『星空を見上げて』

夜の東の空に、オリオン座が姿を現わす時間が早くなった。もう冬はそこまでやってきている。少し星空がきれいに見えるようになったことでも、そのことはわかる。

中学生の頃まで、星座を見るのが結構好きだった。理数系の授業は大嫌いだったが、理科の天体の授業だけは楽しみで仕方がなかった。当時は色々と星座の名前や、その名前の由来なんかも覚えていたのだが、今やほとんど忘れてしまっている。「冬の大三角形」なんていう星の組み合わせもあったはずだ。北の空を廻っている星座、それぞれの季節を代表する星座・・・。忘れてしまった。人間の記憶なんてものも随分いい加減なものだ。やはり、確実な記憶にするためには、反復活動が必要なのであろう。

どういう訳か、当時から夏の星座にはあまり興味はなく、冬の星座ばかりを見ていた気がする。ちょうど天体の授業になる頃が、冬だったのかもしれないが、かなりの厚着をして、マフラーをして空を見上げていた記憶ばかりが残っている。どうしてなのか。今考えても不思議である。

中学を卒業してからというもの、ゆっくりと星空を観察することを忘れてしまっている。たまにふと夜空を見上げては、かつて自分が興味をもっていたことに対する懐かしみを味わうくらいなものである。その程度にしか関心がなかったのか、それともそれ以外に注力する関心事ができてしまったのか、それすらよく覚えていない。

そんな訳で、久々に夜空をしばし見上げてみた。やはり東京の空はいつまで経っても明るい。だから、1等星もしくは2等星くらいまでしか綺麗には見えない。それだけでもありがたいのだろうか。都心の夜空では、まず2等星は見えないのだろう。偶然ながらわが家にあった、何かの雑誌の付録の天体マニュアルを片手に、過去の記憶をたどってみる。懐かしい。

何となく実家での生活なんかも思い出してしまう。思わぬところから、他の記憶まで引っ張り出されてくるものだ。そういえば、中学の時に家族で蓼科に旅行に行ったことあった。その時もやはり夜空を見上げたのだが、まるでプラネタリウムのエンディングでしか見たことのないような星の大群に出会った。今にも降ってきそうな星の大群。3等星が実家で見える1等星と思えるほど明るく、はっきりと見えていたのを覚えている。恐らく、今同じものを見たとしても、当時のような知識が無くなっているだけに、違った感じがするのであろう。でも、もう一度あんな星空を見てみたい。ただ、驚くだけでもいいから見てみたい。

何か、過去にとても大切なことを置いてきてしまった気がしてならない。それは単に知識とかではなく、そういう単純な感動とかいったもの。僕は、いつの間にか贅沢になっていて、綺麗なものでさえ綺麗だと思えなくなってしまっているのかもしれない。歳を重ねていって、人間として成長していく中で、単純な感情の側面というのは淘汰されがちなのかもしれない。学生の頃はまだしも、ビジネス社会に出ていってしまうと、クールな部分なんかが評価されたりする。それはそれで、とても大切なことであると思う。むしろ、そういった冷静さがなければビジネスは成立しないともいえるだろう。しかし、そういった環境から離れて私的な空間に戻った時でさえ、そんな感覚が続いているような気がするのである。「一喜一憂」と言えば語弊があるのかもしれないが、せめて私的な空間にいるときだけでも、どんな些細な出来事にでも笑ったり、泣いたり、感動したりできる心を大切にしたいと思う。感情の起伏が激しいと言われればそれまでなのかもしれないが、それが自分の移り変わっていく状況を楽しく過ごしていくための、良い心構えのような気がする。

ずっと感じてきたことではあったのだが、星空を見上げていて、そのことを痛いほど感じてしまったのである。



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