3.ネオプトレモス参戦


◇猛威を振るうエウリュピュロス(第六巻)

 暁の女神はオケアノスの流れとティートーノスとの臥所を後にして天空へ昇り、天地を光輝で満たした。
露の命の人間たちも各々の仕事に取りかかり、それぞれの職分に精を出していた。
 アカイア勢はメネラーオスの招集で会議場へと集まった。
メネラーオスは一堂の中に立ち、言った。
「アイアースも逞しいアキレウスも死んだ。これ以上自分と恥知らずなヘレネーのために将領を失うわけにはいかない。
あの女よりも各々がたのほうが、わたしにとって大切なのだ。だから、われわれはすぐにもここを立ち去ろうではないか」
 メネラーオスはこう言ったが、その本心はアカイア勢の心を試したのだった。
彼の期待通りすかさずディオメーデースが立ち上がり、トロイアを何としても殲滅すべきだと弁ずる。
そして彼に続き、テストールの子、予言者カルカースが発言した。
「わが言葉を聞きたまえ、一騎当千のアルゴスの勇士たちよ。あなたがたは神託を誤りなく伝えるわが術を知っている。
以前、わたしは十年目にイーリオンを陥落できると言った。そのことは今や神々が成就させようとしておられ、
勝利は目の前にある。
そこで、ディオメーデース殿と戦士の鑑オデュッセウス殿を、黒い船で速やかにスキューロス島へ派遣しよう。
お二人にアキレウスの勇敢な息子を説得させ、連れてきていただきたいのだ。
彼はわれわれに大きな光をもたらすはずだ」
 賢明なテストールの子の言葉に一同は喝采した。オデュッセウスもこれに賛成する。
メネラーオスはオデュッセウスに、もしアキレウスの息子ネオプトレモスがここへ来て戦ってくれるならば、
彼に娘ヘルミオネーを妻として与え、また多数の贈り物を進呈する、との伝言を頼んだ。
 かくてオデュッセウスとディオメーデースは海路スキューロス島へと向かった。

 神々はトロイア人らに、豪勇ヘーラクレースの孫エウリュピュロスを遣わした。
彼はヘーラクレースとアウゲー(アルカディアのテゲエー王アレオスの娘)の子テーレポスが
プリアモスの姉妹アステュオケーとの間にもうけた子で、プリアモスの王子らとは従兄弟に当たる。
 彼はミュシアのカイコス河のほとりに住むケーテイオイ人を率いて来援し、
その軍勢、そしてその先頭を行くヘーラクレースの孫の偉容に、トロイア人は見ほれていた。
パリスが彼を迎えて案内し、ヘレネーを交えて心ゆくまで歓待する。
トロイア勢とケーテイオイ勢はその夜一緒に食事をとり、様々な話や音楽で楽しんだ。

 夜が明けると、エウリュピュロスは戦支度を整えた。その甲冑は白く輝く稲妻のように照り輝いた。
彼は楯を手にしたが、それには豪胆なヘーラクレースが成し遂げた数々の偉業が描かれていた。

まだ幼いヘーラクレースが二匹の蛇を絞め殺したこと。
ネメアの獅子を撃ち殺したこと、イオラーオスとともにヒュドラを倒したこと。
次いでエリュマントスの猪、とケリュネイアの鹿を生け捕ったこと。
さらにステュンパロス湖の鳥退治にアウゲイアースの牛舎掃除、ヒッポリュテーの帯、ディオメーデースの人食い馬の話が描かれ、
ゲーリュオネースの牛狩り、黄金の林檎探索、ケルベロス生け捕りの話が続く。
またヘーラクレースはプロメテウスを解放し、ポロスの洞穴のそばでケンタウロスたちと戦い、
ネッソスをエウエーノス河のそばで射殺していた。
他方では勇猛なアンタイオスとの戦いが描かれ、、
また海の怪物を殺してトロイア王女ヘーシオネーを助けた情景もその楯を飾っていた。

 エウリュピュロスは軍勢を整えると、アレクサンドロス・パリス、アイネイアース、プーリュダマース、パムモーン、
デーイポボスそしてパープラゴニア勢を率いるアイティコスらとともに出撃した。
アルゴス勢も船陣の前に軍列を整え、これを迎え撃つ。両軍が激突し、戦闘(キュドイモス)と殺戮(ポノス)が辺りを飛び交い始めた。
 はじめはアルゴス勢がやや優勢であったが、ケーテイオイ勢を率いるエウリュピュロスが前線に出てくると戦況は一変した。
彼は黒い嵐さながらにアカイア勢を次々に屠っていき、さらにシューメー島の王、ニーレウスの腰の上を槍で突いた。
ニーレウスは大地に倒れ、その美しい顔は血に塗れていった。彼はアカイア軍中でその美貌をうたわれていた。
 エウリュピュロスがその武具を剥ごうとした時、マカーオーンが向かってきた。
彼はエウリュピュロスの肩を槍で突き、血を吹かせる。エウリュピュロスはすぐさま反撃、マカーオーンの腰を大槍で傷つけた。
だがマカーオーンもひるまず、大石を持ち上げると相手の頭目がけ投げつける。
大石はエウリュピュロスの頭に当たったが、その兜が残酷な死をかわす。
エウリュピュロスは大槍を繰り出し、マカーオーンの胸を貫き通した。
 エウリュピュロスは槍を引き抜き勝ち誇った。
「おまえは医者で、その薬を信頼してわたしにかかってきたのだろうが、
もはやおまえの父上(医神アスクレーピオス)が風すさぶオリュンポスから降りてきても、おまえを救うことなどできまい」
 マカーオーンは最後の息でこう言った。
「おまえの命も長くはない。おまえのそばには死神がつきまとっているぞ」
 そしてマカーオーンの魂は冥府へ去った。エウリュピュロスは言った。
「そうなった以上はもう地に寝ているがいい。しかし、わたしは後のことなど気にはしない、たとえ死が足下にあろうともな。
われら人間は不死身ではない、死はすべての者に訪れるのだから」

 ニーレウスとマカーオーンの二人が討たれたことに気づいたテウクロスは大声をあげて味方に檄を飛ばした。
アカイア勢は悲痛にとらわれ、すぐに二人の元へ駆けつけると遺体を守って激しく戦った。
 マカーオーンの弟ポダレイリオスは後方で負傷兵の治療に当たっており、しばらくは兄の死を知らなかった。
しかし悲報を聞くと、彼はすぐさま完全武装し戦場へと飛び出していった。
 怒りに燃えるポダレイリオスはアガメーストール誉れ高い子クレイトスを殺した。
次いで女神にまがうプロノエーが産んだラーソスを討ち取る。
彼は兄の遺体のそばで奮戦、敵勢を斬り散らし、アカイア勢は間もなく二人の遺体を引き出すと船陣へと運んでいった。

 アカイア勢はエウリュピュロスの前に多数が襲われ、船陣へと退却していた。
戦場で踏ん張っているのは小アイアースとアトレウスの二人の子、そして少数の将兵だった。
しかし小アイアースが賢明なプーリュダマースを槍で刺して後退させると、
メネラーオスはデーイポボスを刺してこれも退却させる。
アガメムノーンも多数の兵士を討ち取ると槍をかざしてアイティコスに突撃、アイティコスは支えきれず逃走した。
 エウリュピュロスは味方が後退するのを見ると、すぐに船陣のほうから引き返し、彼らに襲いかかった。
パリスとアイネイアースもそれに呼応して攻めかかる。
 アイネイアースは大石を持ち上げるとアイアースの兜目がけ投げつけた。
アイアースは土埃の中に倒れたが、まだ息はあった。すぐに家来たちが彼を抱き上げ、船陣へと運び去る。
彼の運命の日はここではなく、後日カペーレウス岬で訪れることになっていた。

 アトレウスの高貴な兄弟二人は戦場に取り残された。トロイア勢は彼らを囲んで矢や石や槍を放ってくる。
二人は必死で応戦したが、敵の攻勢はやまず、いずれは討ち取られてしまうものと思われた。
だがその時、テウクロスに心の広いイードメネウス、メーリオネースにトアース、
そして神のごときトラシュメデースが駆けつけ、エウリュピュロスらに立ち向かった。
 槍の名人テウクロスはアイネイアースの楯に槍を投げた。槍は楯を貫くことはできなかったが、
恐れたアイネイアースはやや引き下がった。
 メーリオネースはパイオーンの裔ラーオポオーンに襲いかかった。
彼は三つ編みもうるわしいクレオメーデーがアクシオス河のほとりで産んだ子で、
アステロパイオスとともに聖都イーリオンへとやってきていた。
メーリオネースは彼の下腹部へ槍を突き刺し、一撃で息の根を止めた。
 また小アイアースの戦友アルキメデースは投石器で石を放ち、パムモーンの御者ヒッパシデースのこめかみに当てた。
ヒッパシデースは戦車から落下し、自ら操っていた戦車に轢かれて死んだ。御者を失ったパムモーンは他のトロイア勢に救出された。
 アンテーノールの子、神にもまがうアカマースが突進してきた。
しかしネストールの精悍な息子トラシュメデースがこれを迎え撃ち、その膝に槍を撃ち込んだ。
アカマースは激痛に呻き、すぐさま戦線離脱する。
 エウリュピュロスの家来の一人がトアースの戦友デーイオピテースの肩の下に槍を突き刺した。
そこへエウリュピュロスが襲いかかり、息の根を止める。
トアースはパリスの右腿を槍で刺し、パリスは弓を取りに行くために後退した。
 イードメネウスは大石を持ち上げてエウリュピュロスに投げつけ、その手から必殺の槍を叩き落す。
エウリュピュロスは一次後退し、アトレウスの子らは一息ついた。
しかしエウリュピュロスの家来がすぐに彼のための槍を運んできて手渡したので、彼はすぐに戦線復帰し暴れ回った。
その勢いは凄まじく、ついにアカイア勢は敗走を始めた。

 エウリュピュロスはアカイア勢を殲滅せよと檄を飛ばし、追撃する。
トロイア勢は逃走するアカイア勢を次々と土埃の中に倒していった。
 エウリュピュロスはブーコリオーン、ネーソス、クロミオス、アンティポスをしとめた。
また、数え切れないほどの将兵を殺戮した。
 アイネイアースはペレースとアンティマコスを倒した。二人はイードメネウスに従いクレータから来ていた。
アゲーノールはステネロス配下のモーロスを槍で殺し、パリスは大アイアースの配下であった兄弟モシュノスとポルキュスを、
さらにメゲースの家来クレオラーオスを射殺した。彼はさらに矢を放ち、アカイア勢の兵士エーエティオーンをしとめる。
 トロイア勢はこのままアカイアの船団に火を放とうかという勢いだったが、ここで夜がやってきた。
トロイア勢はシモエイス河のほとりに退き、雀躍して野営した。
一方、アカイア勢は多数の味方を失い、嘆き悲しんでいた。

◇ネオプトレモス来援(第七巻)

 暁の女神エーオースが目ざめて輝き、夜の闇が退くと、
アカイアの子らは、ある者は防壁の前でエウリュピュロスとの戦闘に向かい、
またある者は船団のかたわらでマカーオーンとニーレウスを葬った。
 兄を失ったポダレイリオスの嘆きは激しく、死ぬつもりで剣や毒薬に手を出しては戦友たちに止められていた。
彼は兄の塚の前でくずおれたままで、彼の家来や戦友たちが彼を囲んで泣き喚いていた。
そこへネーレウスの子ネストールが近づき、嘆くポダレイリオスを諭し励ました。
 ポダレイリオスは、自分の面倒を見、子のように大事にしてくれた兄の恩を語ってなおも嘆いたが、
ネストールはなおも諭した。
「人の命の先行きは誰にもわからぬ。それゆえ人間は確固たる道を歩まず、しばしばよろけ、つまずく。
きらびやかに見える道も、あるときは不幸に逸れ、またあるときは幸福へと向かう。
人間の誰もが初めから終わりまで幸せであることなどない。
人の運命は人それぞれじゃ。儚い命のわれらが苦痛にまみれて生きるのは正しくない。
そなたは常によりよいことを望むのじゃ、不幸に心奪われてはならぬ。
こういう言葉がある、『立派な人間の魂は永遠不滅の天へ昇り、邪悪な人間のそれは闇へ下る』と。
そなたの兄マカーオーンには二つの資格があった、ひとつには彼は他人に優しかったし、
もうひとつには神(アスクレーピオス)の子であった。だからわしは思う、
彼は父君のご意思で昇天し、神々の仲間入りをされたのだと」
 ネストールはポダレイリオスを立たせて船陣へと連れ帰ったが、防壁のほうでは苛烈な攻防が続いていた。

 疲れを知らぬアレースに似たエウリュピュロスは、力強い手と血に飢えた槍を揮い、敵を薙ぎ倒していた。
彼は自分に立ち向かってきたヒッパルキモスの子ペーネレオース(ヘレネーの求婚者の一人、元アルゴナウテース)を槍でしとめ、
さらに多数の敵を倒した。そのさまは、強悍なヘーラクレースがポロエーの峰でケンタウロスたちを殲滅した時のようであった。
 アカイア勢はペーネレオースの遺体を戦場から引き出して船陣へ送ると、どっと防壁内へ退却した。
彼らはもはやエウリュピュロスと戦う勇気はなかった。ヘーラクレースが自分の孫の英気を高め、アカイア勢に逃走を強いたからである。
この時トリートゲネイア・アテーネーがアルゴス勢に胆力を吹き込まなければ、
エウリュピュロスは速い船とその中の者どもを滅ぼしていただろう。
彼らは防壁の上から飛び道具を放ち続け、攻め寄せる敵勢を倒していった。

 それからもケーテイオイ人およびトロイア勢とアルゴス勢は攻防を続けたが、
アカイア勢はエウリュピュロス王のもとに使者を送り、二日間の休戦協定を結んだ。
戦死者たちを葬るためである。
彼はこれを了承し、両陣営は戦闘を中断、戦死者たちの葬儀を行った。
アカイア勢はとりわけペーネレオースの死を悼み、彼のために高く大きな塚を造った。
それから他の戦死者たちをひとまとめにして薪の山を積み上げ、塚を盛った。
 一方トロイア勢も戦死者たちを葬っていたが、敏捷な不和女神エリスは大胆不敵なエウリュピュロスをさらに煽りたて、
敵に挑ませようとしていた。彼は船陣の前から後退せず、アカイア勢にいっそうの攻勢をかけようとしていた。

 そのころ、オデュッセウスとディオメーデースは黒い船でスキューロス島に到着すると、
ネオプトレモスの住む館の前に立った。
折しもネオプトレモスは弓射、槍投げ、乗馬に没頭していたが、それを見た二人は大いに満足した。
ただ、彼の心は戦死した父親ゆえにやつれ果てていたのだが。
 二人がネオプトレモスの前に歩いていくと、彼は二人の出自と用件を尋ねた。
オデュッセウスは自分たちの名前を明かし、神託に従いトロイアへ赴いてアカイア勢を守ってほしいと要請した。
そして、そのあかつきには自分からアキレウスの武具一式を進呈すること、
またメネラーオスは戦が終わった後、多数の進物とともに娘ヘルミオネーを与える約束をしたことを告げる。
 ネオプトレモスはすぐに参戦を受諾し、明日出発することを明言してから二人を館に招き入れ、もてなした。
館には、今なお悲しみに暮れている寡婦デーイダメイア(アキレウスの妻)がいたが、
ネオプトレモスは彼女の苦悩を慮り、また引きとめられても困るので、二人の来訪の理由は話さなかった。
 しかし、デーイダメイアはオデュッセウスらの来訪の理由をうすうす感づいていた。
彼らは自分からアキレウスを引き離し、自分を寡婦にした張本人なのだ。

 次の朝、三人は急いでベッドを離れた。
デーイダメイアはすぐにそれに気づき、ネオプトレモスに取りすがると、思いとどまるよう泣きながら説得する。
しかしネオプトレモスは全く心動かさず、トロイアへ向かう意思の変わらない事を告げた。
 そこへスキューロス島の王、デーイダメイアの父リュコメーデースがやってきて、
後日トロイアから帰還するときは海の上の旅に気をつけるように、と忠告して戦に向かう孫に接吻し、祝福した。
母はなおも息子を引きとめようとしたが、ネオプトレモスは母に何度も接吻すると、彼女から離れて船へ向かった。
 デーイダメイアは館に戻って激しく嘆いたが、しかし彼のために二十人の家来をつけてやった。
彼らは先を行く三人に合流し、ともに船に乗り込んだ。
 海ではテティスがネーレーイスとともに喜び、黒髪豊かなポセイドーンもまた喜んだ。
アキレウスの非の打ち所のない強い息子を、そしてまだひげも生えていない子供が悲痛な戦闘を熱望しているのを見たからである。
町では島の人々が、この勇敢な王を神々が無事に戦争から連れ戻してくれるようにと祈った。
神々は、この声を聞きとどけた。

 一行はトロイア向け船出した。アンピトリーテーの夫ポセイドーンは無事な航海を約束した。
オデュッセウスとディオメーデースは、道すがらネオプトレモスにアキレウスの武勇談を語って聞かせていた。
彼らの前にイーデーの峰、クリューサ、スミンテウス・アポローンの神域、シーゲイオン岬、
そして勇敢なアキレウスの墓が目に入ってきた。しかし、オデュッセウスは彼にそのことを告げなかった。
 それから彼らはカリュドナイ諸島、テネドス島を通過し、エレウースの町を過ぎる。
ここにはプローテシラーオスの墓が、そびえる楡の木の陰になっていた。

 やがて彼らは、アカイア勢の船が集結する渚に到着した。
その時アカイア勢は防壁で戦っていたが、防壁は今にもエウリュピュロスにより破壊されようとしていた。
 ディオメーデースは船から飛び出すと大音声で叫び、船陣にいる兵士はみな防壁に向かえと下知すると、
自分たちはすぐさま甲冑をまとった。オデュッセウスはイタカ島から持参した自らの甲冑をまとい、
ディオメーデースにはソーコスを倒したときに戦利として獲た甲冑を渡し、身につけさせる。
そしてネオプトレモスには父アキレウスの形見、ヘーパイストスの神授の武具を渡した。
彼の姿は父と瓜二つとなった。彼はペーリオン山生まれの巨大な槍をもやすやすと持ち上げた。

 ネオプトレモスは戦場へと向かった。彼の姿を見たアカイア勢はみな喜んだ。
彼の両眼は獅子のごとくらんらんと輝き、トロイア勢を見据えていた。
 豪胆なアキレウスの名高い嫡子は、防壁がもろくなっている辺りへと向かった。
そしてオデュッセウスと屈強なディオメーデース、誉れ高いレオンテウスとともに攻め寄せるトロイア勢をたちまち撃退する。
この時エウリュピュロスはトロイア勢に踏みとどまるよう檄を飛ばすと、大岩を持ち上げるや防壁めがけ投げつけた。
岩は防壁の土台を震わし、アカイア勢は恐怖にとりつかれた。
エウリュピュロスはアカイア勢に対し、出てきて戦えと挑発する。

 そのころネオプトレモスは、少し離れた防壁上でトロイア勢に槍や矢を雨と降らせ、彼らを恐慌状態に陥れていた。
彼らはネオプトレモスの姿を見、強大なアキレウスが蘇ったのかと狼狽した。
 上天で彼らの熾烈な戦いを見ていたアテーネーは、オリュンポスの峰を飛び降りるとシーゲイオン岬の頂きに立った。
そして戦いの趨勢を見ながら、アカイア勢をさかんに讃えていた。
 ネオプトレモスの奮戦にアカイア勢は奮起し必死で防戦した。
戦いが長引くうちに両軍の兵士の間には疲労の色が見えてきたが、
ただアキレウスの栄えある息子だけは疲労に負けてはいなかった。
彼は飛び来る矢や槍を楯で払いのけつつその場に構えて戦友らを鼓舞し、戦い続けた。
その姿を見たミュルミドーン勢は心を弾ませた。

 ネオプトレモスはデュマース(ヘクトールの従兄弟)の子、黄金を誇るメゲースの二人の息子ケルトスとエウビオスを倒した。
彼らはペリボイアから生まれた双子であったが、一人は槍で、一人は投石で、生まれてきたときと同じようにほぼ同時にこの世を去った。
その周囲ではおびただしい数のトロイア勢が倒れていった。
 昼を過ぎるとトロイア勢はいったん退き、戦闘の疲れを癒す。アルゴス勢もネオプトレモスの活躍にようやく一息をついた。
 ミュルミドーン勢の宿将で、アキレウスが幼いころはその養育係であった老ポイニクスは、
ネオプトレモスの姿を見ると苦痛と喜びに満ちた。苦痛は駿足のアキレウスを思い出したからであり、
喜びはその強靭な息子を目の当たりにしたからである。
 彼はネオプトレモスを抱きしめると接吻し、言った。
「よく来てくれた、アキレウスの気高い子よ。
かつて幼かったおまえの父を、わし自身がこの腕に抱いてあやしたものだ。
あれは神々の意向に沿ってすくすくと成長し、わしもその成長ぶりに喜んだものだった。
わしはあれを息子同様に思っていたが、あちらもわしを実の父同様に敬ってくれた。
おまえがもしわしら二人を見たら、血がつながっているかと思ったかもしれん。
武勇においては、あれはまさに天下無双だった。
しかしおまえは本当に父に似ているな。生きている彼がアカイア勢の中にいるようだ。
あれが死んでから、わしの心は苦痛に疲弊しておる。ああ、あれが生きておるうちに土がわしの体を包んでくれれば、
そしてあれの手で埋葬されていたら、どんなによかったことか。
だが、わしはおまえの父を、どんな苦痛で心を蝕まれようと、決して忘れはせん。
そしておまえも、苦痛に負けて心を弱くしてはならんぞ。
さあ、疲れたミュルミドーン勢や馬を飼うアカイア勢を助けてやるのだ。
無双の父のため、敵に怒りを叩きつけるがいい。戦に飽かぬエウリュピュロスを討ち取り、名誉を受けよ。
おまえは奴より優れておる、おまえの父が奴の惨めな父テーレポスにまさっていたようにな」
 金髪のアキレウスの子は答えて言った。
「ご老体、われらの武勇のほどは、強力な運命女神と恐るべきアレースが判断するでしょう」
 ネオプトレモスは戦場へ出ようとしたが、その時夜が彼を押しとどめた。
夜の神ニュクスはオケアノスから訪れ、人々を疲労から解放した。

 その夜、アルゴス勢はネオプトレモスを歓迎し、将領は彼に次々に贈り物を進呈し、敬意を表した。
夕餉の席で、アガメムノーンはネオプトレモスを賞賛した。
 ネオプトレモスは父の天幕に入ると、アキレウスが獲得した戦利の山を見、父を思い出して悲痛にとらわれた。
彼の姿を見たブリセーイスは、父と瓜二つの彼の姿を見て喜び、また悲しんだ。
 一方、トロイア勢も夕餉の席でエウリュピュロスの武勇をほめたたえていたが、そのうち眠りについた。
アカイア勢も見張りを残し、みな眠りに落ちていった。

◇ネオプトレモス、エウリュピュロスを討つ(第八巻)

 暁の光が大地に広がった時、すでに両軍は武装を整えつつあった。
エウリュピュロスはトロイア勢を激励し、一方アカイア勢の中ではアキレウスの大胆不敵な子がミュルミドーン勢に檄を飛ばしていた。
彼は父譲りの輝く武具を身につけると、アウトメドーンの駆る戦車に乗って防壁の前へ飛び出していく。
戦車を駆る二頭の不死の馬は、アキレウスさながらの王者を喜々として運んでいた。
アカイア勢も勇躍彼の周囲に集まり、陣を敷いた。そこへトロイア勢が押し寄せ、激しい戦闘が始まった。

 ネオプトレモスは真っ先に敵勢へ突き入り、アレクシノモスの二人の子、気高いメラネースと溌剌たるアルキダマースを討ち取る。
さらにカサンドロスの駿足の子ミュネース、プリュギア出身の槍の達人モリュノスを倒し、さらにポリュポス、ヒッポメドーンを殺した。
彼はさらにトロイア勢を殺戮し、彼らはひとたまりもなく逃げ散った。
 アイネイアースは石を投げてアリストロコスを倒し、対してディオメーデースはエウマイオスを倒す。
そしてアガメムノーンは気高いストラトスを討ち、メーリオネースはペイセーノールの子、グラウコスの戦友であったクレモスを倒した。
グラウコスの死後、リュキア勢は彼を王として仰いでいた。

 エウリュピュロスはアカイア勢に無残な死を送り続けていた。
彼は戦上手のエウリュトス、そしてメノイティオスを殺した。彼らはアバンテス族を率いるエレペーノールの戦友だった。
さらに彼はオデュッセウスの戦友ハルパロスを討ち取った。
オデュッセウスは離れたところで戦っていたためその場に駆けつけることはできなかったが、
ハルパロスの仲間アンティポスは怒ってエウリュピュロスに槍を投げた。槍はそれ、勇敢なメイラニオーンに命中した。
 エウリュピュロスは仲間の死に怒ってアンティポスに襲いかかったが、彼は素早く味方の群れに逃げ込んだ。
運命女神が彼の運命の日をまた後日、キュクロープス(一眼巨人)の地に定めていたからである。
エウリュピュロスは彼を追ってアカイア勢に突進し、その戦列を突き崩していったが、
やがてその行く手に、アキレウスの息子がやってきた。

 エウリュピュロスは相手に尋ねた。
「わたしに挑むのは誰か。わたしに挑む者はすべて冥王の館に下ることになるぞ。
おまえの出自と、誰の馬を御して誇っているのかを言うがよい」
 アキレウスの勇武の息子は言った。
「何ゆえ戦闘へと急ぐわたしに、敵であるおまえが馴れ馴れしく血筋を聞いてくるのか。
わたしは驍将アキレウスの子だ。わが父はかつておまえの父を槍で逃走させたことがある。
わが父がおまえの父を恐るべき死から救い出さなかったら、死神たちはおまえの父を捕らえていただろう。
わたしを運ぶこの馬は、神にも等しいわが父のものだった。そしてかつてハルピュイアが西風(ゼピュロス)に添い寝して生み与えたもの。
この馬たちは、大海原を飛び渡り、風のように駆け巡るぞ。
さあ、おまえはわれとわが馬の血統を知った。次はおまえがこの屈強な槍のいかなるかをその身でもって知るがいい。
この槍の出自はいと高きペーリオン山で、そこに今なお切り株と森を残してきているのだ」
 ネオプトレモスは槍を揮って戦車から飛び降りた。エウリュピュロスは巨石を持ち上げ投げつけたが、
黄金の楯はそれを完全にはじき返す。二人は接近すると、とねりこの槍を振りかざして激しく戦い始めた。
戦闘女神エニュオーは二人の近くに立ってその戦いを煽り立てた。二人は雄叫びを上げてぶつかり合い、
互いの肩を、脛当てを、そして兜を撃った。互いの皮膚が破れ、血が流れ落ちる。
この光景を見て不和女神エリスは心から喜んだ。
 二人は汗をだくだくと流しながら戦い続けた。その有様を見てオリュンポスの神々は、ある者はアキレウスの子を賞賛し、
またある者はエウリュピュロスを贔屓した。二人は全く譲らず、それは微動だにせぬ高山の峰のごとくだった。

 双方の楯がとねりこの槍で大きく鳴り響いた次の瞬間、ペーリオン産の長槍がエウリュピュロスの首を貫いた。
傷口から暗紅色の血が噴き出し、彼の魂は体から飛び立った。
彼の巨体が大地に倒れたとき、トロイアの大地と平原は凄まじい地響きを立てた。
 ネオプトレモスは勝ち誇ると長槍を引き抜いた。彼の豪勇にトロイア勢は恐れおののいた。
彼は敵の武具を剥ぎ取ると船陣へと運ばせ、再び戦車に飛び乗るとトロイア勢に突っ込んだ。
 ネオプトレモスとアカイア勢はトロイア勢を殺戮し、大地を死体で覆い、埃まみれの血で真っ赤に染めた。
戦車の車輪が回るにつれ、それは赤黒く濡れていった。
 この時恐るべきアレースはトロイアに加勢すべくオリュンポスから降りてきた。
熱血(アイトーン)、火炎(プロギオス)、轟音(コナボス)そして恐怖(ポボス)の四頭の馬が彼を運んだが、
これらは恐ろしい容貌の復讐女神(エリニュス)が鳴り響く北風(ボレアース)に生み与えた馬だった。
 アレースはトロイアの戦場に降り立つと、靄に身を隠しながら槍を振りかざし、轟く雄叫びを上げた。
その声を聞いた誰もが度肝を抜かれたが、トロイアの予言者、気高いヘレノスはアレース神の来訪と加勢を知るとそれを全軍に告げ、
神の加護のもと反撃せよと激励した。
トロイア勢は踏みとどまり、アカイア勢の勢いを押しとどめると、形勢を互角に持ち込んだ。

 ネオプトレモスはペリメーデース、ケストロス、パレーロス、ペリラーオス、メナルケースを倒した。
一方、デーイポボスはリュコーンを倒し、アイネイアースはボイオーティア勢、アルケシラオス配下のデュマースを倒す。
 メキステウス王の子エウリュアロスが槍を投げてアストライオスを殺すと、
他方ではアンテノールの子、肝の太いアゲーノールがヒッポメネースを殺した。彼は勇敢なテウクロスの優れた戦友だった。
 テウクロスは戦友の死に怒り、アゲーノール目がけ弓を引き絞ると素早い矢を放った。
アゲーノールは危うく身をかわし、矢はデーイオポンテースの両目を貫いた。
彼がまだ生きているのを見たテウクロスはすかさず二本目の矢を放ち、
今度は首に命中させてデーイオポンテースの息の根を止めた。

 容赦ないアキレウスの高名な息子ネオプトレモスは、アレースの神威を全く意にかけずにトロイア勢を蹴散らしていた。
アレースはこの姿を見て激怒し、靄を払って彼と戦いを交えようとしたが、その時、パラス・アテーネーがイーデーの峰に降臨した。
アテーネーは不滅の武具から稲妻を発しつつアレースに襲いかかろうとしたが、その時ゼウスは天空から雷鳴を発した。
父神の意思を悟ったアレースは厳冬のトラーキアへ去り、アテーネーもアテーナイ人の聖なる地へと向かった。
 戦況は再びアカイア勢の優勢となり、ついにトロイア勢は敗走を始めた。
彼らは高い門を構えた都へと飛び込み、アカイア勢はそれをびっしりと包囲する。そして互いに一息ついた。

 アカイア勢はイーリオンの城壁に攻めかかった。トロイア勢は必死で防戦する。
ポイボス・アポローンは守兵たちに屈強な力を授けた。
 イードメネウス王の従士メーリオネースが矢を放ち、ポリーテースの友人ピューロダマースの喉を射抜いて転落させる。
モロスの子メーリオネースはすかさず二の矢を放ってポリーテースを狙ったが、彼は素早くかわして死を免れた。
 両軍は城壁のところで激しく戦ったが、アカイア勢が今にもトロイアの城門と城壁を破壊するかと見えた。
その時、天から見下ろしていた高名なガニュメーデースは、祖国のことを心配してゼウスに呼びかけ、
自分の見ている前で祖国トロイアを滅ぼすのはやめてくださいと嘆願した。
 ゼウスはそれを聞き届け、プリアモスの都を雲で覆う。そして稲妻を走らせ、雷鳴を轟かせた。
(ガニュメーデースは、トロイア王家の祖トロースの子。幼少のころ、山で羊を飼っていたところをゼウスが鷲の姿をとって天上へさらっていた。
ゼウスが彼の美貌を愛したからである。彼はゼウスのそばにあって彼のために酌をつかさどった。
その姿はみずがめ座として天空にしるされている)

 突如起こった異変にネーレウスの子ネストールは、
今日のところはゼウスの神慮に従いすみやかに撤退すべきだ、
カルカースの予言が真実ならば、運命の日は今日ではないということだ、と叫んだ。
そこでアカイア勢はゼウスの神威を畏れながら退却し、その途上で戦死者たちを収容していった。
 その夜もアカイア勢はネオプトレモスの武勲をほめたたえ、夜が更けると見張りを残して眠りについた。
トロイア勢も城壁やその周囲に夜警を立て、夜襲に警戒しつつ夜を過ごした。


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