『海を越えて』

社員旅行で海を越える。ありがたい話しだ。多分、この機会でもなかったら、僕はこの国に行くことはなかったと思う。「お隣の国」と言われているだけに、かかる時間も費用も国内旅行並みだし、時差も無ければ気温差もほとんどない。まるでパスポートが必要な国内旅行のような感覚でいた。

そもそも、一人旅にはまってしまった僕にとって、団体旅行はあまり嬉しいものではなかった。きっと、苦手なものの一つになってしまっているのであろう。でも、僕とて子供ではないので、人に合わせることくらいできる。そういった環境の中で、いかに楽しむかを考えればいいだけである。となると、何を楽しむかを考えればいいのだが、これだけ近い国であると、異文化をどこに求めればいいのかはっきりと見えてこない。どこへ何をしに行きたいのかが、頭の中に浮かんでこないのである。この感覚が、今回の旅行で最後まで足を引っぱったところでもあるし、僕自身の最大の反省点として残ってしまったことでもある。例えどれだけ近くであろうとも、海外は海外であり、当然、異文化は存在する。僕はそのことを、軽率に考えていたような気がする。どうせ同じ様なものだろうという気持ちがあったことは否定できない。

大通り沿いの雰囲気は、日本でいうところの東京や大阪と同じ様なものであったが、一歩中に入れば、そこには全く違った街の様子が広がっており、もっとも、それが本当の街の姿であるように映った。特に深夜にその違いは顕著に現れる。閑散としている大通りとは違って、果てしなく続くかのような活気に満ちた街。日本の深夜の飲み屋街とは訳が違う。飲食店だけではなく、服屋なんかの出店が並び、日本人とみるや、すぐに呼び込みが始まる。僕にとって、海外での買い物は全く重要なことではないのだが、街全体から感じられるエネルギーには脱帽したし、雰囲気だけでも充分楽しめた。
それも、ささやかながら異文化体験の一つなんだろう。日本とは違う。
初日にそのことに気付けただけでも良かったと思う。

帰りの飛行機の中で、大学の授業で学んだことを思い出した。それは、観光とは、非日常体験であり、行く際の餞別や見送り、帰ってくる際の土産や出迎えというものが、日常と非日常との間に存在する通過儀礼だというものである。僕はその考え方が今でも大好きである。なぜなら、海外という非日常空間へ行くにあたって、いつも通りの感覚だけで臨むと、その空間が持っているおもしろさの半分くらいしか味わえないような気がするからである。僕は今回、その考え方をすっかり見失っていた。近さのせいにはできないが、かなりもったいないことをしたと思う。

ちょっと悔いありの旅行。もし、もう一回行く時があるとすれば、もう一歩深いところにある文化に触れたいと思う。



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