《ピルグリム・イェーガー》覚え書き3


Hoc audito Iesus ait illis non necesse habent sani medicum sed qui male habent non enim veni vocare iustos sed peccatores.

(イエスはこれを聞いて言われた。「丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」
―――マルコ福音書2.17)


七つの大罪者。


七つの大罪者:

サヴォナローラの「フラーテの予言」の遂行者。
「七つの大罪」を象徴する動物の名を名乗り、それぞれの教団を率いてローマ焼却を目指す。
「聖別」の力をもつ聖遺物である「十二使徒の聖杯」のいずれかを持つ。
彼ら七人は一度死んで生き返った者で、史実では、1521年時にはみな世を去っている。

動物: 名前: 罪の象意:
孔雀
(プファウ)
ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ 情欲
(ビガーデ)
 1463−1494。
 人文学者・哲学者。
 北イタリアの小都市ミランドラの領主の息子として生まれる。
 フィレンツェのプラトン研究アカデミーに学び、23歳で20ヶ国語を習得、当時知られていたあらゆる哲学・宗教・秘教に通じていた。
『人間の尊厳について』にてルネサンスの新しい人間観を提示する。
 神秘主義にも造詣が深く、鳥占、腸卜の研究を行い、またカバラを用いてアリストテレス哲学とプラトン主義を綜合しようとした。
「魔術とカバラはキリスト教を補足しあうものだ」という考えからユダヤのカバラをキリスト教化し、ヘルメス思想を組み合わせることで、
ルネサンス魔術体系の確立に貢献した。
 ロレンツォにサヴォナローラを推薦したのも彼。

 すべての哲学体系の統合を目指し、1486年にローマにおいて哲学・神学に関わる討論会を組織するべく運動した彼は、
その内容のうちいくつかが異端的なものであるとされ(当時の教皇はインノケンティウス8世)、弾劾される。
さまざまな原典から引用した900(実際は899だったらしいが)にも及ぶ論文の冒頭にあったのが、『人間の尊厳について』。
それもまずかったが(当時、人間に尊厳などなかった)、一番まずかったのは「魔術とカバラはキリスト教を補足しあうものだ」
という論だった。宗教会議で有罪が言い渡されるとピコは逃亡、フランスに亡命したが、そこで捕らえられてしまう。
しかしこのとき、ロレンツォ・イル・マニフィコやシャルル8世の援助で釈放され、フィレンツェに戻った。
 のちに神秘的な学説に興味を持つ教皇アレクサンデル6世は彼を許した。
 フィレンツェのみならず、各地の数多くの文化人に影響を与えた若き天才だった(のちの教皇レオ10世、ジョヴァンニ・デ・メディチも教えた)が、1494年、フィレンツェにて死亡。死因は不明。毒殺説が有力。

 その姿はボッティチェッリ作の『マギの礼拝』の中にもロレンツォ・イル・マニフィコのそばに描かれている。
美青年として有名だったようだ。
『人間の尊厳について』は日本語訳が出ており、お金さえ出せば読めるぞ。
国文社・アウロラ叢書シリーズで、4500円+税だ。
さあ、キミもアルベルティ市警と一緒に「ふうむ・・・斬新な・・・」とつぶやこう!

作品では、生前と同じく若き美青年として登場。
人を食う「バルトロマイの聖杯」を操り、ウルビーノ公フランチェスコに「立証者」としての「聖別」を行う。
「情欲」を司る「孔雀」の名を名乗り、フランチェスコさまは彼にもうメロメロのようです。

ちなみに、イタリア語出版物の優れた日本語訳に与えられる賞を、「ピコ・デッラ・ミランドラ賞」という。
もひとつ、イタリアに関する日本人の優れた著作に与えられる賞は、「マルコ・ポーロ賞」。
獅子
(レオーネ)
傲慢
(ホッファート)

(ヴォルペ)
強欲
(アンフォイシャイト)

(オルソ)
怠惰
(トラカイト)

(ポルコ)
暴食
(フレッセレイ)

(スコルピオーネ)
嫉妬
(ナイド)
一角獣
(アインホルン)
憤怒
(ツォーン)

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