『MOTHER'S TOUCH』

先日、大学の頃の友達宅へ遊びにいった。その友達はすでに結婚していて、一歳半になる子供もいる。その子とは、今回初対面になるのだが、事前に聞かされていた話しによると、「顔のとんがったお兄ちゃんを見ると、泣く」ということだった。
「本当に泣かれたらどうしよう・・・。」
該当者である僕は、そんな不安を抱きつつ、彼の家へと向かった。

駅まで、彼が子供を抱いて迎えに来てくれた。いよいよその子との初対面だ。初めのうち、不思議なものを見るような顔つきで僕を見ていたので、いつ泣かれることかとドキドキしていたが、彼の家について、しばしブロックなんかで遊んでいるうちに、打ち解けられたようだった。あとはもうお友達感覚。少しは僕のことを気にいってくれたようだ。

そもそも、僕は子供が大好きである。親戚の子供たちは、もう小学校に入るくらいの歳になってしまったが、彼らがまだ一歳くらいの頃には、何かと遊んでやって、喜ばれていたものだった。だから、このくらいの歳の子と接することには慣れていた。

このくらいの歳の子供を見ると、心洗われる思いがする。僕たちが大きくなってきた過程で、置き忘れてきてしまったものを思い出させてくれるかのようだ。そんなことを感じつつ、その子が全身を使って、一生懸命何かを表現しようとする姿を見る度に、何とも言えない感動を覚える。

その後、夕食をご馳走になったのだが、その最中に、その子がグズグズ言い始めた。父親である僕の友達が抱いていくのであるが、どうも機嫌が治らない様子。それを察した奥さんがすぐに抱きにいく。するとどうだろう。さっきまでグズグズ言っていた子が、すこしベソをかいたような表情ではあるものの、泣くのをやめてしまったのだ。

その時、奥さんが笑いながら言った言葉が、頭から離れないでいる。
「母の胸でないと、駄目なことってあるんだよね。」
その通りだと思った。
その言葉を聞いて、ここしばらく引っかかっていたことの答えが出たような気がした。

というのも、先日、僕は誕生日を迎えた。今さら、誰に祝ってもらう訳でもないのだが、予想していた通り、実家の親から、留守番電話にメッセージが入っていた。それは、「お父さんとお母さんからのメッセージです」という前置きから始まるものであったが、声の主は母だった。そして、最後にこういう言葉で締めくくられていた。
「私たちは、いつまでも、ありのままのあなたを応援しています。」
僕にとっては、唯一にして、最高のお祝いのメッセージだった。

しかし、後々考えてみると、これは、母からの単独メッセージとしか思えなかった。あの父がこんなことを言うはずがない・・・。この疑問が晴れないまま、何日か経っていたのだが、その奥さんの言葉を聞いて、何だか頭の中がすっきりしたような気がした。

あくまで、「男の子」としての僕個人の意見であって、「女の子」から見れば、おかしく聞こえるかもしれないが、僕の中で出た結論は、「父の背中、母の胸」ということである。どれだけ優しい「父」と言えども、「母」の包容力にはかなわない。やっぱり、ここぞという時、安心できるのが「母」の胸なのだ。そしてそれとは逆に、「父」は自分が残していく足跡や生き様を見せることで、子供に大きな影響を与えていくのであろう。そう、子供に背中を見せることによって・・・。

僕は、あのメッセージは母の単独犯だったと確信した。きっと、父が見ていない場所で、僕に気を遣って言ってくれたのであろう。そして父は、あえてその場に居合わせようともせず、そっと息子の誕生日を無言で祝ってくれたに違いない。勝手な解釈ではあるが、そんな役割分担にも似た風景を思い浮かべることができた。

以前、某アーティストの曲で「MOTHER'S TOUCH」というのがあったと思う。よく聴いていないので、どんな曲だったかは記憶にないが、ふと、そんな言葉を思い出した一日だった。



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