『こころ』

先日、ある雑誌を読んでいると、メンタルクリニックに関する記事が出ていた。最近では、「精神科」ではなく、「心療内科」「神経科」と表記するようだ。それまで「精神科」という名のために、診察してもらうことに抵抗があったようだが、「心療内科」「神経科」となったことによって、患者数が増えているということであった。この混沌とした、安定と不安定の両側面をもつ時代。きっと、通院を考えている人は、大勢いることだろうと思う。

その記事の中で、診察内容に関しても少し触れられていた。3つほどの事例が挙げられていたのだが、抗鬱剤や安定剤を服用してもらって、精神的に安定した状態になってから、本格的な治療に入るというものが通例のようであった。確かに、全く不安定な状態からのスタートということはできないのであろう。一旦、ニュートラルの状態にもっていくという点では、当然の治療なのだと思う。しかし、この「こころ」の問題でさえ、投薬という、あまりにも科学的な過程をふまないといけないことに、どこか淋しさを感じずにはいられなかった。

「こころ」の問題は、「こころ」で解決したい。僕は、そんな非科学的なことを考えているのである。外科や内科に通う、他の病気と同じ位置付けで考えれば、「こころ」の病についても、科学的な治療がなされるのは当然のことであろう。しかし、「こころ」の病に関して、悪くなったから通院するという、方程式にあてはめられるような世の中にはなって欲しくないと感じているのである。

その記事の中に出ていた事例で、通院するきっかけとなったことについて、このようなことを語っていた患者がいた。

「悩んではいたのだが、家族には相談できないし、同僚にその話しをしたら、クリニックのことを教えてくれた。」

言葉は正確ではないが、このような主旨のことであった。

どうして、家族に相談できないのであろう。どうして、その同僚自身とじっくり話しができないのであろう。何か、この乾ききったやりとりに、ぞっとした。

古くさいと言われるかもしれないが、僕は人と人との間にできる、科学だけでは解き明かせない力の存在を信じている。友情、愛情といったものが、1+1=2という具合に答えを導き出せない、奥深い力を持っていることを信じているのである。別に、何かの宗教を信仰しているわけではないが、それは、ある意味において、神秘的、宗教的といえる力の存在なのかもしれない。

「真の豊かさとは?」。今、よく耳に入ってくる言葉である。「こころ」にどこか虚無感を覚え、何に向かって生きていけばいいのかが見えなくなっている時代なのだろうと思う。「こころ」に関する本が、ベストセラーになっていくのを見て、ため息が出そうになることもしばしばある。みんな、何か答えが欲しいのだろうと・・・。

経済的な豊かさを求め、国中が走り続けていた時代とは、人の生き方も様変りした。そして、結婚に対する価値観、人間付き合い、家庭内のコミュニケーションというような、人間関係に関わる部分の考え方が豹変してきた。その中で、乾いたものがクールと賞され、涙や人情のような、ドロドロとした人間臭い部分が影を潜めるようになってきたのだと思う。しかし、僕は、こんな時代だからこそ、人間臭さを大切にしたいと思う。それは、科学的な手法を用いるのに比べて、非効率的なのかもしれないが、あえて、その神秘的な、つかみどころの無い力に頼りたいのである。そうすることで、その見つからない答えの入り口にだけでもたどり着けるような気がするのである。

「こころ」を救うのは「こころ」なのだと信じたい。何とも、時代遅れな発想なのかもしれないが、僕はそう信じ続けていたいと思う。



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