<5000HITに寄せて>

 いつのまにか、このページも5000ヒットを達成してしまいました。掲示板に感想を残していって下さったみなさん、書き込みはしなくても、ちらりとでも僕の駄文を読んでいって下さったみなさん、それから、現実の僕の近くにいて、直接感想を下さったみなさんに感謝します。ぐうたらな僕が、ぐうたらにではありますが、ここまでHPの運営を続けられているのは、みなさんの応援のおかげです。どうもありがとう。おそらく、反応が多ければ多いほど、僕のぐうたらぶりは改善されていくものと思いますので、これからもよろしくお願いします。
 さてさて、500件、1000件、2000件と続いてきた記念エッセイを書かねばなりません。今回は、2000件の時と同じく、「小説の面白さ」について書きたいと思います。前回のエッセイが、予想に反して好評だったので、二匹目のドジョウを狙ってみました。
 エッセイの形式は、前回のものを踏襲しています。小説を学びはじめた高校1年生に授業をしている感じで、僕の口調をそのまま文章にしました。前回同様、文章として書いた文章ではないことを断っておきます。
 エッセイのテーマは、「小説の面白さ 実践編」です。前回のエッセイで説明しておいた、言葉と文学の理論を使って、実際に作品(テクスト)から「自分なりの読み」を取り出す過程を説明しています。前回のものと合わせて読んでいただければ、僕が文学をどのように捉えているかを理解していただけると思います。
 題材として取りあげるテクストは、aikoの「花火」という歌の歌詞です。小説ではありません。「小説の面白さ」というタイトルと端から齟齬を来していますが、小説にしろ歌詞にしろ短歌にしろ、言葉による表現である以上、〈読み〉の原理は変わりません。歌詞であっても、文学の要素は多分に含んでいるのです。ジャンルの境界を取り払って、素直な眼で読んでいただければ、ほんの少しだけ、文学に対する見方が変わってきていることに気づいていただけるでしょう。



5000HIT達成記念エッセイ          

 
aiko

 

 前回の授業では、言葉の働きから説明して、最後に文学を深く読むとはどういうことかを説明しました。覚えてるかな? 言葉はデジタルなものだから、言葉にした瞬間に、アナログなニュアンスは削り取られてしまうんだったよね。草の色を例に挙げて説明したと思います。で、そういう性質をもつ言葉の集合体である文章やテクストっていうのは、もともと空白のあるものだから、そこを想像で補っていって、自分なりの答えを見つけるのが、小説の面白さなんじゃないか、という話でした。哲学の要素が入ってくるから、わかりにくかったとは思いますが、どうですか? 理解できた?

 実をいうと、数学の公式にたとえるなら、前回の授業では、みなさんは公式を「覚える」ところまでしかいっていません。だから、理解できた、という実感がわいてくる人はそれほど多くないと思います。やっぱり、実践が伴わないと、理解したかどうかなんてわからないからね。

 それで、今回の授業では何をするかっていうと、みなさんに公式を「理解」してもらうべく、公式を実際に使っていこうと思います。具体的には、テクストから「自分なりの〈読み〉」を引き出していく過程を、みなさんに実際に提示していきます。

 題材として取りあげるのは、aikoの「花火」の歌詞です。そう、歌詞。小説じゃありません。なんで小説を取りあげないかというと、長いから。それから、読むのが面倒だから。というのは冗談で、みなさんに身近な題材を取りあげた方が、より理解度が高まると思ったからです。三角形の面積でもなんでも、公式の実践問題は簡単なものから始まってるでしょう? あれと同じです。まあ、もちろん、普通の小説を取りあげるよりも、売れてるアーティストのヒット曲を取りあげた方が真剣に考えてくれるだろう、という打算的な考えもあるんだけどね。

 さて、前置きはこれくらいにして、歌詞に入っていきましょう。

 みなさんが「花火」の歌詞を読んだとき、最初に疑問に思うのはなんでしょうか? たぶん〈花火〉とは何か、ということなんじゃないか、と思うんですが、どうでしょうか?

 〈花火〉という言葉は、数えてみると、歌詞の中に全部で10回使われています。曲のタイトルまで含めれば、歌詞カードの中には11回、〈花火〉という言葉が登場することになります。だから当然、歌詞カードを読んだときに、一番目だつ言葉なわけですが、歌詞を最後まで辿っていっても、それが何を意味するのかってことは全然説明されない。〈花火〉はこれこれを意味する、なんてどこにも書いてないんです。

 これは気になりますよね?

 それで、今回、「花火」を読み解いていくに当たっては、この疑問からスタートしたいと思います。なぜかというと、〈花火〉はこの歌詞の中で一番のキーワードだから。文学の研究をしていると、キーワードを読み解いていくことで、作品全体の構成が見えてくることがよくあるんですが、それを今回もやってみようと、そういうわけです。まあ、はじめのうちは疑問に感じる人がいるかもしれませんが、前回同様、最後にはまとまると思いますので、我慢して聴いてて下さい。

 〈花火〉の意味を探るとき、まず注目すべきなのは、サビの歌詞です。サビの歌詞を読んでみて下さい。

  • 夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
  • こんなに好きなんです 仕方ないんです
  • 夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
  • 涙を落として火を消した

 2行目に注目して下さい。「こんなに好きなんです 仕方ないんです」というところです。この部分で、「こんなに」が対象としているのは、もちろん前の行にある〈花火〉ですよね。それを主人公が上から見下ろして、「こんなに好きなんです」といっている。このことからわかるのは、どういうことでしょうか?

 一言でいうなら、〈花火〉は、主人公の「好き」という気持ちを象徴しているということです。主人公は〈花火〉を見て「こんなに好き」といっているわけですから。で、このことから考えていくと、主人公が空のずっと上の方から自分の「好き」という気持ちを眺めて、「こんなに好きなんです 仕方ないんです」と客観的に判断を下している、という構図が浮かび上がってきます。これは、「花火」の歌詞の一番基本となる構図なので、覚えておいて下さいね。

 じゃあ、こんどは、4行目に注目してみて下さい。4行目には、主人公が、自分の「好き」という気持ちを客観的に眺めて判断を下したあとの行動が描かれています。

  • 涙を落として火を消した

 〈花火〉は主人公の「好き」という気持ちを象徴しているんだから、その「火」を消すってことは、「好き」な気持ちを、文字通り泣く泣くあきらめてしまうってことです。このことから、「花火」の歌詞は失恋を歌っているのだ、とかなり大雑把だけど、まとめることができます。ここまでいいでしょうか?

 それでは、みなさんに質問をします。
 みなさんは失恋の歌というと、どんなシチュエーションを思い浮かべるでしょうか?

 おそらく、一番多いのは、この間までつきあっていた彼氏や彼女にふられた、というものなんじゃないかと思います。ちょっと古いですが、「捨てられて」なんてそのものずばりの歌もありますし、「格好悪いふられかた」なんて曲もありました。新しいところでは、ミスチルが「幸せのカテゴリー」という曲を書いたり、小沢健二が「恋しくて」という曲を書いたりしています。他のアーティストにしても、おそらくアルバムを眺めてみれば、一曲くらいはそういうシチュエーションを扱った曲というのが見つかると思います。彼氏、彼女にふられた、というシチュエーションは、それくらいポピュラーなんです。

 じゃあ、「花火」もそれと同じようなシチュエーションが描かれているのか? というと、実は違います。歌詞をよく読んでいくと、少し特殊なシチュエーション設定をしているってことがわかってきます。
 Bメロの歌詞を読んでみて下さい。

  • 三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて 右腕にとまって目くばせをして
  • 「疲れてるんならやめれば?」

 ここでは、「恋の知らせ」という言葉が使われています。これは、二人がこの間までつきあっていたとしたらおかしいですよね? 普通、「恋の知らせ」は、これからつきあおうとする人が使うもので、いままでつきあっていた人には使わない。単純に考えれば、ここから読みとれることは、「花火」の主人公と「あなた」とは、まだつきあう前の段階にある、ということになります。

 このことはまた、歌詞の冒頭部からも読みとることができます。

  • 眠りにつくかつかないか シーツの中の瞬間はいつも あなたの事考えてて
  • 夢は夢で目が覚めればひどく悲しいものです 花火は今日も上がらない

 ここで、主人公は「シーツの中」でずっと「あなた」の事ばかり考えていて、さらには夢の中でも「あなた」に会っているようです。しかし、どうしても〈花火〉を上げることができない。〈花火〉は自分の「好き」という気持ちを象徴しているんだから、このことは、言い換えると、自分の「好き」という気持ちを、まだ「あなた」にうち明けていない、うち明けられていない、ということになります。

 ここまで、いいでしょうか?

 このように読み解いてくると、歌詞に隠されたシチュエーションが徐々に浮き上がってきます。こんどは、2番のAメロを見てください。

  • そろったつま先 くずれた砂山 かじったリンゴの跡に 残るものは思い出のかけら

 ここで問題になるのは、「思い出」です。主人公と「あなた」とがまだつきあっていないんだったら、この「思い出」はいったいどんな「思い出」なのか? まず、恋人としての思い出ではありませんね。つきあってないんだから。とすれば、残るのは、友達としての思い出ということになります。ここからわかるのは、主人公と「あなた」とは、これまで友達としてつきあってきたということです。しかも、「思い出」が残るくらいなんだから、昨日今日に会った、ということは考えにくい。しばらくの間親交があったのだ、と考えるのが妥当です。

 さらに読んでいきましょう。今度は1番のAメロ、3行目を見てください。

  • 胸ん中で何度も誓ってきた言葉がうわっと飛んでく「1mmだって忘れない」と...

 「1mmだって忘れない」という言葉は、どう考えても告白の言葉ではないですね。言葉の意味を考えてもそうだし、サビで歌っているように、主人公は「あなた」のことをあきらめようとしているわけですから、状況的にもそうです。だからこれは、別れの言葉としてとらなくてはなりません。

 しかし、よくよく考えてみて下さい。今、主人公と「あなた」とは、友達の関係なんですよ。それなのに、「1mmだって忘れない」という言葉を口にするのは、ちと不自然じゃないでしょうか? 「1mmだって忘れない」なんていうと、もう二度と会えないみたいだよね? 今まで友達でいて、それでこれからも友達だっていうとき、こういうことはいわないよね、普通は。

 ここから読みとれることは、主人公はこのあと、「あなた」と会えなくなってしまう状況に陥るんじゃないかってことです。たとえば、主人公が引っ越しするとか、「あなた」が海外にいってしまうとか、そういった可能性を読みとることができると思います。で、これを踏まえて考えると、一体どんなストーリーが浮かび上がってくるか? ちょっとやってみますね。

 主人公か「あなた」かはわからないけど、とにかくどちらかの都合で、もうすぐ会えなくなってしまうのがわかっている。そういう状況のなかで、主人公は「あなた」のことを好きになってしまった。好きという自分の気持ちはどうしようもないほど大きいんだけど、状況を考えると、それを「あなた」に伝えない方がいいような気がする。それで、主人公は、涙を流して自分の気持ちをあきらめる。

 こんな風に読むことができるんじゃないでしょうか?

 この〈読み〉を踏まえて、次の部分を読んでみて下さい。最後のサビに入る前、ギターソロのあとに曲調が変わるところの歌詞です。

  • 赤や緑の菊の花びら 指さして思う事は ただ一つだけ そう一つだけど
  • 「疲れてるんならやめれば...」
  • 花火は消えない 涙も枯れない

 先ほどの〈読み〉を踏まえていると、この部分は涙なしでは歌えないですね。  「赤や緑の菊の花びら」=〈花火〉を見て、主人公は自分がいかに「あなた」のことを好きかっていうのを理解している。で、「思う事は ただ一つ」、「あなた」に好きだってことを伝えたいんだけど、状況を考えると一歩を踏み出すことはできない。そんな逡巡を繰り返していると、横の方から「疲れてるんならやめれば...」なんて声も聞こえてくる。主人公は、頭では「あなた」のことをあきらめなければいけないと思っているんだけど、いくら涙を流してあきらめようとしても、〈花火〉=好きな気持ちは消えない。

 どうですか? すごい状況でしょう?

 なんですごいかっていうと、この部分では、主人公は少なくとも4つに分裂しているんです。どういうことかというと、まず、地上から〈花火〉を打ち上げている主人公がいて、それを星座にぶら下がって眺めている主人公がいる。これで二人。それから、もう疲れてしまって、「やめれば...」なんて投げやりな態度をとる主人公がいる。三人。最後に、その三人全員を眺めて、こういう状況に私は立っているのだ、と客観的に把握している主人公(つまりは歌詞の語り手)がいる。これで4人。

 ここまで自分を対象化して、客観的に状況を把握できていながら、主人公はなかなかあきらめをつけることができません。それほど、「好き」という気持ちは大きいんです。歌の一番最後で、主人公は「最後の残り火に手をふった」わけですが、その決断がいかにつらいものなのか、というのがここで実感できます。「bye bye bye...」を連呼する最後のフレーズだって、ここまでしっかりと読んでこなければ、そこに込められた感情を理解することはできません。ここまで、理解できたかな?

 さて、ここで「花火」の歌詞の分析は終わりです。どうでした? 「花火」に込められた本当のせつなさがわかってもらえたでしょうか?

 もしかしたら、こんな疑問を抱く人がいるかもしれません。
 「なんでそんなややこしいことをするんだ? せつないんだったら「せつない」っていえばいいじゃないか」

 これについては、言葉の働きを思い出してみて下さい。前回の授業では草の色を例に挙げて説明したと思うけど、言葉は、現実を単純化して、流通しやすくするための記号にすぎなんだったよね。たとえば、僕が頭に浮かんだイメージを誰かに伝えようとするとき、それを一旦言葉にしてしまった時点で、様々な可能性が切り捨てられてしまう。

 「花火」の場合、主人公は失恋のせつなさを歌っているわけですが、そのせつなさを「せつない」という言葉にしてしまったら、それはその時点で、主人公が感じていたせつなさとは違ったものになってしまうんです。だから、主人公は歌詞の中では「せつない」という言葉を一度も使わない。その周りの状況だけをぐるぐると描いていくんです。

 いいですか? これは歌詞に限らないことですが、文学作品を動かしている力の大部分はこのことに起因しています。小説や詩を書く人ってのは、自分の中にあるイメージを、そのまま誰かに伝えようとしてもがいているんです。そのためには、せつないことを「せつない」っていってはいけないし、苦しいとか孤独だとかいうことも、そのまま言葉にしてはいけない。自分がイメージしているものから離れていってしまうからです。

 文学作品はよく「難解だ」とか「わかりにくい」とかいわれますが、原理を理解してしまえば、それほど難しくはありません。作家や詩人は、自分の一番にいたいことを直接には描けないんです。寒いことを「寒い」っていってしまったら、それは説明にしか過ぎなくて、描写では決してない。だって、「寒い」っていわれても、実際にはどんな寒さなのかわからないでしょう。だから、本当の寒さを伝えるためには、もっと他の状況や、自分の心理や、その他諸々の情報を伝えなくちゃならない。ものを書く人たちは、そういったことを考えながら作品を作っているんです。

 そろそろまとめに入りましょう。今日のまとめはこういうことです。

 「文学では、一番いいたいことは文面にはない」

 これからみなさんはいろんな小説や詩や、歌詞や、和歌なんかに出会うことになると思いますが、その時は、文面だけを読まずに、ちゃんと行間を読んで、空白を埋めて、読みを引き出すようにして下さい。

 今日の授業はここまでです。ゴールデンウィークが近いので、暇な人は今回のことを踏まえながら読書でもしてみて下さい。それでは、また来週お会いしましょう。  (2000/04/24) →次の授業へ


▼一年目の補足

 この「花火」論をアップしてから、もう一年以上が過ぎてしまいました。この間に、ネット上の様々な場所で話題に話題にしていただいたようで、大変うれしく思っています。「花火」の歌詞を書いてくれたaikoさんと、そのファンのみなさんに感謝します。どうもありがとう。
 そのお礼を兼ねて……といってはなんですが、いつまでも同じ文章を見せているだけでは申し訳ないので、一周年を期に、少々補足をすることにしました。それほど長くはないですが、この一年間で僕が「花火」と「花火」論、それからそれを取り巻く環境について考えたことを書いています。エッセイの本文と合わせて読んで、新しいインスピレーションを得ていただければ幸いです。

 僕の「花火」論は、「花火」の解釈の一つを提示しているだけで、正解を出そうなどという気持ちはありません。僕にはこういう風に読める、ということだけを言いたかっただけです。その点、誤解のないようお願いいたします。
 「小説の面白さ 応用編」を読んでいただければわかると思いますが、文学の読みは補助線によって複数発生させることができます。また、それらたくさんの解釈が、互いに影響し合って、また新しい読みが登場することもあります。逆に言えば、もし仮に正解が一つしかない文学があったとしたら、それはおそらく、文学としての面白さの9割がそがれてしまっている、味も素っ気もないものになっているものと思います。「花火」の歌詞から、もっと別の解釈が引き出されるなら、(明らかな誤読でない限り)僕は大歓迎です。この「花火」の解釈に囚われずに、新しい読みが、いろいろなところから出されることを期待しています。

 それから、アップから一年が過ぎ、もう一度歌詞を読み返してみたとき、自分なりに新しい解釈ができるのではないかと思った点について、少し書いておきます。

 胸ん中で何度も誓ってきた言葉がうわっと飛んでく 「1mmだって忘れない」と...
 もやがかかった影のある形ないものに全てあずけることはできない

 この二行についてですが、文脈的に連続していると考えるなら、二行目の「もやがかかった影のある形ないもの」の意味がわかるような気がします。つまり、

 言葉そのもの。

 言葉はもやがかかったように曖昧なもので、いつも表の意味と同時に、裏の意味、あるいは予期しなかった意味を発生させてしまいます。もちろん、言葉自体には具体的な形もありません。
 語り手は、一行目で「1mmだって忘れない」という言葉を思いついて、それを相手にぶつけようと思うわけですが、二行目では、その言葉に「全てあずけることはできない」と考えを変えています。おそらく、自分の「気持ち」を「言葉」というものに変換して相手に伝えようとしたとしても、その「言葉」から相手が受け取るものは、語り手が抱いた「気持ち」と同じものではなくなってしまっているかもしれない。そう語り手が思ったからでしょう。語り手にとって大事なのは、自分の中にあるオリジナルの気持ちであって、言葉に頼ってしまっては、それが完全には伝わらないのです(この点については、「寮美千子『ノスタルギガンテス』論 ―文学の境界線―」を参照していただくとわかりやすいと思います)。
 敢えて直接的な言葉を使わないで「切なさ」を表現しようとする「花火」の歌詞の中で、「もやがかかった〜」の一行が果たす役割は大きいように思われます。語り手は、「切ない」といってしまっては本当の「切なさ」が伝わらないから、その周りをぐるぐると描いていっています。それと同じ問題が、この一行にも表現されているといえるのではないでしょうか。(2001/6/21)

*ぐうたら雑記館はaikoファンサイト「LOVE LIKE POP STATION」からリンクしていただいています。
 最新のaiko情報はこちらにて。


トップに戻る


他のエッセイを読む

トップページへ戻る