『今あるもの』

この前から、僕の頭の中をずっと回り続けている言葉がある。それは、僕の友達が言っていた言葉で、「今あるものを大切にする」というもの。以前から僕が引っかかっていたことではあったが、この言葉を聞いて、改めて考え直してみた。

少なくとも、彼の意見と一致している点は、新しいものが次から次へと出てくる中にあっても、まず自分の足元に存在しているものを大切にしようということ。その上で、新しい何かを捉えていけばいいのではないか、ということになるのであろう。このように、基本的な部分は同じように考えてはいるのだが、ここから先となると、僕個人が考えていることとの違いが出てくるのかもしれない。

では、僕にとって「今あるもの」というのは何だろうか。きっとそれには、周りの環境、人や物といった目に見える存在だけではなくて、持っている気持ち、考え方、姿勢なんていうものも含まれるのだろう。そういった、今の僕を「僕」たらしめている全ての要素、それが「今あるもの」だと思う。

当然、今の自分を構成している様々な要素の中には、新しいものを受け入れたことによって生まれたものもある。僕の基本的な姿勢としても、一度新しいものを通過して、今の自分に合うものなのかどうかを吟味するようにしている。だから、単に「新しいもの嫌い」という訳ではない。しかし、新しいものを次々と受け入れていくことで、自分の足元が見えなくなることは避けたいと思っている。まずは自分の基礎になるものの上に立って、新しいものを覗いてみようというスタンスでいる。

要するに、今の自分という「根っこ」を、しっかりと持ちたいと思っているのである。この流動的な世の流れの中にあっても、自分の根底に流れるリズムは見失いたくないのだ。今あるもののを大切にし、その大前提の上で、新しいものを取り入れていけばいいと考えている。きっと「根っこ」の部分がしっかりと固められていれば何てことはないのであろうが、そうでないと枝葉ばかりが大きくなっていき、その内に根っこが悲鳴をあげて倒れていくような気がするのである。

しかし、つい最近まですごいとか、便利だと思われていたものでさえ、あっという間にどうってことはない、不便なものと思われる代物になってしまう時代だ。そして、それに合わせるかのように、周りの人たちの新陳代謝のスピードも早くなっていき、これについてこれない人たちは取り残されていく。なんだか淋しい気がしてならない。そのスピード感覚が、どうも自分のもっているリズムとは合っていないのだと思う。だから、僕は便利さだけでは選ばない。むしろ、自分が持っているリズムに合ったものを吸収しようと思っている。

「今あるもの」を大切にできずに、先のことや未知のことを求めたところで、仮に、望んでいたものが自分の手に入ったとしても、きっと満足できないのだと思う。そして、今の状況に不満ばかり言っている内は、時が流れて何かが変わったとしても、きっと同じように不満ばかり言っているのであろう。人間の欲望には際限がない。どんな人間であったって、100%満たされることはないのだ。だから、まず今あるものを大切にしていく。今の、この混沌とした世の中であるからこそ、必要なことであるように思えるのである。

僕は根なし草にはなりたくない。かっこだけつけてみたところで、虚しくなるのは自分なのだ。少々、鈍臭いことをしつつも、今のスタンスで歩いて行ければいいと思っている。そうすることで、僕の中に新しい枝葉が芽生えた時には、しっかりとした根っこから栄養が行き届くのだろうと思う。



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