『手のぬくもり』

実家のおばあちゃんが入院した。そもそも今回帰省した理由は、そこにある。正月に帰省した時はまだ元気だったのだが、僕が東京に戻ってきてから10日くらいしてから、急に調子が悪くなりだしたということだった。急にとはいうものの、もう90歳。今まで何とかだましだましやってきた症状が、顕著に悪くなってきたのだ。それに伴い、全体的なバランスが狂ってきて、弱りはじめたらしい。それを聞いて、帰省することは決めていたのだが、早く会いたい思いでいっぱいだった。

僕は、母方の祖父が亡くなる前に、似たようなケースで一生忘れられない後悔をしている。僕が京都で独り暮らしをしていたところが、祖父が板前として勤めていた職場の近くだったらしい。僕が住み始めた場所の話しをすると、「Aという名前の店はまだ残ってるかな」と言っていた。「近いから、今度見にいってくるよ」と言ったきり、祖父と会話をする機会は訪れなかった。あの時は、いつでも見にいける環境にあった。それなのに、「今度でいいや」という気持ちで後回しにしていた。そして、見つけて伝えようと思っている矢先に、祖父は意識不明となり、そのまま意識も戻ることなく亡くなっていった。今回だけは、同じことを繰り返したくない。その気持ちだけで、僕はこの連休が来るのをずっと待っていた。

帰省の前日に実家に電話をした時に誰も出なかったので、何かあったに違いない、という気はしていた。当日の朝、母からの電話で、入院して手術を受けることを知らされた。もともと、翌週に手術を受ける予定にはなっていたのだが、体調が悪化し、入院ついでに手術も済ませてしまうこととなったのである。手術とはいっても、「ついで」程度にできる手術なので、さほどの心配はしていなかった。でも、90歳にもなって、手術室に入らなければならないことを気の毒に思った。

京都駅に到着する時間から計算すると、手術の時間には間に合うことがわかった。とりあえず実家には寄らずに、直接病院に向かうことにした。ぎりぎりで、手術室に向かう前のおばあちゃんに会うことができた。入れ歯もはずしたその容姿は、何とも弱々しく思えたが、口調はしっかりしていた。それを見て、かなり安心した。

その後、実家に戻って、一時間半ほど経った頃に、手術成功の電話がかかってきた。話しを聞いていると、手術室からでてきたおばあちゃんは、みんなに手を振っていたらしい。相変わらず気が強いことに感心した。本人は滅多に口にしないことではあるが、今までの人生の苦労から比べれば、一時間半の手術くらい、なんてことないのかもしれない。

僕は生まれてから、ずっとおばあちゃんと一緒に暮らしてきた。僕が14歳になるまで、母が会社勤めをしていたため、僕の人生の半分くらいは、おじいちゃんとおばあちゃんに面倒を見てもらっていたようなものだ。手作りのハンバーグを何百個と食べてきたし、キャッチボールだってしたし、一緒にお風呂だって入ったし、一緒に寝たりもした。僕にとっては、もう一人の母親みたいな人だ。僕が帰省して、おばあちゃんと話しをするとき、いつもおばあちゃんは「小さいときは、いろいろとしてやったなぁ」との口癖のように言っていた。

東京へ戻る前に、もう一度おばあちゃんの顔を見に行った。ベッドに寝ている姿は、記憶の中のおばあちゃんに比べて、半分くらいに小さく見えた。でも、目も口調もしっかりしていた。やっぱり口癖のように「小さいときは・・・」と、嬉しそうな顔をして話しはじめた。いっぱい話しがしたいと思ったのだが、どんな言葉をかけてあげればいいのか、わからなかった。しかも、耳も遠くなっていることもあるし、この病室で大きな声を出せない。

僕はおばあちゃんのシワだらけになった、小さい手を握った。しっかりと握り返してくれたその手は、とても温かかった。それだけで、何も言葉はいらないと思った。手を握りながら笑顔のおばあちゃんと、笑顔で応える僕。そして、力強く握り返してくれた手のぬくもり。それだけで、コミュニケーションはとれていたように思う。

帰る時に、励ましの言葉をかけたのだが、よく聞こえなかったようだ。でも、おばあちゃんの手のぬくもりを感じられただけで、よかったと思っている。「この子に小遣いをあげたい」と、看病していた叔母に言うのだが、当然財布は家にある。ボケている訳ではない。帰省するたびに、「こんなことしかしてやれない」と口癖のように言っていたのだが、その場所が家ではなく、病院なだけである。形はなんであれ、こんな状況の中でも、僕に対して気を使ってくれることが嬉しかったし、何だか安心もした。

次に会う頃には、もう退院もしている。長い間付き合ってきた嫌な病気もなくなって、気持ちよく生活することができるだろう。あと一ヵ月。その時に、また元気な姿が見れるのが楽しみである。



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