『足ルヲ知ル』

強行した引っ越しのおかげで、かなり金銭的に圧迫されている。そもそも、来年になって、昇給があってからにする予定だったのだが、手取りで考えると、あまり大きな違いにはならないことが判明したので、気持ちが熱い内にやってしまったのである。当然、収入が変わっていないのだから、家賃がアップすれば、それだけ他に使えるお金は少なくなってしまう。最初からわかっていたこととはいえ、実際かなり厳しい。

前の会社の時は、今よりも給料自体よかったし、家賃はほとんど会社負担で、毎月の給料から5.000円天引きされていただけだった。おまけに仕事が終わるのが遅く、お金を使っている時間がなかったので、必然的に毎月いくらかの貯金までできた。そんな環境だったので、お金にはほとんど心配することなく暮らせてきたのだが、それが2年経った今、この財政難である。

最近、出費にはかなり敏感になっている。しばらくの間、一日に使っている金額を調べていたのだが、結構無駄なことに使っていることがわかった。そこで、まず何気なく使っている部分から節約することにした。缶ジュース一本120円といえども、月に換算すれば3,600円になる。そんな考え方で、一日にわずかづつではあるが、節約運動を継続している状況である。

しかし、最近気付いたのだが、自分の性格には、これくらい苦しい経済状況の方が向いているのかもしれない。そういえば、最近のこの経済的圧迫状態について、ああでもない、こうでもないと悩んでいながらも、結構楽しみつつ過ごしているように思える。かつての生活での5,000円と今の生活での5,000円とでは、全然価値が違っているのだが、この苦しい生活の中から支出される5,000円での買い物に、まるで子供が欲しかったおもちゃを手に入れる瞬間のような、不思議な感情を覚えるのである。何か貧乏臭い話しではあるが、そんな超庶民的な暮らしの方が、単純構造の僕にはあっているようである。

この前読んだ本に、「足ルヲ知ル」という言葉が出てきた。あえて調べ返していないので、何に登場した言葉かは忘れてしまったが、中国の古い言葉だということだけは覚えている。というのも、この「足ルヲ知ル」という言葉は、2、3年前に、前の会社で年始に掲げられた経営理念だったのである。当時は足るものも足りていない会社が言うことではないと馬鹿にしていたが、その言葉を再度目にして、今の僕の生活、いや、むしろ考え方にぴったり当てはまるように感じた。そう、僕がずっと課題にしてきている、「今あるものを大切にする」という考え方に当てはまるのである。

お金はあったにこしたことはない。しかし、この5,000円に対してドキドキしたり、ワクワクしたりできるのは、この環境のおかげだと思えるのである。きっと、もっとお金をも持っていたら、5.000円の出費は当り前のものになってしまい、何十万円、何百万円という買い物に対して、今と似たようなときめきを感じるのかもしれない。しかし、一枚のCDにドキドキし、店頭に飾られている一本のギターにとてつもない光を感じたりできるのは、まさしく今、この環境でしかないのである。そう考えると、今感じられるこの不思議な感情を楽しまなければ損のように思える。5,000円という額面よりも、その5,000円によって、やっとの思いで得られる喜びにもっと目を向けたいと思う。

それは、僕にとって、お金だけのことではない。時間や環境なんかにも当てはまるように思える。時間が無いのではなく、「足りている」時間を有意義に使っていないから、足りないと思っているだけなのである。最近そのことに気付いて、ずっと反省している。



〜TUBUYAKI TITLEページへ〜