『挨拶』

先日、ウチの会社が主催するイベントにスタッフとして参加した。そのイベントにやってくるのは就職活動を控えた大学生で、約150人が来場した。僕は受付を担当していたこともあって、入口で同僚と一緒に、入場してくる学生に挨拶していたのだが、その中でどれくらいの学生が、挨拶をしてくるかを観察してみることにした。すると、無視して通り過ぎていく人が5割、何となく頭を下げていく人が2割、挨拶を返してくれる人が2.5割、向こうから挨拶してくる人が0.5割という結果(数値はあくまで推定。決して「正」の字なんかを書いて、数えていたわけではない)。少々驚いてしまった。

挨拶を返してくれたり、向こうから挨拶してくれた人を見ると、挨拶しない5割の人と比べて、目がいきいきしているように感じた。このご時勢、多少の苦労はあるかもしれないが、その子たちは何らかの形でいい結果を残すだろうなと直感的に思った。これは僕だけでなく、その場に居た他のスタッフも同意見。入口でいきなり挨拶をされて戸惑い、挨拶どころではなかった人がいたのかもしれないが、挨拶しなかった人のその後の行動を観察していても、会場を出たり入ったりしてばかりで落ち着きがなかったり、書いている字が殴り書きだったり、基本的なことができていない傾向が見られた。あとの行動は別としても、やっぱり挨拶って、その人の人柄とか性格を表わす、わかりやすい指標だと思った。

少し前に友達と電話していた時、その友達の職場にどうしても相性が悪い同僚がいて、ちょっと困っているという話になった。友達とその問題の人とは、仕事上での会話以外は全く口も利かない状況らしいが、朝会った時や、すれ違ったりする時、友達は必ずその人に挨拶をするという。しかし、その人は絶対に挨拶を返さないというのだ。しばらく続けている友達もエライとは思うが、その相手の人が一体どういう人生を送ってきたのか不思議に思えた。

挨拶って、会話だとか、仕事ぶりだとか、そんなことよりもずっとずっと前に存在する、人間としての基本的なことだと思う。人と一緒に生活する時間を送っている限り、家庭や、幼稚園、小学校なんかで必ず教えこまれて、身についていくもののはず。そして、大きくなっていく過程で、何のためにするのかを少しずつ理解していくのだ。しかし、そのことを大人になってもわかっていない人、わからない人が結構いるということなのかもしれない。別に、さわやかな顔をして、「おはよう!」なんて言わなくても、会釈するだけでいいと思う。そうすれば、お互いの気分も随分と違うはずだ。

今、ビジネスマナーとか、そういった部分がいろいろとマニュアル化されている。敬語だとか、電話の対応のようなことを教えてくれるのは非常にありがたいと思う。しかし、お辞儀の角度(何とかの時は何度、とかいう類のもの)というのはよくわからない。今までの社会人生活の中で、お辞儀の角度についての指摘を受けたことさえない。そう考えると、よほどの場合を除いて、「お辞儀の角度が悪い!」とむかっ腹をたてる人はあまりいないと言えるだろう。

しかし、挨拶ができないのは大きな問題となってしまう。本当はそんなことくらい、「ビジネス」と名のつく段階で勉強することではないのだが、マナー云々の前に、挨拶だとか、相手の目をみて話すだとか、そういうもっと基本的なことを身に浸透させておくべきだと思えて仕方がない。

僕にとっては、自ら進んでする挨拶というのがとても気持ちいい。それは、相手に対する敬意や感謝の気持ちの表われだったりする。挨拶を返されることも気持ちいいし、返すのも気持ちがいい。いずれにしても、意気込んだりせず、フッと自然に出てくるのがとても気持ちいいのである。だから、挨拶ができない人のことが、とても不思議に思えるのである。



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