*2000年5月の読書傾向*

 34冊。新記録樹立。ただ、ミステリをたらふく読めたのはいいのだが、近代文学を一冊も読んでいないのはどうか。僕は本当に日本文学専修に所属している学生なのか。(計34冊)

今月の一冊:トマス・ハリス『ハンニバル』

Index

読了日書名著者名出版社評価
5/1『日曜の夜は出たくない』倉知淳創元推理文庫☆☆☆☆
5/3『美濃牛』殊能将之講談社ノベルス☆☆☆☆☆
5/4『中国行きのスロウ・ボート』村上春樹中公文庫☆☆☆☆
5/4『心の科学のフロンティア』西川泰夫培風館☆☆
5/4『このクラスにテクストはありますか』S・フィッシュみすず書房☆☆☆☆
5/4『星の王子さま』サン=テグジュペリ岩波書店☆☆☆☆☆
5/5『哲学者かく笑えり』土屋賢二講談社☆☆☆
5/5『小説と批評』小森陽一世織書房☆☆☆☆
5/7『ハンニバル』(上・下)T・ハリス新潮文庫☆☆☆☆☆
5/9『レッド・ドラゴン』(上・下)T・ハリスハヤカワ文庫☆☆☆☆
5/10『人の短編集』原田宗典角川文庫☆☆☆
5/13『夢・出逢い・魔性』森博嗣講談社ノベルス☆☆☆☆
5/19『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』遙洋子筑摩書房☆☆☆☆
5/20『記号を喰う魔女』浦賀和宏講談社ノベルス☆☆
5/21『フィクションの機構』中村三春ひつじ書房☆☆☆☆
5/21『姑獲鳥の夏』(再読)京極夏彦講談社文庫☆☆☆☆☆
5/22『探偵のクリティック』すが秀実思潮社☆☆☆
5/22『テクストの快楽』ロラン・バルトみすず書房☆☆☆☆
5/23『メルカトルと美袋のための殺人』(再読)麻耶雄嵩講談社ノベルス☆☆☆☆
5/26『いちばん初めにあった海』加納朋子角川文庫☆☆☆☆
5/27『牛への道』宮沢章夫新潮文庫☆☆☆☆
5/27『續・日本殺人事件』山口雅也角川文庫☆☆☆☆☆
5/28『ガープの世界』(上・下)J・アーヴィング新潮文庫☆☆☆☆
5/29『ミステリー倶楽部へ行こう』山口雅也国書刊行会☆☆
5/29『家族シネマ』柳美里講談社文庫☆☆☆
5/30『グリーン・マイル』(1〜6)S・キング新潮文庫☆☆☆

Review



 『日曜の夜は出たくない』 倉知淳 ★★★★

 『星降り山荘の殺人』でもそうでしたが、倉知淳の作品には無駄というものが一つもありません。事件の発端から解決に至るまでの道筋を一本の線にたとえるとしたら、それはほぼ一直線っぢってしまうてです。必要最小限の情報を与え、わき目もふらずに進んでいく謎解きは、読者に目をそらす隙を与えません。そればかりか、必ず最後にどんでん返しが待っているのだから、その技術力の高さには脱帽です。読者の目には一本と見えていた糸が、実はその影にもう一本の糸が隠れていて、それが真の真相になるのです。土俵際でうっちゃりを決められるような快感が、そこにはあります。
 『日曜の夜は出たくない』は、連作短編という形を取っています。各々の短編が趣向を凝らした謎解き作品になっているのはもちろんのこと、最後には、『日曜の夜は出たくない』そのものに仕掛けられたトリックが浮かび上がるようになっていて、読者を二度も三度も楽しませてくれます。
 さきほど、倉知淳の作品には無駄がない、と書きましたが、この作品にも同じことがいえます。短編として読んでいるうちには、「ん?」という記述にぶつかるかも知れませんが、実はそれは計算された無駄なのです。最後まで読めば、倉知淳が仕掛けた大トリックに、あっと言わされることでしょう。
 直球に見えて手元で落ちるSFFのような作品です。一筋縄ではいきません。球筋をよく見極めながら読み進めることをおすすめします。

<芋蔓本>若竹七海『ぼくのミステリな日常』:全体の構成がよく似ています。



 『美濃牛』 殊能将之 ★★★★★

 『ハサミ男』の殊能将之がまたやりました。古今東西、時代、ジャンルを無視した引用で飾った、現代版『八つ墓村』。僕が読みたかったのはこういうミステリなのです。
 殊能将之は、テクストの面白さを十分に理解している作家です。巻末に付せられる引用文献リストには、漱石『草枕』があり、島田荘司『灰の迷宮』があり、果ては吉幾三の「おら東京さいぐだ」まであります。これだけ節操のない(失礼)引用を、確信犯的にしまくった文献も珍しいでしょう。
 ミステリのストーリー自体は、それほど真新しいものではありません。山間の村、洞窟、曰くありげな童謡、こんがらがった血縁関係と、横溝正史の系譜をひく世界観を踏襲しています。しかしながら、それにあらゆる種類の引用が組み合わされたとき、ミステリは新しい一歩を踏み出します。伝統的なミステリ形式の読み替えが、そこでは行われているのです。
 ミステリからだけでなく、テクスト論の視点からも注目すべき作品です。既存のジャンルを超える力を、この作品は持っています。損はさせません。読んで下さい。

<芋蔓本>横溝正史『八つ墓村』:もとネタということで、安易に。



 『心の科学のフロンティア 心はコンピュータ』 西川泰夫 ★★

 授業のレポートの関係で読んだ本。ちなみにその授業の担当は著者の西川泰夫先生だったりします(自分の著書を買わせるのか……)。
 文学を突き詰めていくと、どうしてもこころの問題にぶつかってしまいます。とりわけ、こころが物理的に解明できてしまうかどうか、というのは、文学の存在基盤を揺るがしかねない大問題でもあります。今年度、僕が認知心理学の講座を取ったのは、実はそういった背景がありました。
 「心はコンピュータである」
 などといわれると、どうしても反発を覚えてしまうと思います。しかしながら、本書、『心の科学のフロンティア』を読み進めていくと、その認識は変わらざるを得なくなってきます。空間の認知から、記号の処理、はたまた駅にある切符販売機までを引き合いに出した心=コンピュータ論は、様々な角度からの考察が加えられており、思わず「なるほど」とうなずかされるものばかりです。
 本の中には難しい数式がやたらと登場しますが、専門的に学ぼうとする人ではければ、読み飛ばしてしまってもいいでしょう。入門書という位置づけがなされているため、本文の方でしっかりとフォローが入れられています。
 様々な角度から捉え返されている人間のこころ。その最新の形が、この本の中には記されています。マニアックな出版社から出ているゆえ、手に入りにくい本だとは思いますが、もし図書館などでみかけたら、一読をおすすめします。

蛇足:ときおり、現代の若者に対する不満を述べる文章が差し挟まれていたりしますが、それはまあ、授業でも同じ(笑)。デカルトの哲学からユークリッド幾何学、相対性理論、量子力学、果ては現代日本の交通法規に至るまで、とにかく幅の広い知識を持たれている先生なのです。あらゆるジャンルから相対的に捉えられる人間のこころの最新バージョンは、一度は触れておいても損はないでしょう。

<芋蔓本>森博嗣『有限と微小のパン』:「ヒトはもともとデジタルなんだ」



 『このクラスにテクストはありますか』 スタンリー・フィッシュ ―――

 これまた授業で扱う本です。出版されている部数が少ないのか、なかなか手に入らずに苦労しました。
 さすがに文学理論の講座のテクストです。去年まで読んでいた理論書とは、ワンランク違います。とにかく内容が濃い。文学の研究者が書いているため、文章自体はやさしいものなのですが、扱われている内容が高度で、一行でも軽く読もうものなら、すぐに置いていかれてしまいます。
 文学を研究として成り立たせるための理論を組み立てていると、最終的には主観と客観の対立で考えがとまってしまうことがあります。読むという行為自体に主観的な要素が含まれる以上、それを客観性のある学問として成り立たせるには、かなりきわどい問題を解決していかなければならないのです。
 この本では、その主観と客観の対立を回避する方法が模索されています。フィッシュがこの論文を書いた時点までの文学理論を踏まえていなければ読めない、という取っつきにくさはありますが、文学研究に携わっている方なら、必読の書となるでしょう。

<芋蔓本>筒井康隆『文学部唯野教授』:プレテクストとして必読。



 『ハンニバル』 トマス・ハリス ★★★★★

一人の人間のなかで、ある資質が別の資質を抹消し去ることは決してあり得んのです。

 上下二冊、800ページ強を徹夜で一気読み。いやあ、しゃれになっていない。前作『羊たちの沈黙』でも充分に楽しませてもらったのですが、今回はそれと同等か、それ以上の面白さです。
 『羊たちの沈黙』で活躍したFBI捜査官クラリス・スターリング。彼女が麻薬捜査の過程で、犯人を射殺してしまったところから、物語は走り始めます。彼女にとって不利だったのは、その射殺場面が全米にTV中継されていたこと。中継を観た一般市民からは苦情が寄せられ、マスコミは「死の天使」として彼女を取りあげます。この動きに反応したFBIは、彼女をどうにかして辞めさせようと罠を仕掛けるのですが、そこにレクター博士からの手紙が舞い込み、さらにはレクターに恨みを抱くメイスンという大富豪が絡んできたりと、ストーリーは四者の思惑が複雑に絡み合いながら進んでいきます。
 普通、こういったストーリーの場合、対立項としては「正義」と「悪」という図式になるはずなのですが、『ハンニバル』は決してそれをしません。FBIという「正義」を代表する組織においてさえ「悪」は存在し、それを動かす原動力は、究極的には人間のエゴである、というのが基本図式となってきます。『ハンニバル』は、社会的な「正義」「悪」という枠組みを超越した地点での物語なのです(冒頭で、クラリスが「正義」と「悪」とのダブル・バインド状態におかれるのは、その裏に隠された構図を浮かび上がらせるためです)。
 それは、ある意味では、解説で高見浩さんが言っているように、「神話」と捉えてみてもいいでしょう。読者はクラリスと一緒に、いつのまにか人間が普段生活している世界から逸脱し、別の秩序によって動く世界に、巧妙に連れて行かれます。物語終盤の、熱に浮かされたような雰囲気は、ミステリではもちろんのこと、幻想小説の範疇で捉えたとしても、過去に類を見ないくらいのトリップ感があります。
 最後の展開について、何かと話題の多い作品ですが、トマス・ハリスの選択は間違っていません。これ以上『ハンニバル』に相応しい結末はないでしょう。凄惨な死体が数多く描かれるのにも関わらず、それを感じさせない乾いた文体も見事。ここ10年、とはいわず、ここ100年を見渡してみても、出色の作品です。なんの衒いもなく言ってしまいましょう、「読まなかったら人生の損失です」。

<芋蔓本>トマス・ハリス『羊たちの沈黙』:トマス・ハリスを超えられるのは、トマス・ハリスしかいない気がしてきました。



 『レッド・ドラゴン』 トマス・ハリス ★★★★

「で、神はあんたを助けてくれたか?」

 『ハンニバル』の余勢を駆って一気読み。こちらも傑作です。
 『レッド・ドラゴン』の主人公は、シリーズ中でただ一人、レクター博士を逮捕した実績をもつウィル・グレアム。彼が挑むのは、満月の夜に連続して起きる猟奇殺人事件です。10人が残酷な方法で殺され、さらに全ての犯行現場で不気味な「死の儀式」が行われていたというこの事件に、グレアムはかつての「敵」レクター博士の知恵を借りながら挑みます。
 レクター博士が「安楽椅子探偵」を努める形式は、『羊たちの沈黙』と同じスタイルです。しかし、ここで特筆すべきなのは、レクターがグレアムを自分の側に引きずり込もうと働きかける点です。グレアムの捜査方法は、『ボーン・コレクター』の探偵(名前をど忘れしてしまった…)と同じく、犯人と同じ現場に立ち同じように行動することで、その考えをトレースするというものなのですが、レクター博士は、犯人を理解し、犯人とと同じ考えを持つことができるグレアムを、殺人者と同じ素質があるとして問い詰めます。犯人を追いかけながら、その裏でグレアムの心理が明らかになっていく構成は、鮮やかとしか言いようがありません。グレアムと犯人、そしてレクター博士の三者で行われる駆け引きも、本書の見所のひとつです。
 また、『ハンニバル』で物語の前面に出てくる「神」についての問題が描かれているのも見逃せません。「神」へのシニカルな視線は、シリーズを通して指摘できることですが、本書はその発端になった作品として、特別な意味を持ってくるでしょう。
 グレアムと犯人が徐々に近づいていき、接触したところで披露されるトリックも、読者の意表をついていて面白い。どんな角度から読んでみても、エンターテインメント性を引き出せてしまう作品です。シリーズ未読の方はもちろん、トマス・ハリスの他の作品を読んで、少しでも興味を持った方にもおすすめです。

追記:17歳の心理がなにかと話題になっている今日この頃。この本を手がかりにして、殺人者の心理がわかるということがどういうことなのか、もう一度捉え返してみるのもいいかもしれません。

<芋蔓本>遠藤周作『沈黙』:神を問うといえばこれ。



 『人の短編集』 原田宗典 ★★★

 『十九、二十』以来、久々に読んだ原田宗典の小説。このところエッセイばかり読んでいたので、新鮮な気分で読むことが出来ました。
 「原田宗典は異常な作家である」といったら、おそらくほどんどの人が首を傾げるでしょう。「原田宗典が異常な筈はない、普通の作家だ」と、そんな声が聞こえてきそうです。しかし、果たしてそれは正しいと言えるでしょうか?
 作家になるには、必ず何かしら周りから突出したものがなければなりません。それは、文体であったり、作品の根底を流れる思想であったりするのですが、それを武器にして、周りからの差別化を図らなければ、作家としてのアイデンティティは確立できないのです。
 原田宗典に関しても、これは例外ではありません。彼の武器は「平凡」さです。相対的に見て、ここまで普通の人を普通に描ける作家は他にはいません。普通のものを書くときでも、思わず気取った表現や、文体を使ってしまったりするのが作家の性ですが、原田宗典はそれをしません。「等身大」から逸脱しそうになると、必ず「はぐらかし」が入ります。この、異常なまでの平凡さへの指向性こそ、原田文学の特長であり、多くの読者を獲得している原因なのです。
 本書『人の短編集』でも、それは徹底されています。「平凡」な人物が登場し、「平凡」に悩む様子が、「平凡」な文体で描かれます。言葉よりも「もの」に語らせる形の話が多くありますが、その手法についても、三田誠広の『天気の好い日は小説を書こう』の中で解説されているように、小説の基礎的なテクニックで、目新しさはありません。
 しかし、『人の短編集』がすごいのは、これだけ「平凡」をそろえてみても、読者に「読ませる」作品に仕上がっていることです。読者は、それぞれの話に登場する主人公に共感し、一緒に悩むことが出来ます。そこに新しさがないにも関わらず、ページを繰る手は止まりません。この不思議なバランス感覚こそが、本書の特長だと言えるでしょう。
 内容的にもそうですが、短編集ということで、形式的にも肩を張らないで読めてしまう本です。書店で見かけたら、一編でもいいですから、読んでみて下さい。おそらくそこには、あなたと同じ悩みを持つ誰かがいるはずです。

<芋蔓本>三田誠広『天気の好い日は小説を書こう』



 『夢・出逢い・魔性』 森博嗣 ★★★★

 『月は幽咽のデバイス』に続く、Vシリーズ第4弾。今回はいつものホームグラウンド、那古野市を離れ、東京は渋谷にある放送局(つまりはNHKか)を舞台に、物語は進んでいきます。
 SSS(シンプル・シャープ・スパイシィ)というVシリーズのコンセプトは、今作でも踏襲されています。「簡単な物ほど形が美しい」というのは真理ですが、トリックにしろ、犯人の心理にしろ、シンプルかつシャープ。「切れ味の鋭い」という比喩がここまでしっくりくる作品には出会ったことがありません。
 また、作中には本筋の殺人事件の他に、もう一つ仕掛けが施してあるのですが、こちらはこちらで切れ味が鋭く、読了した後に「しまった! やられた」と嘆息すること請け合いです。「スパイシィ」とはつまり、こういうことをいうのでしょう。
 「本を再読するときは登場人物に会いたいときだ」という作者本人の言葉を体現して、登場人物たちの魅力も全開です。よく、森作品の登場人物は「複雑な人格をしている」といわれますが、森氏本人はいたずらに複雑にしようとしているわけではないでしょう。こういってしまってはなんですが、生身の人間は、瀬在丸紅子より複雑だし、保呂草潤平よりミステリアスです。その複雑さのエッセンスを抽出し、強調して作られているのが、森作品に登場する人物たちなのです。森博嗣が描く登場人物に不思議なリアリティを感じるのは、おそらくはそのためです。
 人物、トリック、動機などなど、どの角度から眺めてみてもスキのない作品。今回は小鳥遊練無(これで「たかなしねりな」と読む)が活躍するので、練無ファンに特におすすめします。

<芋蔓本>京極夏彦『姑獲鳥の夏』



 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』 遙洋子 ★★★★

 卒論担当の先生に「面白い本がある」と紹介されたことと、大学の友人が東大の大学院(しかも社会学!)に入学したということで、以前から異常に気になっていた本。「他に読まなきゃならない本があるから」と、今の今まで手に取らないように努めてきたのですが、新聞の書評を読んで、いても立ってもいられなくなってしまいました。
 「タイトルが違う」
 読み終わったときの感想です。この本には、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』というよりも、『東大で上野千鶴子に「学問」を学ぶ』というタイトルがしっくりきます。ケンカ=議論の勝ち方を通して語られるのは、「学問」とは何か? 「学問」を学ぶとはどういうことか? という根元的な問いです。平易な言葉で綴られる「学問」の基礎的な考え方や、それに対する姿勢は、読む者に「学問」の面白さをわかりやすく伝えてくれるでしょう。
 「他に読まなきゃならない本がある」という僕の判断は間違いでした。この本を読む前と読んだ後では、学問に対する姿勢も変わってくるし、読書に対する姿勢も違ったものになってきます。この本こそ、僕が一番初めに読まなければならない本だったのです。
 上野千鶴子は社会学の先生ですが、社会学の知識がなくても問題はありません。メインの話題は飽くまで「学問」についてなので、どんな読者でもエッセイを楽しむことが出来てしまうでしょう。ためになるうえ面白い。無条件でおすすめしてしまいます。

<芋蔓本>橋爪大三郎『初めての構造主義』:エッセイの中に登場するので、安易に。



 『記号を喰う魔女』 浦賀和宏 ★★

 『とらわれびと』に続く、浦賀和宏の第五作。今回も「安藤」ものです。
 浦賀和宏の手にかかると、使い古された「絶海の孤島」というシチュエーションも新しいものに見えてきてしまうから不思議です。はっきりいうと、浦賀作品は一作目から同じネタを繰り返して使っているので、読む前からネタは分かっているわけですが、毎回毎回違ったシチュエーション、違った展開で魅せてくれるので、あまり気になりません。というより、これだけ違ったバリエーションを見せつけられると、逆にその技量に圧倒されてしまいそうになってしまいます。
 今作のテーマは、カニバリズム(人肉嗜食)です。作中には、食人についての膨大な情報を鏤められ、これまでよりもさらに狂った世界を創りあげていきます。そこで繰り広げられる論理は、普通ならば狂気の沙汰とか思えないものばかりなのにも関わらず、不思議なリアリティをもって立ち上がってきます。狂気に狂気を重ねていくという終盤の展開などは、完全に浦賀和宏の独壇場です。
 中学生のキレやすさを誇張しすぎているきらいはありますが(主人公はパニックに陥るととりあえず殴る)、それも狂気の世界だからこそ許されてしまうのでしょう。「普通のミステリでは物足りん!」という、ミステリ上級者におすすめします。

<芋蔓本>高見広春『バトルロワイヤル』:孤島、中学生、狂気の殺戮劇といったらこれ。



 『姑獲鳥の夏』 京極夏彦 ★★★★★

この世には不思議な事など何も無いのだよ。

 4年ぶりの再読です。ネタが判っているということで、伏線の張り方をメインに読んでみました。
 再読してみて驚くのは、関口や柄木津といったシリーズの主要メンバーが、メイントリックからの逆算によって造形されていることです。『姑獲鳥の夏』の構想の基盤になっているのは、飽くまでトリックであって、人物ではありません。関口や柄木津の人物造形は、他のミステリには見られない特殊なものとなっていますが、それは京極夏彦が特殊な人物を描こうと思ったからそうなったわけではなく、トリックを成立させるために特殊なものとなっているのです。
 結果的に、そうして創りあげた人物が人気を獲得し、シリーズ化されていくわけですが、もともと『姑獲鳥の夏』専用の人物として設定されていただけに、その後のストーリーを展開させて行くには、かなりの力量と合理性が必要となったでしょう。そう考えると、京極夏彦のすごさとは、使えるものはいくらでも使う、というその姿勢と、それを必ず形にしてしまう柔軟性にあるように思えてきます。
 「京極以後」という言葉があるように、ミステリに限らず、日本の文学全体に大きな影響を与えた作品です。これを読まずして、現代の日本文学を語ることはできないでしょう。『ハンニバル』に続いて、読まなきゃ損、と言い切ってしまいます。

<芋蔓本>横光利一「機械」:語り手の頼りなさに共通項を見いだしてみました。



 『メルカトルと美袋のための殺人』 麻耶雄嵩 ★★★★

「なに、私は無敵だからさ。それを証明したかっただけさ」

 推理小説において、最も信頼できる情報を持っているのは誰でしょうか? ルールから言ったら、間違いなくワトソンの位置にいる人物、ということになるのですが、果たしてそれは正しいでしょうか?
 たとえば、京極夏彦『姑獲鳥の夏』の語り手、関口はどうでしょう。彼の情報は、完全には信頼できないものとして提示されています。『姑獲鳥の夏』においては、語り手の信頼というものが根本から破壊されていて、そこに秩序をもたらすのは、探偵である京極堂の言葉でした。「人間は現実そのものを見ているわけではない」という認識から出発しているミステリにおいては、特権的な地位を与えられ、最も信頼できる情報を持っているのは、探偵なのです。
 この、世界に秩序をもたらす探偵の役割を逆手にとって、新しいミステリを描き続けるのが麻耶雄嵩です。本書『メルカトルと美袋のための殺人』にも、その特徴を見いだすことができます。「銘」探偵メルカトル鮎は、作中であたかも自分が神であるかのように振る舞います。メルカトルは、自分の力を証明するためには一切の手段を選びません。証拠を偽造する、助手を昏倒させるといった芸当はまだまだかわいいもので、最終的には、自分で殺人事件のきっかけを作り、それを自分で解決してしまう、という離れ業までやってのけます。ある意味では、作品中に起こる出来事は、すべてメルカトルの手の上にあり、メルカトルが働きかけることによって事件が起こされている、といってもいいでしょう。
 本書に収められている7本の短篇は、どれも推理小説という方法をとことんまでつきつめることによって創りあげた作品ばかりです。現代ミステリの最前線はここにあります。ミステリ上級者なら、読んでおかなければならない一冊です。

追記:前回の書評はこちらです。

<芋蔓本>摩耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』



 『いちばん初めにあった海』 加納朋子 ★★★★

「この上、何を望みますか?」

 『ななつのこ』『魔法飛行』と、ハイレベルなミステリを連発する加納朋子の中編集。本書の中には、「いちばん初めにあった海」と「化石の樹」という二つの中編が収められています。
 加納朋子といえば、北村薫の系譜を引く「日常の謎」派というイメージがあります。『ななつのこ』や『魔法飛行』などの連作短編集では、日常の何気ない出来事に焦点を当てることでミステリを創り出していました。そこでは、駒子や愛ちゃん、瀬尾さんといったキャラクタは「普通の人」から大きく逸脱しないような造形がなされていました。
 これに対して、本書『いちばん初めにあった海』では、加納朋子は日常から少しズレた世界を描いています。二つの中編を通して読むと、主人公たちの過去から現在、未来までのストーリーが読者の脳裏に再構成されるようになっているのですが、そこで描かれていく謎は、時間的、空間的に広がりを持ち、駒子シリーズで描かれるような日常の謎とは一線を画しています。また、登場人物の造形も、精神的なショックでしゃべれなくなっていたり、記憶の一部をなくしていたりと、屈託のなさが特徴だった駒子たちにくらべて、いわば人格の「影」の部分に焦点が当たるようになっています。駒子シリーズが人間の「光」の部分から、さらに明るい光を引き出す物語だとするなら、本書は、人間の「影」の部分からほのかな光を引き出す物語なのです。
 いうまでもなく、周りが暗い方が、光は鮮やかになります。本書に描かれた光は、それまでの道のりが暗いだけに、読者の心にいつまでも残ることになるでしょう。ミステリ好きに限らず、広く一般の読者におすすめできる秀作です。

<芋蔓本>宮崎駿『風の谷のナウシカ』:映画ではなく、マンガの方です。最終巻を読んでいただければ、どこがリンクしてくるかわかるはず。



 『續・日本殺人事件』 山口雅也 ★★★★★

 外国映画に出てくる「日本」というのは、ときにユーモラスです。たとえば、ジョディ・フォスター主演の映画「コンタクト」。この映画は、終盤舞台が日本に移動してくるのですが、そこでの研究所の描写といったら、コメディ映画と見紛うほどのものでした。研究員がキモノを着て研究している、浴衣がミニ、床の間には太刀と鏡餅が一緒に飾ってあるなど、一度観ただけではツッコミきれないくらいのボケ(しかも天然)が鏤められていました。
 こういった映画は、人によっては反感を引き起こすものとなるかもしれませんが、一方では、新鮮な面白さを提供していることも事実です。たとえば「コンタクト」が日本で作られていたら、だれが研究員にキモノを着せようとするでしょう? そこでは、「コンタクト」が持つある種の滑稽さは、絶対に出てこなかったはずです。海外で勝手に増殖する「日本」のイメージは、ときに日本人の「日本」像を新鮮な形で提示し直してくれることもあるのです。
 本書『續・日本殺人事件』は、まさにその方法を逆手に取ったミステリです。探偵は、日本にあこがれるガイジン、トウキョー・サム(東京寒夢:ちなみに「トウキョー」というのは日本では極めてポピュラーなファミリー・ネームらしい)。彼が竹林の中にあるソーアン(草庵)の一室を借りて探偵事務所を開くところから物語は始まります。前作『日本殺人事件』でいくつかの事件を解決した実績がある彼のもとには、次々に依頼人がやってくるのですが、その面々もスモウ・レスラー、フクスケ(福助)、ゼン(禅)の修行僧と、日本を代表する(?)有名人ばかり。ボン・ダンス(盆踊り)、ゼン問答と、シチュエーションにもねじくれたジャパネスクがとりいれられ、独特の世界を形作っています。このキッチュな感覚は、「キッド・ピストルズ」シリーズで「パラレル英国」を創り出してしまった山口雅也ならではのものです。
 日本であるにもかかわらず日本でない、という不思議な舞台に描かれる思想は、逆説的ですが、驚くほど日本の真実に迫ってもいます。特に、第二話「実在の船」は日本・非日本のメタレベルに、テクスト・非テクスト、実在・非実在のレベルまでを現出させてしまった傑作です。コメディとシリアスを同時に、しかもけれん味なく描ける作家は、現代では山口雅也をおいていないでしょう。今月の一冊はこれで決まりです。

<芋蔓本>山口雅也『キッドピストルズの妄想』:作者が一緒なので安易に……。



 『グリーン・マイル』 スティーブン・キング ★★★

 スティーブン・キングは、非常にストーリーテリングの上手い作家です。物語が盛り上がってきたところでパッと場面を変えたり、「このことが後々ああいった状況を引き起こしてしまうとは思いもよらなかった」という形のほのめかしが入ったりと、読者をじらして先を読ませるテクニックは天下一品です。本書『グリーン・マイル』にしても、その特長は十二分に発揮されています。6冊それぞれについている解説のほとんどで、キングの「話し上手」についての言及がなされていることでも証明されるでしょう。
 しかし、逆に考えると、これは不思議な現象だとも言えます。900ページ以上もある長大な物語でありながら、注目されるのが語り口だけ、というのは異常です。語られ方ではなくて、語られる内容にもっと目がいっていた方が自然なのではないでしょうか?
 6巻のネタバレ解説でも指摘されていますが、実は『グリーン・マイル』はそれほど凝った内容を描いているわけではありません。人物造形にしても作品のプロットにしても、極めてオーソドックスです。そのため、それだけを取り出してみると、自信を持って「魅力的だ」と言い切ることはできなくなってしまうのです。本書の評価(もちろんこの書評も含む)が語り口に集中してしまう原因は、おそらくここにあります。
 端的にいって、本書に書かれている内容は、分量に見合っていません。しかし、それでも読者は本書に魅力を感じ、引き込まれてしまいます。このことは、逆説的ですが、キングのストーリーテリングの素晴らしさを証明しています。
 150ページずつの分冊形式とも相まって、本当に「読み始めたら止まらない」作品です。徹夜覚悟でどうぞ。

<芋蔓本>岩井志麻子『ぼっけぇ、きょうてぇ』:語り口といったらこれ。


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