イリオン遠征1年目〜9年目


前項で記した経緯を経てメネラオスとヘレネーは結婚し、ヘルミオネーという娘をもうけた。結婚から9年が経った時、トロイアから王子パリスとアイネイアスが訪れた。メネラオスは彼らを歓迎したが、折悪しくクレタのカトレウス王(ミノス王の子)の葬儀に出席せねばならなくなった。

カトレウス王は、子供の一人の手にかかって死ぬとの神託どおりに、みずからの子アルタイメネスの投げ槍を受けて死んだ。アルタイメネスはこの神託を知っており、みずからロドス島へ逃れていたのだが、時が経ち、年老いた王が彼に王位を譲ろうとロドス島を訪れた時、王は牛飼いたちに海賊と間違われて追われ、やってきたアルタイメネスが父とは知らずに槍を投げてしまったのだ。アルタイメネスは事実を知ると、神に祈って大地の裂け目に身を隠した。カトレウスの後を継いでクレタ王となったのが、ミノス王の子デウカリオンの子、イドメネウスである。

メネラオスがクレタ島へ出発した隙を突いて、パリスはヘレネーを連れてトロイアへ逃げ帰った。イリス女神によってこれを知ったメネラオスは直ちにスパルタへ戻り、結婚時の誓約によって当時の求婚者たちに援助を求めた。メネラオスは、参集してきたオデュッセウスと共にデルポイに赴き、トロイア遠征の吉凶の神託を求めた。神託は、「アテナ・プロノイアに、かつてアプロディテがヘレネーに与えた首飾りを献ずること」を命じた。そして、ヘーラー女神がギリシア勢の加護にまわった。

ボイオーティア東岸のアウリスにギリシア軍が結集した。その数十万余、船にして1168艘。メネラオスと、総大将を務めるその兄アガメムノンを始めとして、アキレウス、アイアス、オデュッセウス、ディオメデス、ネストール、イドメネウス・・・ギリシアの名だたる英雄たちがずらりと顔をそろえた。彼らはここで戦勝を祈願してアポローン神に生け贄を捧げたが、そのとき祭壇より、その背が赤い血の色に染まった一匹の蛇が這い出で、近くの鈴掛の木を登っていった。蛇の目の前には雀の巣があり、八羽の雛鳥を母雀が育てていたが、蛇は飛び掛かってこれら九羽を残らず飲み込み、みずからは石と化してしまった。
この不思議な光景を見た予言者カルカースは、トロイア攻略には9年かかり、10年目にして陥落させることが出来るだろう、と告げる。

さていよいよ出港、となったのだが、なぜか逆風が吹きつけてきてやまず、大船団は立ち往生してしまった。軍勢の総大将であるアガメムノンが、アウリスに程近いアルテミス女神の聖なる神殿の森で女神に不敬をはたらいてしまったためだ。助言を求められた予言者カルカースは、こう告げた。
「あなたの最初に生まれた娘を生け贄に捧げて女神の怒りを解かない限り、軍勢は出発することは出来ません」
アガメムノンは仕方なく、オデュッセウスの策を用いて、妻クリュタイムネストラーを騙して長女イーピゲネイアをアウリスへよこさせた。アキレウスと彼女を結婚させるためと偽って・・・到着したイーピゲネイアはただちにディオメデスとオデュッセウスにより祭壇へと連れて行かれた。そして危うく彼女が生け贄に捧げられようとした時、アルテミス女神は怒りを解いて彼女を救い、タウリス(クリミア半島)へと運んでやった。

これでギリシアの大船団はやっとトロイア向け出発することができた。一行は目的地への途上、テネドス島へ停泊した。ここで、メネラオスはオデュッセウスと共にトロイアへ向かった。温厚なメネラオスらしく、ヘレネー返還の交渉を行うためである。二人はトロイアに着くと、プリアモス王の顧問官である老人、アンテノールの館に宿泊した。アンテノールは平和主義者だったので、メネラオス王の言い分に好意的だった。彼はヘレネー返還を主張したが、パリスとその取り巻きはこれを退け、逆にアンティマコスという男を買収し、市民を扇動させてメネラオスを捕らえ殺させようとした。アンテノールの助けで逃げ延びた二人はテネドス島に戻ると、全軍をトロイア向け出港させた。

レムノス島へ停泊した際、一行は土地の女神クリュセーを祀ったが、このときアクシデントが発生した。ヘラクレスの弓を持つ英雄ピロクテーテースが毒蛇にかまれてしまったのだ。彼の傷口は悪臭を発し、彼自身もひどい苦痛にさいなまれたので、僚友たちも彼をあきらめ、彼を島において出港してしまった。ピロクテーテースはそれから9年、レムノス島で一人寂しく過ごすことになる。

ついにギリシア軍はトロイアへ到着した。海岸にはすでにヘクトールの率いる軍が展開していたが、ギリシア軍は委細かまわず続々と上陸を始めた。
プロテシラオスがまず真っ先に上陸した。その瞬間、彼はヘクトール(あるいは無名の兵士)の槍に貫かれて倒れた。
ギリシア軍の兵士にはある恐れがあった。それは「最初に上陸したものは討死にする」という予言である。プロテシラオスはこの予言を知ったとき、「では自分が最初に上陸しよう」と決めていたのだ。彼は一番乗りの栄誉と共に、最初の戦死者となった。
彼に続いて上陸したのはアキレウスだった。彼は恐るべき武勇を発揮してたちまち海岸のトロイア勢を蹴散らし、トロイアの将キュクノスを倒した。彼は神の血を享けていて鉄でも青銅でも傷つけることが出来なかったので、アキレウスは大石を投げつけて彼を打ち倒したのだった。キュクノスの戦死に動揺したトロイア勢はイーリオンへ退却し、その隙にギリシア勢は海岸に陣営を築いた。

こうして両軍は対峙した。ギリシア勢はたびたびイーリオンを攻めたが、パラディオンに護られた難攻不落のイーリオンは落ちず、さらにトロイアの援軍に、アポローン神に弓射を学んだゼレイアのパンダロスや、リュキアのサルペドンとグラウコスなどが加わり、戦況は膠着状態に陥った。カルカースの予言どおりに事態は進行していき、やがて9年の月日が経った。


アキレウスは9年のあいだにトロイア周辺の町を次々に攻め落とした。リュルネソスを落とした際にはアンドロマケー(ヘクトールの妻)の父エーエイティオンを殺し、また美女ブリセイスを得た。彼女(本名はヒッポダメイア)が、アキレウスとアガメムノンとの不和の原因となる。


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追記:

*それからのイーピゲネイア
アルテミス女神によって命を救われた彼女はタウリスに運ばれ、そこで女神を祀る神官となった。ここでは、この地にやってきた異邦人を人身御供として女神に捧げる習わしがあり、彼女はその任に就くことになる。あるとき、彼女の前に捕らえられた二人の若い青年が引き立てられてきた。彼女はしきたりに従い二人を犠牲に捧げようとするが、寸前でこの二人が実の弟のオレステースとその友人ピュラデースであるとわかった。オレステースは、父アガメムノンを殺したアイギストスと母クリュタイムネストラーに報復した罪で、復讐の女神たちによって狂気にとらわれており、狂気からの回復のため、デルポイの神託によってタウリスのアルテミス神像を得ようとしていたのだった。イーピゲネイアは二人を助け、神像を持ち出し、アルテミス女神の力によりタウリスを脱出する。一行はアッティカのハライに到着し、その地の神殿に神像をもたらした。彼女は神官として引き続きアルテミスに仕え、後に女神の神域があったメガラで亡くなったとも、女神が彼女を神としたとも、レウケー島でアキレウスと永遠に暮らしている、ともいわれている。

*それからのプロテシラオス
テッサリア王イピクロスの子プロテシラオスはイオルコス王アカストスの娘ラオダメイアと結婚していたが、その床も暖まらぬうちに(結婚のその日に)トロイアへ出征し、そのまま帰らぬ人となった。ギリシア人は、ヘレスポントス(ダーダネルス海峡)の反対側のエライウスにトロイアを望む小高い墳墓を作り、彼を英雄として祀った。
さて、残された妻ラオダメイアは夫の死を知ると非常に嘆き悲しんだ。彼女の父は再婚を勧めたが、彼女は断固として拒絶した。そして、ひそかに夫の似姿の人形を作り、朝夕これに仕えた。父はこれを知って、そのような行為は止めるようさとしたが、彼女は聞きいれなかった。
一方、冥府へ下ったプロテシラオスも妻への思慕やみがたく、冥府の神々に、今一度妻に会わせて欲しいと懇願した。冥府の女王ペルセポネーはこれを憐れに思い、三時間だけ地上に戻ることを許す。ヘルメス神に案内されて、彼はラオダメイアの元へと現れた。
プロテシラオスの姿を認めたラオダメイアの喜びは言葉に言い表せなかった。夫は生きていた、と信じて疑わなかった。しかし、期限の三時間が終わる時、夫は妻に真実を告げた。そして、夫は再び冥府に戻っていった。ラオダメイアは再び涙にくれ、夫の後を追って、夫の愛用していた剣をみずからの胸に突き立てたのだった。