『仕事』

この前、電車に乗っていた時、ふと目に入った車内広告のキャッチコピーに疑問を感じた。『仕事に夢を求めるな』みたいなことを書いてあったのだが、どうも納得できない。仕事に夢は求めてはいけないのか?もしくは、自分の夢が、仕事における何らかの成果であってはいけないのか?

日本人は働きすぎと言われる。確かに僕もそう思う。「仕事人間」「過労死」「24時間、戦えますか?」・・・。働きすぎにまつわる、いろんな言葉が生まれてきた。仕事だけ、一生懸命になってやってきた人が、定年してすぐボケてしまうっていうことだってある。だからといって、仕事に夢を求めてはいけないのだろうか。

僕は今、仕事に夢を持っている。夢と言えば、おおげさになるのかもしれないが、自分が関わる仕事においては、それなりの愛情を持っている。仕事が完成するまでに、さまざまな困難に直面するのではあるが、それも「出産」までの一過程だと思っている。その過程がどれだけ困難であっても、いざ「出産」を迎えた時に、どれだけ喜べるか、満足できるかということが、今の僕にとっては大切なのである。

そんな僕は、仕事に夢をもってはいけないのだろうか?単に与えられたことを必死になってこなすだけではなくて、自分で作り上げていくものに対して情熱を傾けることって、僕にとっては、とても素晴しいことだと思えるのだが・・・。

社会人である以上、大抵の場合、一日最低8時間、週に5日は仕事をしなければならない。その週における40時間以上の時間を、僕はのうのうとこなすだけで過ごしたくない。やっぱり、毎日自分の納得いく形で終えたいし、一つひとつの仕事を終えていく度に成長していきたい。そうして、過程にかけてきたエネルギーを、違う方向へと向けて、より納得のいく仕事をしていきたいと考えている。

かといって、この理屈が全ての人にあてはまるとは思っていない。仕事というものの位置付けが、人によって異なるということは、重々承知している。お金を稼ぐための手段としての仕事、社会的な地位としての仕事・・・、そのどれも間違っているとは思わないし、それぞれの人が、それぞれの考え方で仕事をしていればいいと思う。だから、僕とは考え方の違う人に対して、非難も否定もする気はない。僕には僕の考え方があって、仕事に夢の一部を託しているだけのことだ。

ある意味、僕は「仕事人間」なのかもしれない。でも、仕事しかすることがない「仕事人間」とは違う。休みの日には、サッカーだってやるし、バンドだってやるし、こうしてパソコンに向かって、文章だって書いている。僕にとっては、仕事もサッカーもバンドも文章も、どれも同じだけの愛情をもって向き合っているということである。それが、仕事だからと言って、私生活とは違う扱いにしたくない。サッカーやバンドと同じように、終わったあとの充実感や疲労感を味わいたいだけである。終わったあとのビールが、同じようにおいしくあって欲しいだけである。

どれもが、僕にとっての一部分。そのどれもが、細々とであっても、僕にとって輝いたものであって欲しいと思う。もちろん、このサイトだってそう。そんな僕の気持ちが、このサイトを通して伝われば嬉しい。



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