トロイア王家


トロイアは、ダルダネルス(ダーダネルス)海峡アシア側の入口付近、スカマンドロス河を控えるヒッサルリクの丘に建てられた都市。イーロスによって建てられたためイーリオン(イーリオス)という別名があり、これがホメロスの叙事詩の題名に用いられた。
ローマ時代より後、長い間土に埋もれ、忘れ去られていたが、1871年、ハインリヒ・シュリーマンにより発掘され、再び日の目を見た。


*ダルダノス、エリクトニオス、トロース

王家の祖は、ゼウスとアトラスの娘エレクトラとの息子ダルダノス。サモトラケ島に住んでいたが、デウカリオンの大洪水に見舞われ、アシアに渡る。そこで、河神スカマンドロスの子テウクロスの娘バティエイアを娶り、領地を与えられた。彼の死後、彼の領していた地方はダルダニアと呼ばれた。
彼の子エリクトニオスの子トロースが、トロイアの名のもととなる。

ダルダノスについては、ラモーが彼を題材にした歌劇《ダルダニュス》を作曲している。


*イーロス

トロースの子イーロスはある時プリュギア王の競技会に出場し、レスリングで優勝して100人の奴隷を得た。その時王は、神託によってイーロスに斑の牝牛を与える。そして、これが伏したところに町を建てよとの託宣を伝えた。彼は牝牛についていき、やがてアーテーの丘(はるか後のヒッサルリクの丘)に達する。ここで牛が伏したので、彼はここに都市を建て、イーリオンと名づけた。

イーロスはイーリオンを建てた時、ゼウスに神意のしるしを求めた。すると、空からパラディオン(パラス・アテナ女神をかたどった像)が降ってきた。彼はこれをアテナ神殿に安置し、町の守り神とする。これが町にある限り、イーリオンは滅びることはない。そのため、のちにトロイア戦争において、オデュッセウスとディオメデスがこれを奪うために町に忍び込むことになるのである。

イーロスは一男一女をもうける。女児テミステーは従兄弟カピュスを娶ってアンキセス(アイネイアスの父)を産み、男児ラオメドーンはトロイアの王家を継いだ。


*ラオメドーン

ラオメドーンは放埓だった。アポロンとポセイドンの二神がそれを試すために人の姿を借りて彼に会いに行き、報酬をもらえるならイーリオンの城壁を築こうと持ち掛ける。王は喜んで約束したが、いざ城壁ができると、王は態度を変えて知らんぷりを決め込んだ。そこで二神は怒りを発し、アポロンは疫病を、ポセイドンは海の怪物を差し向ける。神託によって、娘ヘシオネーを怪物に生け贄として捧げれば災いがおさまると聞いた王は、そのとおりに娘を海岸の岩に縛り付けた。
そこへ、(十二功業の一つ)アマゾーンの女王ヒッポリュテーの帯を手に入れて帰る途中のヘラクレスがやってきた。彼は、王がゼウスより賜った牝牛を報酬として約束し、怪物を倒してヘシオネーを救う。しかしやはり、ラオメドーンは約束を果たさなかった。ヘラクレスは怒り、将来必ずトロイアと戦うと宣言し、エウリュステウス王のもとへ帰っていった。

時が経った。十二功業を果たし、またアルゴナウテースの遠征から帰ってきたヘラクレスは、以前の恨みを晴らすため、勇者を募ってトロイアへ攻め込み、イーリオン城下に迫った。ラオメドーン王は兵を率いて手薄なヘラクレスの船団を襲うが、引き返してきたヘラクレスに包囲される。ついにイーリオンは陥落し(パラディオンも、ヘラクレスの前には無力だったらしい)、ラオメドーン王とその息子たちは、末子のプリアモスを除いてすべて射殺された。王の娘ヘシオネーは、一番乗りを果たしたテラモーン(大アイアスの父)に与えられた。彼女に捕虜を一人だけ解放することを許した時、彼女は奴隷となったプリアモスを解放するよう申し入れた。

ラオメドーン王の墓は、イーリオン城壁のスカイア門の上に建てられた。そして、この墓が乱されない限り、イーリオンは安泰であると伝えられた。


*プリアモス

ヘシオネーによって助けられたプリアモスは、トロイアの王家を継ぐ。若い頃、プリュギア王オトレウスと共にアマゾーンと戦ったといわれる。

彼は、まずメロプスの娘アリスベーを娶り、アイサコスを得た。

そして、彼女をヒュルコスに与え、新しく妻としてヘカベーを迎えた。彼女との間に生まれた者は、
男子:ヘクトール、パリス、デーイポボス、ヘレノス、パモン、ポリテス、アンティポス、ヒッポノオス、ポリュドロス、トロイロス、ディオス、アクシオン。
女子:クレウーサ、ラオディケー、ポリュクセネー、カッサンドラー。
ほかにも、妾との間に多くの子を得た。

トロイア戦争では、彼はすでに高齢で、みずから戦場に立つことはない。非常にいい人であり、何かと冷たくされるヘレネーを常にかばう。
イーリオン陥落の際、ゼウス神像のもとに逃れるが、アキレウスの子ネオプトレモスによって殺された。トロイアの一族は全滅したかに見えたが、プリアモスの甥にあたるアイネイアスが一族を率いて脱出し、イタリアへと向かい、ローマ建国の祖となった。


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雑談(どーでもいい話):

高き胸壁もつイーリオンを発掘したシュリーマン。実は彼は、1865年に幕末の日本を訪れていた。世界旅行の一環で、上海から出港し、6月3日に富士山を見つつ、横浜に到着。10日、天皇に会うため京へ向かう将軍徳川家茂の行列を遠望し(実際は第二次長州出征のため)、18日には八王子へ出かける。25日からは江戸を観光し、愛宕山、浅草寺(特にお気に入りだった)、団子坂、王子、深川八幡宮などを訪れ、7月3日にサンフランシスコへ出港した。彼は後に世界一周旅行の模様を旅行記にまとめ、そのうち清、日本の部分が訳出されたものが講談社学術文庫から出ている。(『シュリーマン旅行記 清国・日本』。石井和子 訳)

シュリーマンは異国の文化を肯定的に捉えており、さすがに観察眼は鋭く、日本人の生活、習俗を事細かに記している。読んでいて面白い。