読書日記2001年7月
*2001年7月の読書傾向*
振り返ってみれば例によってミステリばかり。僕は本当に文学部の学生なのでしょうか。(計12冊)
今月の一冊:『本格ミステリ01』
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Index
| 読了日 | 書名 | 著者名 | 出版社 | 評価 |
| 7/4 | 『ブラック・サンデー』 | トマス・ハリス | 新潮文庫 | ☆☆☆ |
| 7/7 | 『不透明な殺人』 | 有栖川有栖ほか | 祥伝社文庫 | ☆☆☆ |
| 7/10 | 『本格ミステリ01』 | 本格ミステリ作家クラブ編 | 講談社ノベルス | ☆☆☆☆☆ |
| 7/11 | 『現代文学理論』 | 土田知則ほか | 新曜社 | ☆☆☆☆ |
| 7/12 | 『ネヌウェンラーの密室』 | 小森健太朗 | 講談社ノベルス | ☆☆ |
| 7/13 | 『十角館の殺人』(再々読) | 綾辻行人 | 講談社文庫 | ☆☆☆☆ |
| 7/15 | 『遠い約束』 | 光原百合 | 創元推理文庫 | ☆☆☆ |
| 7/17 | 『殺意の集う夜』 | 西澤保彦 | 講談社文庫 | ☆☆ |
| 7/18 | 『多重人格探偵サイコ』 | 大塚英志 | 講談社ノベルス | ☆☆☆ |
| 7/19 | 『サンタクロースのせいにしよう』 | 若竹七海 | 集英社文庫 | ☆☆☆☆ |
| 7/21 | 『天使の屍』 | 貫井徳郎 | 角川文庫 | ☆☆☆ |
| 7/25 | 『麦酒の家の冒険』 | 西澤保彦 | 講談社文庫 | ☆☆ |
Review
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『本格ミステリ01』 本格ミステリ作家クラブ ★★★★★ |
ミステリは突っ込んだ書評、解説が書きにくいものです。
ふつう、詳しい評論を書くためには作品のネタをばらすことも必要になってきますが、ミステリにおいてはそれができません。ミステリの主眼は謎が論理的に解明される過程にあるため、ネタバレされると、その特有の面白さがそがれてしまうからです。たとえていうなら、ネタの乗っていない寿司を食べさせられるようなもので、どんな読者でも、ネタバレされたミステリは読みたくないと思ってしまうことでしょう。
しかし、ネタバレによって突っ込んだ評論ができないということは、読者の楽しみを保護する反面、デメリットも産み出してしまいます。文学は同時代の批評などとの相互作用によって産み出される面がありますが、いい批評が書かれなかったとしたら、そのダイナミズムは生まれにくくなってしまいます。また、ある作品を読んだ人と読んでいない人とでは話が通じない、あるいは話しにくいシチュエーションに陥る可能性も高く、素人と玄人との区別がはっきりもしてしまいます。一昔前までのミステリがマニア向けだとして非難されていたのは、このことに起因するでしょう。
最近では、それでも、ネタバレを前提とした書評、解説が増える傾向にあるようです。「このあと作品の犯人、トリックに触れています。未読の方はご注意下さい」という注意書きがある解説を、一度は見たことがあるのではないでしょうか。作品の紹介文として、果たしてこの形式がいいのかどうかはわかりませんが、ミステリについての突っ込んだ議論の場が増えることは歓迎すべきだと思います。
本書『本格ミステリ01』には、2001年度に発表された本格ミステリ作品を13本と、評論が3本、収められています。「その年の本格ミステリがどの程度の達成を成し遂げたか」を示すために編まれたという本書は、小説作品にしろ評論にしろ、ミステリの最先端を追いかけるにはうってつけのアンソロジーとなっています。とくに、評論が収録されたのは本格ミステリ作家クラブの慧眼で、これを期に、ミステリ評論ひいてはそれに刺激されて発表されるミステリ作品の発展が期待できそうです。
大塚英志『多重人格探偵サイコ』と麻耶雄嵩『木製の王子』についての評論は、当然のことながらネタバレを前提として書かれています。しかし、だからといって取り上げられている作品を読んでいないと楽しめないわけではなく、むしろ評論を読むことによって、それらの作品の魅力を知り、ネタを知っていても手に取ってみたくなること請け合いです。詳しい評論に耐える作品は、もともとミステリ的謎に偏らなくとも読める作品になっていることでしょう。
本書そのものを楽しんでも、これから読むミステリを探すためのガイドブックとしても、十分以上に満足させてくれる一冊です。これから毎年出されるそうですから、いまから本棚の一画をあけておくことをおすすめします。
<芋蔓本>笠井潔編『本格ミステリの現在』:突っ込んだミステリ評論。
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1987年に本書『十角館の殺人』が出版されたとき、本書が持つ古き良き本格ミステリへの志向は厳しい批判にさらされました。それまでのミステリ・シーンで主流となっていた、松本清張をはじめとする「社会派」のミステリの達成をなし崩しにして、ミステリの進化を何十年も後戻りさせるものだというのが、批判する側の論拠でした。発表から10年以上経ったいまとなっては、これらの批判は新しい動きに対するヒステリックな反応だったことは明らかです。
『十角館の殺人』の冒頭部では、ある人物の口から「社会派式のリアリズム云々は、もうまっぴら」「ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうが、やっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒なトリック……」という言葉が語られます。この言葉を真に受ければ、確かに本書を「時代遅れ」として批判することは可能でしょう。しかし、それはあまりに表層的な見方だと言わざるを得ません。なぜなら、本書は冒頭でセンセーショナルな「本格ミステリ」回帰宣言にもかかわらず、その実「本格」的な道具立てを逆手に取ることで成立しているからです。
本書においては、密室、閉鎖空間、名探偵など「本格ミステリ」のお約束的な道具立ては、すべてまともには描かれていません。その関節の外し方たるや見事なもので、「本格」をたくさん読んで、その約束事を知っている読者ほど、真相を見抜くことはできないようになっています。冒頭に挙げた「本格ミステリ」回帰宣言も、本書が構成するトリックのなかでは、読者の目をくらませるための一つのトリックにすぎません。綾辻行人が目指す本格は、古き良き本格の反復ではなく、現代風にアレンジされた古き良き本格なのです。
現代のミステリでは、ある種のトリックによって映像化不能の世界が構築されることがままありますが、90年代以降のミステリ・ブームの火付け役とされる『十角館の殺人』においてもその傾向が見られます。伝統的な本格を志向しつつも、その裏側では現代を先取りした進化を遂げている本書は、やはり現代本格の嚆矢として相応しい作品といえるでしょう。ミステリファンならずとも、読んでおきたい一冊です。
<芋蔓本>森博嗣『そして二人だけになった』:生き残るのは誰?
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スーパーに入って、棚を見回してみます。
バーコードのついていない商品は、いったいどのくらいあるのでしょうか。レジではほとんどの商品はバーコードによって値段を調べられ、人間の指で値段を入力しなければならないものはまずありません。コンビニでも、百貨店でも、状況は同じでしょう。現代の日本においては、バーコードはどこにでもある記号なのです。
バーコードは本来、数多くの品物の中から、ある一つの品物を識別するための記号です。それを読みとる機械を使えば、値段や名称、あるいは在庫の数などの情報を一瞬にして手に入れることができます。商品の管理システムとしては、規模からいっても、効率のよさからいっても、現在バーコードを上回るものはありません。商品のアイデンティファイのための記号、それが、バーコードが持つ一つの役割です。
しかし、その一方で、バーコードはその品物が、オリジナルの品物ではないことをも意味しています。商品の種類が複数ある場合、バーコードはアイデンティファイのための道具として働くのですが、ある一つの商品だけを考えると、それはなにより、コピーであることの証となります。同じバーコードが付けられている商品は、どれも同じ品物でなくてはならず、それらに差異があってはいけません。私たちは日常的にバーコードのついた品物を買ってきていますが、それらはすべて、差異を消され、画一化されたものです。そう考えてくると、自分の意志で商品を消費していると思いながら、実は知らないうちにその商品によって画一化されている――そんな世界像が、バーコードから浮かび上がってはこないでしょうか。
本書『多重人格探偵サイコ』が踏まえているのは、まさにこの世界像です。しかもそれは、眼球にバーコードを刻印された人物たちが登場する作品内だけに留まるものではありません。本書を閉じて、裏表紙を見てみれば、そこにはバーコードが印刷されています。つまり、本書そのものも、大量生産され、画一化されたコピーなのです。物語終盤の、「この物語も含めて」という作中人物からの指摘は、作品内で描かれたことがフィクションではなく、今現在自分たちがそのなかにあるということを読者にまざまざと見せつけることになるでしょう。
これまでにない形で読者を作品の中に取り込み、メタ的な眩暈を感じさせることに成功したエンターテインメントです。批評的な自己言及も鮮やか。他のシリーズ作品とあわせて、おすすめの一冊です。
<芋蔓本>『本格ミステリ01』:『サイコ』にも言及したPOSシステムについての評論は必読。
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