『過去の思い出』

急にいろんな思い出が蘇ってきた。決して、意識していた訳ではなかったのに、ここ何年かの間の印象深いシーンが、今までに無かったくらい鮮明に蘇ってきた。あまりに突然のことに驚いたが、それは一瞬のことではなく、まるで映画を見ているかのように、次から次へと映し出されていった。

しばし呆然と、次々と蘇ってくる思い出を眺めることにした。しかし、それは眠りについてからも止まるところを知らず、夢の中でも続けられた。そのおかげで、夜中に何度も目を覚ました。今日は寝不足。更に、その不思議な出来事の原因がわからず、何だか頭の回転が鈍い一日を送ることとなってしまった。

思い出したのは、東京に出てくる直前くらいのところからだろうか。微笑ましい思い出あり、ちょっと考えてしまう思い出あり。そんな中に、思い出さなくてもいいことまで含まれているという構成だった。だから、決して辛い気持ちで眺めていた訳ではない。しかし、何の前触れもなく、どうしてこんな記憶が蘇ってきたのか、どうしてこれほどまでに鮮明に思い出したのかが不思議で仕方がない。

別に思い出したからといって、今の僕がどうなる訳でもない。しかし、わずか数年にして、それがものすごく懐かしいこととなっていることに少し驚いた。それほど歳をとった訳でもないのに、当時の自分がものすごく若く感じたのである。今となってはもうできない、と思えるようなことだっていっぱいあった。そんな意味では、あの当時にしかできなかったことをいろいろと経験してきたように思う。

それでは、今の自分はどうだろうか。というより、「今」という時が過去になった時、僕が「今」の僕自身をどう見ているのだろうか。はっきり言って、ちょっと自信がない。でも、本当に「今しかできないこと」が何なのかって、今考えてもよくわからない。今できることと言えば、自分が「今やりたい」と思うことをやることしかないように思えるのである。そうやって積み重なっていくものが、僕の歴史だとか、人生。振り返った時に、「今しかできないこと」をやっていたなと思えれば、それでいいと思っている。

以前、「自分史を書きたい」ということをネタに、ある人と飲みながら話しをしたことがあった。その人は、自分史を残すというのは、それを誰かに見てもらいたいからだと言った。言い替えれば、「出版物としての自分史」ということになるのだろうか。それに対して、僕はとても違和感を覚えた。僕は自分の最期に、自分の目で、自分が生きてきた歴史を振り返りたるためになら残してもいいと思っているからである。きっとやり残すことだっていっぱいあるのだろうけど、振り返った時に、「そうだね」って自分自身に言ってやれるようなものであればいい。あえて何かに書き記さなくても、自分の記憶にしっかりと刻みこんでいきたいだけなのだから・・・。

ここ数年の思い出の中で、僕が唯一後悔していることがある。それは、たった一言の言葉が言い出せなかったこと。その当時は何とも思わなかったのだが、ここ数年の間で、それが後悔となってしまったのである。かといって、それは決して嫌な思い出ではない。あの時の僕には言えなかったのだと、苦笑い混じりに振り返れる思い出として残っているものだ。とはいえ、同じような後悔は二度繰り返したくない。そんなことまで思い始めて、少し気が重くなったような、ならなかったような、何とも不思議な感覚を味わった。

こうして、たまには途中下車ついでに、いろんなことを振り返ってみるのもいいものだ。これでも、ほんの一夜の出来事。こんな夜がまたやってくる時はあるのだろうか。



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