『怒り』

以前から話ししている通り、僕は冬になると活動意欲が低下してしまう。毎年冬が来ることはわかっているのだが、嫌なものは嫌だ。やはり、今年も人よりコートを着る時期は早かった。何の根拠があってかは知らないが、「冬生まれだから冬に強いはず」なんて言う親もいい加減なものだ。全くその逆に育っているのだからおもしろい。

しかし、静かにしている分、この時期は冷静に物事を考えられる。そういった状況の中で、最近感じたのが、些細なことに対して怒り過ぎているということ。不用意にアドレナリンを分泌し過ぎていることが多いように思えるのである。

仕事をやっていく上での僕のエネルギー源は、怒りに似たような感情である。そのことには、随分前から気が付いていた。きっとそれは、現状に対する不満なんかに対して、自分で何とかしてやろうという気持ちが強いところに起因しているのだと思う。以前はそんな緊張感を解放してやる余裕すらなく、ずっと気持ちが張り詰めた生活を送っていたため、体内に蓄積されていくのはストレスのようなものばかりだった。しかし、最近の比較的余裕のある生活の中では、その緊張感を緩めることができる。それが、いいように働いてくれているおかげで、気持ちにメリハリのある生活を送れているのだが、気持ちが緩んだ時に、張り詰めていた時のことを考えると、いかに些細なことに腹を立てているのかが見えてくるのである。

当然、その時々に自分が置かれている場面において、緊張感からイライラすることや、怒ったりすることはある。むしろ、僕にとっては、そのイライラが、ある種の集中力をもたらしてくれたりすることもある。では、そのようにプラスの効果をもたらすような怒りの感情が、一日にどれくらい発生しているかというと、ごくごく少ないように思えるのである。つまり、その怒りの原因の大半が、結構どうでもいいようなことであったりするのだ。帰りの電車の中で、「どうして、あんなことくらいに腹を立てていたのだろう」と、自分でも不思議になる時があるのは、その証拠だと言えるであろう。

かと言って、無理に感情を押さえ込むことは良くない。気持ちに無理をすれば、その分余計にストレスは発生する。となると、いかに怒り感情とうまくお付き合いしていくかが重要になってくる。僕にとっては、怒りの感情を増長させる前に、冷静な目でその原因を考えるようにすることが大切なのであろう。

そうして考えている内に、それは僕が目指しているスタンスをとれば良いような気がしてきた。それは、「ちょっとまてよ」という、ニュートラル的な姿勢である。物事を判断するときに「マルかバツ」で即断するのではなく、「サンカク」のスタンスを取って、一旦全てを受け入れてから判断するという姿勢である。当然、即断を迫られる場面というのはあるのだが、怒りの原因と同じように、頻繁にはないものである。まぁ、そういったスタンスが、単に優柔不断なだけだと言われれば、それまでのことではあるのだが・・・。

そういえば、笑いや涙や感動のことについては色々考えたことはあったが、こうして怒りの側面については、ほとんど意識もしていなかったような気がする。決して別ワクの感情ではないはずなのだが・・・。

きっと、こうしてまた考え過ぎてしまうのであろう。



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