法王庁の避妊法
作=飯島早苗
作・演出=鈴木裕美
ルビ吉観劇記録=2004年(大阪)
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【この芝居について】
制作スタッフである飯島、鈴木が所属する自転車キンクリートがプロデュース公演として、1994年に初演。原作は篠田達明氏の同名の小説。今回は稲森いずみの初舞台としても注目された。
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【物語】
ローマ法王が自然に逆らわない避妊法として唯一認定した“オギノ式避妊法”。
物語は、この排卵周期のメカニズムを解明した荻野久作博士と彼を取り巻く人々との心温まるオハナシ。
時は大正中期。新潟にある竹山医院の産婦人科。そこで医長を務める荻野は診療の傍ら、婦人の排卵についての研究に精を出していた。敬虔なクリスチャンである助手の半三郎と七人目の子供がお腹にいる臨月の患者キヨの話題は、今日も荻野の縁談についてであった。研究ばかりで自分のことに無関心な荻野を心配して、院長がどうも勝手に見合相手を探してきたらしい。そしてその女性がまもなく病院にやってくるというから、ふたりは落ち着かない。
最初にやって来た女性は、ハナという可愛らしい娘。しかし彼女は不妊の相談に来た患者であった。続いてやってきたのはハキハキと喋る都会的なより子。女性の地位向上について滔滔と語るより子に圧倒されながらも、三人は理知的なこの女性こそ見合相手と確信。しかし彼女は竹山医院に来た新任看護婦であった。そんな中、ふと現れたのは振袖姿の大女・とめであった。この大女こそ、荻野の見合相手であった。
時は経ち荻野の周りではさまざまなことが起こる。子供がなかなか出来ず姑にいじめられるハナには子宮筋腫が出来、子沢山のキヨはもう育てることが出来ない、もう産めないと言いながら妊娠してしまい、更には命を落としてしまう。欲しくても子供が出来ない女性、いらないのに子供が出来てしまう女性。荻野は研究を急がなければと思うも、キヨの死からなかなか立ち直れずに無気力な毎日を送っていた。そんな荻野を妻となったとめ、看護婦のより子、助手の半三郎たちは心配そうに見守っている。
そんな折、ハナの診察中に彼女との会話の中からあるヒントを得る。「これで排卵日の謎を解き明かすことができるかもしれない…」。しかしそれを証明するためには妻・
とめの協力が必要であった。しかしとめは「子は天からの授かりもの。実験で妊娠などとんでもない!」と初めて夫に反抗する…。
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【観劇記】
このホームページでのレビューの公開順は前後していますが、俺の2004年の観劇は、この『法王庁の避妊法』でスタートしました。そしてこれが新年の幕開けに相応しい観劇となったのでありました。「見逃した人は絶対に損!」と言い切れるほど、この舞台は素晴らしすぎ。
とにかく舞台全体がほのぼの感に溢れてます。物語りも役者さんの芝居も、セットも照明もすべてが。見ていた客みんなが、優しい気持ちで劇場を後にしたのではないでしょうか。登場人物は皆、誰かのために何かをしているのです。荻野先生は困っている女性のために、周りの人たちは何らかの形で荻野先生のために動いている…。共に喜んで共に悲しんで、と書くと少しあざとい感じもしますが、実際の芝居はテンポよく進行していくためそれを感じさせません。またバリエーション豊かな人物設定は、観ている者にとって誰かに共感できる効果を生んでいたと思います。本当によく出来た芝居。
役者陣も素晴らしい。荻野先生を演じた勝村政信は学者にありがちな浮世離れした風情というか、学問以外は身の回りのことすら何も出来ない男をうまく表現していました。最後の最後、荻野先生が研究に走るあまり妻の気持ちを読めなかったくだりなどは、勝村氏の芝居で自然の流れで観ることが出来ました。
妻のとめを演じた稲森いずみがこれまた良かった。この女優って、こんなに芝居が
上手かったっけ?と俺は驚きです。大女の劣等感とか、愛する夫に尽くす姿、しかし
違うと思うことは違うと言い切れる聡明さ。恐らくとめ役に求められる要素をすべて表現できていたと思います。俺はこの芝居の勝因の多くを、この稲森いずみのキャスティングにあると思うのですが、それは褒めすぎでしょうか?
ハナ役の持田真樹も上手かった。ハナは田舎娘で学もなく、そして幼い人妻という
設定だと思うんですが、それを演じきってました。小柄で可愛らしく、そしてやけにハイテンションな発声が、舞台を明るくさせ、時にはそれの裏返し的にせつなく哀れにさせ、芝居のアクセントとして役立っていたと思います。
より子役の西尾まりは、テレビドラマで見る西尾さんそのまま。女性の地位向上を叫んでいた大正時代の女は、きっとこんな感じだろうなぁと連想させるものがありました。
それにしても避妊法そのものがオカマに何の関係がありましょうか?って気がしないでもないですが(笑)、荻野先生の発見した排卵のメカニズムは産科学会での“日本人の快挙”と言われるほどの大発見だったそうです。その大発見はこの物語で明らかに
されます。これは実に単純なこと。言わば発想の転換ってヤツ。それこそ我々にとってはトリビア的な知識なんですが、50へぇくらいの感動があります。これも芝居の面白さのひとつに入れていいかもしれません。
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