『連鎖犯罪の中で』

和歌山でのヒ素入りカレー事件以来、物騒な毒薬混入事件が続いてる。実際、死者も出てしまった。そして昨日は、家庭内で、親を困らせてやろうと、ペットボトルにサビ止め薬を混入して、それを家族が飲んでしまった事件が起きた。連日の報道を見て思い付いたそうだ。マスコミはこの事態を「連鎖犯罪」だと指摘している。事実、何人かの犯罪心理学者へのインタビューを通して、そのことを訴えている。

しかし、この連鎖反応の原因は、マスコミにもあるとも言える。事件の取り上げ方、混入方法の詳しい解説・・・。真実を追い求めるジャーナリズムの姿勢とはちょっとずれているように思う。以前のグリコ事件の時も、いじめ事件の時も、芸能人の自殺の時もそうだったと言えるだろう。最近で言えば、バタフライナイフ事件の時がそうだ。その事件の衝撃性が高ければ高いほど、連鎖反応というものは起きやすいものである。

マスコミが商業であることに対して、今さら非難するつもりはない。真実を追い求めるだけで成り立つ商売ではないし、資本主義社会である以上、儲けなければ生きていけないこともわかる。「知りたい」視聴者が大勢いるということも事実だ。しかし、ジャーナリズムの側面だけを強調するかのような姿勢で、このような重大な事件を取り扱うことは危険である。それが、どれだけ難しいことかを再認識して欲しい。マスメディアで取り上げられる以上、その報道はとてつもない影響力を持つのである。今のままだと、「目立ちたかった」などという理由で、この犯罪が拡大していくような気がしてならない。もっとも、和歌山の犯人が逮捕されて、マスコミがさほど取り上げなくなったら、終息へと向かうのかもしれないが・・・。

昨年夏の酒鬼薔薇事件を思い出す。少年法が問題になっていたにも関わらず、顔写真が街頭でばらまかれたり、インターネットを通して公表されたりした。某週刊誌も掲載したが、店頭には並ばなかったということもあった。その際、公表した側の意見のほとんどが、「重大な事件の真実を伝える」、「少年法の適応によって保護されるべき事件ではない」というものだったと思う。しかし、そんなことを判断するのは、事件が解明されていき、裁判等で様々な事実が明らかになってからでよかったのではないだろうか。僕からしてみれば、「その後」の方がもっと重要なことだと思う。一体、少年法の論議はどこへいってしまったのだろうか(実際は論議されていて、僕が知らないだけかもしれないが)。そういえば、あの頃はあれだけ盛り上がった話題であるにも関わらず、今やマスコミで取り上げられる機会がめっきり少なくなってしまったように思う。きっと、世間であの事件が、「過去の事件」としてでしか記憶に残らなくなる日も近いのだろう。

マスコミの取り上げ方一つで、事件のスキャンダル性だけが残るか、社会にとって重要な事実として残るかは別れると思う。マスコミは、それだけ大きな影響力をもっているのだ。今回の事件については、もう少し慎重な扱い方をして欲しいと思う。そして、解決されていく過程の中で、いろんなことを論じて欲しいと思う。

まずなによりも、このような事件が早く終わってしまうことを祈る。



〜TUBUYAKI TITLEページへ〜