X.1月4日:水の都ヴェネツィア(その1)



1.霧の中を東へ

 4時30分起床。ゆっくりと身支度して、5時10分ごろホテルを出、暗闇の中をたった一人でミラノ中央駅へ向かっててくてくと歩いていく。できるだけ大路を歩いていくが、強盗にでも遭ったらもうひとたまりもないなこれは・・・と思いつつ、戦々恐々しながらやっとこ駅に着いた。大きく一息。
 この日はミラノから東へ300q離れた「アドリア海の花嫁」ヴェネツィアへ。昨日と同じく一人旅だ。友人たちはミラノでスカラ座グッズとか服飾品とか買ってウッハーてな感じだろう。前日買っていた6時5分ミラノ発ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅行きのチケットを持って改札を通る。この日のチケットはフィレンツェ行きに使ったユーロスターではなく、国内急行のインターシティ。車両はコンパートメント方式になっている。私のコンパートメントにはまだ誰も入っていなかった。これは個室状態かな〜?しかし、ほどなく若い女性が入ってきた。とりあえず「ブォン・ジョルノ」とあいさつ。彼女は向かいに座り、すぐに携帯を取り出すと、そのまま長電話を始めた。こんな早朝に誰と話してんだ?そのうち電車は定刻どおり発車する。一路東へ。

 外は当然真っ暗なので、本を黙々と読む。向かいの女性は電話中。長いな。6時53分にブレッシア着。民家の明かりがぽつぽつと見える。どうやらかなり霧が深いらしく、その明かりはぼうとしていて、何だかとても幻想的な雰囲気だった。それから、遠くに湖を見つつさらに東へ。ガルダ湖、かな?湖沿いに点在する、霧に煙る明かりを見ていると、おとぎの国にいる気分になってくる。ヴェローナを過ぎ、ヴィチェンツァに到着するころ、やっと明るくなり始める。ものすごい霧だった。遠くはほとんど見えない。空は曇り、太陽は見えない。あれれ、ついてないな・・・パドヴァを過ぎ、ヴェネツィアのイタリア本土側の駅・ヴェネツィア・メストレ駅着。女性はここで降りていった。そして電車はゆっくりと霧の中の海橋を渡り、8時55分、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅着。
 下りてみると、コートを着た重装ながら肌寒い。空は厚い雲に覆われ、霧が辺りに立ちこめている。先に帰りの券を買おうとしたが、乗ろうと思っていた列車は日祝日オンリーなことを指摘され、一時間前の列車の券を買う。駅を出ると、すぐそこが大運河だった。運河の上をカモメたちが鳴きながら飛んでいく。

2.水上バス〜リアルト橋

 大運河(カナル・グランデ)は、ヴェネツィアの中央を曲がりくねりながら貫流している、自動車というものが存在しないこの地にあっては最大の交通路だ。ゴンドラが、警官の乗ったボートが、次々に目の前を通り過ぎてゆく。水の音を聞くと寒さが改めて身にしみた。駅を出るとそこは水上バス(ヴァポレット)乗り場になっていた。チケット売り場を探し、水上バス一日乗り放題の券を購入(18000リラ、ちなみに一回6000リラ)、バスナンバーを確認して乗り場に並ぶ。とりあえずリアルト橋まで行くだけなので、たいていのバスが該当した。
 やってきたヴァポレット82番、サン・マルコ経由リド行きに乗り込む。後からも人がぞろぞろと乗り込み、屋形船くらいのヴァポレットはあっという間に一杯となった。それを見計らって車掌さんが乗船を締め切り、発船。
 バスはゆっくりと進んでいく。人ごみの中から辺りを見回すと、両岸には隙間なく民家が建ち並んでいた。水から家々が生えている、といった感じ。家からは桟橋が伸び、船が着けられるようになっている。晴れていたら、民家の白い壁に陽光が反射して輝き、もっと綺麗なのだろうけど・・・残念。
 しばらく進むと、前方に大きな橋が見えてきた。これがヴェネツィアの運河にかかる数ある橋の中でも最大のリアルト橋。1588〜1592年に、アントーニオ・ダ・ポンテにより建設された。石造りで、船が充分に下をくぐれる高さを有し、さらに柱廊をそなえた堂々たる造り。ここの駅で降り、リアルト橋を渡って運河の右岸へ。柱廊の内側にはいろんな店が並んでおり、たくさんの人が立ち止まり行き交い、とても賑やかだった。

3.スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ〜
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会


 リアルト橋を渡って左折、石畳の路を歩きつつ、スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコへと向かう。サンタ・シルヴェストロ広場を過ぎ、人の流れから外れないように広めの路を通りつつ、ポーロ広場に出てきた。中央にはイエス・キリスト降誕の情景を模した聖家族の人形が置かれている。西洋では、クリスマス・シーズンは公現の祝日・1月6日の日中までなので、まだこういう人形が置いてあるのだ。馬屋の飼葉桶の中で眠るイエス、それを見つめるヨセフとマリアの夫妻・・・その素朴な人形たちを見ているとなんだか心が温かくなった。
 小さな運河や水路が多く、そのたびに橋を渡り、さらに路も狭く入り組んでいて迷いそうになるが、大多数の人を信じて彼らの後をついていき、ところどころにある標識を頼りに、やっとサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会へ出てきた。ここは後回しとしてとりあえずそのそばを過ぎ、右折。そこにスクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコサン・ロッコ教会があった。
 先のほうを学生らしい数人の若者たちが歩いている。行き先は同じのようだ。それにしても・・・イタリアの人間はよく犬を飼っているが、ふんの始末も自分でしろよ、と思う。そこらへんに犬のふんが転がっている。まあ業者さんが掃除してくれているみたいだから、そのままでも気にしないんだろうけど・・・すると、かの若者たちがいきなり騒ぎ出した。踏んじゃったらしい。ツイてるねノッてるね。私もさりげなく距離を置く。

 スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコサン・ロッコ同信会館と訳されることもあるこの建物は、富裕な市民が貧者の救済のために作ったスクオーラ(英語のスクールにあたる単語だが、ここでは互助組織をさす)の集会所として建てられ、ここで貧者への施しや施療が行われた。サン・ロッコ教会の向かいにあるため、その名を冠している。サン・ロッコ(ラテン語では聖ロクス)はペストの治療に奔走したことで知られる人で、聖人に列せられてからはペストから身を守ってくれる守護聖人として人気があった。
 16世紀のヴェネツィアには100を越えるスクオーラがあったのだが、現在ここが他に抜きん出た知名度を誇っているのは、ほかでもない、その建物内に描かれた夥しい数の絵画による。作者はヤコポ・ロブスティティントレットという通称であまねく知られる、ヴェネツィアを代表する画家の一人だ。
 辺りは静かで、犬の散歩で通り過ぎる人以外に人通りはない。先ほどの「踏んだ」団体もスクオーラの前で待っている。冬の間は10時開館なので、まだしばらく待たないといけない。と、一人のシスターが来られて、彼らに話しかけた。どうやら彼らの案内役を務めるらしい。
 やっと時間がきて、彼らが中に入っていく。私も後についていった。チケットを買い、館内へ。

 いきなり目に飛び込んできたのは、『受胎告知』。翼をはためかせ今まさに大工ヨセフの家に飛び込んだ大天使ガブリエルがマリアの前に現れた瞬間を描いた、動的迫力に満ちた鮮やか極まりない絵だった。驚くマリア、宙にあって左手にゆりの花を持ち、右手で聖霊の鳩を指すガブリエル、マリアに一条の光を射し掛ける黄金の聖霊の鳩、鳩に従うケルビム(幼児姿の天使群)・・・ううっ、すごい!隣には『東方三博士の礼拝』『エジプトへの逃避』『幼児虐殺』と、イエス誕生にまつわるエピソードが続く。一番奥には『マグダラの聖マリア(マリア・マグダレーナ)』、その向かいの壁に『エジプトの聖マリア』があり、そこから入り口に向かって『神殿奉献』『聖母被昇天』が懸かっている。絵画は巧みにライトアップされ、輝かしい絵をさらに引き立ててていた。こんな素晴らしい絵がこんなところにひょいと架けてあるなんて、イタリアはなんていい所なんだろう。
 階段を上って2階広間へ入ると、頭がくらっとした。壁や天井が絵で埋め尽くされている。昔の人はタダでこれを堪能していたのか?贅沢すぎるッ!
 有名な『マナの収集』『岩から泉を出すモーセ』『ヤコブの梯子』など、金色をふんだんに使用した絵が天井に描かれている。その数二十一枚。さらに壁面には『羊飼いの礼拝』『最後の晩餐』『昇天』などが架けられている。薄暗いこともあって、それらの作品が圧倒的迫力をもって迫ってきた。
 隣の部屋は「もてなしのホール」。ここの天井には、『聖ロクス(サン・ロッコ)の栄光』が描かれている。アルヒーフ・レーベルから出ているCD『サン・ロッコの栄光』(ポール・マクリーシュ指揮ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ)のジャケット画がこれだ。これも素晴らしいが、何といっても目を引くのは小ホールの入り口向かいの壁面いっぱいに描かれた『磔刑』。十字架に架けられたイエス、今まさに十字架に架けられようとしている二人の罪人、悲しみのあまり倒れ込む聖母マリアとマグダラの聖マリア、イエスの衣をさいころで取り合う兵士達、「S.P.Q.R.」の旗を持つローマ兵とその先頭に立つ百人隊長聖ロンギヌス、イエスに水を含ませようとする男など、およそ磔刑に出てくる人物、出来事を可能な限り詰め込んだ大作で、絵の大きさは536×1224cm。下方には「ヤコブス・ティンクトレクトゥス」とラテン語形でのサインが入っていた。
 凄まじい迫力。実際に見てみないとこの迫力はわからない。しばらくは動けなかった。
 入口側の壁には、同じく受難を題材にした『ピラトの前のキリスト』『荊冠の戴冠』『ゴルゴタへの道行』が描かれており、これもよかった。

 ここで時間をかなり使ってしまった。どうにも帰りづらく、一回階段を降りかけてまた二階広間へと戻ったりしていたので。自分より遅れて日本人の子供連れのご夫婦が上がってこられ、絵画を堪能しておられた。さて今度こそ一階に降り、売店で画集を買ってやっと外へ。向かいのサン・ロッコ教会に入ったが、とても静謐な雰囲気、そして祈りを捧げている方がいらっしゃったので、すぐに教会を出た。
 もと来た道を引き返し、フラーリ広場へ。

 サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会は、フランチェスコ会修道士によって14〜15世紀にかけて建てられたゴシック様式の教会。歴代のドージェや芸術家の多くがここに埋葬されている。通称はイ・フラーリ教会
 入り口からまっすぐ進み、左手の主祭壇を見ると、そこにはティツィアーノ・ヴェチェッリオの最高傑作のひとつ『聖母被昇天』があった。祭壇前の段差よりは前へいけないので遠くから見ることになるのだが、ケルビムが周囲を支える中、雲に包まれ天に引き揚げられる聖母マリアの姿は、金色と赤を基調とした暖かい、というか燃え立つような輝かしさで、座席に座ってしばらくぼうっと見入っていた(疲れたので)。まるで画枠の向こうで今起こっている光景を見ているような錯覚を覚えた。ヴェネツィアに来たら、これは見ておかなければいけない。
 それから中を一周して、ティツィアーノをはじめヴェネツィアの歴史を飾った偉人達の墓を見る。が、次に行くサン・マルコ大聖堂が気になってしょうがなかったので、ここは早めに教会を出た。
 

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