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山梨見仏記・放光寺/恵林寺/甲州善光寺 2008年5月
※※※ 第1部 ※※※ ※注※この物語は2008年の出来事であることをご了承くださいますよう。
文字通りの五月晴れの早朝、我々4人を載せた自動車が中央高速をのんびりと進んでいく。
ETCの時間サービスに充分間に合い、目的地・勝沼までの高速代は約半額に!というか、半額にしてもやっていけるなら、常時半額にすべきだろうと思うが。
大体、道路を利用するのに金を取るってのは理解出来ない。日本人諸君は『高速道路だから払うのは当然だ』と言う間違った認識を直すべきだ。
折りもおり、『ガソリン暫定税』が復活し、30円近くも値上がっているのだから、益々腹が立つ。
この暫定税は10年間有効だそうだが、『暫定』という呼び方は廃した方がいいよ。全然暫定じゃないし。今まで30年以上も継続してきて、何が暫定じゃい!
その上、だいたい、今年の3月に期限が切れるのが判っていながら、『当然延長されるだろう』と皮算用し、予算に組み込んでいた馬鹿な地方自治体。
一旦、停止されたら『このままでは、財政破綻だ!復活するまでは工事もできない!お金が貰えるまでは取り敢えず停止だ』などと、アホな子供が駄々をこねるような、素晴らしく情けない体たらくぶり。
お金がない地方自治体は、身の丈にあった予算を組むべきじゃないかと私は思うのだが、どうだろう。それに、『暫定分』が地方に入らないとしても、一銭も入らないわけじゃないだろう。
1年で計画している物を2年、3年に練り直して実施しても良いのでは無かろうか。
また、中央が地方にお金をばらまくのが義務だと考えるなら、それを何故、ガソリン税独りに背負わせる必要があるのか?
それに従来の主旨に反して、道路建設以外の目的に使われるなら、それはもはやガソリン税の範疇ではない。それを越えて利用するならば一般税化すべきである。
そして、一般税化するならば、『ガソリン独り』に背負わせるのは、非常におかしい話というところに戻る。
やはり、ここは消費税を上げるしかないだろう。当然ながらガソリン暫定税率は撤廃が前提だが。
消費税を上げるとなれば、国民は強い関心を持つし、『本当にこんな道路や施設が必要なのか?』と真剣な議論が展開されるはずである。
無駄が無くなり、必要なモノは作られ、その結果お金が余るとなれば、消費税を元に戻せばよい。・・・・なんて言うフレキシブルな政治はこの国の政治家共にはできないだろうが・・・
こんな事を車内でしゃべりながら第1目的地の放光寺(ほうこうじ)に向かう。まったく、この国は住みにくくなったもんだ。こんな国に税金など払いたくもない。
などとぼやきっぱなし(笑)。
さて、放光寺は中央高速勝沼ICで下車し、大菩薩峠方面に向かう途中にある。塩山駅の北、国道140号線沿い。
近くには恵林寺(えりんじ)もあり、武田氏縁の寺である。
寺伝に因れば、
元暦元年(1184年)、甲斐源氏新羅三郎義光の孫、安田遠江守義定の創立。開山は賀賢上人。
元々は山岳仏教として大菩薩峠の山麓一之瀬高橋に建立された。その後天台宗、その後に真言宗醍醐派報恩院の末寺となり、明治27年に智山派に属し京都智積院の末となる。
義定は治承4年(1180年)、平家打倒の以仁王の令旨に奉じて兵を挙げ、富士川の戦いに参加し、それ以降、文治元年3月の壇ノ浦での平家滅亡まで源氏に従事す。
その後、奥州藤原氏征伐にも功を立て、禁裡守護の大任に就く。
こうして、義定は終始頼朝の鎌倉幕府創立に協力したわけだが、頼朝は安田一族の武力と権勢に脅威を感じていたらしい。
建久4年11月、梶原景時の讒言により義定の嫡男義資を誅殺し、翌5年8月19日、影時を追っ手として義定の館を襲わせた。
義定、享年61才、大御堂にて壮烈な自刃を遂げる。
時は経ち、武田信玄の時代に、祈願所と定められて寺領を寄進されるなど、篤い保護を受けていたが、織田信長の兵火を受けて一山尽く無に帰す。
江戸時代になって、徳川氏の保護を受け仁王門、愛染堂等が再建されている。
と、ある。
全山焼き討ちにあったにも関わらず、この放光寺には重要文化財に指定されている仏が5人いらっしゃるという。
今日はそれを見るために、出掛けてきたわけだ。相棒夫婦の息子の丁度生後3ヶ月日にも当たるめでたい日に重なったというのも素晴らしい偶然である。
そうこうしてるうちに、運転手を務めている相棒が、国道140号線の右側に看板を発見、私には見えなかったが、ここから入ると放光寺に行けるらしい。
脇道にはいると直ぐに見えましたよ、山門が!側には放光寺と刻まれた大きな石塔があり、間違いなく私達は到着したようです。ここ放光寺は『花の寺』と言われるように、境内に多くの草花が植えられている。しかし、ゴールデンウィーク過ぎでは、桜も散ってるし、緑一色の新緑。
写真的にはつまらない。
じゃあなぜここに来たかと言えば、それは『日本最古の天弓愛染明王(てんきゅうあいぜんみょうおう)』があるから。天弓愛染明王は非常に珍しい。
愛染明王でさえ多く存在しているわけでもなく、元々のサンスクリット語ではラーガラージャ(ラーガは赤/愛欲、ラージャは王を意味する)と表記され、インドで生まれた仏であるはずなのに、彼の地には愛染明王は現存していない。
弓を持つ事からインド神話で有名なカーマが起源なのでは?と言われているが、その関連性は全くと言って良いほど解明されていない。
このカーマは男性神だが、奥さんのラティとワンセットで語られることが多い。カーマとは『愛欲』を意味し愛・エロスを司る、ラティは『愛』を意味しセックスの歓びを司る。
カーマの花の矢で射貫かれた者は愛の虜となって、セックスに耽る。即ち、子孫繁栄の神ということになる。
日本の寺では、愛染明王は『縁結びの仏』と一般的に言われており、実際、放光寺では『縁結びお守り』が売られている。
密教において和合・親睦を得るための修法『敬愛法(けいあいほう)』に愛染明王が使われると言うのが元になってはいるが、その内容は、我々現代人が『縁結び』という響きからイメージされるモノとはかなりの隔たりがある。
例えば、出雲大社で『良いご縁が授かりますように』と祈るのと、愛染明王に『あの人と結ばれますように』と祈るのでは全く違う。
前出のカーマは神話の中では、シヴァとパールヴァティーを結びつけるために、その弓を使うわけだが、依頼したのは神々であって人ではない。
そのあげく、カーマはシヴァによって焼き殺されてしまう。
元々、神は非常に気まぐれであって人の想いなどは関知しない。関知しないからこそ、関知して貰えるように強く祈るのである。
その上、関知して貰ったからといって、それが我々(祈祷者)の利益になるとは限らない。その辺が神信仰の面白さでもあるのだけれどね。
よって、出雲大社で祈るという行為は『真剣ではあるけれど何となくライトな感じ』であり、『良い縁が見つかればいいなぁ~』という漠然としたものである。
一方、愛染明王の場合、ハッキリ言ってしまえば『呪い』である。人が、仏を通して人に呪をかけているにすぎない。
この敬愛法の護摩には五種類あり:
①媚厳(びげん)
②信伏(しんぷく)
③和合(わごう)
④鈎召(こうちょう)
⑤悉地(しっち)
があると言われている。②の信伏などは相手を折伏(しゃっぷく)して従順させるものであったり、④鈎召も自分の好む対象を随順させるということらしい。
いずれにしろ、自分の望みを呪によって成就させる法である。この様な法が秘密裏に行われるのは当然であり、敬愛法は最極秘の修法とされている。
その為、口伝によってのみ伝授され文言で伝えてはならないという。
密教における最秘の教典である『理趣経』においては、人間の愛欲・煩悩も本来は清浄であると説かれる。他人を愛したり物を欲するということは人間の素直な感情であり全くもって清浄であると思う。
ただし、その目的を達成するために『呪う』という行為が清浄かと言われれば疑問符が付く。
理趣経が、最秘とされた理由は色々あるが、先ずその内容が当時の人々にとっては非常にショッキングであったが為に誤解される事を懸念したのではないか。
●男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
●欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
●男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
●異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
●男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
・・・以上、大楽(たいらく)の法門に述べられている「十七清浄句」のうちの1~4句偈。
ところで日本に伝わったいわゆる仏教ではセックスは尽く否定されている。それは、日本に伝わった仏教が中国製の仏教である事が大きな理由である。
インド発祥の仏教が中国に伝わりそれを取り込む時に、中国に合った(言い換えれば都合の良い)様に変容したからであり、そこには中国伝統の儒教や道教が大きく影響している。
が、インドではバラモン教、仏教、ヒンドゥー教を通して、『血』とか『セックス』を取り込んで発展してきた歴史があり、日本に伝わっていない(空海が伝えていない)後期密教では、ヨガとセックスを取り入れたヨガ系母タントラ密教へと発展する。インド本国で仏教が衰退した後もチベットに伝播されたこれらの密教は現在まで維持されている。
こうした歴史を持つインドやチベットにおいては理趣経は全く自然の流れ中で成立したものであるが、当時の我が国に伝わった時には、さぞかし対応に困ったろうと思う。
密教教典を否定することは出来ないのであるから、色々な解釈を編み出し、『セックスを肯定するという事ではない。誤解せぬように』という方向性を大にした。
後に起こった真言密教立川流を邪教と呼び排斥したのもこの為だろう。
・・・・・・・・・・・・話が横道に逸れすぎたので元に戻そう
さて、愛染明王は『煩悩即菩提心』の仏であり、この煩悩とは愛欲を指すと言われる。(上で述べた理趣経から)
敬愛法を用いて願望成就すれば煩悩が菩提心になるのであろうか?人間てそんなに単純じゃないと思う。
愛欲の根源となる(例えば『相手を強く想うがあまりに気が狂いそうになる様な心の乱れ』)ものを取り去って、平安をもたらしてくれると言うことではないだろうか。
相手は意中の人かもしれないし、親兄弟であることもあるだろう。・・・と私は考えていたのであるが・・・
これについて、奈良・西大寺の社務所の人とじっくりと話をした時に、大いに賛成してくれた。
そして、その人が言うには、愛染明王は光背に日輪を背負っている、しかも、本地は金剛薩埵・普賢菩薩とも言われる。(金剛薩埵は大日如来の菩薩形である。)
それをストレートに表現していると言うことは、ちゃちな願い事を叶えると言うものではなく、『般若波羅密多』そのものを表しているのだと。
般若とはサンスクリット語でプラジャーナ、その俗語形であるブラークリット語のパンニャーを音写したものである。
意訳が智慧・明であり、その意味するところは、『悟りを得る真実の智慧・存在の全てを全体的に把握する直感的な智慧』である。
波羅密多はサンスクリット語のパーラミターの音写であり、パーラミが『最上・完全』の意味で、パーラミターで『完成・極致』となる。
意訳で『到彼岸・度』である。般若波羅密多で『真実の智慧に到る、真実の智慧の完成』を意味する。
ついでに書けば、『般若心経』の中では、般若波羅密多は効果の高い呪文であるとして繰り返し讃えられるが、どうすれば般若を完成することができるかは書かれていない。
そればかりか、とにかく般若波羅密多は全てに勝る大呪文であるとする。論理的解決を目的とするモノではないのが般若波羅密多なのであって、それは呪の範囲に入るとされ、ブラックボックスで覆われている。
ひるがえって、『空』を直観することが般若であり、それを徹底的に悟ることが般若波羅密多であるとするならば、そこに呪というものは必要ないのではないか。
・・・・色々と事情があるのだろう。大乗仏教では已然として呪・神秘のベールに包みこまれたままになっている。
話が逸れてしまったが、これほどのパワーがある仏なので、滅多なことでは表に出ないし、殆どが秘仏化されたり、個人の念持仏となっているのである。と、その人は語った。
私が何故こんな事を言うのかというと『仏に手を合わせる時、その仏の縁(えにし)を知っていた方が良い』と思うからである。
阿弥陀仏に商売繁盛や交通安全を祈るのはお門違いであると言っているわけではない。仏を証人として自分自身に誓う行為こそが祈りであると思うからである。
・・・・・前置き終わり・・・・・
さて、この放光寺に居られる天弓愛染明王は平安時代に作られた座像で、これまた同時代に作られたであろう金剛界大日如来座像と不動明王立像の三尊形式で祀られている。
注)不動明王像は元々は愛染堂に祀られていたらしいが、近年宝物館に移動させられたらしい。
密教大本尊である大日如来を中心に、煩悩即菩提心の本尊である愛染明王、大日如来の化身である不動明王を配置する。
中世には愛染明王の慈悲(理)と不動明王の智慧(智)の功徳を合わせた理智冥合の霊験仏である両頭愛染明王なども作られているから、この三尊形式はよく知られたものだったのだろう。
また、空海が請来した愛染明王の一面六臂像は宝甁に置かれた蓮台に坐し、獅子冠を被り、各手には金剛鈴、五鈷杵、金剛弓、金剛箭、蓮華を持つ。
※空いている一手に願い事を書いた紙を挟むと、願いが叶うという伝もある。
しかし、恵運・円珍らによってもたらされた像様は、天に向かって弓を引く姿で表され、これを俗に天弓愛染明王と呼ぶ。
元々の愛染明王の持物である弓と矢が強調された姿である。
武器を持物としていることから、『戦勝祈願』や『怨敵調伏』護摩の本尊として使われた事は、平安末期の源平合戦において源氏方に付いていることから容易に想像できる。
仏を戦争の道具に使うとは非常に悲しい話ではある。
放光寺に居られる仏はなんと言っても日本最古の天弓愛染明王。
当時、最新の仏であったろうこの明王をわざわざ京都より将来し(大日如来/不動明王も)、寺を創立した事からも義定の並々ならぬ熱意が感じられる。
奈良・西大寺の愛染明王座像(秘仏)檜の寄木造・玉眼嵌入・作者:善円 山梨・放光寺の天弓愛染明王座像 檜の寄木造・彫眼・円派の作と伝わる 私達は、受付で拝観料600円(折角だからと抹茶とお菓子付きコースをチョイス)を納め、本堂・愛染堂を後にして、宝物館に急ぎます。
薄暗い館内に3尊の仏達がお待ちになっていました。やはり最初に目を引くのは愛染明王。
その像様はけだし野性的。表面に塗られていたであろう赤色は剥落し、木目の素地が顕わになっている。
頭部の怒髪は西大寺像に比べ、大ざっぱに表現されている。
表情は硬く、厳しい。対して、同じ愛染明王像でも西大寺像は鎌倉期の像造なので、洗練され、細部まで緻密に表現されている。
その本体は秘仏なので開帳時にしか見る事はできないが、お前立ちはいつでも見ることができる。
西大寺愛染堂には数体のお前立ちが居られるが、どなたも素晴らしい顔をしていらっしゃる。
優しい慈悲に満ちた怒りとでも言うか、とっても可愛いのである。像高31.8cmという大きさもフィギア感ムンムンで凄く良い。
一方、放光寺像は像高が89.1cmもあり、間近に見ると圧倒される。鎌倉方の裏切り、その後戦国時代に到る数々の戦火を見てきたその眼光は全く鋭い。
邪(よこしま)な考えを即座に射貫く力がある。
中尊の大日如来座像も同時期に京都で作られたものである。檜の寄木造で像高は95.4cm。お顔、胸前と腹部に金箔を残す。元禄2年(1689)に甲府の仏師・松尾圓道によって修理されたとあるので、その時に塗金されたのであろう。
仏様は金剛界の大日如来であり、胸前で智拳印を結ぶ。目は閉じられているように見え、穏やかに瞑想している表情は優しいの一語。
その結跏趺坐(けっかふざ:瞑想時の脚の組み方)に抱かれたなら、どんな人でもすやすや寝てしまうだろうと思えるほどの安心感がある。名品である。
不動明王立像は檜の一木造で内刳りされている。像高148.4cm。彫りは浅く、彩色はほぼ剥落している。が、身に纏う条帛(じょうはく)や裳には素地に塗ったであろう白色が残っている。この点から、同じ着色像の天弓愛染明王座像とは異なった工房で作られたのではないかと考えられている。
像様は天地眼で左手を下に伸ばして羂索(けんさく)を執り、右手に智慧の剣を持つ。頭髪は辮髪(べんぱつ)ではなく総髪とされている。
顔はパーツが中央に寄っていてユニークである。不動ならではのどっしりとした体躯・彫りが浅い事から来るまろやかさ・一木造と言う事が相まって重量感がある。
3尊共に、大きな損失もなく(瓔珞【ネックレース】等のアクセサリーや持物・蓮台・光背は後補であるが)800年以上もの長きにわたり伝来してきた事は奇跡に近い。
焼き討ちに遭っている事実があるのに、である。信者達に見守られて今日もそこに居られる。
以上、3尊と山門の金剛力士立像2尊(鎌倉時代)が国の重要文化財に指定されている。
相棒は何と言っても『見仏デビュー』が願成就院の運慶像だったので、ここの仏にはイマイチ心が動かなかったかもしれないな。などと思いながら庫裏に戻って、お茶を戴いた。
その後、社務所でグッズを物色して交通安全と3尊それぞれのお守りをゲット!
最高級金属ステッカーと書かれた交通安全お守りには3尊の梵字がシンボライズされている。
円形な真鍮プレートに焼き付け塗装されているので耐久性に優れ、直射日光等による変色も極めて少ないと但し書きされている。イカスぜ!
そして、3尊のお守りは、『外袋の名前だけ違わせる様』なよくあるモノではなく、1尊それぞれ像様がレリーフされていて格好いい。
特に不動尊は盛り上がりが大きく浮き彫りみたいになっている。とってもクール!
この3尊お守りは我が家でももちろん重要文化財に認定されました(笑)。
社務所を後にした私達は境内を探索し、次の訪問寺である恵林寺に向かったのであった。その話は次回に続くと言う事で~~~!
※高橋山 放光寺 真言宗智山派
山梨県甲州市塩山藤木2438 Tel:0553(32)3340
中央高速勝沼IC下車、国道20号から国道411号に入り、塩山駅方面に進み国道140号方面に向かうと放光寺入り口。駐車場料金は無料
拝観料:300円(団体は200円) 600円:抹茶/コーヒーとお菓子付き
休館日は不明
(以上、2008年5月現在)
花の寺・放光寺のホームページのアドレスは:http://www.hokoji.org/
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