旧正月(一月下旬)の頃、横浜中華街では太鼓、銅鑼、シンバルと爆竹の音が街中に鳴りわたる。もし貴方がそこにいたなら、日本の獅子舞とは違った金や銀、はでな原色のカラフルな中国獅子舞に目を奪われるだろう。
 獅子舞は中国の伝統芸能の一つで古くから民衆に愛され、現在では中国本土はもとより、華僑達によって世界中のチャイナタウンで神祭儀式、婚礼式典などで広く舞われている。
 もともと中国大陸には獅子は生息しておらず、シルクロード交易の発達と共に、ペルシャ商人によっ皇帝に本物の獅子が贈られたのが最初である。時の権力者達はその百獣の王の勇ましさを大変気に入り、招福駆邪の聖獣として崇めていった。
 獅子舞の起源はいつ頃か?史書などから唐の時代に始まったのではないかと考えられる。「唐書」の音楽誌の中の伎楽「太平楽」の一節に「五方獅子」という件がある。
「五方獅子」は高さが一丈(約3E)もあり東西南北と中央の五方向に並び、それぞれの獅子の中には五色の毛で編み飾った衣装をまとった踊り手が入る。獅子の脇には西域の装飾をした「獅子郎」が獅子を誘い出し飛び跳ねる。そしてその周りには百四十人もの楽団、舞踊隊がこの五頭の獅子を取り囲み、伎楽「太平楽」を舞い踊る。
 また唐の著明な詩人白居易はその詩「西凉伎」の中でこう詩っている。『ペルシャ人の仮面と仮装の獅子、木を彫って頭とし、糸を編んで尾を作る。金色の両目と銀色の牙、耳を動かし毛をなびかす。』
 こうした史書以外にも民間伝承の形で伝わった二つの伝説がある。
 一つは清の時代乾隆帝が江南地方を遊休したある晩、一頭の生き物が夢の中に現れた。この可愛らしい動物は五色の色鮮やかな体を持ち、軽快な足取りで踊っていた。皇帝は宮廷似戻ると工芸匠に命じて夢のとおりの聖獣をつくらせ、朝廷の式典に祝いの舞いとして踊らせた。又軍隊の武術訓練の中にも取り入れ、軍の遠征と共に各地に広く伝わっていった。
 もう一つは数百年前、広東省のある村に毎年の大晦日に「年(ニェン)」とゆう怪物が現れ、人を傷つける事は無かったが田畑の農作物を食べ荒らし、人々を困らせていた。この「年」は一角で大きな顔、鈴のような目と七色の体で『ニェン』とゆう奇声を発し、風のごとく現われては消えていっていた。
 この怪物に困った人々は竹と紙で頭、布でニェンとそっくりの体の着ぐるみを作り、出現と同時に太鼓や銅鑼を鳴らし踊ってこの怪物を追っ払った。それから毎年大晦日の晩豊作祈願、新年を祝う舞いとして各村々に伝わっていった。

中国獅子舞とは?    北方獅子と南方獅子   仏山獅と鶴山獅

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