夜は過ぎ去り、
昼がやってきた。
だからわれらは闇のわざを脱ぎ去り、
光の武具を身にまとおうではないか。
(ローマ13:12、第7曲合唱のテクスト)
「こいつは交響曲では?」とお思いでしょうが、正式名称は「聖書の語句によるシンフォニー・カンタータ」、よってカンタータ扱いにしています、この図書館では。
1840年、ライプツィヒにおいてヨハネス・グーテンベルクによる活字印刷発明400周年を記念する催しが開かれることとなり、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団首席指揮者のフェリクス・メンデルスゾーンに祝典曲の依頼が舞い込んだ。フェリクスはそれに応じて2つの作品を完成させた。「祝典歌(Festgesang)」と、この「讃歌(Lobgesang)」である。「祝典歌」のほうは今日聴く機会はないに等しいけれども、その旋律は、クリスマスには欠かせないキャロル「あめにはさかえ(Hark!
The Herald Angels Sing)」に用いられ、馴染み深いものとなっている。2曲は6月25日、聖トーマス教会においてフェリクスの指揮で演奏された。「讃歌」は、その後同年9月23日にイングランド・バーミンガム音楽祭で、12月3日と16日にライプツィヒ・ゲヴァントハウスでも演奏された。
「讃歌」は、作曲中だった交響曲に加筆して第1部とし、第2部は、グーテンベルクによる最初の活版印刷本がマルティン・ルターによるドイツ語訳聖書だったことから、テクストをそれから採り、アリア・合唱、コラール織り交ぜたカンタータとした。長大なオーケストラ前奏付きの宗教的カンタータといった趣。「第九のパクリじゃん」というより、「オーケストラもアリアも合唱も一度に聴ける、一粒で二度おいしい、お祭りにふさわしい1曲」といえるでしょう。(第九は合唱がメタメタでも許されるが、これは、合唱がヘボだと聴いていられない)12月のライプツィヒでの再演時には、フェリクスは例によって曲に改変を加えた。二重唱「それゆえわたしは歌をうたい」を改訂し、テノール・ソロ「主はわれらの涙の多きをはかり」「われらは闇のうちに叫べり」を追加、曲に劇的要素を加えた。
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リッカルド・シャイー | ゲヴァントハウス合唱団 ライプツィヒ歌劇場合唱団 |
ライプツィヒ・ ゲヴァントハウス管弦楽団 |
アンネ・シュヴァネヴィルムス、 ペトラ・マリア・シュニッツァー(ソプラノ)、 ペーター・ザイフェルト(テノール) |
デッカ 475 6939 |
1840初演版、ライヴ録音。随所に現行版との違いが見られて面白い。 テノールの「死の縄われらにまといつき」のところはまるでハイドンのよう。 序曲《夏の夜の夢》作品21をカップリング。 当日演奏会では詩篇114「イスラエルがエジプトを出で」も演奏されていたが、CDには未収録。 |
クリストフ・ポッペン | バイエルン放送合唱団 | ドイツ放送フィルハーモニー (ザールブリュッケン・ カイザースラウテルン) |
ジビュラ・ルーベンス、 クラウディア・マーンケ(ソプラノ)、 クリストフ・プレガルディエン(テノール) |
OEMS CLASSICS OC 709 |
ポッペンの交響曲全集より。 早すぎず遅すぎず、たっぷりと、まことに堂々とした演奏を繰り広げる。 バイエルン放送合唱団、お見事。 |
フリーダー・ベルニウス | シュトゥットガルト室内合唱団 | ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー | クリスティアーネ・カルク、 マリア・ベルニウス(ソプラノ)、 ヴェルナー・ギューラ(テノール) |
Carus Carus 83.213 |
さわやかに、きっちりと。いかにもベルニウスといった演奏。 |
トマス・ファイ | ドイツ室内合唱団 | ハイデルベルク交響楽団 | エレオノーレ・マルグエーレ(ソプラノ)、 ウルリカ・シュトレームシュテット(メッゾ・ソプラノ)、 マルクス・シェーファー(テノール) |
ヘンスラー CD 98.577 |
《イタリア》の最速サルタレッロで知られる(のか)、ファイのメンデルスゾーン交響曲全集の一枚。 重々しくなく、颯爽とぐいぐい進む。 |