『子供』

友達の子供が1歳になったという。日々成長というか、毎日のようにいろんな変化がある時期のようだ。このところ、その友達から子供のことをいろいろと聞いてはいたのだが、改めて子供っていいなと思った。

僕は子供が大好きである。同世代の親戚の中にも、もう4人も子供がいて、わが実家に正月にでも集まったときには、えらい騒ぎになる。遊んであげるのはいいのだが、僕の体は一つしかない。その子たちは、もう4歳とか小学生だとか、すっかり大きくなってしまっているのだけに、遊ぶときのパワーが以前とは違うし、こっちの疲れ方が違う。気がつけば、いつの間にか大きくなっているものだ。そのうち、「おじさん」と呼ばれる日がくるのだろう。万が一、僕が20代のうちに、「おじさん」などと言われたときには、口も聞いてやらないだろうが・・・。そうしてムキになっている僕の方が、ずっと子供っぽかったりする。

僕は、友達の家庭にいるような1歳くらいの子供から、すごいエネルギーというか、人間味そのものを感じてしまう。当然、まだ自分の気持ちを言葉で表現するには至らず、全身をつかって何かを伝えようとする。思いっきり泣いてみたり、顔をそらして照れてみたり。その一つ一つがすごく純粋だったりするように思う。おべっかを使ったりすることもあるが、それだってすぐに見破れてしまう。それが、僕たちのような年齢になったら、いかにひねくれてしまうものか・・・。親にしてみても、一つ一つ何かを覚えていく子供の姿を見れば、格別な嬉しさがあるのだと思う。歩き始めたり、何かのクセを身につけていたり、突然何かに興味を示してみたりするのだから、見ていて飽きないのだろう。

でも、それは男性の勝手な見方なのかもしれない。実際育てる実務の大部分を女性がやっているのだし、「生みの苦しみ」を味わうのは女性だけだから、男性にはそういった苦労はないはずである。そういう部分を知らない男性にとっては、いいようにしか映らないものなのだろうか。でも、そこは役割分担の理論が欲しい。それは「女なんだから」などといった、男性側のぶっきらぼうな理論なのではなく、お互いができることをして、補いあっていくという理論。男性にしか気がつかない部分、女性にしか気がつかない部分があるはずだから、そこをうまくやりくりしていくのが僕の理想。そこまで考えていないかもしれないが、友達のところなんていうのは、きっと、その辺のバランス感覚には優れていると思う。こうあるべき姿勢なんてものはなくて、それぞれの家庭にそれぞれのバランスが存在して、それを夫婦間でどうやって見つけていくかが重要だし、楽しいのだろうと思う。やっぱり恋人と夫婦と両親って違う。僕からしてみれば、それぞれが大変な反面、おもしろいものだと思う。

この前も誘ってくれたのだが、まだ僕はその子を見ていない。そういえば、子供がいる友達も、何人かに増えてきたが、まだ見たことがない。

子供。いつの間にか、そういう歳になっていたんだな、僕も。



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