働く学生さん

  

 新聞配達員の朝は、早朝の4:00に始まる。
 起床し、朝食を取る前に、販売所に向かう。既に配送されている新聞には折り込み公告を挟んでいないので、まずはそれを挟み込む作業から始まるのである。広告の多い新聞社等だと、その作業だけで結構時間を食ってしまう事がある…時折、新聞広告に同じものが2枚入っていたりした場合、担当した配達員の疲労の事を考えれば、少し気分が和むかも知れない。
 今年、芸術系大学に現役合格をした真田遼は、大学から程近い新聞販売所の近くに下宿をし、新聞配達をし乍ら通っている。元々山暮しで、そんなに夜更かしをしないタイプであった遼は、1日のタイムテーブルがこの様にずれた事にも差程苦に感じていない。寧ろ、綺麗な朝日を此処でも毎日拝める生活に愉しみを覚えているくらいである。当麻等には、まず無理な芸当であろう。
 販売所迄の10分位の道のりをスゥェット姿の軽いランニングで向かう遼は、まるで自主トレ中の格闘家の様である。販売所に着き、硝子のサッシを開けると、近所迷惑にはならない程度の元気な声で
「おはようございまーす!」
と挨拶をし乍ら入ってくる。この元気さが、既に販売所の中でも遼が皆に好かれる部分である。他の苦学生からも、彼は好かれていた。
「おはよう、遼」
 所長と、所長の奥さんがにこやかな笑顔を向ける。
「遼。今朝は此処で、朝御飯食べていきなさい」
 大概の学生は一人暮らしで自活をしているので、時折所長婦人が配達員の学生達に食事を給わってくれる。豪華ではない懐かしさを感じさせる家庭料理の味が、学生達にはなんとも嬉しいものなのだ。
「はい!有難うございます!」
 着いて早々、息もきらさずに遼は早速折り込み作業を開始していた。
「よ、遼!おはよう!」
「なんだよ、今日は遼より早く着いたつもりだったんだけどなー」
 清清しい朝が始まる。

 遼の契約している新聞社は、大きな新聞社ではあるが、広告の数は普通で配達件数も軒並み普通である。特にしつこい新聞勧誘をしない事も嬉しい。しつこい勧誘だと良く噂される某新聞社だった場合、配る冊数だけでもとんでもないもので、更に広告の数も膨大な為、同じ配達員が見ても辛そうな程の重さである。
 さておき。遼の配達範囲は住宅の密集した商店街区域と、団地の区域。担当配達域の中で一番件数が多いのだが、元々山の中を駆け回っていた脚力があるからか、本人は全く苦とも思っていない。中には、普通の新聞だけでなく、経済新聞や、スポーツ新聞もとっている家もある為、その分重くなるのだが、遼はバイクを使わず、自転車と徒歩で配達をするのである。
 販売所から自転車を走らせ、担当配達区域に来ると、既に5:00を回っている。まだ早朝だから、あまり騒がしくならない様、静かに移動するのだ。大通りに面した所では、自転車に乗って1部づつポストや新聞入れに入れるのだが、自転車では派手に通れない処は、自転車を降りて配りに歩く。住宅街の先に、団地があった。此処も遼の配達区域だ。
 遼は必要な部数を取り、脇に抱えて団地の棟を上がる。下の階から、この新聞をとっている家のポストに新聞を入れていのだが、一度昇りきってからまた降りるというのが時としてかったるいと思う事がある。目の前の隣の棟迄は流石に20mは離れているので、何処ぞの香港電影武打星やせっかちな働くおばさんでもない限り、流石に此処を飛び越えて隣に行こうとはしないだろう。アンダーギア姿だったら、間違いなく屋上を伝わっていっただろうが、現実の遼は極普通の苦学生だ。バイクの免許を取って、バイクで飛び越えるのなら有りかな?等とも思いつつ、階段を降りる遼であった。
 団地を過ぎると、最後に商店街のある地域に差し掛かる。この頃には6:00を回り出している為、早朝に犬の散歩をさせる人や、市場から帰ってきた商店街の人達や、健康の為にジョギングをする人等に出くわす。
「おはようございます!」
「お、今日も御苦労さん!」
「わん!」
 明るく挨拶をかわす遼は、人からも、犬からも好かれるのであった。
 全ての配達が終わり、遼が販売所に戻った時は、6:50程であった。所長婦人が遼や他の苦学生達の為に、手料理を用意して待っていてくれていた。
「御苦労様、遼。あと貴岐が戻ってくれば御飯に出来るわよ」
「有難うございます!」
……遼の毎日は、こんな感じであった。

 

 初夏の頃、日曜日の事であった。遼の下宿先に、かつての仲間であり、今は親しい友人達である当麻、秀の二人が遼を尋ねてやってきた。この二人は各々アメリカ・臺灣の大学に留学を決めているのだが、どちらも始業が9月なので、卒業から暫く空虚な時間が出来てしまった為、卒業旅行と称して1ヶ月程アジア方面をバックパッカーの旅をしてきた所だ。そして1月後には各々留学先の國へと旅立つ。本日二人は、陣中見舞いを兼ねてお土産を届けに来た訳だ。
 最寄り駅に迎えに来た遼は、以前と代わらぬ二人の姿に両手を振って歓迎したのだった。
「よ!遼!久し振りだな!」
「元気にやってるか?」
 各々片手にコンビニやスーパーのポリ袋を抱えており、更に秀が大きな袋を抱えていた。
「当麻、秀!よく来たな!」
 大概、大学の校舎は都心より少し郊外にある。新聞配達奨学生の場合、大学の通学から30分以内の販売所に配属される事が通常であり、遼も大学迄電車で30分しない処に住んでいる為、周りの景色は少しのどかだ。遼の下宿先迄、駅から徒歩で15分位だ。
「ふーん、結構いい所じゃないか。煩くもなく、田舎すぎでもなくて」
 景色を見渡した当麻がいう。
「へぇ、当麻がそう言ってくれるとは思わなかったな。山梨の実家も好きだけど、オレ、この街も大好きだぜ」
「確かに、俺ントコよりは大人しいよな。でも遼には、これ位の処が一番落ち着くんじゃないか?」
「比較対象にするもんじゃないぞ、秀」
 秀の実家は観光地・横浜中華街のど真ん中だ。何時も賑やかで人が絶えない。すかさず当麻が釘をさし、こんな感じで雑談が進む一行であった。
「あら、遼君、彼もお友達さん達?」
 通りすがり、子供の手を引いた婦人が声をかけてきた。
「そうなんです、オレの友達です」
「前来たお友達さん達と、また随分違うのね?」
「でも、どっちもいいヤツなんですよ」
「そうなの、二人とも、遼君を宜しくね」
 等と声をかけて去っていく。
「遼、今のは誰だ?」
 婦人が去った後、秀が遼の肩を叩いて尋ねた。
「ああ、この先の、オレの配達先の団地に住んでる人だよ。夕刊配る時によく会うんだ」
 しかし、こうして通りすがりに遼に声をかけていくのは、この婦人だけではなかった。犬の散歩をさせていた老人や、学校帰りの小学生達、スーパーの買い物袋を3輪自転車に積んだ婦人から、様々な人が彼に明るく声をかけている。遼の真直ぐさと真面目さは、こんな処でも皆に好かれるのだな…と、当麻は考えたのだった。
「あ、そうだ。オレんチ、特にお茶とかないから、そこで買っていこう」
 と、遼が指指したるは、駅から続く商店街だった。
「遼、この辺りもお前の配達区域か?」
 ちょっと気になった当麻が尋ねると
「ああ、この辺りは、何時も自転車に乗って配ってるよ」
あっさりと返事をするのだった。そして、当麻の更なる予測は当たった。大方、此処の商店街の人達は、遼が何かを買う度にサービスしてくれたるするのだ。
「おや、遼じゃないか。そこの2人はお友達かい?」
 商店街の中の酒屋の店主が声をかける。
「ああ、当麻と秀って言うんだ。2人とも、今度の秋から留学しちまうっていうから、一度オレの処に呼びたかったんだよ」
「そうかー、二人とも凄いんだなー。じゃ、遼に免じて、このペットはおまけだ!」
 そういって、買おうとしたサイダーと烏龍茶の他、店主はオレンジジュースをおまけにつけてくれたのだった。
「……遼の人徳だなぁ」
 素直に感心した二人だった。

 住宅の密集した中に、遼の住むアパートはあった。部屋は2階の一番奥。中に入るよう、遼に促された当麻と秀が目にしたのは、整然としたワンルームだった。元々遼は秀程散らかすタイプではないし、ものを溜め込む様子もない。生活と通学に不自由ない程度の最小限のものがある…としか思えない感じだった。
「へぇ〜……きちんとしてるんだな」
 感心して秀がいう。
「単に何もないだけだよ。メシも所長の奥さんが出してくれる事が多いし、近所のおばさんとか、よく差し入れくれたりするんだ。自分じゃ、メシ炊く位しかしないし」
 確かに、遼の部屋の台所が活用していう様子が少ない。先程のドリンクを入れようと冷蔵庫を開けても、中に食材らしきものはなく、牛乳や飲み物、梅干しや漬け物程度で閑散としていた。恐らく、弁当代わりに握り飯を作るくらいだろう……以前、共同生活をしていた際に作った遼の料理は最悪としか言えないものであった。今はどうだろう…と思う二人だった。
「まぁ、それなら俺達の選んできた土産は正解だったな」
 当麻がいい、秀が大きな袋を取り出して遼に手渡す。
「秀に選ばせると、ロクなもんじゃなくなるからな」
 その言葉にカチンと来て、秀が言い返し…
「何だとー!お前だって征士と伸の土産に花文字選ぼうとしたじゃねーかよ」
「『優の良品』のドライフルーツの山よりもマシだろう!」
「まぁまぁ、抑えてくれよ」
遼が二人の争いを止める。突っ走ってしまい易かった昔の遼に比べ、幾分にも彼は成長していたのだった。
「…す、スマン、遼。で、これがそうなんだけどさ」
 手渡された袋を開けると、中から出てくるのは衣類や雑貨等の生活用品だった。
「東南アジアの方は、生活雑貨が凄く安いんだ。ただ、安いだけで壊れ易いのもあるから、その辺は、俺が慎重に選んできた。こういう物干とかあると便利だろ?」
 日本にはちょっと見られなさそうな雑貨、伝統工芸のような食器、様々乍らのTシャツ。あまり生活機具を揃えていなかった遼にはお誂え向きの土産物だった。
「有難う、二人とも」
 袋から出てくる様々な雑貨に喜びの笑顔を向ける遼を見ると、二人も嬉しい気持ちになる。
 その中に一つ、妙に古臭いデザインの紙の箱があった。
「何だ?これ?」
 鹿の絵の描かれた箱。中を開けるとシンプルな白いシャツ…どう見てもアンダーシャツである。
「それはすっげー有名なもんなんだ!あのブルース・リーも愛用したっつーシャツだぜ!」
 香港の用に湿気の高い國で永年愛用されている品だけに、通気性も抜群だ、と拳を握り乍ら力説する秀だった。幾ら綺麗な刺繍の入った上着を着ても、前を開けてこのシャツを見せる着方が通だとか…
 それから姑く、当麻達が持ってきて差し入れと、先程の飲み物等を頂戴し乍ら、旅の話や遼の学校生活や新聞配達の話等で盛り上がった。同じ販売所でバイクを使う2人が、スタンド迄ガソリンを入れに行くのが面倒だからとお互いのバイクからガソリンを抜いたという話や、月末に集金に行くとやたら居留守を使う家の話、名前すら希有な「工業新聞」を取る家の話、香港の屋台街で食べた食事の話、夜市の賑やかさと怪しい日本語の話等……
 その折、ふと、遼が思い出したかの様に言葉をきった。
「処で秀。『花文字』って何だ?」
 言い争いをしている時に聴いたその言葉が。遼にはイマイチ解らなかった。
「ああ、あれはなー、龍や鳳凰や金魚、吉兆いいもの絵を使って書いた文字で、飾りにもなれば縁起物にもなるんだ。自分の名前を文字にしてもらってもいいんだ。縁起のいい祝いの言葉なんかも花文字に出来るんだぜ〜」
 写真だけはとってあったので、それを見せて説明をする秀。簡易カメラで取った割に、以外に綺麗に写っており、いつかは撮影旅行にいきたいな、と遼が呟いた。
「『身體健康』とか『萬事如意』とかな。この辺がそうだ」
写真の中の小さな所を指差して、当麻が付け加えた。
「……それで、二人に『夫婦円満』みたいなのを送ろうとしたのか?当麻」
 特に疑問もなく、さらりと尋ねた遼に、当麻と秀の方がギクッと身体を震わせた。
「な、なななんだよ遼!いきなり…」
 妙に慌てる秀。参った、と額に手をやり乍ら
「いや、全くその通りだ」
当麻が答えた。
 何で遼までそんな事を考えるのか…。自分達は結構前からあの二人の中の良さに気が付いていたが、二人共遼の事を弟の様に可愛がっていたので、遼本人は気が付いていないと思っていたのだが。
「そういや、征士と伸も此処に遊びに来たのか?」
「ああ、前に」
 通りすがりの婦人が「前来た方」と言っていたのだから、あの二人だろう、と思った訳だ。
「伸が差し入れを持ってきてくれて、色々新生活の話とかしてたんだけど……何って言うのか、その雰囲気が今迄と違うって言うのか……」
 丁度この二人が旅行に言っている最中、征士と伸の二人が伸手作りの煮付けと、征士の実家の方から送られた米を手みやげに遊びに来た。だが、その時の二人が、一緒に生活をしていた時とも違う、誰も寄せつけない様なオーラのようなものを感じたのだった。只、雑談をしていた筈なのに…。
「例えて言うなら、落雁と大福をお茶なしで一気に口の中に放り込まれたみたいな気分だったよ」
 当麻と秀には、あの二人の様子が何となく想像出来てしまった。
「陣中見舞いだったのか、のろけだったのか、解らなかったよ、本当に」
 参った、と言わんばかりに遼は頭をかいた。
 かなりイッてる……遼にも解る位なのだから、今のあの二人は『甘い』処の騒ぎではないのかも知れない。まだ彼等にはお土産を届けていないのだが、逢うのが少々恐いかも知れない。
「遼もそう思うのか…」
 当麻の問いに、遼は頭を一つ縦に振った。
「俺達が向こうに行ったら、暫く大変かも知れないけど、頑張れよ、遼」
 当麻は遼の両肩を叩いて真顔で言う。そして、遼も唾を飲み込んで頷いた。
 今日は日曜日なので、遼も夕刊の配達がない。しかし、朝も早いので、早々遅くならない内に当麻と秀は遼の家を辞していった。

 

 そして当麻の予言通り、暫く遼は大変だった。
「もー、聴いてよ、遼〜〜〜〜」
 時間はきちんと選んではくれているものの、わざわざ愚痴やのろけを言いにやってくる伸。落ち着く迄話を聴き、見計らって征士に連絡をする…と言う状態に陥る事になる。
…母親からダンナの愚痴とか聞かされる息子の立場って、こんななのかなぁ…
 妙に悟った遼であった。

 

 

どっとはらい。

 

 


………おかしい。『新聞配達さわやかリョウちゃん』の話の筈だったのに、最後でしっかり征伸にのっとられてる!所詮自分が書くからかなぁ…

 自分とこのリョウは皆に愛されてます。仲間達にとってもリーダーであり弟であって、つい構ってしまうタイプ。根が真面目でまっすぐでいい奴。写真が趣味と言う設定を貰い、彼には芸大生になって頂きました……げ、芸大現役なんて凄いなぁ。日芸は確か映像写真科があったと思ったんで、イメージはそこ、ということです。そうか、リョウの部屋には光度計とかも転がってるのかなぁ…?
 新聞配達の事は、自分には経験がないんですが、短大の友達に苦学生がいたんで、彼女のお話を素にネタをいただきました。「ガソリン抜かれる」のは良くあったそうです。あと、勧誘がしつこい某新聞社の新聞配達をしている人を見かけたけど、自転車にとんでもなくブ厚い新聞をたんまり積み込んで走らせているのが大変そうだった、とか聴いてます。(彼女は別の新聞社でした)

 今回も、小ネタを少し説明

  1. せっかちな働くおばさん
    その前の香港映画アクションスターが誰の事かが解れば少しヒント。おばさんがサイクロン団地を自転車やジャンプで飛び越える、と言う話のマンガ有。そのおばさんの妹が出てくる話もある…腹よじれそうな程笑ったよ。
  2. 優の良品
    香港にある量り売りのお菓子屋さん。町中だけじゃなく、空港にもある(ゲートの方にも有る)。実は未だに量り売りの方は買った事がないんだけど、チョコとかドライフルーツやさきいかみたいのが買える。他にもクッキーやケーキが、比較的安めの値段で買えて、わりと美味しいので、職場等のお土産を買うのに重宝してます。
  3. 鹿の絵の描かれた箱
    『利工民』というメーカーのアンダーシャツ。ブルース・リーも愛用していたのは本当。未だに60年代当時のデザインから変わってない……今度行ったら買ってこよう。因に鹿の絵の描かれた「金鹿牌」が最高級品…いい値段します。

正直、こんな話が許されるのかマジで疑問……それ以上に、まずこのページを何人がみているかが検討も付かない罠。弟×兄の方は大体人数把握してる(殆ど知り合いのみ)からいいんだけどサ。一応、次はトウマ&シュウの屋台散策の話でも……後は征伸バカップルもかな、多分。(ノーマルギャグネタも幾つか…)

 

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