第一次イリオン遠征


ギリシア軍はアウリスから出港、トロイアへ向かった・・・のだが、ここにひとつの別伝がある。
トロイアへ行き戦端を開いたのは二度めの出港時で、それ以前に一度、同じくアウリスから出港しての遠征譚があったというもの。

アウリスを出港したギリシア軍は、トロイアへ向かったつもりだったが、
針路を誤り、それよりもずっと南のミュシア地方に着いてしまった。
ギリシア軍はそこをトロイアと思い込み、テウトラニアに上陸してこれを攻撃し始めた。
ミュシア王テーレポス(ヘラクレスがアルカディアでアウゲーとの間にもうけた子。
成人後母を追ってミュシアに赴き、義父テウトラスの後を継いで王となった)は激怒してテウトラニアに駆けつけ、
ギリシア軍に対して戦いを挑み、ポリュネイケスの子テルサンドロスを討ち取る。
しかし、自らもアキレウスの槍によって傷を負った。
ギリシア軍は勘違いをしたことを知って間もなく引き揚げたが、
テーレポスはアキレウスから受けた傷が一向に癒えないため苦しむ。
彼はデルポイへ赴き、どうしたら傷が治るかの神託を求めた。すると、
「傷をつけた者がまた癒すべきである」
との託宣を得た。

テーレポスはアルゴスへと行き、乞食に身をやつしてギリシア軍の陣営を訪ねると、アキレウスに治療を求めた。
(テーレポスがまだ幼少だったアガメムノンの子オレステスを捕らえ、治療してくれなければ殺すと脅した、という伝説もある)
しかしアキレウスはどうすればよいのかわからない。
そこへ機略縦横のオデュッセウスが登場し、
「傷をつけたのはアキレウスの槍なのだから、その錆を削り取って傷口につければよいだろう」
と助言した。そのとおりにしてみると、どういう原理かわからないが傷が治ってしまった。

というもの。
戦争譚としてはたわいもなく、
一度出港して、目的地がちょっと違っていたからといってまた全軍ギリシアへ引き上げ、というのはありえないので、
何かの局地戦の伝説が、トロイア戦争の一挿話に改変されて後世挿入されたものか。
これに関連するアキレウスの伝説もある。

ミュシア遠征の帰途、アキレウスはスキュロス島に立ち寄った。
そこで彼は、リュコメデス王の娘デイダメイアと深く愛し合い、一人の子をもうける。
彼の名はピュロス(赤毛)と名づけられた。

ピュロスは父の戦死ののちトロイアに赴いて戦場に立ち、ネオプトレモス(新しく従軍した者)と呼ばれることになる。
(一般的には、アキレウスの母テティスが息子を死の運命から守るために早くからスキュロス島に隠した、とされている)


戻る