永富独嘯庵のことば

 

永富独嘯庵はわずか35歳でこの世を去った江戸末期の漢方家です。おそらく一般には知られていないでしょう。私も初学の頃には全く知りませんでした。これを読んでいる人は一般の方もいるので詳細は省きますが、本当の人物、道の達人とは必ずしも地位や名誉を得た人ではないということです。独嘯庵先生の言葉にはほとばしる情熱それに俗に決して屈しない志があります。

以下はその代表的な著書である「漫遊雑記」のはじめの部分で私が現代語に訳しました。随分と前に書いたものですが、細かい点をのぞいてだいたい要旨は間違っていないと思います。興味のある方は一度読んでみて下さい。漢方に拘泥しなくともすべての「道」に通ずるものがあると思います。

なお大阪市天王寺区の蔵鷺庵に墓があり、平成七年三月二十一日、二百三十回忌の追善祭が盛大に行われ、私も末席に参加させていただきました。

漢方家必読の書 漫遊雑記

漫遊雑記    門人筆記 

 (増田眞一拙訳)

一般に、古医道を学ぼうとするものは、先ず、傷寒論を熟読せねばならない。その後に、良い師匠、良い友を選んで、仕えて、身近に、いろいろなことを試みて、五年から十年は、沈研、感刻して、休まないときは、自然に円熟するようになる。そして、後に、漢、唐以下の医書を取り、研究すれば、信妄、善し悪しは、鏡を見て、美しいものと、醜いものとを、わきまえるようにわかる。そうしないと、たとえ、万卷の書を読み尽くしても、大事なところは、術に生きてこない。唐の明皇は、画家の韓幹に、馬を画かそうとして、先ず、御府の馬の絵を、観せようとした。韓が言うには、必ずしも、観るには及びません。陛下の厩には、たくさんの馬がいますので、それが、師であります。また、宋の魯無疑は、巧みに草虫を画き、年をとるにつれて、いよいよ精妙であった。羅大経は、何か秘伝でもあるのかと聞くと、無疑は笑って答えた。法の、秘伝などがありましょうか。私はただ、幼少から篭にいなごを入れて飼い、春一夜を問わず、これを観て、あきることがなかった。ただ、創造の神の完全なるに感心していた。そして、草地間にいる、自然の姿を観たとき、始めて、真理を得た。この二人のこと ばを、医学を学ぶところの元亀とせよ。

古医道とは何なのか。本に通ずることである。本に通ずるとは何か。ここに病者がいるとする。医者は、良くその色を観察し、声を聞き、証候を問い、経歴を詳しくして、脈を診て、腹を按じ、その病を知るのである。そこで、大黄や石膏、人参、附子の剤、大剤と小剤の区別をして、方を処する。方を約して的中させる、これを古の術というのである。であるから、診察が少しでも間違っていると、病気は治らない。精しくせねばならない。深く考えねばならない。その微妙なタイミングや、精妙なる判断は、極めて不可思議であって、言ってきかせることもできず、書いて伝えることもできない。勤勉に努力してのみ得ることができる。このごろの古医道と称する者は、おおかたが、不学の徒であって、特に天地の理に暗い。言うことなすこと、こじつけばかりで、曲がっているのを無理矢理に真っ直ぐにしたり、むせぶのをいやがって、断食をする等のバカげたことが多い。あるいは、症状を論じて原因を論せず、薬には寒熱がないという。これで、古の義といえるであろうか。嗚呼、これを聞くのは、理論はあきらかであるが、実際に旋すとムチャクチャである。ついには、世の人に、古医道は有害であ るといわれるのである。嘆かずにいられようか。

 治療を行う道に持重と逐機と二つの端がある。持重というのは、病が深いときは、その治療は、専一であって同じ処方を続けること。ただし遠回りをしたり、むやみに日が過ぎてはいない。逐機というのは、証が移るときは、そのたびごとにそれにしたがい処方を変化させる。決して迷い困惑して方を変えるのではない。持重は恒常であり、逐機は変化である。逐機ばかりで持重を忘れてもいけないし、持重に重きを置いて逐機を軽んずるのもいけない。

最近は古方を学ぶ者は、師匠にわずか1、2年しか師事しない。途中のところで、まだ得るところもないのに、故郷へ飛んで帰って、たまたま良い環境に恵まれて、難病の人、数人を治すと、振るいたち抜きんでて来て、自分を大家と名乗り、もう何も学ぶことはないなどと言う。そして、甘ずいや巴豆等の劇薬をあなどり、治療を誤り、人を誤る。進退きわまるときは、たちまち、老犬、猫の子のように首を垂れて、しっぽをふり、朝市の人にあわれみをこう。以前、巴豆等の劇薬の入っていた薬袋の中は、ひるがえって、養栄、益気などの穏和な薬のすみかと変わってしまう。何と節操のないことか。

 一般に、百の技は、巧より始めて、拙に終る。また、思より始めて、不思に終る。ゆえに、巧思がきわまると、神妙となる。神妙が進んで自然となる。その自然の境地は、巧思をもってして得られず、歳月をもって到るものでもない。また、逆に、巧思を離れて得られず、歳月を外れて到るものでもない。

 古医道を学ぼうとする者は、傷寒論に思いを運らし、病者をして師匠とせよ。そして、その変化、あらゆる病情を、こまごまと説きつくすときには、我が意のままになる。その後、まだ、きざしのない状態からいましめ、未病を治せ。今の医者は、そうではない。巧思も熟さず、パターンも定まっていない。病人の前にきて、始めて模索している。それでは晩すぎるのではないか。

 古医道に従事する者は、初学のうちは、まだ、たくさんの書を読む必要はない。ただ一冊の傷寒論を枕とすれば十分である。

 世の医者はともすると、傷寒論は、外邪に関しては立派だが、雑病に関しては、そうでもないと言う。ああ、愚かなことである。傷寒の中に万病があり、万病の中に傷寒がある。いろいろな病を関連づけ、参考にしてこそ、よく、傷寒も治り万病も治る。だから、傷寒論は証の変化を示し、その治方を自在に解き明かしており、万病もまた、その中に含まれている。そこで、雑病といっても、傷寒論で十分である。ここの所を学者は、しっかり研究して、その真髄を得ると、治術は、ほぼ、完璧となり、千金、外台その他の諸説も自分のものとなる。天子が国を統一すると、辺境の地にもこよみが統一されるようなものである。

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