【観劇記】
戦争に関して学ぼうという意気込みはさほどない。しかし歴史の教科書には書かれない当時の庶民の生き様には興味があり、その姿から今の自分に教えられることもある。俺の場合、戦時中のことは芝居から学ぶことが多く、中でもこまつ座の数々の芝居と劇団四季の昭和三部作は役に立っている。
今回見たこまつ座の芝居は、占領軍の監督下にあったラジオ局を舞台にした物語。そこで『尋ね人の時間』という番組制作に携わった人たちが登場人物である。
全幕を通して強く印象に残ったのは、人を探すという強い使命感を負った主役・川北京子(浅野ゆう子)。彼女の首尾一貫としたその姿勢には、胸を打たれる。戦時中アナウンサーだった京子には、仕事とはいえラジオで戦争を肯定した負い目があった。それが理由なのか、終戦後、彼女は自ら『尋ね人の時間』という番組を立ち上げ、戦争で生き別れになった人たちのために砕身していた。そしてついには占領軍に禁止されていた、長崎と広島の尋ね人にも手をつけてしまう。京子のこういった行動は『太鼓たたいて笛ふいて』の林芙美子に似ている。
川北京子を演じた浅野ゆう子はこまつ座初出演。そもそも舞台への出演は9年ぶりなんだそう。しかし彼女の舞台での芝居は見事なもの。何よりも凛とした立ち姿が舞台栄えしているし、それは川北京子の役どころにもハマっていた。さらに台詞回しにも好感が持てた。大げさにならない程度に、明瞭に台詞を伝えてくれる。台詞や言葉をとても大事に扱っている人なんだなぁーと、俺などは勝手に解釈してしまった。
『私はだれでしょう』は、こまつ座の新作として上演された。台本が遅れに遅れて、直前になって初日が1週間ズレ込むという話題を引っさげての開幕であった。そこまで遅れて完成したという本の出来はというと、いつもの井上ひさしの戯曲に比べるとさほど満足感は得られず残念。川北京子はしっかりと描かれていたが、他の人物が今ひとつ。特に重要な役どころであるにも関わらず、フランク馬場(佐々木蔵之介)と、「私が誰であるか探して欲しい」と京子のもとに飛び込んでくる男(川平慈英)に関しては印象に薄い。いちどしか見ていないので断言出来ないが、人物設定に無理があるのか、キャラクターの焦点がボケているようなそんな感じ。物語の結末もなんとなくスッキリしないままの幕切れであった。しかし役者自身は芸達者であり、また途中何箇所かで歌が入り、笑いの場面なども適度に用意されていてテンポよく見せるので、不満が残るほどの作品では決してない。再演があったらまた見てみたいとは思わせた。
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