![]()
|
|
【このミュージカルについて】 世界初のミュージカル化として2001年夏、東京の帝劇で幕を開けた。舞台化そのものは、1966年に大きな話題を呼んで帝劇で上演されている。その時のスカーレット・オハラは有馬稲子と那智わたる。その後も何度も舞台化され、またミュージカルとしても『スカーレット』というタイトルで上演もされてきたが、ミュージカル『風と共に去りぬ』として上演されるのは2001年が初演ということらしい。とにかく長編の原作であるから、3時間がリミットの舞台でどう演出するのかがどうも難しいようだ。 |
|
【物語と感想】 話があまりにも長いので、物語の舞台と主要な4人の人物像だけ紹介します。但し、あくまでもミュージカル版で見た限りの人物像なので、映画や原作と少し異なっているかも…デス。 物語の舞台は1860年代のアメリカ南部。南北戦争勃発から戦中を通して、敗北した戦後が背景となる。主要な登場人物はすべて敗北した南部の人間ということが、物語の上では少なからず関係する。 スカーレット・オハラ 雄大な自然に恵まれたアメリカ南部のタラにある大農園の長女。周りの男たちを惹きつける美貌の持ち主。しかし性格は勝気。何事にも流されない一本気な女性。アシュレに恋焦がれている。メラニーと結婚した後もアシュレの心をなんとか射止めようとするが、その想いが達成することはない。 レット・バトラー やはり何事にも流されない一本気な男。無頼漢。結婚など人生を縛るだけの愚かしい制度と思いつつも、自分とあまりにもよく似ているスカーレットに惹かれていく。 メラニー 誰に対しても優しい女性。アトランタでたったひとりの淑女と言われることも。スカーレットに対しては、自分にないものをいっぱい持っていると憧れているし愛している。 アシュレ・ウィルクス 穏やかな好青年。誠実で真面目な性格。スカーレットの気持ちに気づきながらもひたすら、妻メラニーを思いつづける。 *********************************** さすがに名作にして大作の舞台化。見応えがある。しかし長編小説を無理矢理(?)3時間強に収めたこと、また大地真央という絶対的なスターを主演においた結果、スカーレットただひとりの半生記として描かれているように思えた。また仮にスカーレットの半生記が『風と共に去りぬ』であったとしても、俺には納得できないことがいくつか…。 ひとつはスカーレットが何故そこまでアシュレにこだわるのか?舞台から受けるアシュレの人物像は上に書いた通りなのだが、スカーレットが3度結婚してもなおアシュレを好きでいる彼の魅力がわからない。また恋に落ちたキッカケも描かれていない。物語のほとんどを「スカーレットはアシュレが好きでたまらない」という構図で引っ張って行くにも係わらず、である。 また主人公とメラニーの関係もいまひとつ見えにくい。メラニーのスカーレットに対する気持ちは割と明確なんだが、スカーレットが彼女に対してどう想っているのかは見えにくい。メラニーは恋敵であるはず。しかしスカーレットは毒づきながらも必死でメラニーの子供を取り上げたり、弱りきったメラニーを連れて戦火のアトランタを脱出したりするのである。もちろんアシュレに「メラニーを守って欲しい」と頼まれ、それにショックを受けながらも約束したからなのだが、それだけで命を張れるものなのか? スカーレットに関することではないが、もうひとつ気になることがあった。ベル・ワトリングという娼婦が出てくるのだが、彼女の存在をもう少し明確にしてほしかった。一幕でベルは南部同盟のボランティアに寄付金を持って訪れる。しかしボランティアたちは、汚らわしい金だと言って受け取らない。そんな中、メラニーだけが職業の貴賎を問わず受け入れるのである。割と印象的に描かれる場面でもあり、ベル・ワトリング演じる女優が大物であることから、このやり取りを受ける場面が後々に出てくるだろうことは予感させる。実際にスカーレットがメラニーを連れてアトランタを脱出する際に、ベル・ワトリングが手助けをするのだが、彼女がメラニーから受けた恩を忘れていない風情がもう少し描かれてもいいと思った。そうすれば娼婦という職業ではあるものの、義理と人情を持った魅力的な人物として見えるのに…と。 ストーリー展開にはやや難アリの作品だが、音楽や美術面は素晴らしい。まず音楽はミュージカルらしい曲が制作されていたし、ソロで朗々と熱唱するナンバーや、ソロで始まってやがて群集のコーラスに繋がって行く手法などはオーソドックスながらもミュージカルそのもの。舞台美術も場面転換がスムーズだし、全体に美しい。特にすべてがなくなったタラの土地でスカーレットがひとり立つシーンは、シンプルながら印象的。美術面でひとつ残念なのは、見せ場でもある戦火のアトランタ脱出シーン。工夫が凝らしてあったとはいえ、迫力に欠けていた。屋内では規制の厳しい火薬を用いてるので仕方のないことだと思うが、それを補うホリゾントに映し出される炎のシルエットがあまりにも単調で安っぽく思えた。 全体にはスカーレットの話と書いたが、言い換えれば大地真央のひとり舞台。しかしひとり舞台の主役が大地真央なら、それは“客に見せる”に値する。上で色々と難癖をつけたが、結局のところ、この人の上手さがすべてをカバーするのである。 |
|
【ルビ吉の気に入ったナンバー】 赤き大地よ…ミュージカルの冒頭で歌われる。スカーレットの父のソロで始まり、やがて登場人物が順次加わって壮大な音楽と変化して行く。雄大な土地を表すに相応しいナンバー。 南部の旗の下に…南北戦争が勃発し、若者達が南部の勝利を信じて勇ましく歌うナンバー。『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」を彷彿とさせた。こういう音楽が含まれるのもミュージカルらしくていい。 歓びあふれるクリスマス…物語で描くべきシーンが多数欠落していることを思えば、こういうシーンは余計な気もする。しかし詞・曲ともに楽しいナンバーは、この曲とあともうひとつくらい。割と重い目のナンバーが多い中では息抜きとしてあってもいいと思った。 天使よ…ゴスペルのような曲。スカーレットの子供が亡くなった場面で、歌の上手い女優ふたりによって歌われる。 家はどこ?…病気のメラニーと赤ん坊、召使の小娘を連れて女ひとりアトランタを脱出するスカーレット。途中森の中で暴漢に襲われ途方に暮れる。弱気になったスカーレットが熱唱するナンバー。 |
|
【ルビ吉の俳優雑感】 大地真央(スカーレット)…やはりさすがの存在感。大仰な台詞回しも梅田コマ劇場という大劇場で、なおかつ今回のような大河モノではぴったりハマる。一幕の最終場、焼け野原となったタラで「私は負けない」と凛として明日を見つめる姿、二幕最終場、すべてを失ったスカーレットが「明日は明日の太陽が昇るわ」と未来に立ち向かう姿は、それだけで感動モノ。大地真央以外には想像がつかないシーン。 この人の得意とするコメディー味は今回はさすがに少ないものの、それでも数箇所で用意されている。そしてそこでは確実に笑いをとっていた。さすが。歌は言うまでもなく、全然ダメ。でもこの人の場合、歌の良し悪しはどうでもいいんだけど…。 今井清隆(レット)…存在感はかなり薄め。話の構成上しかたないのか、この人自身に存在感がないのかは不明。 杜けあき(メラニー)…上品ながらも力強い顔立ちなので、メラニーの人物像と合ってないように思えるのだが…。ただ、芝居も歌も上手い女優ではある。 石井一孝(アシュレ)…この人の好青年ぶりはきっと人物像と合っているんだろうけど、杜けあきや大地真央との釣り合いで見たら、年齢像という点でしっくり来なかった。声がよく歌も上手いんだけど、どんな作品で見ても、いつも汗をかいて熱唱してるイメージ。押す芝居ばかりでなく、時には引く芝居をして欲しいと思う。この役はWキャストで岡幸二郎が配役されている。 寿ひずる(ベル・ワトリング)…芝居も歌も上手い。分をわきまえた存在感もよかった。 花山佳子(マミー)…スカーレットの乳母。たぶん大地真央より若いのに(笑)。歌の上手さは抜群。今回は「天使よ」のナンバーで魅力的な歌を聞かせてくれる。 |