ダーレス《トロイア滅亡のヒストリア》


◇戦争の発端

*ヘラクレスの遠征

 ペリアス王はイアソンの名声を恐れ、彼を遠ざけるため、彼に金毛羊の探索を命じた。
勇気あるイアソンはこれを承知し、彼に従ってギリシア中の英雄がこれに集った。アルゴナウテースの冒険である。
 彼らがプリュギアに到着しシモエイスの河口に上陸した時、トロイアのラオメドン王は強制退去を命じた。
アルゴナウテースたちはこの野蛮な態度に憤激したが、事を荒立てることを嫌ってコルキスへと向かった。
 冒険が成功に終わったあと、アルゴナウテースの一員であったヘラクレスはラオメドンの態度に対して怒っており、
各国を巡ると同胞を募ってトロイアへ侵攻した。
彼に従ったのは、カストールとポリュデウケス、テラモン、ペーレウス、ネストールだった。
 ヘラクレスがシーゲイオンに上陸したとの知らせを受けたラオメドンは海岸へ急行したが、
そこにいたのはカストール、ポリュデウケスとネストールの軍のみだった。
ヘラクレス、テラモン、ペーレウスの軍はすでにイーリオンを攻撃していたのだ。
 急いで引き返すラオメドンをヘラクレスは待ち伏せて殺し、さらに兵士を殲滅すると取って返してイーリオンを陥落させた。
都に一番乗りを果たしたのはテラモンだった。
 ヘラクレスはトロイアを略奪するとテラモンにラオメドンの娘ヘシオネーを与え、帰国した。

*アンテノールの使節

 その時ラオメドンの子プリアモスはプリュギアにおり、その地方の軍隊を管轄していた。
彼は妻子を連れてトロイアに戻り、城壁を修復していっそう堅固にすると、アンテノールを使者としてギリシアに遣わし、
ラオメドンを殺しヘシオネーを奪った不正行為について糾弾、へシオネーの返還を求めた。
 アンテノールはペーレウスらの国を巡ったが、いずれも相手にされなかった。
もちろんテラモンもヘシオネーの返還を認めなかった。アンテノールはトロイアに戻り、プリアモスにこのことを報告した。

*トロイアの軍議

 プリアモスは会議を招集すると今回の使節の結果について述べ、
彼らに償いをさせるべく艦隊を派遣してギリシアを攻撃したい、と提案した。
 アレクサンドロスは、自分は夢でヘルメスに連れられてヘーラー、アプロディーテー、アテネの美しさの判定をすることとなり、
そこでアプロディーテーに「自分を選べば、ギリシアで一番美しい女と結婚させてやる」と言われ、彼女を選んだ、という話をした。
 プリアモスは喜び、彼に指揮権を与えようとした。デイポボスもそれに賛成したが、
予言者ヘレノスは、それはトロイアの滅亡につながる、と反対した。
だがトロイロスは彼の言辞を退け、アレクサンドロスの遠征に賛成した。
 かくて各地に王子たちを遣わしてギリシア方に対する戦闘態勢を整えた。
パントオスやカッサンドラーは、不吉な未来を予見して心を痛めた。

*ヘレネーの誘拐

 艦船が建造され、アレクサンドロスとデイポボスはパイオニアで軍隊を集めて戻ってきた。
アレクサンドロスが先遣隊の総指揮官となり、デイポボス、アイネイアス、プリュダマスがそれに従った。
プリアモスは、まずスパルタに行きカストールとポリュデウケスにヘシオネーの返還を要求し、
それが容れられなければ直ちにトロイアに連絡して全軍を出発させる、という手筈をアレクサンドロスに言い含めた。
 アレクサンドロスがスパルタに向かったとき、ディオスクーロイはヘルミオネーを連れてアルゴスに、メネラオスはピュロスに出かけていた。
アレクサンドロスはキュテラのアプロディーテー神殿に立ち寄り犠牲を捧げたが、
彼はここで、アルテミスとアポロンの神殿に礼拝するためにやってきていたヘレネーと会った。
二人は親しく語らい、いったん別れた後、夜になってアレクサンドロスはヘレネーを連れ去った。
ヘレネーが嫌がってはいなかったので。
 彼は配下の者が奪ったほかの女たちとともにヘレネーを船に乗せ、抵抗する民衆を打ち破って立ち去った。

 アレクサンドロスはトロイアに帰り、自分のしたことを伝えた。
プリアモスは喜び、交渉によりへシオネーとの交換も楽になるだろう、と希望を持った。
 アガメムノンはスパルタに行くと弟を慰め、トロイアに対する戦争の軍を起こすことを決めた。
アキレウス、エウリュアロス、トレポレモス、ディオメデスが集まり、彼らはアガメムノンを最高司令官に選んだ。
そしてアガメムノンは、軍を率いてアテナイに集結するようギリシア全土に使者を派遣した。
 カストールとポリュデウケスは妹の誘拐を知ると直ちに出航していた。しかしレスボス島に着いた時に激しい嵐となり、
二人は行方不明となった。島の人々は海上を探し、トロイアまで行ったが彼らを見つけることはできなかった。
後年、人々は、彼らが不死の身になったと考えた。

*ダーレスの見た英雄たちの姿

 プリュギア人のダーレスはトロイア戦争の軍務についており、トロイア戦争に参加した人々を目の当たりにしていた。
カストールとポリュデウケスのそれについても、トロイア人から聞き及んでいた。

(省略。めどい)

◇戦争の開始

*ギリシア勢集結

 アテナイに集結したギリシアの指揮官たちと艦船は以下の通り。

ミュケナイ・・・アガメムノン、100艘。
スパルタ・・・メネラオス、60艘。
ボイオーティア・・・アルケシラオス、プロトエノール、ペネレウス、レイトス、クロニオス、50艘。
オルコメノス・・・アスカラポス、イアルメノス、30艘。
ポキス・・・スケディオス、エピストロポス、40艘。
サラミス・・・大アイアス、テウクロス、(?艘)。
プブラシオン・・・アンピマコス、ディオレス、タルピオス、ポリュクセイノス、40艘。
ピュロス・・・ネストール、80艘。
アイトリア・・・トアス、40艘。
シュメ・・・ニレウス、53艘。
ロクリス・・・小アイアス、37艘。
カリュドン・・・アンティポス、ペイディッポス、30艘。
クレタ・・・イドメネウス、メリオネス、80艘。
イタカ・・・オデュッセウス、12艘。
ペライ・・・エウメロス、10艘。
ピュラケ・・・プロテシラオス、ポダルケス、40艘。
トリッケ・・・ポダレイリオス、マカオン、32艘。
プティア・・・アキレウス、パトロクロス、ミュルミドーン勢、50艘。
ロードス・・・トレポレモス、9艘。
オルメニオン・・・エウリュピュロス、40艘。
エリス・・・アンティポス、アンピマコス、11艘。
アルギッサ・・・ポリュポイテス、レオンテウス、40艘。
アルゴス・・・ディオメデス、エウリュアロス、ステネロス、80艘。
メリボイア・・・ピロクテテス、7艘。
キュポス・・・グネウス、21艘。
マグネシア・・・プロトオス、40艘。
アルカディア・・・アガペノール、40艘。
アテネ・・・メネステウス、50艘。

四十九人の指揮官が、千百三十艘の艦船を率いてきた。
 アガメムノンは会議を招集し、速やかな進軍を促した。そしてデルポイにアポロンの神託を伺うこととし、
アキレウスを向かわせた。プリアモスはギリシアの動きを察知するとプリュギア全土に命令を出し、トロイアに援軍を迎え入れた。
 アキレウスはデルポイで「ギリシアは十年にしてトロイアを征服し勝ち誇るであろう」との神託を得、儀式を執り行う。
そこへプリュギアから遣わされたテストールの子カルカスがやってきて、犠牲を捧げると神託を伺った。
すると以下のような神託を得た。
「ギリシア方はトロイアに出航して包囲し、それは彼らがトロイアを打ち破るまで続く。
汝は彼らのもとにゆき、彼らに忠告を与えるであろう」
 アキレウスとカルカスは神殿内で出会い、互いの神託を突きあわせて喜び、一緒にアテナイへ向かった。
ギリシア勢はカルカスの加入を認めた。

*ギリシアの使節

 一行はアテナイから出航したが、嵐が起こって立ち往生した。
カルカスがこの前兆を解釈し、彼らはアウリスに立ち寄ってアルテミス女神の怒りをなだめた。
それから彼らは改めてトロイアへ向かった。アルゴナウテースの一員であったピロクテテスが一行の水先案内をつとめた。
 艦隊はプリアモス王の治める都市に上陸すると攻め落とし、略奪した。
さらにテネドス島に上陸すると大殺戮を行い、戦利品の分配をした。
 アガメムノンはプリアモスにディオメデスとオデュッセウスを遣わし、ヘレネーと、アレクサンドロスの持ち去った財宝の返還を要求した。
同時にミュシアに略奪のためアキレウスとテレポスを派遣した。
 ミュシアで略奪を開始した時、テウトラス王が軍を率いて到着した。アキレウスは戦って彼を破り、傷を負わせた。
アキレウスがとどめを刺そうとしたとき、テレポスがそれを防いだ。彼は少年時代、テウトラスに恩を受けていたのだ。
瀕死のテウトラスはテレポスにミュシアの王位を譲って亡くなり、テレポスは彼のために壮大な葬儀を催した。
 アキレウスはテレポスに、ミュシアに留まってギリシア勢のために補給を送ってほしいと要請した。
テレポスはそれを了承し、アキレウスは戦利品と共にテネドスへ帰還した。

 オデュッセウスはアガメムノンの要求を提示した。
プリアモスは、ギリシア勢が父ラオメドンに対して行った不正行為、アンテノールへの仕打ちを述べてそれを拒絶し、
宣戦を布告した。使節はテネドスに帰り、それを報告した。

*トロイア救援の面々

 プリアモスのために来援した指揮官とその出身地は以下の通り。

ゼレイアからパンダロス、アンピオス、アドラストス、
コロポニアからモプソス、
プリュギアからアシオス、
カリアからナステスとアンピマコス、
リュキアからサルペドンとグラウコス、
ラリッサからヒッポトオスとクペソス、
キコニアからエウペモス、
トラキアからペイロオスとアカマース、
パイオニアからピュライクメスとアステロパイオス、
プリュギアからアスカニオスとポルキュス、
マイオニアからアンティポスとメストレス、
パプラゴニアからピュライメネス、
エチオピアからペルセスとメムノン、
トラキアからレソスとアルケロコス、
アドレステイアよりアドラストスとアンピオス、
ハリゾニアよりオディオスとエピストロポス。

 彼らを率いる総司令はヘクトールで、副司令はデイポボス、アレクサンドロス、トロイロス、アイネイアス、メムノンとなった。
 一方、ギリシア勢にもナウプリオスの息子パラメデスがコルモスから船三十艘を率いて到着した。

*トロイア上陸

 ギリシア勢は、ミュシアやその他の地に補給物資を求めてテーセウスの二人の子デモポオンとアカマース、
そしてアニオスを出発させた。そして全艦隊でテネドスを出航し、トロイアに上陸する。
 トロイア軍は応戦に出撃し、激しい戦いとなった。ギリシア勢は内陸へ侵攻したが、
ヘクトールはプロテシラオスを殺し、押し返した。しかしアキレウスが勇戦してそれを打ち破り、トロイア軍は退却した。
ギリシア軍は陸地に陣営を張った。

*ヘクトールの勇戦

 次の日、ヘクトールは再び出撃し、ギリシア軍と激しく戦った。
ヘクトールは前線に飛び出してパトロクロスを殺し、さらに遺体を守ろうとしたメリオネスを斬った。
彼は武具を剥ぎ取ろうとしたが、救援に来たメネステウスに脚を撃たれる。しかし彼はなお戦い続け、ギリシア軍に多大な損害を与えた。
ギリシア軍を敗走から救ったのはアイアスであった。アイアスはヘクトールと出会うと、すぐに彼が親戚であることに気づいた。
アイアスの母は、プリアモスの娘ヘシオネーであった。
(通常アイアスの母はペリボイアで、ヘシオネーはテウクロスの母とされる。
どちらにせよ、この話の流れではヘシオネーの子が従軍できる年齢になっているというのは無理がある)

ヘクトールはトロイア勢に船への放火をやめさせ、二人は互いに贈り物をし、別れた。

◇長引く戦闘

*休戦と戦闘

 ギリシア軍は休戦を申し入れて受理された。彼らはプロテシラオスをはじめとする戦死者を葬り、
またアキレウスはパトロクロスのための葬礼競技を催した。
 休戦中、パラメデスは、アガメムノンは総司令官にふさわしくないと公言し、自らの能力を喧伝していた。
ギリシア軍は総司令官の座について議論していたが、二年後、決着を見ないまま再び戦端が開かれた。

 アガメムノン、ディオメデス、メネラオスが軍を率い、トロイア方はヘクトール、トロイロス、アイネイアスが対抗した。
その戦いではさらに多くの将兵が倒れ、ヘクトールはボイテス、アルケシラオス、プロトエノルを殺した。
夜が来て戦闘が終わると、アガメムノンは会議を招集し、ヘクトールを殺せと指示した。
 次の日の戦いでメネラオスはアレクサンドロスを追った。アレクサンドロスはメネラオスの脚を射たが、
メネラオスはなおも小アイアスとともに追撃した。ヘクトールとアイネイアスはアレクサンドロスを町へと逃がした。
 さらに次の日の戦いで、ヘクトールはオルコメノス、イアルメノス、エピストロポス、スケディオス、エレペノール、
ディオレス、ポリュクセノスらを殺害した。アイネイアスはアンピマコスとニレウスを殺した。
 一方アキレウスはエウペモス、ヒッポトオス、ピュレウス、アステロパイオスを殺し、
ディオメデスはアンティポス、メストレスを殺害した。
 その日の戦闘はトロイア勢の圧勝で、彼らは歓喜しながら町に戻った。ギリシア勢は多数の将軍を失い、苦悩に沈んだ。
彼らの軍勢も半分以上が倒れ、ミュシアからの援軍が頼りだった。
 アガメムノンは次の日も戦闘を命じ、実に八十日間連続で戦いが行われた。しかし増えていく戦死者に頭を悩まし、
プリアモスに対し三年間の休戦を申し入れることにした。
 オデュッセウスとディオメデスが夜陰にまぎれて使者に立ったが、途中ドロンという名のトロイア人に会い、
彼の案内でプリアモスにまみえた。そして休戦交渉に入り、プリアモスはこれを長すぎると思っていたが、
彼の招集した会議はこれに賛成した。その間、トロイア勢は城壁を修復、負傷者の治療、戦死者の葬儀を行った。

 三年後、戦闘が再開された。その最初の戦いでヘクトールはペイディッポスとアンティポスを殺し、
アキレウスはリュカオンとポルキュスを討ち取った。
 戦闘は三十日間続き、プリアモスは自軍に利あらずと見て使節を送り、六ヶ月の休戦を求めた。
アガメムノンは会議を開き、これを認めた。
 また戦闘が再開され、それが十二日間続いたあと、今度はアガメムノンが三十日間の休戦を申し入れた。
プリアモスは会議を開き、これに同意した。

*ヘクトールの死

 休戦期間が終わったとき、ヘクトールの妻アンドロマケーは夢を見た。それはヘクトールの戦闘参加を禁じるものだった。
彼女は夫にそのことを話したが、彼は聞き入れなかった。アンドロマケーはプリアモスに夢の内容を話して嘆願し、
王はその日の戦闘からヘクトールを外した。しかしヘクトールは怒って妻を叱り、武装した。
アンドロマケーは息子アステュアナクスを抱いて泣きながら宮殿に飛び込み、今一度プリアモスに嘆願した。
プリアモスはヘクトールを城内に残し、軍勢を出撃させた。
 戦いが始まったが、ギリシア軍はヘクトール不在を知ると大いに暴れ回り、トロイアの多数の将兵を殺害した。
ヘクトールはこれを聞くと場外に飛び出し戦闘に加わった。たちまちイドメネウスを殺し、イピノオスを負傷させると、
レオンテウスを斬りステネロスの脚に槍を突き刺した。
 アキレウスはヘクトールに立ち向かおうとしたが、彼のもとにたどり着くまでにさらにポリュポイテスまでが討たれてしまった。
ヘクトールがポリュポイテスの武具を剥ぎ取ろうとしているところへアキレウスが到着し、激しい戦いとなった。
ヘクトールはアキレウスの脚を傷つけたが、アキレウスはひるまずに激しく攻め立て、ついにヘクトールを打ち倒した。
 トロイア勢は総崩れになって敗走したが、メムノンだけは踏み止まって応戦し、アキレウスは彼と激しく戦い、互いに傷を負った。
夜が来て両軍は退却し、戦死した偉大な将領たちのために泣いた。

*総司令官変更

 翌日、メムノンがトロイア勢を率いて進撃してきたが、アガメムノンは二ヶ月間の休戦を申し入れた。
プリアモスはこれを認め、ヘクトールを埋葬し、葬礼競技を催した。
 休戦期間中、パラメデスは再び総司令官に対する不満を述べて将兵を扇動した。
アガメムノンはこれに折れ、会議を招集して、おまえ達の欲する者を総司令官に選ぶがよいと言った。
パラメデスが進み出て自らをアピールし、ギリシア勢の承諾を得た。彼は新しい総司令官となり、その権力を行使し始めた。
しかし、アキレウスはこの変更を認めなかった。

 二ヶ月の休戦が終わるとパラメデスは戦闘準備を整え出撃、トロイア勢はデイポボスを先頭にして応戦した。
リュキアのサルペドンはギリシア勢を攻撃して多数を討ち取り、ロードス人のトレポレモスに重傷を負わせた。
彼はさらにアドメトスの子ペロス(エウメロス?)を迎え撃って殺したが、自らも手傷を負って撤退した。
 数日間戦いが続き、トロイア方の被害が甚大となった。トロイア側は一年間の休戦を申し出て、パラメデスはこれを承認した。
両者は戦死者を埋葬し、負傷者の治療に当たった。彼らは互いに行き来し、交流した。
 パラメデスはミュシアにアガメムノンを送り、テーセウスの息子のもとに行かせた。
両者は戦闘再開まで着々と軍備を整えていた。

*アキレウスとポリュクセネー

 ヘクトールの一周忌が来た。プリアモス、ヘカベー、ポリュクセネーらが墓前に参列したが、
彼らは偶然アキレウスに出会った。アキレウスはポリュクセネーの美しさに惹かれ、たちまち恋に落ちた。
彼はまだ総司令官交代についてパラメデスに怒っていたので、プリュギア人の奴隷をヘカベーに送り、
ポリュクセネーと結婚させてくれるならミュルミドーン勢とともに帰国しようと提案した。
 ヘカベーはプリアモスにこれを話したが、彼はこれを受け入れなかった。
自分の娘を敵と結婚させたくないし、彼が帰国してもほかのギリシア勢は従うまい、と。
そして、永続的な平和条約を結び、ギリシア勢を退去させること、これのみが結婚の条件である、とアキレウスに伝えた。
 するとアキレウスは、一人の女のための不毛な戦いで多数の人間が死んだ、和平を結び軍を引き返すべきだ、
と軍中で公然と不満を述べ始めた。

*パラメデスの死とアガメムノンの復帰

 一年の休戦期間が満ち、パラメデスは軍を率いて出撃した。しかしアキレウスは怒りのゆえに参加しなかった。
トロイア勢はデイポボスの指揮により応戦したが、パラメデスは機を見てデイポボスに攻撃をかけ、彼を殺した。
 パラメデスは先頭で勇戦し、リュキアのサルペドンと戦ってこれを討ち取った。
しかし、アレクサンドロス・パリスが彼の頸を射抜き、プリュギア人が彼に襲いかかってとどめを刺した。
 トロイア勢は反撃に転じ、総司令官を失ったギリシア勢は防壁まで敗走、そこでも打ち破られ船にまで退却した。
トロイア勢は船に火をかけたが、アキレウスはそれでも見てみぬふりをした。
 大アイアスが船を守り、トロイア勢は夜になったため退却した。

 その夜、ネストールは新しい総司令官を選ぶよう建議した。
彼はアガメムノンを選ぶことが最も賢明である、との考えを披瀝し、一同もそれに賛成した。

◇佳境へ

*トロイロスの奮戦

 次の日、トロイア勢は前日の勢いを駆って攻め寄せてきた。アガメムノンはギリシア勢を展開させて迎え撃ち、応戦した。
夕刻、トロイロスが前線に飛び出して激しく戦い、ギリシア勢を打ち破って陣営に敗走させた。
 さらに次の日もトロイア勢が寄せかかり、ギリシア勢は迎撃した。
戦いは七日連続で続き、トロイロスは多数のギリシア将兵を殺害した。
 アガメムノンは二ヶ月の休戦を得るとパラメデスのために壮大な葬儀を催し、
また両軍とも戦死した指揮官や兵士たちの埋葬を行った。

 休戦の間、アガメムノンはアキレウスを説得し戦線復帰してもらおうとしたが、彼はヘカベーとの約束をたてにし、和平を要求した。
アガメムノンは会議を招集し対策をたずねたが、メネラオスは、アキレウスは放っておけばいいと発言した。
ヘクトールはすでにこの世になく、彼に匹敵する者はもはやいないのだから、と。
ディオメデスとオデュッセウスは、トロイロスの勇敢さはヘクトールに匹敵する、と言ったが、
メネラオスはこれを退け、戦闘をこのまま継続すべきだ、と説いた。
カルカスも、予兆を示して戦闘続行を勧めた。

 戦闘が再開し、ギリシア方はアガメムノン、メネラオス、アイアスが軍を率いた。
トロイア勢はこれに襲いかかり、トロイロスはメネラオスを負傷させるとギリシア軍をさんざん痛めつけた。
 次の日はトロイア勢がギリシア勢に攻めかかり、トロイロスはディオメデス、そして総帥アガメムノンに傷を負わせた。
戦闘は七日間続き、アガメムノンは戦闘継続は無理と判断し六ヶ月の休戦を求めた。
 プリアモスはこれを長すぎると感じ、これを退けて攻撃続行を促した。しかし会議は多数決で休戦を承認した。
アガメムノンは負傷者を治療させ、戦死者を埋葬した。
 アガメムノンは再びアキレウスの説得に向かった。彼はなお和平を望み出陣を拒んだが、
アガメムノンを無下にはできぬと、ミュルミドーン勢の出撃は認めた。アガメムノンは感謝した。

*トロイロスの死

 休戦期間が終わると、トロイア軍は出陣した。ギリシア軍も陣を整え、アキレウスもミュルミドーン勢を送り込んだ。
戦闘が始まるとトロイロスは最前線で戦い、ギリシア勢とミュルミドーン人を敗走させ陣営に迫った。
彼はなおも将兵を殺戮していったが、大アイアスがこれを防ぎ止めた。夜が来て、トロイア勢は勝ち誇って引き揚げた。
 それから数日間両軍は戦ったが、ミュルミドーン勢もトロイロスを止めることはできなかった。
アガメムノンは三十日の休戦を求め、プリアモスに認められた。

 戦闘の時が来ると、両軍は押し出して激突した。朝が過ぎるころ、トロイロスは前線に飛び出してギリシア勢を蹴散らし、
敗走させた。この時、アキレウスはミュルミドーン勢がトロイロスに蹂躙されるのを見て再び戦場に飛び出した。
しかし彼はトロイロスの一撃に負傷し、すぐに引き下がらざるを得なかった。
 六日間戦闘が続き、七日目にアキレウスは戦線復帰した。彼はミュルミドーン勢を整列させ、トロイロスに向かわせた。
夕暮れ時、トロイロスは馬に跨りギリシア勢を追い散らしていたが、そこへミュルミドーン勢がどっと襲いかかった。
トロイロスはこれを殺していったが、その最中彼の馬が負傷し、彼は地に投げ出された。
そこへアキレウスが飛び出してきて彼を殺し、遺体を引きずり出そうとした。
しかしメムノンが現れてトロイロスの遺体を守り、アキレウスに傷を負わせて退却させた。
メムノンは兵を率いて追撃したが、アキレウスは振り返っただけで彼らを立ち止まらせた。
 アキレウスは傷の手当てをするとメムノンに立ち向かい、彼を殺した。トロイア勢は敗走し、町に籠った。

 次の日、プリアモスはアガメムノンに二十日間の休戦を求めてきた。
アガメムノンはこれを承認し、プリアモスはトロイロスとメムノンのために壮大な葬儀を営んだ。

*アキレウスの謀殺

 ヘカベーは、彼女のもっとも勇敢な息子であったヘクトールとトロイロスゆえにアキレウスを激しく憎んだ。
そして彼に対する復讐を考えつき、アレクサンドロスにその計画を話した。

 アキレウスはプリアモスからの呼び出しを受け、早朝、アンティロコスとともにイーリオン城門前のアポロン社殿にやってきた。
用件は、ポリュクセネーとの結婚申し出についてけりをつける、ということだった。
 彼らが社殿に入ったとき、いきなり四方八方から槍が飛ぶなり多数の刺客が襲いかかってきた。
二人は左腕に外套を巻いて防御用とし、右手に剣を取って戦った。
アキレウスは多くの敵を殺したが、アレクサンドロスはアンティロコスを殺すと、ついにアキレウスに致命的な傷を負わせて殺した。
プリアモスの呼び出しは偽りのものであった。
 これがこの英雄の最期であり、その勇猛さにはふさわしくない死であった。
 アレクサンドロスはアキレウスの死体を野犬に食わせようとしたが、
ギリシア方に引き渡すべしというヘレノスの命令により、そのとおりにされた。
アガメムノンは、アキレウスのために壮大な葬礼競技を行った。

*大アイアスとアレクサンドロスの戦い

 ギリシア軍の中で会議が行われ、アキレウスの指揮権は大アイアスに与えられると決定された。
しかしアイアスはそれを辞退し、アキレウスの軍勢は彼の遺児ネオプトレモスが引き継ぐべきであると主張した。
将軍たちはそれに同意し、メネラオスをスキュロス島に派遣した。
 メネラオスはスキュロス島に着くと、島の王リュコメデスに彼の孫ネオプトレモスの参戦を要請した。
王は喜んでこれを承認した。
 二十日間の休戦期間が過ぎると、アガメムノンは軍勢を率いて出撃した。トロイア勢はこれを迎え撃ち、戦いが始まった。
 アイアスは戦場で戦っていたが、武具を全く着用していなかった。アレクサンドロスはそれを見ると、彼を射た。
しかしアイアスは矢傷にもめげずにアレクサンドロスを追い、ついにこれを殺した。
 アイアスはなおも戦ったが、傷のために力尽きた。彼は陣営に連れ戻され手当てを受けたものの、そのかいなく息絶えた。
 トロイア勢はアレクサンドロスの遺体を引き出すと退却した。
ディオメデスはそれを猛追し、敵を町の中に閉じ込めると包囲した。
 翌日、プリアモスは町の中でアレクサンドロスを埋葬した。ヘレネーは声高く嘆いていた。

*ペンテシレイアとネオプトレモス

 その次の日、ギリシア勢はイーリオンに攻撃を開始した。トロイア勢は打って出ず、堅く守っていた。
ペンテシレイアがアマゾン勢を率いて救援に来るのを待っていたからである。

 ペンテシレイアが到着すると、彼女はアガメムノンに対して戦いを挑み、数日間激しく戦った後ギリシア勢を陣営へと敗走させた。
ペンテシレイアは連日攻め寄せたが、アガメムノンは軍勢を陣営内にとどめ、出撃しなかった。
 そこへメネラオスがネオプトレモスとともに到着した。ネオプトレモスは父の墓前で悲しんだ。
ペンテシレイアが攻め寄せると、ネオプトレモスは父の武具を身に着け、ミュルミドーン勢を率いて出陣した。
アガメムノンは軍を整列させ、両軍は激突した。
 ネオプトレモスとペンテシレイアは連日多数の敵を殺し、ついに向かい合った。
二人は激しく戦い、まずペンテシレイアがネオプトレモスに傷を負わせて大地に両手をつかせた。
しかしネオプトレモスは立ち上がり、ついに彼女を斬り殺した。
 トロイア勢は潰走し、町の中に退却した。ギリシア軍は再びイーリオンを包囲した。

◇戦争の終結

*和平か継戦か

 多くの将を失い、救援の手も尽きたトロイア勢は会議を開いた。
 まずアンテノールが発言した。こちらの有力な将はことごとく討たれたが、あちらにはまだ勇将が多数残っている。
その上トロイアは包囲され、疲れ果てている。よってヘレネーとその財宝を返還し、講和すべきであると。
 彼らは講和について話し合ったが、その時プリアモスの子アンピマコスが立ち、徹底抗戦を主張した。
アイネイアスはそれに反対し、プリュダマスも和平を支持した。
 しかしプリアモスはアンテノールとアイネイアスに対して怒った。
アンテノールはギリシアでいかに侮辱的に扱われたかを話し、
アイネイアスはギリシアに遠征してアレクサンドロスがヘレネーを奪うのを助け、ともに戦争の発端となったではないか。
そのおまえたちが今さら何ということを言うのか、と。そしてプリアモスは和平を拒絶し、継戦を決定した。

*暗殺指令

 会議が終わったあと、プリアモスはアンピマコスを呼び、和平を口にした者をひそかに粛清するよう命じた。
近日中の朝の礼拝後にアンテノールらを食事に招待するので、その場で不意打ちにし殺すようにと。
そしてそのための武装兵を集めるようにさせた。
 アンピマコスはこれに同意し、実行の約束をすると、プリアモスと別れた。

*裏切り

 その日、アンテノール、プリュダマス、ウカレゴン、ドロンらは会合を開いていた。
アンテノールは、プリアモスの決定は国家と国民を破滅に導くものであり、
問題解決のためには一計を案じなければならない、と説いた。そして、一同が同盟を誓うなら、その策を明かそう、と言った。
彼らがみな誓いを立てると、アンテノールは語りだした。
われらはみな、国を裏切らねばならない。誰かがアガメムノンにそのことを告げなければならない。
事は迅速を要する。プリアモスは和平を口にした自分たちに怒っており、どのような策略を練っているかもわからないのだから、と。
 一同はこれに賛成し、プリュダマスが密かに出かけてアガメムノンに会見して画策のことを話した。

*夜襲

 その夜、アガメムノンは会議を開いてプリュダマスの話を伝え、どうすべきか協議した。
オデュッセウスとネストールは罠かもしれないと危惧したが、ネオプトレモスはこれに乗るべきだと賛成した。
そこでプリュダマスから合言葉を得て、それをシノンがアイネイアス、アンキセス、アンテノールに試し、
信頼できるものか決着をつけようということになった。
 シノンはトロイアに行き、合言葉を試してみた。彼らは城門や城壁の守備を担当していた。
そして彼らから答えの合言葉を得ると、戻ってきて報告した。
 アガメムノンはプリュダマスの言葉を信用し、
裏切りが成功するならば彼らとその家族、私有財産の全てに一切手をつけないことを約束した。
プリュダマスは、次の夜になったらスカイア門へ軍を進めること、
そうすればその門の警護を司るアンテノールとアイネイアスが合図とともにこれを引き入れるだろう、と指示した。

 次の夜、アンテノールとアイネイアスはスカイア門を開いて松明をかかげ、ネオプトレモスをはじめとするギリシア勢を引き入れた。
ネオプトレモスはアンテノールの道案内で宮殿へと侵攻、トロイア勢を殺害するとプリアモスを追撃してゼウスの祭壇で斬り殺した。
 ヘカベーはポリュクセネーと逃げ、アイネイアスと出会うと彼に娘を託した。彼はポリュクセネーを父アンキセスの館にかくまった。
アンドロマケーとカッサンドラーはアテネの社殿に隠れた。ギリシア勢は一晩中殺戮と略奪を続けた。

*ポリュクセネーの犠牲、ギリシア勢の帰国

 夜が明けると、アガメムノンは全指揮官を城砦上に集め、会議を開いた。
彼は神々への感謝ののち軍を賞賛し、すべての戦利品の分配を命ずると、
改めてアンテノールらトロイアを裏切った者たちをどう扱うかを尋ねた。一同は、彼らに名誉を与えるべきであると言った。
 アガメムノンはアンテノールらを呼び出すと、彼らの権利の全てを確認してやった。
アンテノールはギリシア勢に感謝の言葉を述べると、ヘレノスとカッサンドラーの助命を求めた。
彼らは常に和平を嘆願しており、またヘレノスはアキレウスの遺体をギリシア方に返還するよう尽力したのだから、と。
アガメムノンはそれを認め、彼らに自由を与えた。
 自由を与えられたヘレノスは発言を求め、ヘカベーとアンドロマケーの助命を嘆願した。
アガメムノンはこれも認め、彼女たちに自由を与えた。
 それから戦利品の分配と神々への犠牲式が行われ、五日後の帰国が決定された。

 出航の時が来ると、大嵐が起こり数日猛威を振るった。カルカスは、死者の霊が不満を述べているのだと言った。
ネオプトレモスは無念の死を遂げた自分の父が怒っているのだと思い、
父の死の原因であり、宮殿に見当たらなかったポリュクセネーのことを申し立てた。
 アガメムノンはアンテノールを呼び、ポリュクセネーを見つけ出して連れてくるよう命じた。
アンテノールはアイネイアスのもとに行き、ギリシャ勢のためにポリュクセネーを引き渡してくれと頼み込んだ。
そして、彼女をアガメムノンのところに連れて行った。
 アガメムノンはポリュクセネーをネオプトレモスに引き渡し、ネオプトレモスは父の墓前で彼女の喉を切った。
アガメムノンは、ポリュクセネーをかくまったアイネイアスに対して怒り、彼とその一族を国外追放とした。
 ギリシア勢は出航した。数日の間、夫メネラオスと一緒に帰国したヘレネーは、来た時よりも深く悲しんだ。
ヘレノスは妹のカッサンドラーと兄ヘクトールの妻アンドロマケー、母ヘカベーを連れてケルソネース人のところに行った。

 プリュギア人ダーレスはこれ以上を書いていない。
彼はアンテノールの従者としてトロイアに残留していたからである。
 トロイア戦争は、十年と六ヶ月さらに十二日続いた。
ダーレスの日誌によると、戦死したギリシア軍の数は八十八万六千人、
トロイア軍は六十七万六千人であった。
 アイネイアスは、アレクサンドロスがギリシアへ行く際に用いた二十二艘の船とともに出航した。
彼には三千四百人の従者がいた。
アンテノールには二千五百人、アンドロマケーとヘレノスには、千二百人の従者がいた。

(終わり)


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