『4年』

あの忌まわしい災害から、もう4年が経とうとしている。4年と言われれば、そんな気もするし、つい最近起こったことのようにも思える。そのくらい僕の心の中には、あの震災の日のことが心に残っている。
とはいえ、あの震災の時、すでに僕は東京で生活をしていた。東京に来て、一年目の時のことであった。しかし、逆にそのことが、あの日の恐怖感を忘れさせない原因となっているのである。

あの日、1995年1月17日。「成人の日」が日曜日だったために振替休日があり、その日が一週間の始まりの日だった。当時、6:30起床の生活をしていたのだが、週の最初の日は早朝ミーティングがあったため、6:00に起床するようにしていた。6:00に起きて、テレビのスイッチを入れてみると、いきなり近畿地方の地図が画面上に現わる。
「地震か・・・。」
まだ寝ぼけていた僕は、そんな風にしか感じなかった。
しかし、よく見てみると、今までに見たこともないような数字が各地に表示されている。僕の故郷である京都は「5」。とにかく嫌な予感がした僕は、実家に電話した。
「テレビ見たんだけど、大丈夫?」
「うん、えらい揺れたけど、大丈夫。心配いらんよ。」
そんな簡単なやりとりだった。
事実、出勤するまでの報道を見ている時点では、大したことも判明していなかったため、ことの重大さを知るよしもなかった。

とりあえず会社へ。
「実家の方、すごい地震だったみたいね。」
会社の人が言う。
「とりあえず、実家に電話して大丈夫だったみたいなので、少し安心してるんですけどね。」
そんな余裕があったのは、社内にいた時点までだった。
11時頃に車に乗る。胸騒ぎがしていたので、とりあえずいつも聴いているFENではなく、NHKのニュースを聴くことにする。そこで初めて、何が起こったのか、事実を知ることになった。
手が震えた。仕事どころではなかった。
実家は大丈夫なのはわかっていたものの、一時間おきに発表される被害状況では、死者の数が千人単位で増えていく。

神戸に住んでいる知人もいる。きっと大丈夫であろうが、京都にも、大阪にも、多くの友人や大切な人がいる。すぐにでも、向こうへ行くなり、連絡をとりたいと思った。でも、どうしようもなかった。電話はパンクしてるし、今すぐ京都に戻るわけにもいかない。それまで味わったことのないような不安が襲ってきた。

その日どんな仕事をしていたか、殆ど覚えていない。唯一覚えていることといえば、集金があって、手が震えて、ハンコが仲々押せなかったことだ。
そして、さっさと仕事を終わらせて帰宅し、何件か電話をする。つながらないところもあったが、何とか一通りの人たちの無事が確認できた。
そして、テレビをつける。それまでラジオを通しての言葉での表現だったため、状況は頭で想像するしかなかったのだが、ありのままの神戸の姿を、ブラウン管を通して初めて目のあたりにした。
上空からの映像。言葉にならなかった。涙が出た。これが、僕たちがよく遊びにいった神戸の姿。思い出が全て破壊された気がした。

東京にいる僕。何もできないでいることに、怒りや憤りを通り越して、何とも言えない虚無感が襲った。それからというもの、しばらくの間、僕の頭の中から、あの恐ろしい光景が離れなかった。

しばらくの間、会社でも嫌な思いをした。全社的なカンパの要請。ぐちぐち文句をいいながらやる人や、とても現地の人には聞かせられないような冗談をいいながらやる人がいた。その度に、僕は嫌な思いをしてきた。そして、東京からも、現地の支店・営業所復興への救済人員が出ることが決まって、「休みがてら実家に帰って、行ってくれば?」と笑いながら言われたとき、ぶっ飛ばしてやろうかと思った。それからしばらくの間、人の善意に不信感を感じずにはいられなかった。

思い出がいっぱいつまっている神戸、そして関西。それを置いてきて、東京で暮らしている僕。向こうにいる友達や大切な人から「大丈夫」って言われても、その本当の気持ちを察することができない自分が嫌だった。すぐにでも戻りたい。そして、家族を始め、みんなの顔を見なければ、安心することなんてできなかった。

そして、2月。それだけの理由で京都に帰った。それで初めて安心できた。しかし、神戸にだけは行けなかった。あの思い出の土地の変り果てた姿を直視することはできなかった。直視することが怖かったのである。あの震災後、僕が神戸に行けるようになるまで、2年以上の時間がかかった。

去年のG.W.に仕事で神戸にいった時、まだ僕の心の傷は癒えていないことがわかった。その前の年にいった時と同様に、すっかり何事もなかったかのような表情を取り戻してはいたが、僕の記憶の中にある姿とは違った。やるせない、とても複雑な心境。2度目であっても、その気持ちが変わることはなかった。

あの日、あの場にいなければ、わからないことも沢山あると思う。でも、あの場にいなかったからこそ、感じる気持ちだってある。僕はそれを、嫌というほど味わった。そして、それから4年。新聞にそのことが書かれてあることを見て、改めてその時のことを思い出した。

あの震災から多くのことを学んだような気がする。その中でも、一番重要に思っていることは、「人間いつ、どうなるかわからない」ということ。先の人生なんて、何の保証もされていないということだ。それは決して、悲観的に捉えているのではない。今日一日を精一杯生きることが大切だということだ。

一日の中で、当然、やり残したということはあるのだけれども、自分で納得できるのであれば、それでよいと思う。人生という、長い目で見れば一話完結型のストーリーの最後には、必ず「やり残し」の章が存在するのだから・・・。ただ、そのやり残したことに対して、後からグチグチ言わないことが大切なのだと思う。自分で納得して、悔いなき一日の幕を降ろす。そんな積み重ねが、いつ終わるかわからない人生なのだろうと思う。

あれから4年。その後、あの震災のような大惨事は起きていない。そのことをありがたく思うと同時に、改めて、あの震災から学んだ多くのことを心に刻むのであった。



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