1月30日、ルイジアナ州ニューオーリンズで2000年度のエクリプス賞が発表されました。
注目の年度代表馬にはBCクラシック優勝馬ティズナウが選出されました。
*エクリプス賞は The National Turf Writers Association(全米競馬記者協会),The National Thoroughbred Racing Association(全米競馬協会),Daily Racing Formの記者の投票によって選出されます。
エクリプス賞(Eclipse AWARDS) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Horse of the year and three-old colt or gelding (年度代表馬&最優秀3yo牡・セン馬) |
Tiznow(血統) | 時に、真の王者争いは少しずれた所で行われるものである。 Tiznowはクラシック3冠レースとは違ったところから頭角を示した。 G1スーパーダービーを6馬身差で圧勝。 G2 BCハンデ、G3アファームドハンデ、G1パシフィッククラシックに勝利し、 オーナーの長年の努力が報われ、待望のスター馬となった。 36万ドルの追加登録料を払って出走したBCクラシックにおいて、壮絶な叩き合いをクビ差制し、見事優勝! 1956年のスワップス以来のカルフォルニア産馬の受賞となりました。 投票では、Lemon Drop Kid、Kona Goldと争ったが、ダントツで選出されたました。 最優秀3yo牡馬・セン馬部門も受賞。2位のフサイチペガサスに大差を付けての受賞でした。 |
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Two-year-old colt or gelding (最優秀2yo牡・セン馬) |
Macho Uno(血統) | 1998年のBCクラシック・・・オーサムアゲインは4分の3馬身差でシルヴァーチャームを退け優勝しました。 その2年後のBCジュヴェナイル、半弟であるMacho Unoがハナ差でPoint Givenを抑えて優勝! 彼ら兄弟のオーナーは最優秀オーナー&生産者賞にも選ばれたF.ストロナック氏。 氏は彼らの母であるプリマルフォースを1992年のキーンランド1月セールにて95,000ドルで購入。 安い買い物だったと言わざるを得ません。^^ |
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Two-year-old filly (最優秀2yo牝馬) |
Caressing(血統) | BCジュベナイル・フィリーズを半馬身差で優勝。 単勝48倍での大穴であった! この為、受賞争いも接戦となったが僅差で受賞した。 彼女のオーナー:カール・ポラード氏にとって最初のBC出走馬にして最初の勝ち馬。 オナーアンドグロリーの初年度産駒である彼女は1999年のキーンランド9月セールにおいて18万ドルで落札された良血馬である。 母:ラヴィンタッチの最良産駒であるが、母は昨年出産中に死亡した。 忘れ形見は活躍する!は真実だ! |
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Three-year-old filly (最優秀3yo牝馬) |
Surfside(血統) | 彼女の2000年シーズンは重賞勝利で始まり、重賞勝利で終わった。 1999年シーズン、2yoでデビューした彼女は6戦4勝。 BCジュベナイルフィリーズは3着に敗れた。 彼女の母:フランダースは1994年のBCジュベナイルフィリーズに勝った後、骨折が発覚し引退してしまった。この時負かした馬は”鉄の女”セレナーズソング。 2000年シーズン・・・彼女はG1レース2つを含む3連勝で幕を開けた。 ケンタッキーダービーへの出走を目論み、牡馬と1戦するためにサンタアニタダービーに出走。 しかし・・・5着に敗れる。レース後かかと部分の負傷が見つかったためその後10月まで休養に入った。 復帰戦のレイベンランSはダーリングマイダーリングの2着に好走。 そして、大一番のBCディスタフに出走! 彼女はスタートからリードを奪い逃げ切れるか!?と思われたが、最期の1Fで僚馬のSpainに差されて2着に終わった。 しかし、彼女の2000年最後のレースは再び牡馬との1戦になった。 クラークH(G2)・ダート9Fに出走した彼女は4馬身の差を付けて8頭の牡馬達に圧勝した。 2001年シーズも既に始まっていて、サンタモニカH(G1)に出走し、3着に入着している。 |
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Older colt, horse or gelding (最優秀古牡・セン馬) |
Lemon Drop Kid(血統) | 3yoの時にベルモントSとトラバースSに優勝した馬に成長の余地があるのかどうか?!を想像することは難しい。 しかし、Lemon Drop Kidはそのことを2000年のシーズンで証明して見せた。 同馬のオーナーであるジェーン・ヴァンス、ラディー・ダンス夫妻は活躍できた要因は2つあると主張する。『ブリンカーの使用と脚質の転換』である。 ブリンカー・・・彼を管理するスコティー・シュールフォフィー師は2yo時の彼にブリンカーを試したことがある。しかし、レースでは使用せず、調教の時だけであった。 師はその換わりにシャドーロール(凄く大きい)を付けさせることにした。 『私達は何回もブリンカーを試そうとしたんです・・・この馬には物見をしたり、水たまりを飛ぶ癖があるので・・・。でも、役に立ちませんでした。』 彼の2000年シーズンはG1ピムリコスペシャルを3着に敗れたところから始まった。 この時、騎乗していたエドガー・プラド騎手は最後の折り返し付近でスタートゲートを見たKidがスペードを落とし、勢いを無くしてしまったと呈した。 1ヶ月後、ブルックリンH(G2)に出てきた彼はしっかりとブリンカーを身につけていた。 そして、このレースを問答無用の7馬身4分の1差を付けて圧勝する。 立て続けに、サバーバンH(G2)、ホイットニーH(G1)、ウッドワードH(G1)に優勝。 脚質の転換・・・ヴァンスとダンス夫妻が鞍上をホセ・サントスからプラドに戻す事を決めた時に起こった。 『ホセは素晴らしい騎手であるけれど、後方からのレースを好むタイプである。 そして、Lemon Drop Kidにはもっとアグレッシヴな競馬が必要ではないか!と思ったのです。そこで、エドガーで行こうと決めたんです!』とヴァンスは言った。 ホイットニーHの時、ダンス氏はプラド騎手のとった戦法によって、Kidの走りが大きく変わったことに気づいた。 Kidがベーレンズに対して序盤からリードを奪っていたからである。 『ベイリー騎手(ベーレンズの鞍上)は私達は抑えていくと思ったはずだよ。でも、エドガーは先に動いて先頭に立ったんだ!勝てて非常に嬉しい!』と、ダンス氏。 Lemon Drop Kid・・・1997年のキーンランド9月セールにおいて20万ドルで落札。 昨シーズン終了後、種牡馬シンジケートが組まれその額は3000万ドル!! 2001年シーズンの種付け料は10万ドルである。(たけぇ〜〜〜!!!(◎-◎)) |
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Older filly or mare (最優秀古牝馬) |
Riboletta(血統) | 彼女はブラジル産馬である。 1997年にブラジルでデビューした。この年、6戦1勝。 1998年、3yoになった彼女は一般戦で勝った後、G3レースで2着に入った。 そして、G2レースに勝利、ついに、ブラジルオークスに優勝してしまう。 次のG3レースにも優勝し、完全に開花した。 その結果、彼女はアメリカに移籍することになったのだが・・・。 初年度の1999年シーズンは6戦1勝の成績しか上げれなかった。 しかし、シーズン終盤には光るところを見せ始めていた。 2000年シーズンは最後のBCディスタフこそ7着に敗れてしまったが、11戦7勝という素晴らしい成績。G1レースに5勝している。 受賞を土産に彼女はテーラーメイドファームに繁殖入りしたのだが、初年度交配相手には快速馬フォレストリーが予定されている。 |
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Sprinter (最優秀スプリンター) |
Kona Gold(血統) | 2000年のBCスプリントでレースレコードとコースレコードを同時に更新! しかも、この時の勝ちタイム:1:07.77は1999年に快速馬アータックスがマークした全米6Fのレースレコード1:07.89を破るものであった。 また彼は3度BCスプリントに出走しているが、1998年に3着、1999年に2着、2000年に1着という1〜3着全部を経験するという面白い記録も作った。 鞍上のソリス騎手にとってBC通算32回目の出走での勝利でした。 Kona Goldは3yoでデビューすべく調教を積まれていたのだが、膝の故障でデビューが遅れ、初出走は4yoの春のことであった。 通算成績は17戦9勝。まだまだ、活躍できそうである。 2001年のシーズンはしばしの休養の後、タイトルを守るべく南カリフォルニアから活動を始める予定である。 |
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Male turf horse (最優秀芝牡馬) |
Kalanisi(血統) | ミルリーフの息子ドユーンの仔であるKalanisiは米国では1戦1勝である。 しかしながら、ターフチャンピオンに選出されました。 ピンとこない人は思いだして欲しい・・・昨年のダイラミを! 今年はKalanisi の番だ!! 一昨年、ダイラミが王者に君臨していた頃、Kalanisiは誰にも知られない存在だった。 しかしだ!昨年のBCターフの勝利、欧州におけるジャイアンツコーズウェイとの死闘・・・これらが評価されノミネートされたのだった。 また、彼は出走した9レースの内8レースが異なった競馬場でありタフさも証明した。 Kalanisiはアメリカでたった1戦しただけで北米チャンピオンに選出されたが、これはアラジやミエスクらの仲間入りをしたことを意味する。 アイルランド産馬である彼のオーナーブリーダーはアガ・カーン殿下である。 母はフランスで5戦したが未勝利に終わっている。Kalanisiは彼女の初子である。 彼は2yo時にはレースに出ていない。1999年の3yoシーズンは下級レースで3戦3勝。 4yoになった2000年、調教師マイケル・スタウト師は初めての試練を彼に与えた。 ウィンザーのリステッドレースでなかなかの勇気を見せたKalanisiは次走のクイーンアンSに望み、見事に勝利! この時の2着馬ダンシーリはBCマイルで僅差の3着に入った。 夏の2レースにおいて彼は真のスピリットを示した。 ジャイアンツコーズウェイとのこの2レースはどちらも写真判定に持ち込まれた。 G1エクリプスS、G1愛インターナショナルSもアタマ差で破れはしたが、素晴らしい走りだった。 9月に休養をとった後、ひとまわり強くなったKalanisiは英チャンピオンSでモンジューを撃破した。 11月のBCターフでは直線で素晴らしい末脚を爆発させ再びモンジューを破って優勝! 本賞を受賞した。 |
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Female turf horse (最優秀芝牝馬) |
Perfect Sting(血統) | 2000年シーズンの緒戦、5月7日にアケダクトで行われたビューゲイH(G3)に優勝。 6月10日、ベルモントで行われたBCハンデ(G3)にハナ差で優勝。 7月15日、再びベルモントで行われたニューヨークH(G2)にトップハンデの122ポンドを背負って出走し、スノーポリナをアタマ差抑えて優勝。 9月4日、サラトガ競馬場、ダイアナH(G2)は3/4馬身差で優勝。 この時点で、彼女は東海岸の芝の女王に登りつめた。 次は、久しぶりにニューヨークを離れることになる。 キーンランドで行われるギャラクシーH(G3)に出走するからである。 ここで彼女は4ポンドの斤量差が応えたか、西海岸の芝の女王:トゥトチャーマントに1+1/4馬身だけ敗れてしまう。 11月4日BCフィリー&メアーターフにおいてリベンジを敢行! 3/4馬身差でトゥトチャーマントを退け優勝した。 Perfect Sting・・・フランク・ストロナック氏のオーナーブリーダー馬である。 彼女の今シーズンは4月か5月にはスタートする予定で最終目標はBCであることを管理するオルセノ師はコメントしました。 |
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Steeplechaser (最優秀障害馬) |
All Gong(血統) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Owner & Breeder (最優秀オーナー・生産者) |
Frank Stronach | オーナー賞は3年連続の受賞。 今年は最優秀生産者賞も受賞した。 生産界・オーナー界の超人!カナダの自動車関係産業の有力者。 5頭のG1馬のオーナーであり、2000年度の獲得賞金額は11,198,225ドルである。 725レース中、彼の所有馬が勝ったレースは163!! これは全体の21%を占め、賞金額的には51%を占めてしまうのだ!! 11頭のグレードレース勝ち馬が19個のグレードレースを勝った。 中でも目立つのはPerfect Stingである。彼女はStronach氏の自家生産馬である。 彼女はグレードレースに6回出走して5回に優勝した。 彼女は昨年1,367,000ドルを稼いだことになる。 彼のもう1頭のスターはレッドビュレット・・・昨年のプリークネスS勝ち馬である。 彼は980,300ドル稼いだ。 Macho Unoは昨年の2yoレースを賑わせた馬である。 生産者としてのStronach氏はどうであろうか? あらゆる生産者の夢は自分の馬を大きなレースで勝たせることであるが、氏は既に夢を実現したと言っても過言ではないであろう。 レッドビュレット、Macho Uno、Perfect Sting、コレクトザキャッシュ、シティージップ・・・彼らはG1馬である。 トータルで24個のステークス勝ち馬を出した。 彼はアデナスプリングスファームを3つもっている。-カナダ・ケンタッキー・フロリダ- 秋のファシグティプトン繁殖馬セールには毎年のように所有馬を売りに出している。 付け加えると、Stronach氏は競馬場などの複合企業体であるマグナ・エンターテイメント社の創設者であり会長であるのだ。 その会社は7つの競馬場を所有しており、サンタアニタ競馬場やガルフストリーム競馬場も含まれる。 |
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Trainer (最優秀調教師) |
Bobby Frankel | Bobby Frankel師は昨年度獲得総賞金額が1000万ドルを越えた調教師(Frankel師・B.バファート師、D.W.ルーカス師)3人の内の1人である。 Frankel師は他の2人のトップ調教師達とは一線を画した存在である。 彼は、後の2人よりも50%も少ない出走数にも関わらず、ルーカス師よりも3%余計に賞金を稼いでいる。 獲得賞金額トップのバファート師との差はわずかに9%である。 Frankel師の管理馬の1出走当たりの獲得賞金額は29,216ドル。 バファート師は17,451ドル、ルーカス師は12,872ドルであった。 おそらくこれは、たった1ヶ月の間に200万ドルのレースを1つ、100万ドルのレースを2つ勝ったことが大きく影響していると思われる。 8月19日のアーリントンミリオン(G1)をチェスターハウスで優勝。 8月26日にはデルマーで行われたパシフィッククラシック(G1)をスキミングで優勝。 9月10日には、カナダのウッドバイン競馬場で行われたアトーマイル(G1)でリビエラが優勝した。 『私はそんなに笑わない方だけど、これじゃ、笑いが止まらないね!!』とは、アトーマイル後の師のコメントである。 |
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Jockey (最優秀騎手) |
Jerry Bailey | Baileyの2000年は世界中で59のステークスに勝利して終了した。 彼は過去6年で4度もこの賞を受賞しており、残りの2年もノミネートされている。 2000年度の主な勝ち鞍は、プリークネスS(レッドビュレット)、アーリントンミリオン(チェスターハウス)、BCで2勝(Macho UnoとPerfect Sting)。 結局、世界中で15のG1レースに優勝しました。 『私達は生活していくために馬に乗っている。その為になら何処にでも行く。 今季が始まったとき、私は獲得賞金額でナンバー1になりたいと思った。それが目標なのだ! 獲得賞金額が5000万ドルに届くことがどんなにたいそうなことなのか私には分からない。 私にとっては可能な数字なのだ! 皆さんには全体像を見てもらいたいものです。』 |
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Apprentice (最優秀見習い騎手) |
Tyler Baze | 競馬の騎手というものは血統に左右されるものなのであろうか? 南カリフォルニアを本拠地に活躍した彼の又従兄弟は北カリフォルニアを本拠地にしているラッセルベイズである。 ラッセルは1995年にエクリプス特別賞を与えられ、名誉の殿堂入りも果たしている。 そして、Tylerが2000年度の傑出した騎手として最優秀見習い騎手の賞を受けた。 叔父のゲイリー・ベイズは3000勝以上をあげている騎手だ! おまけにTylerの両親も騎手という、全くもっての競馬一族なのである。 彼は1999年のハロウィーンの日に初騎乗し、勝利で飾った。ただ者ではない! そして、2000年の春にカリフォルニアに移動。 北米見習い騎手リーディングの座に着いた。 勝ち鞍は246勝。1469回の騎乗によるものである。 これは、全ての騎手の中で17番目に位置する数字である。 獲得賞金額の4,162,775ドルは見習い部門で2位であった。 1位はノルベルト・アローヨで6,973,578ドルであった。 |
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Eclipse AWARD of Merit (功労賞) |
Jim Mckay | 全米を代表するスポーツアナウンサー。 競馬・ゴルフにおける彼の発言は常に真を突いていた ABCスポーツ勤続25年。日本で言うところの杉本アナの様な存在。 JRAも表彰すべきだな!<-ヘ-> |