間違い競馬・・・競馬に関するチョンボとは?

●久しぶりにコラムなんぞを少し・・・
厳正なる管理と運営・・・これは巨額なお金が懸かっている競馬界では当たり前。
しかし、時にイレギュラーも発生する。
@誤審
●阪神D-D事件・・・1986年5月31日、阪神競馬場第4レースのこと。
同4歳未勝利戦は写真判定の末に、1着が5枠7番のムーンダツアー、2着は4枠6番グレートパスカル、3着5枠8番ロングヘンリーで確定した。
が、しかし実は誤審で、本当の着順は2着がロングヘンリー、3着がグレートパスカルであった。
では、どうしてこのようなことになったかというと・・・写真判定にもかかわらず・・・・。
決勝審判員が写真のネガを見ただけで着順を決定してしまったからであった。
ただでさえ見にくいネガのうえに、ゼッケンが隠れ、服飾も似ていたというのが原因であろうけれども、チョンボには違いない。
ちゃんと写真が焼き上がるまで待っていればよかったのだから・・・。
結果として、JRAは両方の馬券の払い戻しに応じましたとさ!
●アメリカの場合・・・1988年3月28日、イリノイ州スポーツマンズパーク競馬場の第7レース。
何から何まで阪神の場合とそっくり。このレース、勝ったのは1番人気のリブレットレジャーという馬ではっきりしていたが、2着争いが大接戦で4頭が横一線で列んでゴールイン。
規定ではこのような場合、プリントされた決勝写真を見て判定しなければいけないのに、担当の審判員3人はネガだけで判定してしまった。
払い戻しが始まって暫くして、焼き上がったプリントを見ていた審判員の1人が悲鳴を上げた。
2着と3着を間違えてしまっていたからである。3人は大慌て。
だが彼らに払い戻しを中止する権限はなく、競馬場の役員を捜し出さなければならない。
結局、着順の訂正が行われたのはレース終了約50分後。
殆どの人は払い戻しを終えている。しかも、阪神の場合と同じように正規の的中馬券に対しても払い戻しをしなければいけない。
かくして、2重の払い戻しを負担することになった。
アメリカの場合は、各競馬場は民間企業が経営しておりこうした損害は直接会社の業績に影響する。
結果として、3人は決勝審判員を外され、閑職に追いやられたという。
●フランスの場合・・・1988年7月17日、メゾンラフィット競馬場で行われたストラスブール賞。
これもまた、審判員のミスで決勝写真では4着の馬を3着としてしまったのだ。
普段ならさしたる影響もない3着なのだが、この日は運悪く日曜日であった。
日曜日には1〜3着馬を的中させる3連単馬券(ティエルセ)が発売されており、このレースはその対象レースであった。
的中率は低いが、当たれば大きいということでこの種の馬券は断然人気が高い。
この売り上げが大きいレースでの大チョンボ・・・どうなったかというと・・・

このレースでも誤審が判明したのは確定した後。フランスの競馬施行規定では、いったん確定したらそれが間違いであってもそのままの着順で払い戻しされなければならない事になっており、通常の場合は泣き寝入りするしかない。
しかし、今回の場合は、一般のファンが見てもはっきりと分かる誤審であった上に、注目を集めた大きなレースであったことから騒ぎはなかなか収まらなかった。
そんな時、5月10日に就任したばかりのM.ロカール首相から事務局に電話があった。
『もめているようだけどどうしたのかね?あまり騒ぎが大きくならないうちになんとかしなさい!』
この鶴の一声で特例として『本当の的中馬券』にも払い戻しされることが決定した。
これにて一件落着〜〜〜!
A競馬場のチョンボ
●日本やアメリカのようにトラック状のコースでは絶対に起こらないであろうコースミス。
英国グッドウッド競馬場で行われたフェスティバルS(10F)。
このレースには1987年のエクリプスSで英国2冠馬リファレンスポイントを破ったムトトが1988年の緒戦として出走していた。
レースは定刻通り午後4時10分に発走。ゆったりとしたペースで内回コースと外回りコースの交差する地点にさしかかる。
その瞬間、逃げるアメリゴヴェスピッチに騎乗していたR.ヒルズ騎手は我が目を疑った。
本来通るべき外回りコースが移動柵で塞がれているのだ。
柵を突き破って走るわけにもいかず、馬が怪我でもしては大変だ。彼はやむを得ず内回りコースに入ってレースを続けた。
他の騎手達も考えは同じのようで、そのまま着いてくる。レースはそのまま進み。結果、ムトトが快勝した。
だが、当然の事ながらレースは審議となり、数分後にはあっさりと無効の宣告。
馬券は全額払い戻しとなった。
本来、外回りコースを走るはずのこのレースが何故、その様なことになったか?
それは、直前のレースが内回りコースを使用する1マイル戦であったことに起因する。
移動柵を移動させるのを忘れてしまったんですね〜〜〜^^;;
この結果、一番痛い目にあったのは馬達に他ならない。
特に勝利した(?)ムトトはこの後Gレースを4連勝し、凱旋門賞を惜しくも2着した程の馬。
しかし、同馬のこのシーズンの戦績は6戦5勝2着1回ではなくて、5戦4勝2着1回、無効レース1なのだ。
B出走資格
●我が国では絶対に考えられない事が、彼の地では起こる
1988年8月12日、英ニューベリー競馬場で行われたワシントンシンガーS(7F)。
このレースは2yo馬の牡馬・セン馬による準重賞であった。1番人気に支持されたプリンスオブダンスは2着に6馬身差をつける圧勝!
デビュー戦に引き続く2連勝。
更に父がサドラーズウェルズ、母が1983年のオークスを12馬身差の大差勝ちをし、更にセントレジャーSで牡馬をねじ伏せたサンプリンセスであったため、評判になった。
ブックメーカー各社はすぐさま、同馬を89年のダービーの前売り1番人気に祭り上げた。
ところがである・・・レースの翌日の新聞に『プリンスオブダンス失格か?』という見出しがデカデカと載った。
同馬がこのレースに出走資格が無かったことが分かったからである。
ワシントンシンガーSに出走するには、2yo馬の牡馬・セン馬であることとの他に、『父が現役時代に12F以上のレースで1着になったことがあること』という条件をクリアしていなければならなかった。
もちろん、父サドラーズウェルズは10F以上のレースで勝ったことはない。
結局、プリンスオブダンスは失格とされてしまった。
同馬を管理するハーン調教師が間違って登録したこともあるが、出走資格の確認をしているジョッキークラブ事務局がハーン師に連絡しなかったのは大チョンボである!!
●日本では昭和40年の後半頃、新潟で行われたアラブのレース。
『満2歳にならなければ出走できない』レースに数えで3歳のアラブ馬が出走してしまったことがある。
出走資格が無かったことが判明したのがレースの確定後だったため、その馬の成績はそのまま有効、賞金も払われている。
いったん確定すれば何もかもそのままというのが日本の競馬の基本精神のようである。
C馬名
●日本では馬名はカタカナ9文字以内と決まっている。
英国では18文字以内(単語と単語の間の空白も含める)と規定されている。
ところがである・・・。
既に平地で5レースを経験し、障害馬として新たな一歩を踏み出そうとしていた1頭の牝馬がいた。
名前はスパークリングソヴリン!日本語で書いても意味無いですね!(笑)
Sparkling Sovereign・・・・なるほど19文字あります。
どういうわけか、この時点になって初めて明るみになってしまった文字数オーバー!
馬名変更は規定により不可能、かといって規則違反の馬名を放置しておくわけにもいかない。
結局、ジョッキークラブが特例としてそのままの馬名でいることを認めました。
●アメリカでは出走経験のある馬を未出走馬として出走させるというチョンボがあった。
場所はケンタッキー州・チャーチルダウンズ競馬場、5月7日。折しもこの日はケンタッキーダービーの行われる日であった。
第1レースの3yo馬の未勝利戦でのこと。
隣町からやってきたM.ミッチェル氏は、パドックを回る出走馬を見ているうちにやけに気合いの良い馬に気が付いた。
ブライアーウッドという名のセン馬だ。
氏は早速、公式プログラムとデイリーレーシングフォームを調べてみたところ、どちらにも未出走馬と出ていた。
経験馬相手でいきなり勝つのは難しいだろうと思って、他の馬の複勝を少々買った。
ところが・・・ブライアーウッドは好スタートから先手を取るとそのままスピードに任せて逃げ切ってしまった。
単勝は35.5倍だった。
ミッチェル氏が地団駄を踏んだことは言うに及ばないが、これもまた競馬、と別に疑いを抱くことはなかった。
さて、事件が明るみに出たのはレースから5日経った5月12日。
チャーチルダウンズ競馬場で記者会見が行われ、5月7日の第1レースを勝った馬がブライアーウッド(Briarwood)ではなくてブレアーウッド(Blairwood)という馬名だったことが発表されてからだった。
これが単なる綴り間違いだけなら大した問題にはならなかったのだが、ブレアーウッドは2yoの時に他州で2回出走経験があった。
新手の八百長事件の可能性もあるとしてFBIまで捜査に乗り出し、同馬への勝馬投票をすべて洗い直した。
複勝に2万ドルが賭けられたということで一時色めき立ったが、これは同じ7枠番のケンタッキーダービー出走馬シーキングザゴールドと間違えて投じられたもので、後に取り消されていた事が判明。
不正行為はなかったと断定された。
@調教師の投票ミスA競馬場職員の確認ミスBタトゥー・ナンバー(個体チェック用に裏唇に焼き印してある)のチェックの怠り。
これら、3重のミスによって引き起こされたものとわかり、調教師、助手、競馬場登録係の3人は3ヶ月から2年の免許停止という厳しい処分がとられた。