こまつ座 第71回公演
紙屋町さくらホテル
原作=井上ひさし
演出=鵜山 仁
ルビ吉観劇記録=2003年(東京)
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【この芝居について】
井上ひさしを座付き作家として抱えるこまつ座。『紙屋町さくらホテル』は、そのこまつ座が新国立劇場開場記念公演として1997年に初演。主役の神宮淳子は森光子が努めた。その後、宮本信子主演で2001年に再演されている。
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【物語】
昭和20年12月。戦後の巣鴨プリズン。このたびの戦争は自分にも責任がある。よって、自分を戦犯としてただちに身柄を拘束せよ、と迫る男がいた。男の名前は長谷川清。元海軍大将。その言い分を断固受け入れないGHQの係官は針生武夫。元陸軍中佐。戦犯になりようもない経歴の長谷川に、針生は困惑していた。と、その時。長谷川が「キミは、針生くんか?!」と、係官の素性に気づく。
ふたりの激しいやり取りはやがて、終戦間際、共に過ごした楽しくも不思議なあの3日間の思い出へと移ってゆく…。
広島県紙屋町。昭和20年5月。敗戦色濃い戦局さなか、長谷川は天皇の密使として日本全国を歩き回っていた。日本は本土決戦に持ち込むだけの体力が残っているのか…長谷川の使命はそれを調査すること。しかし紙屋町ホテルに辿り着く頃には、長谷川の腹は「本土決戦は回避し、和平への道を」と、天皇に提案するべく決まっていた。和平などされては困るのが陸軍。針生は長谷川の提案を阻止するために彼をを狙い付きまとっていた。針生も自分の素性を隠しながら、長谷川を追ってホテルに到着した。
ホテルでは正に“移動演劇隊”の稽古真っ最中。映画スターの丸山定夫、宝塚スターの園井恵子が素人相手に芝居の稽古をつけているところであった。ホテルの女将・神宮淳子は訪ねてきた二人に「芝居の役者が不足している。もし芝居に参加してくれるなら宿も食事も提供する」と話をもちかける。と、そこへ特高の刑事・戸倉が飛び込んでくる。なんと日系二世である神宮淳子にスパイ容疑がかかっているというのだ。戸倉は禁足令が出た淳子を見張らせてもらうと言う。そんな戸倉に丸山は「どうせ見張るなら、あなたも芝居に参加しなさい」。
こうして紙屋町さくらホテルでは、映画スター、ホテルの女将、従業員、言語学者でもある客、軍人、刑事というメンツで、移動演劇隊として芝居の練習に励んでいくことになるのだが…。
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【観劇記】
戦時中に生きた人々の心がよくわかる芝居でした。戦時中の話と言っても、映画のように激しい戦闘シーンが出てくるわけでもなく、特別な人にスポットが当たっている物語でもなく、その当時の普通の人々の物語として、この『紙屋町さくらホテル』は存在している気がします。
何かの縁でそこに居合わせた人たちが、やがて敵味方関係なく演劇にのめり込んでいく。明日への命もわからないから今を必死に生きる人たちがいたこと。そして、何が正しくて何が間違っているのかさえ見えない時代にあっても、結局人間には正義なんてひとつしかなかったんだということ。どんな厳しい時世の中でもきっかけひとつによって、人間は人間であるべき姿に向かおうとするものなんだということを、この芝居が教えてくれました。
舞台は観劇後の感想とは裏腹に、実に楽しく進行していきます。終幕間近までは、笑えるシーンなども多々あります。しかしいよいよ舞台も佳境に入ると、客席は水を打ったような静けさ。聞こえるのは役者の熱い台詞と観客のすすり泣く声だけ。スクリーンではなく、生身の役者が演じる芝居の醍醐味がここにあり!と、そんな感じでしょうか。神宮淳子役の土居裕子さんが「ああ、いま私は自分の人生の本当の意味を知っている」という感動的な台詞を口にしたあたりから、息することも忘れて舞台に見入ってしまいました。
さて、俺は移動演劇隊“さくら隊”の存在は知っていたのですが、観劇後に公演プログラムで、丸山定夫さん、園井恵子さんという役者が実在の人物であったことを初めて知りました。おふたりは広島で被爆され、丸山さんは終戦の翌日、園井さんは内臓破裂の体を抱えて他人の看病までしながら終戦の六日後に亡くなられたそうです。それを知って、とめどもなく涙が溢れました。
芝居好きの俺としては、“自分の人生の本当の意味を知っていた”役者たちに会うため、広島にある“さくら隊殉難碑”をいちど訪れようと思います。
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