*2001年8月の読書傾向*

 見事なまでにミステリで揃いました。西澤保彦と飛鳥部勝則に注目してそれぞれ数冊ずつ読んでいます。角川が本格ミステリでフェアを開催しているので、今月から来月にかけては角川文庫の割合がかなり高くなると思われます。(計10冊)

今月の一冊:近藤史恵『散りしかたみに』

Index

読了日書名著者名出版社評価
8/11『ダリの繭』有栖川有栖角川文庫☆☆☆
8/14『彼女が死んだ夜』西澤保彦角川文庫☆☆☆
8/16『月曜日の水玉模様』加納朋子集英社☆☆☆☆
8/18『瞬間移動死体』西澤保彦講談社文庫☆☆☆☆
8/22『殉教カテリナ車輪』飛鳥部勝則創元推理文庫☆☆☆
8/23『スカイ・クロラ』森博嗣中央公論新社☆☆☆☆☆
8/25『R.P.G.』宮部みゆき集英社文庫☆☆☆☆
8/28『黒祠の島』小野不由美祥伝社☆☆☆☆☆
8/29『散りしかたみに』近藤史恵角川文庫☆☆☆☆☆
8/31『バベル消滅』飛鳥部勝則角川文庫☆☆

Review



 『瞬間移動死体』 西澤保彦 ★★★★

 ミステリは常に新しいトリックを考えなければならないジャンルです。同じようなトリックばかりを使っていては、「流用」として非難されるだけでなく、ジャンル自体をマンネリズムに陥らせてしまうことにも繋がります。ミステリとは過去の蓄積を踏まえつつ、常に新しいものを探っていかなければならないジャンルであり、その根底には、不可避的に複雑化する方向性を孕んでいるのです。

このことを踏まえて、笠井潔は次のようにいっています。「ミステリは常に危機的状況にある」。100年以上の歴史の中で、ミステリはあらゆるトリックが発明され、すでにその隙間を見つけることは困難になってきています。笠井潔の言葉は、この状況を的確に言い表しているといえるでしょう。しかし、その一方で、現代のミステリシーンが非常に活況を呈しているという現実があります。90年代から続くミステリ・ブームは、衰えるところを知りません。いったい、過去から現在まで蓄積され、すでに飽和に達していてもおかしくないはずのミステリが、ここまで発展してきているのはなぜなのでしょうか。ミステリはどんな方法でこの「危機的状況」を乗りこえてきているのでしょうか。

 このように考えてきたとき、特殊ルール本格ミステリが果たす役割はかなり大きなものになると考えられます。特殊ルール本格とは、従来の本格ミステリのルールに、ひとつだけ特殊なルールを加えて作られるミステリで、山口雅也『生ける屍の死』はこの種のもっとも代表的なものです。この方法によるミステリは、90年代以降メジャーになり、現在でも活発に創作、発表されています。(94年にミステリ界を震撼させた京極夏彦『姑獲鳥の夏』も、考えようによっては特殊ルール本格といってもいいでしょう)

 90年代の特殊ルール本格を先導してきた作家は西澤保彦です。彼は『七回死んだ男』『ストレート・チェイサー』など、超能力をテーマにしたミステリを数多く発表し、成功を収めてきました。本書『瞬間移動死体』は、そのもっとも上質の部類に入るものとして、西澤作品の著作リストに記されるべきものです。

 本書では、遠く離れた場所へ一瞬にして移動できる能力を持った人物が登場し、殺人事件に巻き込まれます。この事件の真犯人は、主人公が瞬間移動できるということを考慮にいれないと推理することができません。瞬間移動ができる人物がいるなら、たとえば密室は密室ではなくなります。その部屋は、従来のミステリとは違った意味が与えられ、作中で機能することになるでしょう。しかも、それらの特殊な使われ方を解き明かしていく論理は、マニアをうならせるほど緻密なものです。どんなに慣れた読者であっても、ただ翻弄されるしかありません。特殊ルール本格の醍醐味は、まさにこのような緻密で新しい論理にあるといっていいかもしれません。

 90年代のミステリにおいても重要視されるべき一冊。西澤保彦の本気を感じたい方におすすめします。


<芋蔓本>京極夏彦『姑獲鳥の夏』:特殊ルール本格(?)
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 『R.P.G.』 宮部みゆき ★★★★

 「地の文では虚偽の記述をしてはならない」

 というルールがミステリにはあります。たとえば、密室で死んでいるように見える人物がいたとしても、その人物が死んでいなかったならば決して「死体」と書いてはならないし、性別を偽っている女性に対して、「彼」という記述をしてもなりません。ミステリにおいて、地の文はいわば神の視点から語られる言葉であり、読者にとっては完全に信じられる情報でなければならないのです。
 このルールは、ミステリにおけるフェア/アンフェアの基準としてよく取り上げられます。ミステリがフェアでなければならないというのは、一つには探偵と読者との知恵比べを成立させるための決まり事です。同一の手がかりを与えられたとき、読者は探偵と同じ結論に達することができるかどうか。特に論理性を重視する本格ミステリにおいては、この推理合戦は重要なものと考えられ、ジャンル特有の楽しみを読者に与えています。

 しかし、読者のなかには、あえて犯人当てをしないという人もいます。犯人をまったく想定しないまま、あるいは、なんとなくこの人だろう、と思う程度で最後まで読み進めてしまう読者です。もちろん、ミステリの楽しみ方は犯人当てに限ったことではないので、こういった読者がいても不思議ではありません。むしろ、犯人当てのみに固執している読者の方が少数だというのが本当のところです。
 これら犯人当てをしない読者について考えてみるとき、冒頭に挙げた「虚偽の記述」についてのルールは、どんな役割を果たすのでしょうか。フェア/アンフェアの基準となるルールは、犯人当てを成立させるための決まり事なのですが、犯人当てをしない読者には、まるで不要なものになってしまうのでしょうか。

 答えは否です。たとえば、本文中でずっと「人間」と表記されていた人物が、ラストシーンで猿だったと判明したなら、読者はどう感じるでしょう。たとえそれに騙されていたとしても、気持ちのよいものではありません。作者の明らかな嘘によって詐欺的に騙されたわけですから、裏切られたと感じてしまいます。ミステリの醍醐味は、嘘をつかないで読者を騙すという綱渡り的な記述の妙にあるのであり、この原則があるからこそ、読者は騙されることに快感を覚えるのです。
 このように考えてくれば、「虚偽の記述」についてのルールが持つもう一つの役割がはっきりしてくるでしょう。犯人当てのためのルールは、そのまま気持ちよく騙されるためのルールになります。犯人当てをしない読者に対しても、やはりこのルールは必要なものなのです。

 本書『R.P.G.』においては、しかし、このルールが守られていません。あとがきで宮部みゆき自身も認めているように、地の文に虚偽の記述と考えられる部分があります。本来ならば、ミステリにおけるこのような記述は、騙される快感をなし崩しにする爆弾となってしまいます。ですが、本書に限って言えば、読者は嘘によって騙されることに裏切られたと感じることはないでしょう。というのは、本書に登場するある人物も、本来ならば全面的に信じられるべきものによって簡単に騙されてしまうからです。信じられなければならないものが信じられないという現実に直面したその人物の内面は、虚偽の記述によって騙された読者の内面と少なからず呼応することになるでしょう。(また、嘘か本当かわからない情報が飛び交うネット上のコミュニケーションが本書の一つのテーマとなっていることも、この呼応を呼び込むための布石となっています)確信犯となった宮部みゆきの構成力・筆力は、決定的なルール違反までも、説得力を持たせる力を持っています。


<芋蔓本>黒田研二『ペルソナ探偵』:ネットを舞台にした本格ミステリ。
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