給え。
かれの安らかに憩わんことを。
*アーメン。
主よ、わが祈りを聴き容れ給え。
*わが叫びを御前にいたらしめ給え。

祈願:
主よ、世を去りたるこの霊魂を主の御手に委せ奉る。
かれが世にありし間、弱きによりて犯したる罪を、大いなる御あわれみもて赦し給え。
われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

注:「*主よ、永遠の安息をかれに与え・・・」など斜文字部分は、会衆が唱える。
そのほかは司祭が唱える。


(公教会祈祷文、カトリック中央協議会編1962年21版)
 
主よ 憐れみ給え
キリスト 憐れみ給え
主よ 憐れみ給え
*ミサ典礼文の通常文、キリエ(あわれみの賛歌、求憐唱)のテクスト。
通常、ミサの冒頭に歌われる。
ほかの典礼文はラテン語だが、これのみギリシア語。
キリスト教初期、東方でおこなわれていた古い典礼の名残をとどめている。

主よ 憐れみたまえ(Kyrie eleison)
キリストよ 憐れみたまえ(Christe eleison)
主よ 憐れみたまえ(Kyrie eleison)


グレゴリオ聖歌など、古い時代には各行をそれぞれ三回繰り返して歌う。
これは三位一体をあらわすため(と聞いたことがある)。
時代が下ると、それにはとらわれない曲がつけられるようになった。

 

復讐するは彼にあり
彼これに報いぬ
*新約聖書・ローマ人への手紙12章19節
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」
より。その典拠は旧約聖書・申命記32章35節、
「わたし(神)はあだを返し、報いをする」である。

*「わたし」を「彼」と人称を言い換えていることから、
あのような状態でも主なる神を憚っていることがわかる。

 

今宵汝らは我につまずかん

汝かくひとときも我とともに目を覚ましおること能わぬか
*それぞれマタイ福音書26章31節、40節。
前者は、最後の晩餐でイエスが弟子達に言った言葉。
弟子達がイエスの逮捕で逃げ散ってしまうことを予言した。
後者は、イエスとその弟子たちが晩餐の後オリーブ山中のゲッセマネの園に赴いたとき、
イエスが弟子達から離れて一人祈ったのちに戻ってきたところ、
ペテロをはじめとして皆眠り込んでいたためにイエスが言った言葉。

*イエス受難前の弟子達は揃いも揃ってDQNであり、
弟子達の長であるペテロすらも、イエスから
「サタンよ、引き下がれ」(マルコ福音者8章33節、マタイ福音書16章23節)
と言われたことがあるほど。
(ただしこの時は、自らの受難の予言を行うイエスをいさめようとしたもので、
やや仕方がない面もあるが)

第4巻裏表紙:おお、燦然と輝く乙女よ
(甘き調和にしていとも甘きモンセラートの乙女マリアのアンティフォナ)
*スペインのモンセラート修道院で14世紀に編まれた、10曲からなる『モンセラートの朱い本』よりの一曲。
モンセラート修道院には「黒い聖母(ラ・モレネータ)」と呼ばれる聖母マリア像があり、
この曲集はその聖母マリアに捧げるために作られた。
信者や巡礼者により、時には踊りも交えて歌われたものと思われる。
おお、燦然と輝く乙女よ、ここ高き山の上は
奇跡的な驚異により光り輝き、
あらゆる地の信者が登るところ。
ああ、御身の優しき愛の目によりみそなわしたまえ、
罪の縄目に捕われし者たちを、
彼らに地獄の一撃を与えたもうな、
御身のとりなしにより、祝福されし者とともにあらしめたまえ。
だいたいこんな意味?
旋律を知りたければこちらへ。MIDIギャラリーの“Llibre Vermell de Montserrat”のところにある。

 

大胆に罪を犯せ
*宗教改革者マルティン・ルター博士の言葉。
「罪人であれ。大胆に罪を犯せ。されどさらに大胆にキリストを信じ、喜ぶべし。
彼こそ罪と死と現世の勝利者なれば……
大胆に祈れ。最も大胆な罪人となれ」

彼の最大の協力者であったフィリップ・メランヒトン博士への手紙に、彼はそう記している。
細々とした罪の規定を恐れ縮こまって暮らすことは、キリストを信ずることにはつながらない。
大胆に生きれば、その上で罪を犯すかもしれない。しかし罪に直面し、苦難を前にした時こそ人は神を感じることができる。
それでこそ、いっそう人間は神を信じ、喜ぶことができるのだ。

第5巻裏表紙:キリエ(あわれみの賛歌、求憐唱)
*上にあるので、そちらを。

かくも偉大なる秘跡を伏し拝めよ・・・
*ザビエル君が歌ったのは、一般に《タントゥム・エルゴ》と呼ばれる聖歌。
もとは聖トマス・アクィナス(c.1225〜74)によって作られた《パンジェ・リングァ(いざ歌え、わが舌よ)》と呼ばれる詩の最後の部分。
《パンジェ・リングァ》は長いので、後世、この部分だけを取り出して歌われるようにもなった。
キリストの聖体の祝日のための讃歌。


Tantum ergo sacramentum (タントゥム・エルゴ・サクラメントゥム)
veneremur cernui (ヴェネレムル・チェルヌイ)
et antiquum documentum (エト・アンティクウム・ドクメントゥム)
novo cedat ritui, (ノヴォ・チェダト・リトゥイ)
praestet fides supplementum (プレステト・フィデス・スップレメントゥム)
sensuum defectui. (センスウム・デフェクトゥイ)

Genitori genitoque (ジェニトリ・ジェニトークウェ)
laus et jubilatio (ラウス・エト・ユビラツィオー)
salus, honor, virtus quoque, (サルス・オノル・ヴィルトゥス・クウォクウェ)
sit et benedictio, (スィト・エト・ベネディクツィオ)
procendenti ab utroque (プロチェンデンティ・アプ・ウトロークウェ)
compar sit laudatio. (コンパル・スィト・ラウダツィオー)
Amen. (アーメン)
かくも偉大なる秘跡を
伏して拝まん、
古の式は過ぎ去り、
新しき祭式は立ち現われたり。
願わくば信仰が、
五官の不足を補わんことを。

父と子に
讃美と歓喜、
救いと誉れと力と
祝福あれ。
二位より出でし聖霊も、
またともに讃えられたまえ。
アーメン。

一人で歌うならグレゴリオ聖歌だと思う。旋律を聴きたい人はこちらとかこちらへ。たくさんの種類がある。
この旋律に乗るザビエル君の歌声を想像せよ。
数多くの作曲家がこれに曲をつけている。モーツァルトやシューベルトというところも作曲。
フォーレ作曲のものが比較的入手しやすいか。
ブルックナーのもきれいだが。

我が心いたく憂いて死すばかりなり

剣とる者剣にて滅ぶべし
*ともにオリーブ山ゲッセマネの園でのイエスの言葉。
前者は、自らに迫る受難の運命に苦悩するイエスが弟子達に眠らずにおれと命じ、
彼らから離れて主に祈りに行く前に発する。マタイ福音書26章38節、マルコ福音書14章34節。
イエスは一人で祈った、
「わが父よ、もし得べくば、この杯をわれより取り去りたまえ。されどわが思いにあらず、
汝の御心のままになしたまえ」
彼が戻ってくると、弟子達はみな眠りこけていた。イエスは彼らを叱り、もう一度祈りに行った。
「わが父よ、この杯、われ飲までは去りがたしとならば、汝が御心を成らせたまえ!」
彼が戻ると、弟子達はまた眠り込んでいた。イエスはもう一度祈りに行き、
戻ってくると弟子たちを起こして言った。
「見よ、われを売るもの近づきぬ」
そのとき、イスカリオテのユダが、祭司長や民の長老らに遣わされた群集を率いてやってきた。

*後者は、イスカリオテのユダの手引きによりイエスが逮捕されたのに怒った弟子のひとり
(ヨハネ福音書によれば、ペテロ)が剣を抜き、大祭司の下僕に斬りかかってその耳をそぎ落とした時に、
彼を制するために発した。マタイ福音書26章52節。
イエスが逮捕されると、弟子達はみな、イエスを捨てて逃げ去った。

*馬がしゃべった時ロヨラさん驚いてましたが、
聖書ではロバがしゃべったこともあるし(民数記22章28節、30節)、
そう驚くでない。
聖ヨハネ讃歌
*「天路歴程」で紹介されていた、
イタリア音名、そして階名にも用いられる「ドレミ」のもとになった讃歌。

Ut queant laxis (ウト・クウェアント・ラクスィス)
Resonare fibris (レゾナーレ・フィブリス)
Mira gestorum (ミラ・ジェストールム)
Famuli tuorum (ファムリ・トゥオールム)
Solve polluti (ソルヴェ・ポッルーティ)
Labii reatum (ラビイ・レアートゥム)
Sancte Iohannes (サンクテ・ヨハンネス)
読みは標準的なイタリア語訛りで。

その単旋律聖歌のメロディーはこちら
[ドーレーミー・レーミーレー
レーレーミ(ド)ーレー・ミーミー
ミファソー・ファーレーミードーレー
ファーソーラー・ソーファーミレレー
ソラソーファソ(ミ)・ファーソーミー
ラーソーラー・ファソラーラー
ソーファーミレドー・ミーレー]
・・・自分の持っている写しの譜にはこうなっていたけど、
検索してみたらところどころ違うみたい。

詳しくは2005年12月号の「天路歴程」にて解説されている。
補足すると、作詞者は8世紀の僧パウルス・ディアコーヌスと伝えられる。
聖ヨハネとは、イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネのこと。
この詩は全14節で、この部分はその第1節。
洗礼者ヨハネの受胎から誕生、成長とその生涯の功績を讃えている。
全文はこちらを参照。







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