こいつらなんやねん?という人へ
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ADRIAN SHERWOOD |
1958年、ロンドン出身。10代の頃からレゲエに魅了され、レゲエのレコードの販売を開始。その後、デニス・ヴォーベルに手ほどきを受け、プリンス・ファー・アイのライブ・ミックスを担当。1980年On-Uレーベルを発足させる。ダブにパンクの感覚を融合させた。またミニストリーなど、インダストリアル系のアーティストのプロデュースも多く(本人は満足していないらしい)、エレクトリック・ボディー・ミュージックというスタイルを確立した。攻撃的なダブ処理を行うために、レゲエのファンからは快く思われていないが、現在のUKクラブ・サウンド・シーンへの影響は計り知れず、多大な尊敬を集める。 |
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GARY CLAIL |
本業、盗品ディーラーというブリストル出身のDJ。現在4枚のアルバムと、1枚のベスト盤を発表。そのどれもがエイドリアン・シャーウッドがプロデュースを手がける。元々は在英ジャマイカンの訛りを真似たDJをやっていたが「真似なんかしていないで本格的にDJをやってみろ」というアドヴァイスを受け、転身。ON-Uの中でもアッパーな存在である。2度の来日を果たしている。アルバムは全て傑作。 |
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BIM SHERMAN |
ジャマイカ出身。シンガーとしてジャマイカで活動。その後イギリスに渡り、ON-Uサウンドの作品や自身のソロ作品を数々発表。ルーツ系のシンガーらしく「切ない」歌い方が特徴。ライブでは客のノリが悪いと途中で帰ってしまう人でもある。 キング・タビーとエイドリアン・シャーウッドとの、両方の共演歴があり、最近、ジャマイカ時代の音源(タビーが手がけたものも含む)も発表された。また、ボム・ザ・ベースとの共演、オーディオ・アクティヴとの共演もある。3回来日。 |
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KIETH LE BLANC |
元祖ヒップホップ・レーベル「シュガーヒル」のバッキング・トラックでドラムを担当し、後にトミー・ボーイ・レーベルから「マルコムX」名義でシングルを発表。そのドラム・サウンドにエイドリアンが魅了され、エイドリアンの招きで渡英する。いわゆるファンク系のドラマーで、かつてはP-FUNKとシュガー・ヒルのジョイント・ツアーでは唯一の白人メンバーであった為に、会場では他のメンバーにガードされながら行動したという。自身のレーベル「BLANC」を持ち、そこからエイドリアンらとのユニット=タックヘッドのアルバムや自身のソロ作を発表している。数回の来日があり、中には元レベッカのノッコのソロ・ライブでドラムを担当。主役の歌が完全に負ける演奏をした。またサンプリング用のドラム音源集も発表している。 |
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BONJO IYABINGHI NOAH |
ON-Uの代表的パーカッション奏者。アフリカン・ヘッド・チャージのリーダーでもある。来日時は客受けが悪いビム・シャーマンが楽屋に引っ込む度に、彼が「ジャー。ラスタファーライ」とやって客を煽り、ビム・シャーマンを呼び出す役を何度もやっていた。最近はエイドリアンの元を離れた活動をしているが、ダブ色が後退してしまい残念。 |
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LEE PERRY |
エイドリアンに影響を与えたジャマイカ、ダブの重要人物。かのボブ・マーリー&ウェラーズを見出し、自身のバンドのバレット兄弟をウェラーズに推薦した。その後、70年代にはダブ・マスターとして自身のスタジオ「ブラック・アーク」から傑作アルバムを数々発表。ダブの創始者、キング・タビーと共に、ダブのスタイルを作る。だが、突然、「ブラック・アーク」スタジオに火を放ち、全焼させるなど奇行が目立ちだし、80年代には失速。そこへエイドリアンが自身が手がけるバンド、ダブ・シンジケートとの共演アルバムを製作。御大がシーンに再び帰ってきた。初来日はエイドリアン・シャーウッドがライブ・ミックスを担当。現在はマッド・プロフェッサーとの共演が多い。 |
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MARK STEWART |
ブリストルに突然現れたバンド、ポップ・グループのヴォーカリスト。1STアルバムがUKダブの重要人物、デニス・ヴォーベルによるプロデュースで、ダブ+ファンク+ジャズ+パンクの融合した音楽を発表し、驚愕させた。しかし、バンドは後にマークの急進的な政治思想にメンバーがついていけず、分裂。ソロとなったマークのアルバムを手がけたのがエイドリアン・シャーウッド。一旦レコーディングされたテープを切断し、それをつなげるバロウズ並みのカットアップ手法を使い、またまた驚かされる。2回の来日をはたし、最近ではアタリ・ティーンエイジ・ライオットのアレック・エンパイアとの共演も行っている。ステージに現れた瞬間から客席をびびらせる独特の雰囲気を持っている。 |
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PRINCE FAR I |
エイドリアン・シャーウッドがミキサーとしての最初の仕事はプリンス・ファー・アイのライブ・ミックスであるという。ダブ系のDJで、低い声が特徴。エイドリアンが手がけた音源も近年、エイドリアンが主宰するダブのレア音源発掘レーベル「プレッシャー」より発表。そのどれもが傑作である。彼もキング・タビーとエイドリアンの両方との共演がある人である。後にジャマイカで銃殺される。その所為でエイドリアンにとってジャマイカは聖地でなくなったという。 |
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SKIP McDONALD |
キースと同じシュガー・ヒルのバッキング担当。ギタリストとして活躍。ファンク・スタイルのギターからハード・ロック・スタイルのギターまで弾く。On-Uの数々の音源で重要な働きをしている。On-Uとしては3回来日。内、自身のユニット「リトル・アックス」ではブルースとダブの融合を目指し、折からのGラヴ&スペシャル・ソースらによるブルース・リヴァイヴァルでも注目を集めた。 |
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STYLE SCOTT |
元々、ジャマイカで活躍したドラマー。ルーツ・ラディックスの実質的リーダーで、「ワン・ドロップ」というスタイルを確立し、ルーツ・スタイルのレゲエとダンス・ホール・スタイルのレゲエの橋渡し役になった。その後、エイドリアンの元でダブ・シンジケートを結成。数々の活動をする。リー・ペリー、オーディオ・アクティヴとの共演や、最近ではビル・ラズウェルとの共演作も発表。 |
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DOUG WIMBISH |
黒人最強のベーシスト。シュガー・ヒルで活動し、キース、スキップと共に渡英。On-Uではファンク・スタイルのベースから、最近ではスペース・ベースなる独特なベースを披露。一時期、リヴィング・カラーのメンバーとしても活躍。またミック・ジャガーのお気に入りのベーシストで、ミックの単独ライブでのメンバーであったり、ローリング・ストーンズのビル・ワイマン脱退の際にはその後任の最右翼とされるも、On-Uに留まった。自身のソロ・アルバムも発表。ライブでの伊達男ぶりは有名で、最前列にいる女性に色目ばかり送っている。 |
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SHARA NELSON |
ON-Uの初期の作品でコーラスを担当。後にマッシヴ・アタックの1STアルバム「ブルー・ラインズ」でヴォーカリストとして参加する。ソロ作品も発表。 |
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ARI | 元スリッツ。On-Uレーベルの第一弾アルバムである「ニューエイジ・ステッパーズ」でヴォーカリストとして参加。坂本龍一がデニス・ヴォーベルと共に製作した「B2ユニット(日本で初めての本格的なダブアルバム)」レコーディング時、隣にいたアリに「日本人は感情表現が下手だ」と言われて激怒したらしい。 |
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JAH WOBBLE |
元PILで独特の重低音のベースを担当。しかし、ソロ・アルバムでPILのデモ音源を使用したという理由でジョン・ライドンから解雇される。その後はソロ・アルバムを多数発表。ケルト色の強い作品からアンビエント風など幅広く、On-U系以外でもシンニード・オコナーやビョーク、プライマル・スクリーム、オーブの作品にも参加。2回の来日がある。自身のバンドの初期のメンバーはデヴィッド・ハロウ(On-Uのプログラマー)。 |
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TALVIN SINGH |
在英インド系のタブラ奏者、DJ。On-Uでも来日公演を含むタブラ奏者として活躍。リトル・アックスやビム・シャーマンのアルバムにも参加。後にビョークのツアーに参加し、自身のアルバムも発表。ドラム&ベースのアーティストとして注目を集める。 |
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ANNIE ANXIETY BANDEZ |
エイドリアン絡みで2枚のアルバムを出したヴォーカリスト。正体不明。別名LITTLE ANNIE。 |
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JUDY NYLON |
ON−Uから一枚アルバムを発表。これも正体不明。ただ、ON−U以外に元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケールのアルバムにも参加している。 |