火山用語を正しくを使おう

(2012.3.26修正)

 

火山噴火に関連した啓発活動に従事するようになって、誤った火山用語が世の中に氾濫していることに痛感しています。火山観光地の解説看板、インターネットの記載、著名な作家の作品はもとより、大新聞の記事やテレビ番組でのトーク、そして市販の専門書にも明らかな間違い、誤った使い方がたくさん見られます。火山の噴火現象を正しく理解するには専門の火山用語の使い方にも気をつけたいものです。学校現場では子供達に調べ学習を課することが多いので、特に教員の方々には配慮をお願いしたいのです。

 

 

 

休火山とはいわない

コニーデ・トロイデ・アスピーテは使わない

噴火を繰り返す複成火山と噴火は1回限りの単成火山

寄生火山より側火山

火山の形を現す観光地のキャッチフレーズ

磐梯山は吹き飛んだのか?

巨大な火砕流を放出したカルデラは陥没してできたのか?

 

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休火山とはいわない

 日本では以前は噴火している火山を活火山、噴火記録があるものの活動を休止している火山を休火山、噴火記録のない火山を死火山と分類し、学校でもそのように教えていたので、この言葉が日本人の間で広く認識されていました。しかし、多くの火山は短期間活発に噴火をしている時期と噴火と噴火の間の長い静かな時期とがあります。従って今、目の前にそびえる火山が静かでも近い将来噴火して山麓に災害をもたらす可能性があるケースが少なくありません。従って防災上の観点からは今、噴煙を上げているか否かに係わらず将来噴火する可能性があると判断できれば活火山として扱うべきなのです。

日本では火山活動の現況を観測する現業機関である気象庁が行政上の判断により活火山の指定をしています。気象庁は1968年に初めて日本の活火山リストを作り、過去1000年程度の間に噴火したと判断した66火山を活火山としました。その後1975年には“噴火記録のある火山及び現在活発な噴気活動のある火山”を活火山と定義して北方領土を含めて77火山を指定、1991年には“過去およそ2000年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山”と定義を改定して83火山を指定した。その後この定義のままでの3火山の追加指定を経て、2003年に活火山の定義を現在国際的にも一般的になりつつある“おおよそ過去1万年の間に噴火した火山と現在活発に噴気活動のある火山”に改定しました。その結果、北方領土を含めて108火山が活火山に指定されました。2011年にはその後の研究成果を反映させて更に2火山が追加指定され、現在では気象庁による活火山の数は110となっています。

 このように活火山の数は気象庁の判断や学術的な研究成果などによって随時変更されるものであり、活火山の数を特定して覚えさせるような教育は無益です。

 

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コニーデ・トロイデ・アスピーテは使わない

 火山をその形によって分類することを提唱されたのはドイツ人の地理学者シュナイダーの1911年の論文でした。コニーデ・トロイデ・アスピーテ・マール等の名称が提案されましたが、表面の形態だけで定義されたこの分類名称はその後の火山研究の進展により火山体の成因や内部構造に基づく分類名に置き換わって使われなくなりました。こうした経緯は1954年に出版された久野 久(くの ひさし)著 岩波全書 火山及び火山岩に簡単に述べられており、成層火山、溶岩円頂丘、楯状火山等が採用されています。シュナイダーが提唱した名称で生き残ったのはマールのみです。雲仙普賢岳の1990-95年の噴火を契機としてマスコミが溶岩円頂丘を使わず溶岩ドームと言い換えたため、それが普及しつつあります。

 一方、社会科の中に含まれている地理分野では依然としてシュナイダーの分類を使っている方が居られるようで、市販されている大学向けの地理の教科書にも出ています。山岳を題材とした文学作品、観光地の道路名称やパンフレット類にも国際的には死語となって久しいこれらの用語が見かけられます。

 

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噴火を繰り返す複成火山と噴火は1回限りの単成火山

 成層火山や楯状火山などの多くの火山はほぼ同じ場所で噴火を繰り返して次第に成長し、その形を次第に変えて行きます。このような噴火を繰り返す火山を複成火山といいます。一方、噴火の度ごとに火口の位置が変わってしまい、毎度新しい火山体を作る火山もあり、それぞれの火山体は1回限りの噴火で出来るという意味で単成火山といいます。噴火の度に新しい火山体が加わってゆくのでその地域には多数の単成火山が存在することになり、全体を単成火山群と呼びます。単成火山群の例としては東伊豆、阿武、福江などがあります。

 

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寄生火山より側火山

 寄生虫や寄生植物は宿主に寄生して栄養分を吸い取って生きている生物です。成層火山にはその山腹斜面に小さな火山が乗っていることがあり、これを寄生火山と呼んでいました。例えば富士山の宝永山や桜島火山の鍋山がその事例です。しかし、成層火山はいつも山頂から噴火するとは限らず、地下でマグマが側方に移動して山腹や山麓から噴火が始まって小型の火山体を作ることがあります。つまり、噴火をもたらすマグマは山頂噴火と共通なので“寄生”という概念とは違います。中村一明(1977)は“寄生火山”という用語をさけて“側火山”を使い始め、その後火山の専門家の間で“側火山”を使う人が増えてきています。有珠山の東山麓に出来た昭和新山も有珠山の側火山です。

 

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火山の形を現す観光地のキャッチフレーズ

 複成火山の中には山頂部に火口があるという単純な地形ではなく、山頂部が平らでその中に小型の火山体があったり、火口があったりという複雑な地形が見られることがあります。火山体の一番外側を囲む尾根を外輪山と呼んだり、火口の中に火口があるということで二重式火山とか三重式火山と呼んだりしているケースがあります。観光地に行くと“世界的に珍しい三重式の○○火山”などというようなキャッチフレーズを見かけますが、地形の細かな分類にこだわるよりはその火山がどのような経過をたどって出来てきたのか、形成過程を理解する方が大事です。火山はそれぞれ、現在の姿に至る噴火の履歴が違うのですから、“珍しい火山”などという表現は科学的にはありえないのです。

 

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磐梯山は吹き飛んだのか?

 噴火によって火山体の一部が大きく壊れて姿を変えてしまうことがあります。1888年の磐梯山の噴火では大きな爆発が起きて、山頂部を構成するピークの一つ小磐梯がなくなってしまいました。しかし、爆発により吹き飛んだというのは俗説に過ぎず、実際は爆発に伴って小磐梯峰を含む火山体の一部が雪崩のように北側に崩れ落ちてしまったのです。複成火山の一部が崩れ落ちてしまう噴火は稀にしか起こりません。江戸時代以降の日本では1640年の北海道駒ケ岳、1741年の渡島大島、1792年の雲仙岳、そして1888年の磐梯山だけです。このような火山体の破壊現象を山体崩壊、発生する雪崩現象を岩屑なだれ(がんせつなだれ)といいます。山麓に積もった堆積物は古い地盤を埋めた台地状の地形となり、その表面には不規則な形をした丘が散在する流れ山地形を作ります。流れ山地形の間の窪みに多くの小さな湖沼が出来たのが磐梯山麓の五色沼です。岩屑なだれ堆積物が谷を埋めてしまうとその末端から様々な大きさの火山噴出物の破片と水が混ざった流れ、火山泥流が下流に災害をもたらすことがあります。

 19805月に米国太平洋岸のワシントン州セントヘレンズ火山で発生した山体崩壊・岩屑なだれは前兆活動期から科学的な観測が行われていたため、この噴火様式について多くのことが明らかになりました。この噴火により破壊された国有林は国立火山モニュメントとして保存され、火山災害と森林環境学習の拠点として、多くの施設が整っています。

 山体崩壊・岩屑なだれの現象が科学的に検証され、そのメカニズムが確立したのは1970年代80年代にかけてです。地形や堆積物についての記載はそれ以前から行われていて、日本では泥流の一種として古い地質記載に書かれています。例えば甲府盆地の韮崎泥流、有珠山麓の善光寺泥流、富士山東麓の御殿場泥流は実は岩屑なだれであり、泥流ではありません。水と一緒に火山砕屑物が流されるのではないからです。海外では氷河作用によるモレインとして記載されたケースがあります。岩屑なだれという学術用語が使われ始める前に一時期、ドライアバランシュ、デブリアバランシュ、岩屑流という用語が使われた時期がありましたが現在は使われていません。なお、岩屑なだれという用語は難しいし読みにくいので岩なだれを使おうという主張もあり、一部の火山の防災マップにはこの用語が採用されています。岩屑なだれは英語の学術用語debris avalancheの直訳です。

 

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巨大な火砕流を放出したカルデラは陥没してできたのか?

 姶良、阿蘇、十和田、洞爺、支笏、屈斜路など大型のカルデラは巨大な火砕流噴火の結果でできた窪地で、陥没カルデラと呼ばれている解説資料が見受けられます。「噴火前には巨大な成層火山があり、大量のマグマを一気に放出したために地下に空洞を生じ、支えきれなくなって断層を作りながら陥没した。」というようなシナリオが断面図と共に述べられているのです。観光地のパンフレットや学習参考書などに出ているので、このシナリオを信じている人々が少なくないようです。しかし、大型カルデラは陥没してできたのではないのです。

このシナリオはカルデラ研究のパイオニアであるHowel Williamsが米国オレゴン州のクレーターレークカルデラの研究で提唱したものです。それが日本列島の第四紀の大型カルデラの解説にも転用されました。しかし、1960年代から80年代にかけてカルデラ地域の地下構造を地球物理学的な研究手法やボーリングで調べたり、火砕流堆積物の地質調査や火砕流として噴出したマグマ物質の研究から地下10km前後の深さに大量のマグマが溜まり、その上部で急激な発泡が起こって地表まで一気に吹き抜けて軽石を上空に吹き上げ、その後は圧力の低下と共に巨大な火砕流として全方位に半径100km内外の地域に高速で流れ広がり、地上の全生命を破壊しつくしたことが判ってきました。また、残されたカルデラの壁を調べてみると、火砕流の噴火の前に活動していた一つの巨大な成層火山があった痕跡は見つからないのです。つまり、火砕流が発生したため一旦空洞ができてから陥没したというシナリオではないのです。混乱を避けるために火砕流発生によりできたカルデラをじょうご型カルデラと呼んでいます。

 なお、三宅島の2000628日に始まった噴火では翌日地下にあったマグマが三宅島よりも北西に向かって移動してしまい、その後78日に突然山頂部の陥没が始まり、約1か月間陥没が続いて直径1.7km、深さ500mの陥没カルデラが出来ました。

 

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