『一期一会』

あまりにも唐突な知らせだった。G.W.に会う約束をして別れてから、わずか10日しか経っていないというのに、永遠の別れをする時が来てしまった。

正直言うと、10日前に会って以来、覚悟はできていた。とはいえ、決して後ろ向きの発想ではない。仮に、あの日の出会いが最後になったとしても、僕の中では何も思い残すことはないと思ったからである。もちろん、元気になって、また今までのように話しをしたりできる日が来ることを信じてはいたのだが、どんな人間であっても、その日が来るという絶対の保証はない。まして何が起きても不思議ではなかった状況であったからこそ、そういう心境になれたのだろうと思う。

翌日の朝に戻ってくるように言われたのだが、僕の気持ちはそれでは収まらなかった。仕事を終え、帰宅してすぐ準備をして、京都へと戻った。戻ったところで、何ができる訳ではないことはわかってはいたのだが、とにかくすぐにでも会いたいと思った。動揺していた気持ちは、約3時間の道のりの中で整理できていた。

実家に着く。枕元には一睡もしていない父がいた。今日までの事情を事細かく説明してくれた。しかし、その口調の端々に、いつもと違う父を感じずにはいられなかった。やがて母がやってきて、父に眠るよう促す。そして、母との会話。母は途中で涙を流し始めた。

二人の気持ちは、痛いほどわかる気がした。ギリギリのところまで、何とか家のみんなで介護してあげようと、一生懸命になって看病してきた二人。それが突然の発熱で入院して、手術となった。だから、退院してきた時には、悪かった病気も治って、元気になって戻ってくることを楽しみにしていたのだ。こんなことになってしまって、その気持ちをどこに向ければいいのか、わからなくなってしまっているのだろうと思う。

二人が寝た後、一時間ほど枕元にいた。そこで、僕は今の気持ちを全て話した。何も返事が返ってこない時間。それでも僕は、今の気持ちを伝えずにはいられなかった。それは別れの時がきたことによる悲しみの気持ちではなく、笑顔で力強く僕の手を握ってくれたあの日のことを感謝する気持ちであった。僕はあの日、今まで僕を見守ってきてくれたことに対する感謝の気持ちと、逆に今度は僕が見守ってあげるという気持ちを掌に込めたつもりだった。その願いがどこまで届いたのか、もう答えてくれることはないのだが、力強く握り返してくれたことがその答えだとすれば、あの瞬間が最後であったことに、むしろ感謝しなければならないように思えたのである。

一期一会。この言葉が僕の頭から離れなかった。例え同じ人と再び出会う時が来たとしても、同じ時空間での出会いではない。その一度一度の出会いが、「最後」の出会いなのだ。この10日間、僕はそんな心境で過ごしていた。あの日、そういう気持ちで手を握ったことで、僕は何の悔いも残すことなく、お別れを言うことができたのだ。そして、これからの人生の中で、もし僕が逆の立場で、自分に何かが起こったとしても、決して悔いの残らない出会いをしていきたいと思った。最後の最後で、とても大切なことを教えてもらったような気がする。

葬儀の最中、みんな泣いていた。でも、僕は泣けなかった。僕には、僕なりのお別れの仕方があったのだ。90年近い人生の最後。僕は静かに送り出してあげたかった。ゆっくりと休んで欲しかった。そんな中で、これからもどこかで僕を見守ってくれることをお願いした。そして最後に、これからも強く生きていくことを誓った。それは、悲しい気持ちを覆い隠して生きていくというのではなく、悲しい気持ちをいつまでも引きずらないということ。きっと、そのように生きていくことが、僕を自分の子供のようにかわいがってくれた人に対する恩返しだと思った。そして、そのように生きていくことを願ってくれているようにも思えた。

気が付けば4月になっていた。おばあちゃんが大切に育ててきた花も、色とりどりに美しく咲いていた。そして、桜の花もほぼ満開状態。おばあちゃんの大好きだった春が訪れていた。縁があって、僕は遺影を持つこととなった。おばあちゃんの微笑んだ顔。それは僕の記憶の中に残っている笑顔だった。家からは桜の花は見えないが、火葬場へと向かう道中、桜の花をあちこちに見ることができた。その風景を一緒に見れたことを、僕は一生忘れない。



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