【観劇記】
どんなスーパースターもカリスマも、言ってしまえばただの人…この物語をひとことで乱暴に表現するとそんなこと。ジーザスの受難を歴史的、或いは宗教的な側面で眺めようとすると、この『ジーザス・クライスト=スーパースター』は難しく感じるかもしれない。しかし“ただの人”と言ってはナンだが、生活を苦しめる社会に革命を起こそうと立ち上がったひとりの男の物語として眺めれば、この作品はとても熱くドラマチックだ。1994年の大阪公演で初めて見た時は退屈だったこの作品も、2回目の鑑賞で物語の面白さがおぼろげにわかり、3回目には“ひとりの男の苦く熱い青春物語”に思えてきて、舞台に入り込んで鑑賞できた。
2007年の京都公演では“ジャポネスク・バージョン”と“エルサレム・バージョン”という2つの演出版を観劇した。役者が皆、歌舞伎メイクをしたジャポネスク版は表情がわかりづらく、俺にとってはそれが大きな欠点。またメイクのみならず衣装も舞台装置も白を基調としていて、ビジュアルは新鮮で清々しい美しさだが、それがかえって登場人物のエネルギーを感じさせない淡々としたものにさせていると思えた。一方エルサレム版は特に目新しさを感じるものはなく単調だが、土埃を感じさせるような舞台にはエネルギーの炸裂を感じさせて、美術がストーリーを上手く盛り上げていると感じた。初めてこの作品を見る人には、直球勝負のエルサレム版をオススメする。ジャポネスク版はあくまでも変化球。直球を知らずして変化球は楽しめない。
さて、『ジーザス…』を語る上で音楽の素晴らしさに触れないわけにはいかない。『オペラ座の怪人』『キャッツ』『エビータ』などのヒットミュージカルを書き上げたアンドリュー・ロイド=ウェバーの最初のヒット作品が『ジーザス…』である。俺個人の好みとして、このミュージカルには耳馴染まない曲が数曲あるが、たまらなく好きな曲もいくつかある。特に作品を見る前から知っていた「私はイエスがわからない」という曲は、全ミュージカル曲で間違いなく自分のベスト10に入るものだ。劇中ではマグダラのマリアが歌う曲なのだが、劇団四季では当代のソプラノがこの役を務めている。京都で俺が見た時は、ジャポネスク版では高木美果、エルサレム版では西珠美であった。どちらも美しいソプラノで曲の素晴らしさを存分に表現してくれたが、西の方が美しい中にも、混沌とした世界観に一瞬で静けさをもたらすような力強さを感じさせて涙が出そうになった。
その他の役者陣は、長らくジーザス役を務めている柳瀬大輔に一日の長があり、安定した芝居を見せている。ユダ役は、芝清道と金森勝(キム・スンラ)で見た。芝はエビータのチェ役とかぶってしまい新鮮さに欠けたが、エネルギッシュな歌はさすが。金森は芝に比べて若くフレッシュな感じのユダであったが、彼も歌のうまさが魅力。また俺がこの作品で注目する役はマグダラのマリアとヘロデ王なのだが、後者は下村尊則と大塚俊で観た。ヘロデ王はなんとも中性的で灰汁の強い演出がなされているが、登場シーンは劇中で唯一華やかな場面。そんなヘロデ王に下村は適役すぎて面白味に欠ける。一方、大塚は『アイーダ』のゾーザー役でしかお目にかかったことがないが、こんな役も出来るんだと感心した。
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