『時間』

いつも同じ電車に乗り、ほぼ同じ時間に会社に着く。家に帰る時間はまちまちだが、眠りにつく時間はほぼ同じ。そしていつも同じ時間に目覚まし時計が鳴る。一日の始まりから終わりまで、僕らはスケジュールの中で生きている。

僕は腕時計が嫌いである。仕事の時は仕方がなくつけているものの、できればしたくないと思っている。そんな風に思っているから、休みの日に出かけることがあっても、まず時計は持って行かない。例え持っていなくても、街に出れば必ずどこかに時計はあるし、時間を確認することはいくらでもできるからだ。そしてそれ以上に、せめて休みの日くらいは、時間から少し離れて過ごしたいと思っているからである。

去年の今頃だったと思う。休職期間中(と言うと響きはいいが、単に無職だったということである)の僕は、時々近くの公園に出かけた。時計、携帯電話という時間のわかるものは一切持たず、一冊の本とカメラと財布だけを持って行くのである。あとはその日の流れ、気分に任せるだけ。お腹が減ったら何かを食べ、喉が渇いたら何かを飲む。眠くなったら昼寝をし、公園の閉園時間を知らせる放送がかかったら帰り支度をする。そんな半日間を何度か過ごした。特に晴れた日は最高だ。ベンチに寝転がったり、少し歩いて見たり、芝生のところまで行って青空を眺めてみたり・・・。その広々とした空間を自分の感じたままに過ごす。これがまた気持ちがいいものである。 秋の心地よい太陽の光と暖かみ。心のエネルギー補給という感じがする。しかし、仕事を始めてしまってから、こういった時間を過ごすことも極端に少なくなってしまった。やはり休日の公園は人が多くてゆっくりもできない。この目的で行くのなら平日に限る。

こうして「時間の束縛」から離れることにより、体も心もがリラックスする。あるがままの時を受け入れることも時には必要なのだろう。なかなか実行するのは難しいことなのだが、それは決して無駄な時間の過ごし方ではないはずだ。特に何もしていない時ほど、僕たちは不安を感じる。

「こんなことしていていいんだろうか。」
いいんだと思う。

要はメリハリの問題ではないだろうか。やらなければならない時に集中して、そうでない時には体も心もお休みする。中途半端にやるから、不安が生まれてストレスが溜まる。だから僕は、休むと決めたらとことん休む。そうすることでストレスを少しでも軽減している。ストレスは意図せずとも発生してしまうものなのであろうが、発生するからには、それとの付き合い方で軽減はできると思っている。一番良くないのは溜め込むことであろう。

「時間の束縛」から完全に逃れられないのはわかっている。公園で寝そべっていても、太陽がかげってくれば夜が近づいてくることはわかる。しかし、それは時計が教えてくれる時間とは違ったもののように感じるのである。そんな時ほど、「時間まずありき」の生活に慣れてしまって、余裕がなくなりつつある自分に気付くことが多いように思う。



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