●第127回ケンタッキーダービーはモナルコスが史上2番目に速いタイムで圧勝しました。
2着のインヴィジブルインクは4馬身3/4も離されてしまいました。
ハナ差でコンガリーが続き、その後ろ4馬身の所にサンダーブリッツが入線したようです。
1番人気のポイントギヴンは馬込みにのみこまれて5着に敗れました。
2着に敗れたインヴィジブルインクの騎手ジョン・ヴェラスケスは優勝したモナルコス陣営に対してインターフェアを主張しましたが、却下されました。
今年のダービーは15万4210人の観衆の前で行われましたがこれは2番目に多い人数でした。
モナルコスの単勝は11倍。穴人気だったインヴィジブルインクとの馬単は600倍をつけました。
モナルコスの勝ちタイム1分59秒97というのは怪物セクリタリアートの1分59秒40(1973年)に続く2番目のタイムでした。この時2着だったシャムも2分を切っており、ケンタッキーダービーを2分以内で走った馬は史上3頭になりました。
この日のチャーチルダウンズの馬場は時計が出やすく、最初の4レースでトラックレコードが記録されているほどでした。
モナルコスを管理するジョン・ワード師は本年のダービーにおいて唯一のケンタッキー生まれの調教師だった。
55歳で親子3代にわたってのホースマンである。最も有名なのは彼の叔父のシェリール・ワード氏で、名誉の殿堂にも入っている。
同師はフォアゴーなども管理していました。
ジョン・ワード師は幼い頃からキーンランドやレキシントンの木陰で育ち、ダービーに憧れ続けてきました。
モナルコスはオクラホマのオイルマン、ジョン・オクスリー氏の持ち馬である。
彼らはダービーのために3頭の有力馬を用意していたのだがヒーローズトリビュートとホリデーサンダーの2頭は故障によりトライアル戦を戦う事ができませんでした。
『上手くいった!本当に上手くいったよ!』とオクスリー氏はウイナーズサークルに向かいながら叫び声をあげた。
勝ち馬モナルコスは芦毛の3yo馬で2yoチャンピオンだったマライアズモーンの初年度産駒。
フロリダダービーとケンタッキーダービーのダブル制覇は95年のサンダーガルチ以来である。
さてレースであるが、先行したソングアンドアプレイヤーが爆発的なラップを刻む。
最初の4分の1マイルを22秒25。半マイルを44秒86。6Fの通過タイムが1分9秒25。
半マイルと6F通過タイムはダービーレコードであった。
キーツ、バルトスター、コンガリーらは接近しており、人気のポイントギヴンは彼らの直ぐ後ろにつけていました。
一方、モナルコスはスタートした後、後方を進み、向こう上面にさしかかった頃から動き出しました。
素早く馬郡をさばくと、最終コーナーで騎手によって大外に出されました。
1マイルを1分35秒で通過したコンガリーいまだに先頭で粘っている。
モナルコスは直線でインヴィジブルインクを抜き去ったが、この時インヴィジブルインクに不利があり多少もたついた。
ポイントギヴンは最後まで点火されることなくレースを終えた。
インヴィジブルインクが受けた事は競馬ではよくある事で、不正でも何でもない。
その後、前で粘っていたコンガリーを捕らえたモナルコスは差を広げゴールに飛び込みました。
爆発的な末脚で追いすがってきたインヴィジブルインクが最後の最後にコンガリーを捕らえて2着に入りました。
1番人気馬は勝てない!このジンクスがまたもや復活してしまいました。
それにしても、このモナルコスの勝ち方は強い!差し馬に有利なハイペースになった事もあるが、他の馬との力の差を感じました。
第2冠、プリークネスSも期待できるぞ!!
●勝利ジョッキー:J.チャヴェズのコメント
『この勝利は大きいよ!ジョッキーとして最高の栄誉だと思うよ。一生の想い出だし孫子の代まで語り継がれるべき事だよ!
僕の馬は外側から飛び出したが、馬なりで行かせようとしました。
それから内側に切れ込みました。そこにとどまる事にして、少しだけ本当に少しだけ動いたんだ。
その時、僕の馬の外側には3頭の馬がいたんだけど、大外に出すために1回だけ鞭を使わなければいけなかったんだ。
今日のモナルコスはとても出来が良かったよ。僕の出来は100%ではなかったけど・・・。
後は腕を動かして彼を押すだけでよかった。
神に感謝だね!オクスレイ夫妻やジョン・ワード師にも感謝しているよ。
素晴らしい調教師やオーナー達に僕を縁づけてくれた神に感謝しています。
彼の様なスピード馬にとっては今日の馬場は最適だったようだね。
誰かがこれはトラックレコードだ!と言っていたけれど、僕もそうなら良いなって思ったんだ。
でも、2番目だったらしいね。』
●オーナー:J.オクスリー氏のコメント
『我々にとって信じられないほど嬉しい経験になりました。
私と調教師のジョン・ワード師は21年来のつき合いであり、今日ここに最高点に達しました。
ジョッキーのジョージ・チャヴェズは完璧な騎乗をしてくれました。
私達が生産を始めたのは、ウェーヴェリングモナーク(1979年生)の部位を見て気に入った事と彼の血統に私の好きなバックパサーやリボーが入っていた事がきっかけです。
ギリシャでクルージングをしていて、ギリシャは元々大好きなんでけど、本を読んでいる時にギリシャの王”モナルコス”について書かれていたんだ。
そこで我々の馬の名前にしたわけなんだ。』