シーロ、日本へ!
●シーロ(5yo)が日本の優駿スタッドに2年間のリースをされることになりました。
同馬は2002年の春からの種付けの準備するため、1月の終わりに北海道に向けて旅立ちました。
種付け料は130万円になる模様。同馬は2001年の11月に引退したばかりなので、日本で筆おろしすることになります。
父はウッドマン、母ジオコンダの父はニジンスキー。
通算成績は12戦5勝・・・全て芝のレースで仏・米でG1レースに優勝している。>内容はともかく
『日本に行くのは最適だと思う。どんな成果がでるか楽しみですよ。』
と、エージェントのレイノルズ・ベル氏は述べる。
同氏は今のところ南半球へのリースは考えていないようである。
シーロは1999年の2yo時にフランスでデビュー。2戦目に未勝利戦に優勝し、何とG1グランクリテリウムに挑戦。
単勝1.8倍の人気にこたえて、バラシアゲストをクビ差押さえて優勝した。
すっごく強そうだけど、このレースは3頭立てだったのよね^^;
翌年春まで休養した同馬の路線はどういうわけかダービーに向かって引かれていた。
父ウッドマン、フランスの朝日杯FSであるグランクリテリウムに優勝・・・普通ならギニーに向かうはずだが・・・。
この年緒戦のG2ノアイユ賞(芝2200m)こそクトゥブの3着に敗れるが、仏ダービートライアル戦のG1リュパン賞(芝2100m)ではそのクトゥブに雪辱し優勝。
そして本番のG1仏ダービー(芝2400m)に向かったが、ホールディングコートの6着に完敗。
止せばいいのに、出走したG1愛ダービーには怪物シンダールが待ちかまえていて、大差の3着に敗れた。
しかし、ライバルのクトゥブ(6着)には先着していた。
そして主戦場をアメリカに移す。欧州でのキャンペーン中の共同オーナーはM.テーバー&マグナイア夫人であったが、生産者でもあるジェイエフ・B厩舎に戻ったことになる。
緒戦のG1セクレタリアートS(10F)に優勝し、続くG3ローレンスリアリゼーションS(12F)にも優勝。
初の古馬混合レースに優勝した同馬は勢いで(笑)G1BCターフに出走してしまう。
しかし、相手が強すぎてカラニシの6着に。>このレースから調教師がA.オブライエン師からクリストファー・クレメント師に替わっている。
腱を痛めて休養に入った後の2001年2月にG1ブリーダーズCハンデ(芝11F)で復帰し、僅差の3着に好走した。
優勝したのはサトルパワー。
2001年の飛躍を期待させたが、再び腱を痛めたことで11月に引退していました。
獲得賞金額は70万1,689ドル。
冷静に考えてみて、東京スポーツ2歳Sと弥生賞を勝った程度の馬が種牡馬として成功するとは思えない。
ウッドマンらしい素軽さも見あたらない。
唯一のウリは母のジオコンダがヘクタープロテクターやボスラシャムの兄弟であると言うことくらいかな。
2002/2/7