《ピルグリム・イェーガー》覚え書き1


 Vae vobis duces caeci qui dicitis quicumque iuraverit per templum nihil est qui autem iuraverit in aurum templi debet.
Stulti et caeci quid enim maius est aurum an templum quod sanctificat aurum.

(盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなた方は言う、
「神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果たす責任がある」と。
愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか―――マタイ福音書23.16−17)


サヴォナローラ、ローマ教皇、三本の釘について。


まずは、この物語の元凶の人物から。

ジローラモ・サヴォナローラ:

*1451−1498。
 フェッラーラ生まれ。ドメニコ会修道士となり、フィレンツェのサン・マルコ修道院へ。一度フィレンツェを離れるも復職し、91年、同修道院長となる。
ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラの推薦でロレンツォ・イル・マニフィコに紹介され、ロレンツォも彼を信頼、臨終にも立ち会わせた。
ミケランジェロやボッティチェッリにも影響を与え、後者はサヴォナローラをとくに心酔していたという。
 さてサヴォナローラはフィレンツェで絶大な権勢を誇っていたメディチ家を批判する説教を行い、市民に支持される。
ロレンツォの死後、後継のピエロ・ディ・メディチの失政に乗じて市民を扇動、メディチ家をフィレンツェより追放して市政を握る。
その神権政治は清廉をきわめ、97年には「虚栄の焼却」と称して美術品・嗜好品・書籍を徴発し、シニョーリア広場で焼いた。
また、ローマ教皇庁をも非難したために教皇アレクサンデル6世から破門される。彼もこれに対抗して「教皇を破門した」ために、
フィレンツェ周辺は不穏な空気に包まれた。
市民もさすがについていけなくなり、ついに反対派により、自身の正当性を証明するための「火の審判」を挑まれる。
市民の見守る中で燃えさかる火の中を歩き、神の加護があるかどうかを試みるのだ。
しかし彼は代理の修道士を立てた。反対派も代理人を立て、さて始めようとしたとき、サヴォナローラ側の修道士が聖体を持っていたのに気づいた反対派が、
「聖体を持って火の中に入るなど!聖体を試みるなど言語道断である」
と批判。サヴォナローラ側がこれに対抗したため神学上の議論が起こり、それが長引いて日が暮れ、火の審判は中止となった。
怒った市民は次の日サン・マルコ修道院に殺到、ついにサヴォナローラは逮捕投獄、拷問により罪を認めさせられ、即刻死刑が宣告された。
 1498年5月23日、サヴォナローラは「虚栄の焼却」を行ったシニョーリア広場にて絞首された。
その瞬間、かつて歓呼して彼を支持した市民は、罵声を浴びせつつ彼の亡骸に石や汚物を投げつけた。
そして薪に火がつけられ、彼の亡骸は炎に包まれた。

・・・なので、作品中のように彼が燃えさかる炎の中で叫ぶことはできないのでした。
 しかし彼が予言によって市民の支持を得たことは事実で、ピエロ・ディ・メディチがフランスに攻められ講和、という事態は事前に予言されていたことだった。
「近いうちに遠国から大王がやってきて、フィレンツェの小王は放り出されてしまうだろう」と。
それゆえ、市民は彼を信じ、彼の言うことには、たとえ苛烈ともいうべき禁欲命令にも従った。しかし、それが長続きするわけはなかったのだが。

 物語では予言者という一面が強調されており、「フラーテの予言」と呼ばれる、「ローマが焼却の罰が下る」という予言を発している。
そして、「七つの大罪者」がローマ焼却の罰を実行し、「三十枚の銀貨」がそれを阻止すべく戦い、また「立証者」がそれを見守る、と。
史実と違い生きながら火刑に処せられているが、その際、自らを焼く炎を放ち、「三十枚の銀貨」たちに目印の烙印を押した。
オカルティックな人間になってるな。


ローマ教皇:

天国の鍵を持つ使徒ペテロの後継者にして「神の代理人」。
ローマ司教、全カトリック教会の最高司祭、西欧総大司教、イタリア首座大司教、ローマ管区首都大司教、現在ではバチカン市国元首。
しかし、その聖なる権力とは裏腹に、このころの教皇は世俗の権化だったが・・・

レオ10世 ジョヴァンニ・
デ・メディチ
1475−1521。
ロレンツォ・イル・マニフィコの次男として生まれ、フィレンツェの学者から教育を受ける。
ピコ・デッラ・ミランドラからは人文主義的教育を受けたようだ。
十六歳で枢機卿となる。
1494年、ジューリオと共にフィレンツェから追放され、諸国を転々。賞金稼ぎから逃げ回る毎日だった。
1512年に神聖ローマ皇帝の力を借りフィレンツェに復帰、さらに自らが教皇となってメディチ家の権勢を極める。

ローマ教皇一の浪費家として知られる。
また、宗教改革を行い、免罪符の発行を奨励、その結果マルティン・ルターと対立した。
1521年、マルティン・ルターを破門、彼を攻撃したイングランド王ヘンリー8世に「信仰の擁護者」の称号を与え、
その年に亡くなった。
ラファエッロのパトロン。
クレメンス7世 ジューリオ・
デ・メディチ
1478−1534。
物語開始時は、レオ教皇の右腕である枢機卿(カルディナーレ)。
様々な陰謀に参加する一方、〈フラーテの予言〉に対抗するべく、
〈三本の釘〉を結成させる。
〈三本の釘〉の上に立ち、陣頭指揮を執る。(公式ページより)


1521年にレオ10世が亡くなった後ハドリアヌス6世が1年のみ在位、死去した後を受け、
(何でもレオ10世が亡くなったときにローマにおらず、帰るのが遅れて教皇になりそこなったそうだ)
1523年クレメンス7世として教皇となる。

フランス、神聖ローマとの間で同盟、同盟破棄をくり返す二又外交を展開、
しかし1527年、神聖ローマ皇帝カール5世による「サッコ・ディ・ローマ(ローマ略奪)」を招き、
一時囚われの身となった。
のち和解し彼の戴冠式を行い、メディチ家のフィレンツェ復帰に力を借りた。

自ら博識で鳴らした彼は、
ミケランジェロ、ラファエッロ、ベンヴェヌート・チェッリーニ、マキャヴェッリ、そしてコペルニクスら、
偉大なる芸術家・学者たちのパトロンだった。

作品中での彼の作画は、ウフィツィ美術館蔵のラファエッロ作の肖像画(枢機卿時代)を元にしているようだ。

三本の釘(トレ・チオード):

三本の釘とは、キリストを十字架にはりつけた右手・左手・両足の三本の釘のこと。

聖遺物である「三本の釘」をもつ三人の枢機卿。
「三十枚の銀貨」を使役し、フラーテの予言阻止のために暗躍する。
各々、他人の意識を読む能力をもつ。

左手の釘:
(チオード・マノ・シニストラ)
ベルナール・
ギィ
ドイツ出身。異端審問官から枢機卿となった男。
相手の思考を読む力を持ち、〈蛇〉の異名で呼ばれる。
〈フラーテの予言〉に記された〈三十枚の銀貨〉を
探し出すことを最初の任務とする。(公式ページより)

史実の異端審問官ベルナール・ギィはもっと昔の人物なので、
彼は偶然同姓同名なのか、その苛烈さからベルナールのふたつ名で呼ばれているのだろう。
でもドイツ人ならベルナールではなくベルンハルトのはずだし、やはり職業柄の通称だろうか。
右手の釘:
(チオード・マノ・デストラ)
カタリナ・
ヴァレンティノ
スペイン出身の女性。
前々代の教皇アレクサンデル6世の「余興」として、
女の身でありながら枢機卿の帽子を授けられる。
相手の想念を読みとる力を持ち、
〈フラーテの予言〉に遺る諸々の〈想念〉を解読することを最初の任務とする。
(公式ページより)


 スペイン出身で、教皇アレクサンデル6世と縁が深く、現在エステ家に所属している、
となると、彼女はボルジア家、もっといえばルクレツィア・ボルジアに従っていたのだろう。
ルクレツィアはフェッラーラ公アルフォンソ・デステの妻であった。
両足の釘:
(チオード・ディ・ピエーデ)
アレッサンドロ・
デ・メディチ
フィレンツェ、メディチ家の少年。
レオ10世の嫡子だが、名義上は甥となっている。
両足に聖痕を持ち、歩けない。
相手の記憶を探る力を持ち、
〈フラーテの予言〉を巡る人間たちの駆け引きを調停し、
各々の役割を定めることを最初の任務とする。
(公式ページより)


1511−1537。
ウルビーノ公ロレンツォの嫡子として育つが、その出自は不明で、
教皇クレメンス7世(ジューリオ・デ・メディチ)の子という説が有力。
1523年、クレメンス7世が位に就くとフィレンツェの統治を従兄弟のイッポリト・デ・メディチとともに任され、
枢機卿を後見につけられる。
1527年のサッコ・ディ・ローマによりフィレンツェを追放されるも、
1531年に神聖ローマ皇帝カール5世の助力によりフィレンツェに復帰、
32年、大公の位に就く。
クレメンス7世の生前は人望篤かったが、彼の死後は専制的で粗野になったようで、
37年、若くして反対派のロレンツィーノ・デ・メディチに暗殺されてしまった。享年26歳。

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